本稿では合成の誤謬を、解説します。ゲーム理論についても、軽く触れましょう。
なぜいまさら合成の誤謬か? 合成の誤謬を理解しないと、デフレで積極財政がなぜ必要か? が真に理解不可能だからです。
また、いくつかの合成の誤謬の事例で「社会の不確かさや複雑さ」も理解できます。
デフレで政府が積極財政をしない場合、規制緩和とレントシーキングの温床になるという事象にも繋がります。
合成の誤謬とゲーム理論
合成の誤謬とは、ミクロでの合理的行動が全体としての良い結果に、必ずしもつながらないことをいいます。
簡単な事例をあげますと、こうです。
- デフレで所得が減ったので、個人は節約する
- デフレで競争が激しいので、企業もコストカットする
- 全体としては需要が減少し、更にデフレが加速する
しかし主流派経済学の教科書では、合成の誤謬は出てこないようです。代わりにゲーム理論が出てくるだとかなんだとか。
ゲーム理論とは、囚人のジレンマといわれる例題が代表的です。これも合成の誤謬とほぼ一緒で、全体として最適な行動(パレート最適)と、個人としての合理的行動(ナッシュ均衡)が異なる事があるという理論です。
デフレでのパレート最適(全体としての最適な行動)は需要する、個人としての合理的な行動(ナッシュ均衡)は節約する(需要しない)というわけ。
では、合成の誤謬を理解すると、何が理解できていくのでしょう?
合成の誤謬のデフレ以外の事例
デフレ以外といいながら、少なからずデフレや不景気が絡んでくるのはご了承ください。
例えば少子化。子育てには2千数百万円が必要といわれます。所得が減る中で、政府が年金も保証しない環境です。
とすると、個人としての合理性では「結婚しない=子供を産まない」があげられます。年金を優先するわけです。
ますます少子化は進み、経済縮小が止まらなくなる。これも合成の誤謬の1つの事例でしょう。
デフレと反対のバブルもそうです。
バブルはハイマン・ミンスキーの、金融不安定性仮説が説明にあげられますが、これも合成の誤謬です。
- 何かのきっかけで、金融資産が膨らんでいく
- 人々は値上がりを求めて、ますます需要する
- どこかで何らかのショックにより、金融資産が値崩れし売り逃げる
- 売り逃げることにより、更に金融資産が値崩れする
レントシーキングなども、じつは合成の誤謬の産物ですが、これについては深刻なので後述します。
合成の誤謬は誰が考えたの? 合成の誤謬の歴史
合成の誤謬は、ケインズが考えたというイメージがあります。しかし実際は、ポール・サミュエルソンが提唱した概念です。
※ケインズも、似たようなことはいってます。
ポール・サミュエルソンはどうも、ケインズ学派とともに新古典派経済学も学んでいたようで、ハイブリッドといったところでしょうか。
サミュエルソンいわく「完全雇用に達するまでは、ケインズ政策。完全雇用に達したなら、新古典派経済学」だそうです。
参照:「合成の誤謬」とは?
面白いことに、ゲーム理論も当初は新古典派経済学の批判として、数学者ジョン・フォン・ノイマンと経済学者オスカー・モルゲンシュテルンにより、1944年に誕生したようです。
デフレ下での深刻な合成の誤謬「レントシーキング」
よく「緊縮財政・規制緩和・自由貿易」は三位一体といわれます。これもじつは、合成の誤謬で解説できます。そしてレントシーキングも。
順を追って解説しましょう。
緊縮財政・規制緩和・自由貿易の三位一体の前提環境
状況としては、日本を思い浮かべてください。失われた20年です。
1997年の消費税増税により、日本はデフレに陥りました。
デフレとは供給>需要であり、以下のような現象が起きます。
- 需要が供給より減少する=売上が上がらず、価格競争を強いられる
- 企業はコストカットに精を出す=人件費も削られて、国民の所得も減少する
- 所得が減少するので、個人も生活でコストカット=節約する
- 更に需要が減少する
端的にいえば、民間経済が苦境に立たされます。合成の誤謬により、民間経済がコストカットに走り、節約することは合理的です。
しかし全体としては最適ではなく、最悪になります。
緊縮財政と世論への抵抗力の喪失
民間経済が苦境であるとは、国民生活の苦境です。本来は国民が政府に「需要創出しろ! 積極財政を行え!」と主張するべきでしたが――。
日本では「政府が積極財政をするのはけしからん! 俺達はこんなに苦しんでいるのに! 政府も節約しろ!」となりました。
デフレ下での緊縮財政という思考は、上記に拠ります。
