社会主義と共産主義の違いとは?ないし新自由主義と共産主義の共通点

 本稿では経済イデオロギーの違い、ないし共通点について解説してみます。なぜこんな解説をするのか?

 経済の議論において、しばしば経済イデオロギーが誤用されがちだからです。例えば共産主義と社会主義の違いがよくわかっていなかったり、もしくは共産主義と新自由主義を対局のものだと見なしたり。

 じつは共産主義と新自由主義は非常によく似ています、というと驚かれるでしょうか?
 社会主義と共産主義の違いを明確にした後に、共産主義と新自由主義の共通点などを論じてみたいと思います。

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社会主義と共産主義の明確な違いは何か?

 「社会主義の誤解を解く(光文社新書 著:薬師院仁志さん)」によれば、共産主義や社会主義思想が出てきたのは、近代資本主義の芽生えとともにだそうです。

 イギリスの産業革命は当初、労働者を保護する法律があまりありませんでした。長時間労働や低賃金が当たり前にはびこっていたのです。今でいう、ワーキングプアが大量に発生していたのです。

 ワーキングプアが大量発生する社会とは、当然ながら疲弊していきます。
 そこで出てきたのが共産主義や社会主義といった思想でした。

 当初はマルクスですら、共産主義と社会主義を使い分けていなかったようで、その当時は明確な違いは論じられていません。

 どちらも確かに、労働者保護の観点から国家が経済に大幅に介入する、という点では一緒です。

 明確な違いは、共産主義が私有財産を否定するのに対して、社会主義は私有財産(資本)を否定しません。
 つまり共産主義と資本主義は対立しますが、社会主義と資本主義は、必ずしも対立しないのです。

 社会主義は様々な潮流がありますが、例えばおなじみのケインズ理論も、社会主義と批判されたことがあります。
 現在の社会主義は穏健なものが多いのは、ソ連や中国の失敗に学んだからです。

 経世済民の思想も広義の意味で、国家による経済への介入を認めるので、社会主義と言えなくもありません。
 社会主義には様々なバリエーションがありますが、共産主義にはマルクスた唱えたものしかバリエーションがないというのも、1つの特徴です。

共産主義と新自由主義は根本では同一のもの

 共産主義と新自由主義が似ている、というと、違和感を感じる方が多いかもしれません。しかし少なくとも……思想面では同一とすらみなしえるのです。

 機械論哲学というものがあります。中身はマルクスや共産主義が唱えるところの、唯物論とほとんど同様です。
 共産主義は唯物論を、新自由主義の根底には機械論哲学があります。

「霊魂」を考慮しないという点では、機械論と唯物論はほぼ同一だというのが、一般的な評価である。ただ、「機械論」はどちらかと言えば暗黙裡に「霊魂」に言及するのを避け、あるのかないのか議論を回避することで、(まずは)己の科学的な方法論で分析できるだけ分析を進めてみよう、とするところに比重が置かれているのに対して、「唯物論」の方は機械論が先鋭化したものであると言え、「霊魂は無い」と先験的に断定し主張しているところに相違点がある、といった指摘がなされることが多い。また唯物論は必ずしも決定論的な世界観には立っていないが、機械論は決定論的な世界観に立っているという点が異なる。

機械論 – Wikipedia

新自由主義と共産主義、どちらも設計主義

 次に新自由主義と共産主義の共通点は、どちらも設計主義的であるということです。
 「え? 共産主義は設計主義だと理解できるけど、新自由主義は設計主義じゃないんじゃない?」という疑問は当然でしょう。

 新自由主義の思想的な祖ともいわれるハイエクは、隷従への道という著書で計画主義を嫌いました。これは共産主義への嫌悪からです。
 しかし同時代のオークショットから、「計画を否定するための計画」と、ものの見事に喝破されたのです。

 例えば記憶に新しいTPPは新自由主義的といえますが、TPP協定文書は6000ページに及びました。”本当に自由貿易である”なら、A4用紙1枚で済むはずです。
 新自由主義も「(経済的)自由を設計する」という意味で、設計主義なのです。

