自己責任の意味とは?自己責任論嫌いが自己責任を解説

 ネット上ではよく自己責任という言葉が飛び出します。例えば、貧困や失業、何かしらのトラブルはその人の自己責任! などの論調で使用されます。最近では自助・共助・公助の自助が自己責任の代わりに使われることもあります。

 じつは、自己責任の意味は一般的に勘違いされています。本来の意味と用法が失われ、間違った意味で使用されています。

 自己責任本来の意味や定義、自己責任論に関して解説していきます。
 最初にお断りしておきます。筆者は自己責任論が大嫌いです。そのため、全く中立でない解説も差し挟みますのでご了承ください。

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自己責任の意味とは

 自己責任は英語で「Self-responsibility」と書き、対義語は連帯責任です。

 自己責任は一般的に3つの意味で使用されます。

  1. リスクを承知でしたことは他人を頼らず自分が責任を負う
  2. 個人は自分の過失があるときにのみ責任を負う
  3. 個人は自分のしたことすべてに責任を負う

 「1.リスクを承知でしたことは他人を頼らず自分が責任を負う」は金融商品の取引で使用される自己責任の意味です。リスクを理解して金融商品を取引したとき、損失が発生しても自己責任が適用されます。

 「2.個人は自分の過失があるときにのみ責任を負う」と「3.個人は自分のしたことすべてに責任を負う」は矛盾しています。
 本来は2.が正しい自己責任の意味です。

 「2.個人は自分の過失があるときにのみ責任を負う」を換言すれば「自分の過失以外の責任は問われない」という意味です。
 有限責任の一種が自己責任だったのです。

 しかし、一般的には「3.個人は自分のしたことすべてに責任を負う」が使用されており、たとえ過失がない場合でも自分で責任を負うという意味になっています。
 本稿でも一般的な意味で使用します。

蔓延する自己責任論

 自己責任論の特徴や、自己責任論が蔓延し始めた時期について解説します。時代の移り変わりとともに自己責任論が蔓延し始めました。蔓延した時代がどのようなものかも含めて議論します。

自己責任論の特徴

 自己責任論の特徴は「他人に迷惑をかけない」「全部、自分で背負い込む」「苦しくても人を頼らない」などです。
 貧困だろうが生活に困窮しようがすべて自己責任! と個人に押し付けるのが、自己責任論の特徴です。

 見方を変えれば、起きた問題を自己責任に転嫁して思考停止することが自己責任論です。例えば、社会問題の多くは個人に還元できます。
 貧困は自己責任、仕事が見つからないのも自己責任、引きこもるのも自己責任。

 本来は失業率や所得の低下、非正規雇用など複雑な問題が存在します。しかし、自己責任論を使えばすべて自己責任として押し付けられます。

 要約すれば「自己責任に逃げて、複雑な問題から目を背けている」のが自己責任論です。

自己責任論はいつから蔓延?

 自己責任論の蔓延は2000年代に入ってからのことでした。小泉内閣が成立し「俵百俵の精神」「国民は痛みに耐えて」と演説した頃からです。

 この奇妙な一致は偶然でしょうか。

 新自由主義は自己責任論と相性が抜群です。新自由主義を日本は1990年代から輸入し始めました。行政改革や構造改革、政治改革、規制緩和などが次々と行われました。

 新自由主義は小泉元総理が演説したように、痛みに耐えることを国民に強制します。
 規制緩和と緊縮財政で自由競争を激化させます。競争の激化とはすなわち弱肉強食です。競争に負けた国民は、痛みに耐えることになります。

 競争激化のため、規制緩和・緊縮財政・自由貿易を推し進める戦略を中野剛志は「ムチ型戦略」と呼びます。
 ムチ型戦略を国が採用して、自己責任論が蔓延しました。この一致は偶然ではありません。

 国の方針にしたがった結果が自己責任論の蔓延です。

貧困と自己責任論

 自己責任論は特に、貧困問題に向けて押し付けられます。また、貧困側も自己責任がすり込まれており、問題の解決を妨げることがあります。

 生活保護は自己責任論の押し付けの典型例でしょう。生活保護の不正受給はわずか0.4%です。250件に1件の不正受給のために生活保護全体が叩かれました。
 その中には「生活保護は自己責任! 甘え!」という意見も多く見られました。

 一方、日本の生活保護の補足率は約2割です。欧米と比較してとても低い数字です。日本の生活保護の壁が高いのも一因ですが、自己責任論とも無関係とは思えません。
 生活保護の申請には精神的に高いハードルがあり、その1つが自己責任ではないでしょうか。

 日本の貧困問題は他に就職氷河期世代、非正規雇用の拡大、平均所得の下落などさまざまです。これらは社会問題であり個人ではどうにもなりません。
 にもかかわらず、少なくともコロナ禍前まで自己責任論はポピュラーでした。

 自己責任のせいにしていては、問題は一向に解決しません。実際に失われた20年で問題は解決できず、むしろ深刻化しています。

個人的に自己責任論が嫌いな理由

 筆者は自己責任論が大嫌いです。理由は3つあります。

 1つめは思考停止の産物だからです。問題を自己責任に還元してしまえば、複雑なことを考えずに済みます。しかし、上述したとおり問題は一向に解決しません。
 自己責任論に問題を還元するのは思考停止です。

 2つめは自己責任論が単なる戯れ言だからです。コロナ禍で自己責任論はなりを潜めました。その一因は貧困などが他人事ではなくなったからでしょう。
 他人事だからこそ自己責任! と思考停止して無視できました。自分事になればそうはいきません。
 自己責任論は第三者の戯れ言だったのです。

 3つめは自己責任論を言い立てる人に知性を感じないからです。解説してきたとおり自己責任論は思考停止です。したがって、まともな知性を持っているなら自己責任論に逃げません。
 ネット上では自己責任論を言い立てて、相手を叩くことが目的化しているようにすら見えます。

まとめ

 自己責任とは本来、自分の過失以上のことに責任は発生しないという意味でした。しかし、一般的な意味は変質してしまいました。

 自己責任を言い立てる自己責任論は、社会の問題解決を遠ざける思考停止です。特に貧困問題で自己責任論はよく使用されます。なぜか? 自分たちは貧困に転落しないとたかをくくり第三者だと思っているから、無責任にも自己責任論を主張するのです。

 自己責任論の蔓延には国の方針があったことも忘れてはなりません。
 蔓延する自己責任論とどう向き合うのか? 一人ひとりが考える必要があります。

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