強欲資本主義の限界-今だけ、金だけ、自分だけ経済と政治の怠慢

今だけ、金だけ、自分だけを提唱した、東京大学大学院の鈴木宣弘教授

 資本主義の限界。そんな言葉が、最近は頻繁に聞かれます。
 私は「半分正解で、半分は間違っている」と結論してます。

 限界を迎えているのは、新自由主義・グローバリズムな「強欲資本主義」です。

 強欲資本主義によって、我々世界中が「騙された」のです。強欲資本主義がもたらした格差、経済停滞、計り知れない損失によって、世界はまさに分断と断絶の危機を迎えています
 国家の分断、自由の断絶、道徳と人権の断絶です。

 このような状況で人は「今だけ、金だけ、自分だけ」となっていくのです。

 一度、資本主義とはなにか? を問い直し、強欲資本主義とはどういうものか? を認識する必要があります。

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資本主義とはなにか?

 資本主義の芽生えは、イギリスの産業革命です。
 なぜイギリスだったのか? オランダやフランスではなかったのか?

 イギリスが一番早く、中央銀行制度と株式会社制度を持ったからです。

 中央銀行制度は、信用創造によって自国通貨建て国債を極大化、無限化させます。つまり資本の巨大化です。
 株式会社制度も、同様です。

 こうした極大化した資本によって、事業を進めるのが「資本主義」です。
※資本とは、現代貨幣理論(MMT)では負債(の部)でもあります。資本主義とは「(政府)負債をいつまでも、拡大し続けられる制度」でもあります。

 資本主義とは、人類が発明した経済の「火」です。
 人類の祖先は火を使う前、文明とは程遠い暮らしをしていたようです。火を手に入れたことが、文明の第一歩だったことでしょう。
※諸説あり

 しかし火はときに恐ろしく、戦争の道具にすらなります。湯を沸かし、暖を取り、生活に欠かせない一方で、凶器ともなり得るのです。
 得てして、道具とはそのようなものです。

 包丁もそうでしょう? 料理を作り人に振る舞うために必要な道具です。しかし凶器にもなりえます。

 資本主義とは正しくも、愚かしくも使用できる「道具」です。

 冒頭で資本主義の限界という言説は、半分間違っているといいました。愚かしい使い方をしたからといって、包丁や火を否定する人はだれもいません。
 使い方を是正しなければ、ならないのです。

資本主義と政治の関係性

 資本主義とは「資本」、つまりお金や通貨がある前提の主義です。
 現代貨幣理論(MMT)の租税貨幣論によれば、徴税という国家権力で通貨は通過たり得ます。

 そして誰もが、通貨を求めるようになります。

 資本とは、投資のために存在します。投資とは、さらなる利益を得る目的の行動です。
 企業とは、資本が必要です。
 したがって資本主義における企業は、利益を求める存在です。

 これは、不道徳でも何でもありません。

 一方で政治とは、本来「過剰な利益追求を、規制するため」に存在します。過剰な利益追求は、弱者を踏みにじることになるからです。

 歴史の類例があります。イギリスの産業革命は、そうでした。
 資本主義の初期では政治が追いつかず、長時間労働やワーキングプアがはびこっていたのです。
 社会の疲弊と、様々な人達の運動によって「労働者の保護」を政治が行うようになりました。

 上記のような経緯からも、政治とは「弱者保護のためにこそ、働くべきもの」です。

 本来は「政治という弱者保護」と「利益を追求する企業」の綱引きで、資本主義はバランスを取るはずでした。
 また政治が環境を決定すれば、企業は環境論決定論的に「道徳的」になります。
環境決定論 – Wikipedia ニューヨーク市と割れ窓理論が代表的です。

強欲資本主義に騙された世界

 資本主義は道具である、と述べました。資本主義の利益追求の本能は、政治がブレーキをかけるべきとも上述しました。

 1つ歴史を述べます。強欲資本主義、つまりグローバリズムは初めてではありません。
 第一次世界大戦前は、まさにグローバリズムでした。だからこそ、ケインズの思想が体系化されたのです。「是正をするために」という、批判的精神のもとにです。

 グローバリズムは国際間の遠心力を生み、第一次、第二次世界大戦が起きました。
 その反省をもとに、世界は1945年から1970年代まで、統制経済といってよい「政治の強い経済」をしたのです。
 結果、ハジュン・チャンの統計では1980年代以降と比べ、2倍以上の経済成長を世界は達成していました。

 1970年代に新古典派経済学というものが、出てきます。
 彼らはいいます。「自由が大事だ! そのためには小さな政府だ! 市場競争こそが、公平な結果をもたらす!」と。

 世界は騙されました。
 新古典派経済学のいう市場競争、市場原理主義とは「弱肉強食」にほかなりませんでした。
 その証拠にほら、世界的にも日本的にも、格差は拡大するばかりです。

 強欲資本主義に世界が、騙された結果です。

強欲資本主義の最悪な結末と破滅

 強欲資本主義は、何をもたらしたか?
 1つは世界経済の、経済成長率の減速です。

 小さな政府とは「資本を活用しない政府」です。資本を投資しないと、当然ながらイノベーションは起きません。

 インベーションなき世界で、どうやって企業は金儲けするか? 金融市場でしょう。リーマン・ショックの原因である、金融工学の作ったサブプライムローンなどは、その典型です。

 イノベーションが少ない世界、金融危機が頻発する世界。これが強欲資本主義が作り上げた結末です。
 さらに格差も拡大し、中間層は没落し、金持ちと低所得層で断裂が起きました。

 なぜ断裂したか? エスタブリッシュメント(支配層)に、1食300~500円の庶民の気持ちが理解できるはずがないでしょ。
 エスタブリッシュメントはこう思います。「努力が足りないから、いつまでも貧民なんだ」と。
 庶民は思います。「努力したって、無理なもんは無理だ」と。

 埋めようのない断裂です。これを「認識共同体」といいます。

 断裂は何を生み出すか? 国家の分断です。ブレグジットもトランプもまさに、その現象です。

誰もが今や「今だけ、金だけ、自分だけ」

堤未果さん

 市場原理主義は、弱肉強食と申し上げました。庶民は「喰い物」です。エスタブリッシュメントやエリートの、ビジネスの肥料でしょう。
 サブプライムローンが、まさにその例です。

 強欲資本主義とは、庶民を喰い物にして育つのです。

 では喰い物にされた、庶民はどうなるか? 奴隷の鎖自慢、ないし弱肉強食です。
 つまり「今だけ、金だけ、自分だけ」です。
 環境論決定論的には、仕方のない話です――が、民主主義的には「それは、最も愚かな行い」です。

 まだほんの少し、余裕のあるうちに「学問」を、庶民は始めなければなりません。
 補足ですが学問とは「学び問うこと」です。難しい教科書を読めと、いっているわけではありません。

 最後に、堤未果さんの「政府はもう嘘をつけない (角川新書)」をご紹介しましょう。

 強欲資本主義について、具体的に「暴いた」秀逸な著作です。

 私が使用する「今だけ、金だけ、自分だけ」も、私が最初に見たのは堤未果さんの著作でした。
※東京大学大学院の鈴木宣弘教授が、提唱した言葉らしい。

 結局の所、政治の主権が帰するのは国民です。
 資本主義を「正しく使うも、愚かに使う」も国民次第です。

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