 この場合の設計主義とは、理性万能論です。
 新自由主義が共同体や文化を破壊していくのに対して、共産主義であったソ連も一時期、家族制度という社会最小の共同体の破壊をもくろみました。

 こういった意味で、共産主義と新自由主義は、驚くほど似ているのです。

共産主義も新自由主義も、最終的にはグローバリズム

 共産主義は最終的に、世界同時革命という思想を持っていました。これはある種のグローバリズムといえます。
 新自由主義も当然、グローバリズムです。

 なぜこうなるのか? どちらの思想も「理性万能主義」ですので、理性によって導き出される”正しいこと”は1つしかないと考えているのです。
 よって最終的な帰結は「世界中が、同じ仕組みと制度になれば、もっとよくなるはずだ!」になります。

 理性と理論に偏りすぎ、経済という”人間の営み”を直視できなかったためと思います。

ナショナリズム(共同体主義)からすれば、共産主義も新自由主義も一緒

 しばしばナショナリズムは、危険なものと勘違いされます。しかしナショナリズムの語源、ネーション(nation)は国民国家を指します。
※そもそも国家という言葉には国民が含まれるので、国民国家という表現はやや違和感がありますが。

 国民国家とは何か? 国家は社会最大の共同体です。したがってナショナリズムとは、共同体主義とも表現できます。

 論じてきたように、共産主義も新自由主義も、共同体を解体する働きがあります。どちらも帰結はグローバリズムなのです。

 ちなみに「社会主義の誤解を解く(光文社新書 著:薬師院仁志さん)」によれば、イギリスの産業革命当時の社会主義を支持したのは、保守思想家たちでした。

 現在では「小さな政府を支持する=保守」という認識がされていますが、これは知的劣化の結果としか言いようがありません。
 なにせ共同体を大事にするはずの保守が、新自由主義という共同体を破壊する思想に与するわけですから。

 ケインズは「人は思想の奴隷」と言い残しています。認知不協和になっている思想だけは、持ちたくないものですね。

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Muse
4 年 前

>共産主義は最終的に、世界同時革命という思想を持っていました。これはある種のグローバリズムといえます。
新自由主義も当然、グローバリズムです。

仰る通り、共産主義も新自由主義も、ナショナリズムを否定して共同体を破壊することを目指す思想であり、行き着く先は究極のグローバリズムです。つまり、国境を越えた人・モノ・カネの移動から始まって、各民族共同体の文化・伝統・慣習を滅ぼし、各国の主権を奪い取り、最終的には国境の撤廃と国民国家の消滅、そして”地球連邦政府ないし世界統一政府”なるものの樹立と全人類の単一民族化を、(少なくともイデオロギー的には)目指しているような気がします。

2002年に出版されたデイヴィッド・ロックフェラーの回顧録にも、次のような言及があります。「私がアメリカ国民の利益に反して秘密結社の一員として働いている国際主義者で、政治的、経済的により統合された世界政府の樹立を画策しているのだと信じている人々が一部にいる。もしその計画が罪であるというのならば確かに私は有罪であるが、それは誇らしいことだ」

もちろん、その世界統一政府なるものは決して全人類の幸福実現を目指す理想的な統治権力であるはずもなく、ごく少数の特権階級(共産主義ならば党中央の最高幹部たち、新自由主義ならば一握りの国際金融資本家たち)が全人類を支配する、地球規模での独裁専制的ないし全体主義体制です。ちょうど、ジョージ・オーウェルの小説「1984年」の世界。

現にそうした体制のローカル版として出現したのが旧ソ連であり、今の中共。それから、全体主義とは言えないまでも、各国の主権を弱めて域内格差を拡大させたEUも世界政府のローカル版に近い。

まあ、現実には世界統一政府なぞ生まれるとは思いませんが、そうした野望(少なくともローカル版)を抱く輩がいなくなるとは思えない。日本でも、どっかの政党が、地域主権だの道州制といったスローガンを打ち出して、またぞろ何とか都構想なるものを実現させようとのさばってきましたが、これなぞも、日本国内にローカル版の独裁体制を作って、日本国家の分裂を画策する反日国賊集団ですね(笑)。