現代貨幣理論(MMT)と主流派経済学の世界観の違いとは?

 現代貨幣理論(MMT)は今年の初めごろから、かなり話題になっている、アメリカから来日した理論です。

 批判的な報道が目立ちますが、それはなぜでしょうか? 主流派経済学が信用貨幣論を理解してなかったと、ばれるのが怖いから? それとも、緊縮財政が間違っていたと認められないから?

 もちろん、上記2つのような理由も大きいでしょうし、主要な理由であるように思われます。
 しかし、根本的には「世界観の違い」があるのではないでしょうか?

 本日は現代貨幣理論(MMT)と主流派経済学の、世界観の違いを論じることとします。

スポンサーリンク

動的世界観と静的世界観

 理論体系における世界観とは、どのような分野であるかにかかわらず、おおよそ2つに分かれると思います。
 動的世界観と静的世界観です。

 自然科学でいえば古典力学は静的世界観です。哲学としての機械論も、古典力学的としばしばいわれます。
 機械論とは何か?

 端的に申し上げれば、唯物論とほとんど変わりません。
 「リンゴが落ちる=重力があるから」といった、確定した事象を解明していけば、世界の真実が見えるだろうという考え方です。
 静的世界観とは、世界には本来、不確実性がないと考える世界観です。

 一方で量子力学などの最新の科学は、動的世界観に基づくようです。シュレディンガーの猫などはその典型例ですし、気象学なども複雑系でしょう。
 動的世界観は、世界は不確実性に満ちているとする世界観です。

主流派経済学理論は静的世界観

 主流派経済学は完全に、静的世界観です。ワルラスの一般均衡モデルなどは、まさに静的であり、機械的です。
 一般均衡モデルの中には、不確実性は存在しません。

 新自由主義によれば、市場原理が働くことで自動的に、経済活動が調整されるのだそうです。まさに「機械的」ではありませんか。

 しかし――現実世界は不確実性に満ちています。
 明日、私が交通事故にあわないという保証はないし、金融危機だって起こるかもしれない。自身や災害が起こるかもしれない。

 商売をやったことがある人なら、現実世界の不確実性を肌感覚で理解できるはずです。
 現実世界は動的です。ゆえに、新古典派経済学、主流派経済学は”現実を説明できない”のです。

現代貨幣理論(MMT)は動的理論体系である理由

 現代貨幣理論(MMT)は現代の金融構造を、現実の仕組みから説明し、体系化したものにしかすぎません。

 やや話がそれますが、現実とは今現在の水平軸だけではありません。歴史、特に経済史も立派な垂直軸、時間軸の”現実”です。
 現実的貨幣論を語る多くの人が、ケインズも含めて「物々交換から貨幣が発生したという、いかなる証拠も見つけられていない」と証言するのは、時間軸における現実も認識しているからです。

 この点でケインズ理論や機能的財政論、現代貨幣理論(MMT)は保守思想とも親和性が高いのです。

 閑話休題。
 現代貨幣理論(MMT)によれば、自国通貨建て国債で財政破綻はあり得ません。つまり政治というダイナミズムが、経済にかかわることを否定しません。
 経済とは、政治も含めた動的なものであると、現代貨幣理論(MMT)からは解釈することが可能です。

世界観と世界観がぶつかれば何が起きるのか?

 正反対の世界観同士がぶつかれば、何が起きるのか? 論争です。論争の果てに一般的に受容されたものが、パラダイム(認識枠組み)として根付きます。

 主流派経済学が現代貨幣理論(MMT)を、口汚くののしるのは、パラダイムシフトを本能で恐れているからではないか? と私は解釈しています。
 彼らが恐れていることが、起こるかどうか? までは言及しませんが。

 現代貨幣理論(MMT)に対する、主流派経済学の姿勢を見れば、本能として恐れているという解釈は、あながち間違いではないでしょう。

 この議論はトーマス・クーンのパラダイム理論を参照にしています。

 ちなみに目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】(中野剛志さん)によると、主流派経済学はもはや宗教の域にまで達している! とのことで、実証的なことは1つも行っていないようです。

主流派経済学はなぜ、内にこもったのか?

 中野剛志さんによれば、主流派経済学は内にこもっているのだそうです。ほかの分野の社会科学と、知見の交流がないそうですし、耳も貸さないようです。

 1970年代に台頭してから50年間、貨幣の議論を封印していたという事実から、中野剛志さんの言は事実であろうと思います。

 主流派経済学の内部、認知共同体内で「マネーロンダリング」ならぬ「知識ロンダリング」をやってるんじゃないのか? なんて感想を抱きました。

 この主流派経済学の状態、人間で例えてみると、こういうことなのではないか? と思います。

  1. 自分に自信のある人間は、寛容だったり他者と交流したりする。それによって自信が棄損されることはないから
  2. 自分に自信のない人間は、基本的に当たり散らすか、権威を持ち出すか、人と正常に関われない

 主流派経済学が宗教染みて、ほかの社会科学と関わらないようにしているのは、案外2.だからじゃないかなと。

申し込む
通知する

0 Comments
インラインフィードバック
すべてのコメントを表示