優生思想とは?歴史や定義、日本で起きた事件をまとめて解説

 優生思想はナチスドイツの事例でとても有名ですが、逆に言えばそれだけしか知られていません。優生思想の震源地はアメリカであり、日本では1996年まで優生保護法があったと知る人は少ないでしょう。

 優生思想はある種のタブーで、しっかりとまとまった記事がありません。そこで今回、優生思想の定義から歴史、日本で起きた事件、さらには自己責任論が優生思想的ということまで余すところなく解説します。

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優生思想とは

 優生思想の考え方自体は古くからあります。しかし、学問として成り立ったのは19世紀から20世紀のことでした。

 優生思想の定義は「優良な人間の遺伝子同士を掛け合わせて、人類や社会の進歩を促そうとする社会運動」です。「知的・能力的に優れた人間を創造すること」「優れた人的資源を確保して社会を向上させること」「人間の苦しみや健康上の問題を軽減すること」などが優生思想の目的です。

 要するに「優れた人間を作って社会をより良くする」が優生思想です。

 19世紀の遺伝子学者であり、優生学の起源であるゴルトンの定義によれば「積極的優生学」「消極的優生学」が存在します。積極的優生学とは「優れた人間同士を掛け合わせて、優れた人間を生み出すこと」です。
 消極的優生学とは「劣った人間に子孫を残させないことで、社会全体を改良すること」です。

 ナチスドイツで、金髪碧眼のアーリア人同士が強制結婚させられた事例が前者です。後者は20世紀初頭の欧米で広まり、精神障害者への断種法(強制不妊手術)として実施されました。
 ナチスドイツでも精神障害者への断種や安楽死が行われました。

 優生思想は現在、一種のタブーとして扱われています。例えば、優生思想=ナチスドイツとして処断しつつ、日本で1996年まで優生保護法が存在したことを知らない人も多いでしょう。
 責任転嫁・現実否認一種としてタブー視されている面もあると思われます。

優生思想の歴史

 優生思想は優生学から派生しました。優生学は19世紀の遺伝子学者、フランシス・ゴルトンが起源です。ダーウィンの進化論を人間に当てはめて優生学が成立しました。

 優生学は20世紀初頭、非常にポピュラーな学問でした。その証拠にチャーチルやルーズベルト、ケインズなど多くの有力者が支持していたのです。
 優生学=ナチスドイツとのイメージですが、優生学は欧米でポピュラーな学問でした。

 1907年にアメリカでは断種法が制定されました。当時は精神障害者は多く子供を産むとされ、社会への脅威だと認識されていました。そこで、精神障害者に強制不妊手術を行う法律が制定されました。

 断種法はアメリカだけにとどまらずカナダ、ヨーロッパにも広まりました。日本でも全会一致で1948年に優生保護法が成立し、精神病やハンセン病患者が強制不妊手術の対象となりました
 1952年から1961年の10年間で1万6000件の断種が行われました。
 1980年代に入って次第に強制不妊手術は行われなくなり、1996年にようやく優生保護法は廃止されたのです。

 アメリカが震源地とはいえ、もっとも優生思想を社会改革に利用したのはナチスドイツでした。アーリア人が優生であり、ユダヤ人は劣った民族だという優生思想は有名です。
 アーリア人はアーリア人との結婚しか認めず、精神障害者を安楽死させたことでも知られています。
 これらは、民族の純潔を守るために行われました。

 現在、優生思想は人道的・科学的の両面から拒否、ないし否定されています。

優生思想が拒否される理由

 優生思想が拒否される理由は主に人権です。乙武洋匡は動画で「誰が優生と判断するか」「どのような基準で優生と判断するか」「例えば、国家から判断されてそれが正しいと思えるのか」などを拒否理由として挙げました。

 精神科医である斎藤環は記事で「生についての価値判断は不可能」と述べました。これも乙武洋匡とほぼ同じ拒否理由です。

 また、優生思想はすでに遺伝子学として古びたものであり、現在の遺伝子学では「単純に優秀な遺伝子同士を掛け合わせる」との考え方が難しくなっているそうです。
参照 「マイルドな優生思想」が蔓延る日本に「安楽死」は百年早い(斎藤 環)

 今の進化論は「優れた進化だから残った」ではなく「多様性がたまたま環境に適応した」と考えるとのことです。その意味において、優生思想は単一的になり種として脆弱になります。

 こうして人道的・科学的に優生思想は拒否されました。

優生思想と関連した事件

 優生思想に関連した事件があります。日本でも起きており、そのうちの2件について紹介します。

野田洋次郎の「お化け遺伝子Twitter炎上事件」

 1つめに紹介するのは、ミュージシャンでありRADWIMPSの野田洋次郎が起こしたTwitterの炎上です。2020年7月16日に野田洋次郎が投稿したツイートが炎上しました。

Yojiro Noda
@YojiNoda1
前も話したかもだけど大谷翔平選手や藤井聡太棋士や芦田愛菜さんみたいなお化け遺伝子を持つ人たちの配偶者はもう国家プロジェクトとして国が専門家を集めて選定するべきなんじゃないかと思ってる。
お父さんはそう思ってる。

