2000年代は猫も杓子も「グローバル化!」と叫ぶ時代でした。「グローバル化は止められない流れ」「グローバルスタンダードに乗り遅れるな!」etc……。今から思えば失笑ものの言説が、大真面目に語られていました。
しかも有識者や専門家、エコノミスト、大マスコミ様たちが語っていたんですぜ?
結局のところ、時間が経ってみれば「グローバル化=アメリカ化」でしかありませんでした。どういう理由でアメリカ化し、どういった問題点があるのでしょうか。
グローバル化=アメリカ化である3つの証拠
日本がアメリカ化してきた、3つの証拠をまずは提示しましょう。
日本式経営を投げ捨てた1990年代から2000年代初頭
日本は年功序列、終身雇用の日本式経営で「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とまでいわれました。ところが1991年のバブル崩壊で、自信喪失します。
その頃にアメリカから輸入されたのが、グローバルスタンダードな経営です。
- 株主至上主義
- 短期主義
- 成果主義
株主至上主義では常に株価を気にします。短期で利益を上げることが、求められるようになります。長期的な投資は減少し、短期的な利益のみを企業は追い求めます。
もっとも利益を出しやすい、人件費や教育投資の削減が行われました。カルロス・ゴーンのリストらも、この時代にはもてはやされました。
米や味噌、醤油の消費量の下落と食文化のアメリカ化
米や味噌、醤油の消費量は年々減っています。パン食や小麦の消費が、多くなってきているのです。
スーパーに並ぶ冷凍野菜の多くは中国産。昔は鶏肉といえば国産しかありませんでしたが、最近は安いブラジル産やメキシコ産も入ってきています。豚肉も言わずもがな。
日本の食糧事情もまた、輸入によってアメリカ化しているといえます。
政治は常にアメリカに気を使い、アメリカに譲歩してきた
郵政民営化、日米貿易協定、年次改革要望書etc……。日本の政治は常に、アメリカに気を使ってきました。軍事的にアメリカを頼っている属国ですから、それも致し方なしかもしれません。
結果は規制緩和や、貿易協定による「日本の市場ルールのアメリカ化」が進められてきました。ついには入管法規制緩和まで行い、日本は移民国家への位置を歩き始めました。
グローバル化=アメリカ化になぜなるのか?の3つの理由
グローバル化=アメリカ化に、何故なっていくのでしょうか? 構造的には、どの様になっているのでしょう。
グローバリズム=世界共通市場を目指す=強力な覇権国家が必要
グローバル化とは「ヒト・モノ・カネが国境を超えて移動すること」です。自由な移動と取引のためには、共通の市場ルールが必要になります。
グローバル化とは「世界の市場や様々なルールの、統一化を目指すこと」です。
当然ながら、共通ルールがすんなり合意できるはずがありません。したがってルールを押し付ける「覇権国家」が必要になります。それがアメリカです。
押し付けるのなら、当然ながら時刻のルールを押し付けるに決まっています。
覇権国家の体制やシステムは、イコールで地球規模に適用されようとする
覇権国家がグローバル化に舵を切る時、それは「世界規模で覇権国家のルールが押し付けられる」という状態です。
アメリカの文化、アメリカのシステム、アメリカのルールが押し付けられるのです。当然ながら、反発する国家も出てきます。
敵対的ないし独立的に行動すれば、超大国アメリカから制裁を受ける
アメリカ化に反発し、独自の行動を取るとどうなるでしょう。基本的にはアメリカから敵視され、ひどいときには枢軸国やテロ国家呼ばわりされます。
グローバル化とは覇権国家による、隷従を迫る運動にほかなりません。
グローバル化=アメリカ化の5つの問題点
グローバル化=アメリカ化の問題点は何でしょう。非常に多岐にわたりますが、5つにまとめました。
グローバル化で地域共同体や文化が破壊される
グローバル化は「共通した統一ルールを押し付ける運動」です。したがって「地域独自の慣習や習俗、文化や常識」は破壊されます。
例としてスペインのシエスタが挙げられます。シエスタとは昼休みにワインを飲み、昼寝をして、その後に午後の仕事に行くという習慣。これが廃止されようとしているのだそうです。
参照:スペインに根付く「シエスタ」のライフスタイルを変えようとする動きが活性化 – GIGAZINE
グローバル化は富の偏在を生み出し、格差を拡大し続ける
グローバル化では共通ルールの市場で、自由競争を強いられます。自由競争とは言い方を変えれば「弱肉強食」です。大資本が必ず勝ちます。
したがって富の偏在が起き、格差が拡大していきます。
21世紀の資本で有名なトマ・ピケティは、この現象をr(資本収益率)>g(経済成長率)として表しました。上記の式は、200年の統計の結果です。
グローバル化で進められる「グローバリズムのトリニティ」
グローバル化では必ず、三橋貴明氏が提唱した「グローバリズムのトリニティ」が起きます。
- 規制緩和
- 自由貿易
- 緊縮財政
上記3つの政策が、同時に進められるのです。
グローバル化は国家主権を薄め、民主主義を破壊していく
規制とは「国家が作ったルール」です。緩和するとは、国家権力の行使の緩和にほかなりません。自由貿易も、関税という自主的権限の緩和です。
緊縮財政も財政主権の放棄にほかなりません。
グローバル化とグローバリズムのトリニティは、国家主権と国境を薄めます。
国家主権の主は誰か? 国民主権ですから国民です。したがってグローバル化とは、民主主義を破壊、希釈していくのです。
グローバル資本による政治の支配
グローバル化が進むと、ロビイストやレントシーカー、政商がはびこります。大企業やグローバル資本が、政治に介入してくるのです。
実際にアメリカでは、大統領選の選挙資金の大半を富裕層が出しているなんて話もあります。
日本の独自性を大切にするために必要な3つの認識
日本の風土や文化、国家の枠組みを守るにはどうしたら良いのでしょう? まずは「正しい認識」をしてほしいと思います。
グローバル化と国際化は違うもの
グローバル化は「世界を共通の、統一した市場にしようという運動」です。国際化は基本的に、2国間の関係で成り立ちます。つまり多元的に展開も可能なのです。
詳しくは上記の記事を、参照してください。
国際社会=アメリカではない。もっと広く目を向けよう
日本人が「国際社会」というとき、大抵はアメリカを指します。日本人にとって中東やアジア、アフリカなどは「国際社会の外」ではないでしょうか。
試しに「国際公約! 国際世論!」などの言説を見てください。ほとんどは欧米、主にアメリカを指しています。
しかし世界に国家は196カ国もあります。もっと広く、世界に目を向けるべきでしょう。
グローバルスタンダードで、何一つ良いことはなかった
グローバル化とグローバルスタンダードで、何一つ良いことはありませんでした。グローバル化し始めたのが1990年代。そして1998年からデフレです。グローバル化に邁進した平成の御代は、失われた20年と呼ばれたのです。
日本人の所得は、1997年のピークに比べて50万円も下がりました。2000年代初頭の小泉改革で、日本は格差社会に突入しました。
グローバルスタンダードな経営や決算とやらを取り入れて、終身雇用制度は崩壊しました。
グローバル化とアメリカ化は、日本にとってある種の災害だったのです。
しかし未だに、日本はグローバル化へ邁進しようとしています。日米貿易協定が国会で承認されたのは、記憶に新しいところです。
グローバル化への歩みを止めるには、国民一人ひとりの認識が変わることが必要です。