資本主義の限界。この言葉が出てきたのは、2010年代初頭からでしょう。リーマンショックが起こり、世界経済が長期停滞に入って、資本主義の限界が囁かれるようになりました。そのほんの10年前まで、黄金期と浮かれていたにもかかわらず!
けれど資本主義の限界を論じ、資本主義の次の経済システムを予測する記事の多くに「……あかんやん、これ」との感想を筆者は抱きます。なぜなら、そもそも資本主義の定義ができていないからです。
資本主義の次を予測する記事の傾向を分析、解説しながらツッコミを入れつつ、「資本主義の次」ではなく「次の資本主義」を予測してみたいと思います。
次世代のポスト・資本主義がなぜ囁かれるか
なぜ資本主義の限界が囁かれ、次の資本主義の代わりになる経済システムを予測しようとするのでしょうか? 資本主義の次は果たして、資本主義よりよいものでしょうか?
その問いに回答するためにはまず、資本主義の限界と言われているものは何か? そもそも資本主義とは何か? を問い直さねばなりません。
資本主義とはそもそも何で、何が限界か
資本主義とはそもそも何か
資本主義とはそもそも、資本=負債を拡大しながら経済成長していく経済システムです。現代貨幣理論(MMT)では貨幣=負債と定義されます。資本=負債=貨幣は、国家と中央銀行の統合政府によって、巨大な拡大が可能となっています。
つまり資本主義とは、現在の国家・中央銀行による貨幣制度です。
資本主義の限界として囁かれること
資本主義の限界に関して、以下の記事で詳細に論じています。
端的にまとめれば、資本主義の限界として囁かれているのは「デフレと経済の長期停滞」「格差と富の偏在」「新型コロナで明らかになったグローバリズムの脆弱性」です。
また資本主義の限界と感じるのは、拝金主義的な「金銭第一主義の価値観」が蔓延っているからとの理由もあるでしょう。
多くの資本主義の限界論は単なる「グローバリズム限界論」
筆者の知る限りにおいて、資本主義の限界を論じた有識者で「現在の国家・中央銀行による統合政府に代わるもの」を論じた人は非常に少数です。
資本主義の限界として論じられることの多くは、単にグローバリズムと強欲資本主義の限界といった、資本主義の一面についての代替を論じているだけです。
余談ですが資本主義を厳密に定義せず、資本主義の次に来る経済システムを論じる知性的劣化こそが、現在のグローバリズムとその弊害を生み出しているのではないか? などと考え込んでしまいます。
進歩主義を信仰するから
資本主義の限界が囁かれる中で、資本主義の次の経済システムを予測し、待ち望むのは「きっと次の経済システムは、いまよりよくなるはずだ」との無条件かつ素朴な前提条件に基づきます。
けれど本当にそうでしょうか?
例えばグローバリズムは19世紀から20世紀初頭にかけて広まり、第一次・第二次世界大戦を引き起こす大きな要素のひとつとなりました。その反省から世界は、第二次世界大戦後にグローバリズムを抑制しました。
グローバリズムの抑制は四半世紀ほどしかもたず、現在はまたグローバリズムの時代です。果たして「次はよりよい経済システムが来る」と、誰が明言できるのでしょう。
進歩主義は信仰にしか過ぎず、次の経済システムが退化する可能性もあります。
次に資本主義の代わりになるものは?
資本主義の次に、資本主義に代わるものは何か? 退化する可能性もありますが、ひとまず脇に置きましょう。
- 資本主義の限界とは、グローバリズムの限界を指している
- 進歩主義を信仰しないで考えれば、ポスト・グローバリズムが新しいものとは限らない
資本主義の次は2つの方向性
- ローカルに戻る
地産地消やローカルなシェアエコノミーなど - 拝金主義や金銭を基準とした価値観からの脱却
信頼主義や公益主義など
資本主義の限界論が、グローバリズムへの否定でしかないのならば……すなわちグローバリズムからの脱却が、資本主義の次のシステムとして語られます。
次世代の資本主義論の大半は「ローカルに戻ること」「拝金主義や金銭を基準にした価値観からの脱却」の2つが語られます。
その上で「新しい時代が来る」と言われます。
なぜか「過去に経験した主義には戻らない」という前提条件
資本主義の次の経済システムが論じられるときに、共産主義や社会主義はなぜか含まれません。なぜかと問えばおそらく「共産主義や社会主義は、過去に失敗しているじゃないか! だから資本主義の次に来るはずがない」と言われるでしょう。
しかし上述したように、グローバリズムも「過去に大失敗した経済主義のひとつ」です。とすれば共産主義や社会主義が、資本主義の次に来るはずがないなんて誰にも言えません。
資本主義の次は緩やかな社会主義
資本主義の限界を論じるに当たって、問題点を再度提示しておきます。
- 資本主義の次と言いながら、資本主義をまともに定義できていない
- 資本主義の限界と言いながら、そのほとんどはグローバリズムの限界
- 進歩主義にとらわれて、社会主義や共産主義等々の可能性を無視している
資本主義の次に何が来るのか? というより、筆者は「資本主義かつ社会主義な経済」が来ると予測しています。共同体主義に納まる資本主義、という表現でもよいでしょう。もしくは現在のようなレッセフェール(放任主義経済)ではなく、政治が経済に積極的に関与する統制経済です。
統制経済といった表現が好ましくないなら、公益資本主義や修正資本主義と言い換えてもよいでしょう。政治が規制やルール、法律や便益によって配慮し、妥協し、玉虫色の判断をしながら公益に資するように経済を運営していくのが理想です。
「決められる政治!」とのフレーズを、筆者は毛嫌いしています。「安易に決断ができるような『幼稚さ・配慮のなさ・想像力の欠如』ゆえに、決められる政治なるものが行われる」と考えます。
放任主義的な自由競争に任せた弱肉強食経済は、その弊害があらわになってきています。放任主義をする前に築き上げた資産を、強欲資本主義が食らい尽くす寸前です。
資本主義の次ではなく、次の資本主義は緩やかな社会主義ではないでしょうか。
資本主義の限界と次の経済システムまとめ
政治や経済の議論を見渡すと、言葉の定義をせずに議論をしている例が後を絶ちません。資本主義を突き詰めて、本質を見極めていないのに「資本主義の次は○○がくる」などと議論することは、あまり有益とは思えません。
現に「資本主義の次は……」との議論のほとんどが、ポスト・グローバリズムの議論です。中には「社会主義と資本主義は対極」などのバカバカしい認識もあります。
念のために付言すれば、国家と中央銀行制度をもった社会主義は、社会主義+資本主義になります。
もしかしたらこのまま、ずるずると人類はグローバリズムを続けるかもしれません。新型コロナで統制経済に切り替えるかもしれません。
未来のことは不確実で、予測は困難を極めます。
より多くの人が幸福になる未来は、緩やかな社会主義にあるのではないか。いわゆる公益資本主義こそ、日本にふさわしいのではないか? と考えます。
皆様は次の資本主義に、何が来ると思いますか?