#個人の見解です
午後10:18 · 2020年7月16日

https://twitter.com/YojiNoda1/status/1283752963052167169

 このツイートに乙武洋匡は以下のように返しています。

乙武 洋匡
@h_ototake
2020年7月25日
「これぞ優生思想」という考え方をここまで無邪気に開陳できてしまうのは無知ゆえだと思う一方、私だって無知ゆえにトンデモ発言をしてしまっていることはあるかもしれない。そう思うとゾッとする。

https://twitter.com/h_ototake/status/1286889437587075074

 野田洋次郎のツイートが炎上し、優生思想だと話題になりました。なお、野田洋次郎のツイートに批判の声が上がったのは1週間が過ぎてからであり、当初は問題視されていなかったそうです。

植松聖の「相模原障害者施設殺傷事件」

 野田洋次郎の炎上事件は「世の中、いろいろな意見がある」で終わることです。しかし、相模原障害者施設殺傷事件は世の中に大きな波紋を呼びました。

 相模原障害者施設殺傷事件は2016年7月26日、神奈川県立の知的障害者福祉施設「やまゆり園」で発生した大量殺人事件です。元施設職員の植松聖が施設に侵入し、入所者19人を殺害、入所者や職員26人に重軽傷を負わせた事件です。

 植松聖は「重度障害者は生きている意味がない」とし、「時間とお金を奪う不幸からの解放」と強弁しました。植松聖は安楽死の構想を練っていたともされます。

 こういった「誰かが人間を選別すること」は優生思想そのものだと考えられます。
 当時、ネットで植松聖に賛同する声もあり問題視されました。

 野田洋次郎は「優れた人間の子孫を残す」という積極的優生学でした。対して植松聖は「重度障害者には生きている意味がない」という消極的優生学だったと言えます。

自己責任論もマイルドな優生思想

 自己責任論は優生思想的と言えます

 例えば、貧困は自己責任にされることが多いです。「貧困に陥ったのは努力してこなかったから」「甘え」「貧困になる前にやりようがあったはず」などと自己責任にされます。

 自己責任論の特徴は問題を解決しないことです。上記の自己責任論の例では、貧困は解決しません。「お前が悪い、だから放置」が自己責任論の特徴です。放置とは切り捨てることとほぼ同義語です。

 この場合「貧困に転落した人を劣生と判定し切り捨てること」が自己責任論です。これは消極的優生学とも合致します。
 切り捨て=ある種の断種と同様です。

 ですから、「貧困で結婚できないのは自己責任」「貧困で子供を産めないのも自己責任」と発展していきます。

 また、自己責任論を振り回す人たちは自分が切り捨てられる側とは考えません。自分は優生であり、劣生とは違うと思っていないと自己責任論は振りかざせません。

 このように、自己責任論とは優生思想だったのです

まとめ

 優生思想はあまり議論されることがありません。タブー視され、ナチスドイツに責任がなすりつけられています。しかし、震源地はアメリカでしたし、日本にも優生保護法が存在したことを忘れるべきではないでしょう。

 事実関係を忘れて優生思想に正面から向き合えなければ、それは別のゆがみになるように思えます。優生思想が19世紀から20世紀初頭に広く受け入れられていたこと、日本も無関係ではないことなどの事実関係を覚えておくべきでしょう。

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阿吽
3 年 前

>優生思想はあまり議論されることがありません。タブー視され、ナチスドイツに責任がなすりつけられています。しかし、震源地はアメリカでしたし、日本にも優生保護法が存在したことを忘れるべきではないでしょう。
>事実関係を忘れて優生思想に正面から向き合えなければ、それは別のゆがみになるように思えます。優生思想が19世紀から20世紀初頭に広く受け入れられていたこと、日本も無関係ではないことなどの事実関係を覚えておくべきでしょう。

みんな自分は優秀だ(もしくは本当は優秀だ)って考えてますからね・・・。

コロナの件でも死ぬのは年寄りばかりなんだから、この件が進めば(老人がいなくなって)日本の年金問題は解決するんじゃねwみたいなことを言った人がいると聞いたことがあります。(ちなみに、南アフリカ型の変異種コロナは若者の死亡率も高いと聞きますし、さらには現状のコロナでも、若者にもかなり後遺症が残りやすいとも聞きます)

まあ、私らからすれば、んなこと(年金問題の解決)あるわけねえじゃんアホか、・・と言う話になってしまうわけですが・・、他にもその記事のコメント欄には、ジジババなんて社会のお荷物は早く死ねば良いんだみたいな意見も散見されました。

こいつらほんまアホやなあと思うと同時に、まず、自分たちが切り捨てられる側なんじゃないかって意識が、彼等には圧倒的に足りてないんじゃないかと、そういうふうにも思いましたね。

幽遊白書なら、戸愚呂弟の「おまえもしかしてまだ、自分が死なないとでも思ってるんじゃないかね?」ってセリフを送りたいですね・・w

まあ、死なないにしても、自分ら、もしくは私らもそうですけど、世間一般でいう社会的弱者で、なにかあったときに真っ先に切り捨てられる側なんじゃないかっていう、そういう想像が、圧倒的に足りないんじゃないかっていうふうには思いましたね・・・・。

もしくは、ドイツの詩人じゃないですけど、「私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」になっちゃうんじゃないかとも・・・。

Last edited 3 年 前 by 阿吽