新自由主義と自己責任の関係性をわかりやすく3つの要素で解説

 新自由主義と自己責任の関係性を論じた有識者は多いです。しかし――わかりづらい! 難解! 難しい!

 そこで新自由主義と自己責任の関係性を、わかりやすく解説します。「レッセ・フェール」「大衆人」「ルサンチマン」の3つのワードを押さえておけばOKです。

 結論としては「新自由主義でギスギスして、相手を叩く言い訳が『自己責任』ってやつ」です。

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自己責任論は相手を叩く言い訳に使われる

 自己責任論は一般的にポジティブなことには使用されません。「お前が金持ちになったのは自己責任!」なんて聞いたことがありませんよね。

 自己責任論が使われるのはネガティブなときだけです。「失敗したのは自己責任」「失業したのも自己責任」「鬱も自己責任」などと使用されます。

 また自己責任が使用されるのは「相手を叩くとき」です。

 自己責任が使用される言葉を、やや詳細に分解してみましょう。
 すると「失敗したのはお前のせい」以外に「俺たちには関係ない」「俺は間違いを指摘してやっているだけ」といったニュアンスが含まれています。

 「相手を叩く」「自分には責任がないと放置する姿勢」が同時に存在しています。

新自由主義が自己責任論に陥る3つの要素

 多くの有識者が、新自由主義と自己責任論の関係性を指摘しています。しかしどの記事も哲学的でわかりづらいですよね。

 よって3つの要素から、新自由主義と自己責任論の関係性にフォーカスします。まずは3要素の説明。

レッセ・フェールと小さな政府

 レッセ・フェールとは日本語で自由放任主義と訳されます。

 新自由主義は小さな政府を志向します。小さな政府とは予算、権限を縮小した政府です。したがって企業や個人は自由放任――レッセ・フェール――になります。

 新自由主義の特徴であるレッセ・フェールと小さな政府が、自己責任論には大きく関わってきます。

原子論的個人と大衆化

 原子論的個人とは大衆人とも言い換えられます。大衆人とはホセ・オルテガ・イ・ガセットが定義しました。

 大衆人を簡単に言い表すと「砂漠のさらさらな砂」です。風次第でどこへでも飛んでいく、という特徴を持ちます。

 人は自由になり過ぎるとかえって動けなくなります。夏休みの自由課題で「一体何をすれば……」と途方に暮れたことはありませんか?

 また自由はアイデンティティを喪失させます。アイデンティティとは環境や制約によって育まれるので、自由過ぎると逆に喪失するのです。

 アイデンティティを喪失し、途方に暮れている人たちが大衆人です。

ルサンチマンという妬み

 新自由主義によってアイデンティティを喪失し、途方に暮れた人たちは「俺たち、みんな一緒」という部分に安らぎを見いだします。
 人と一緒であることが安心感になります。

 逆に自分たちと違う人たちは、自分たちの安心感を侵略する敵と見なします。それは成功者であったりマイノリティであったりします。

 加えて安心感を得たいのは不安だから。社会に対して漠然とした不安とルサンチマンを大衆人は抱えます

 なおルサンチマンとは「強者に対する嫉妬や妬みの感情」です。

レッセ・フェールと自己責任の関係性

 レッセ・フェールで自由放任! という状態は、裏を返せば「政府は国民の面倒を見ない」ということです。

 政府自身が国民に「自由放任だから『自己責任』だよ」と委ねている状態がレッセ・フェールです。

 加えて自由とは良いことばかりではありません。「貧困になる自由」「失敗する自由」も自由には含まれます。

 新自由主義とレッセ・フェールから見た自己責任論とは、放置の言い訳です。

大衆化と自己責任の関係性

 大衆化するとアイデンティティを喪失し、周りと一緒であることによって安心感を得ます。何が正しいか、何が間違っているかなど関係ありません。

 よって空気によって意見を変えます。

 ここで空気を読まない人がいたら「叩かれるのも自己責任!」とばかりに叩きます。空気を読まずに間違えたら悲惨です。

 では空気を読んで間違えたらどうなるか? 多くの人が間違えたとしたら、誰がその人たちを責めるでしょうか。責める人がいない=間違えても責任は取らないのです。

 大衆とは常に無謬です。

 よって大衆ではない人たちだけが一方的に処断され、叩かれることになります。「間違えたのは自己責任」と攻撃されます。

 自己責任とは異分子を攻撃するための言い訳であり手段です。

ルサンチマンと自己責任論の関係性

 大衆人の抱く漠然とした不安やルサンチマンは「隙あらば成功者を引きずり下ろし、暇あらば下を叩く」という運動に転嫁されます。

 人間は満ち足りていないときに、弱者を叩くことでひとときの充足感を得る生き物です。さらにはルサンチマンによって、成功者が隙を見せたら足を引っ張りにかかります。
 「出る杭は叩け、下に見える杭はもっと叩け」という恐ろしい状態。

 このときに使用されるのが自己責任論です。

まとめ

 新自由主義は自由競争を謳いながら、弱肉強食に人を放置するイデオロギーです。こんなのギスギスするに決まっていますよね。

 ギスギスしているときに「周りと一緒」は安心感があります。何が正しいか? より「何がにらまれないか」と空気を読みます。
 アイデンティティ? 何それ美味しいの?

 ギスギスしているので当然、成功者を妬みます。そして下を叩く。

 しかし大義名分がないとさすがにマズい。そこで登場するのが「自己責任」です。

 新自由主義と自己責任の関係性をわかりやすく解説しました。参考になれば幸いです。

生活保護の実態を示し、これを利用しようとすることは悪いことではない等、説得力のあるデータと文書であっという間に読み終えてしまった。

また「自己責任」という言葉にも、強者が有利となるのだという論理が展開され、説得力あった。

日本人は、もっともっと学問が必要だと考えさせられた。テレビの大罪も痛感させてくれた一冊。

 ちょっと気になる書籍が上記。興味のある方はどうぞ。

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