国民に「節約しろ!」と迫られた政治は、合成の誤謬を理由に「だが断る」としなければなりませんでした。
政府(官僚を含む)や、政治家がそうするべきでした。
ところが、行政改革で官僚機構は抵抗力を失い、小選挙区制度で政治家は安定を失いました。つまり、世論に対する抵抗力を失ったのです。
これまた「生活が苦しいから、政府(トップ)も節約しろ」という「企業やビジネスでは正しい主張」が、国家という大きなものでは全体最適ではなかった。つまり合成の誤謬からです。
ビジネスであれば「節約」によって、余ったお金ができて、投資や人件費などに返ってきたかも知れません。しかし国家では間違っていました。
世論は往々にして間違えます。それを是正するのが中間団体(労組や参議院等々)や、政府、国会だったはずですが、全て改革とやらで骨抜きになりました。
緊縮財政・規制緩和・自由貿易の新自由主義三位一体
合成の誤謬によって、緊縮財政が肯定されるとどうなるか? 緊縮財政ですから、インフラ整備や社会福祉を手厚くするといった「お金のかかる政策」は否定されます。
政治にできるのは「規制緩和と自由貿易で、ビジネス拡大を目指す」ことしかありません。
レントシーキングと規制緩和とビジネス
規制緩和とは「すでにある需要を、他に移す」というだけの作業です。水道事業民営化もそうです。
規制緩和をしたからと、需要の総体は増えません。
ではなぜ、企業がレントシーキング(ロビー活動で、規制緩和させて利益を得る)をするのか? これまた合成の誤謬です。
デフレで売上が上がりません。どこかから「ビジネス」を取ってこないといけません。
政府に働きかけて、規制緩和させて、そのビジネスを自分たちが運営できるようにするのです。いち企業としては、そして従業員にとっては「合理的」です。
一方で全体としてどうなるか? 水道持病民営化でいえば、地域自治体から水道事業の運営ノウハウは失われます。自治体という「非営利団体」から、企業という「営利団体」に水道事業が移ったことで、料金の値上げ・設備の老朽化・サービスの低下などが懸念されます。
最悪、過疎化した地域では水道事業の企業の撤退までありえます。
到底、全体として「良いこと」とはいえません。合成の誤謬です。
改革を安易にやると、どんどん間違った方向へ加速するという事実
いち個人、いち企業として「こうすればよいのに」と合理的に考えたことが、全体としての最悪を招くことがある。これが合成の誤謬の仕組みです。
おおよその「改革なるもの」は、全体を見ずに「いち方面からの合理性」のみで行われます。行政改革や小選挙区制度の導入、郵政民営化などはその典型例でしょう。
大阪都構想はまた違います。大阪都構想は、大阪人にとってもまったく合理的じゃありません。合成の誤謬ではなく、プロパガンダと全体主義でしょう。
一度改革をすると、改革路線は加速していきます。今やその速度は、過去最高速度に達しているといえるでしょう。
これは「緊縮財政が正しい」という、間違った前提のもとで「どうしたら良いかわからない」から加速せざるを得ないのです。
もはや合成の誤謬ですらなく、合理性の欠如とすらいえます。その典型例が、安倍政権というわけです。
こう考えていくと、安倍政権は「合成の誤謬によって、迷走した日本の必然」だったのかも知れません。
>こう考えていくと、安倍政権は「合成の誤謬によって、迷走した日本の必然」だったのかも知れません。
そのとおりですね・・。
安倍政権とは、今の日本国全体に存在する空気、それを体現する存在なのではないかとも思います。
今のこの国の空気を体現する存在だからこそ・・、安定感があると、国民も思うのかもしれませんね・・。
今のこの国(の空気)となにもズレる所がないのですから、今の安倍政権は・・・。
そりゃあ、国民も、安定していると思うかもしれませんね・・。
ある意味では、今の世の中そのものが、安倍政権だと言えるのではないかとも思います、し・・、ある意味では・・。
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その中で、それは違うとアホみたいに言えるここのサイトや進撃の庶民は、本当に貴重だと思います。
空気を読まないアホの集まりですw
でも、なにごとにも賢い今のこの国にはそれが必要、なのかも、しれませんね・・。
>空気を読まないアホの集まりですw
わはは(笑)確かに(笑)
「読めない」ではなく「読まない」ところが、素敵だと私は思うのです(笑)