【なぜ?どうして?】戦後のインフレの原因と構造をわかりやすく解説

 財政問題と一国の経済を勉強していると、日本人なら必ず行き当たる問題があります。そう、戦後のインフレですね。

 戦後のインフレは一般的に、戦時国債などの債務が膨大になっていたから起きたんだ! と言われます。じつはこれ、間違っています

 戦後のインフレがどうして起きたのか?
 日本が誇る知性の1人である、柴山桂太氏などの知見も拝借しながら解説していきます。むちゃくちゃ「わかりやすい」解説ですよ。

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戦後日本が行き過ぎたインフレになった経緯

 まず、戦後日本がどのように、どんな風に行き過ぎたインフレになったのか? を、整理していきましょう。

戦後日本の損壊状況

 日本は太平洋戦争で敗れ、本土空襲などで焼け野原にされました。この焼け野原という表現は、決して誇張ではありません

 1945年時点で負っていた日本のダメージは300万人の戦死者、建物の25%と生産機械の35%が空襲によって破壊、船舶に至っては80%の喪失などでした。
 船舶は絶対防衛権への物資輸送で、アメリカに沈められたものが大半です。

 余談ですが軍隊は3割を喪失すると、全滅と言われています。それを踏まえれば生産機械の35%喪失が、いかに大きなものかが理解できます

戦後インフレの経緯と構造

 戦後日本はまず、生産設備など供給能力の圧倒的な不足に直面します。インフレは需要>供給で起こるものです。供給能力の圧倒的な不足は、行き過ぎたインフレを招きます。

 では戦中はどうしていたか? 統制経済や配給で、需要を押さえつけていました。

 圧倒的に不足した供給力から発生したインフレを、当時の政府は預金封鎖や新円切り換えによって通貨流通量を減らし、抑制しようとしました。つまり金融引き締めです。

 しかし金融引き締めをしてしまうと、復興需要に対応できません。戦後、特に復興需要で重視されたのが鉄鋼と石炭でした。傾斜生産方式と言います。

 石炭と鉄鋼への融資を絞ると、生産力――つまり供給能力の上昇――が鈍ってしまう。しかし融資を拡大すると、インフレが止まらない。
 戦後日本は膨大な復興需要を抱えて、物価の安定か復興需要か? という選択を迫られていました

戦後のインフレ率とドッジラインによるデフレ

 戦後日本のインフレ率は1945年の物価水準を基準にして、1949年は70倍の物価になりました。1947年のインフレ率は125%――物価がこの年だけで2.25倍――と、極めて高い数字を記録しています。

 1949年にデトロイト銀行の頭取であるジョゼフ・ドッジが、日本で超均衡財政を立案し実行します。この超均衡財政を、ドッジラインと言います。

 ドッジラインによって物価は安定したものの、あまりの緊縮財政で逆にデフレになってしまいます。多くの企業が倒産し、失業者が激増しました。物価が安定しながら、倒産や失業が増加するデフレ状態を、当時は安定恐慌と呼んだそうです。

 戦後ハイパー・インフレと中央銀行を著した伊藤正直氏によると、高インフレを抑制したと一般的に評価されるドッジラインには、異なる評価もあるようです。
 つまり、1949年時点ですでに日本は供給能力がかなり上昇していたので、何もしなくてもインフレが抑制できたという批判です。

 この批判はドッジラインで、デフレと安定恐慌に入ったことを見ても妥当でしょう。

戦後のインフレの原因をわかりやすく解説

 戦後日本の高インフレの原因は、著しく毀損された供給能力と膨大な復興需要が原因です。一般的に言われている、積み重なった国債が原因ではありません

 「国債が積み重なってハイパーインフレが起こる」と言われる構造は、原因が「通貨の信用不安」に集約されます。例えば「日本円が信用できないから、ドルやユーロが国内に流通する」というような状態が、通貨の信用不安です。

 通貨の信用不安が生じた状態では、通貨流通量を減らしたところで意味がありません。通貨そのものを信用してないのですから、当然でしょう。しかし戦後日本は、そうはなりませんでした。

 なぜなら戦後日本の高インフレは、膨大な復興需要によって引き起こされた「デマンドプルインフレ」だったからです。ドッジラインで緊縮財政をした途端にインフレが収束して、倒産や失業率の増加が認められたのがその証拠です。

戦後のインフレはハイパーインフレだったのか?

 しばしば戦後日本のインフレは、ハイパーインフレだったと言われます。半分は正解で、半分は間違いです。
 なぜならハイパーインフレの定義は2つあるからです。

 1956年にハイパーインフレを定義したのは、フィリップ・ケーガンという経済学者です。ケーガンが定義したハイパーインフレは、月間で50%以上のインフレ率というものでした。
 これは年間で約13000%、物価でおよそ130倍のインフレ率です。

 もう1つの定義は、国際会計基準です。国際会計基準では3年間の累計で100%の物価上昇率を、ハイパーインフレの定義としています。3年間で累計100%のインフレ率を、1年間で平均すると約26%です。

 英語のハイパー(Hyper)には「超越した」との意味があります。「スーパーインフレ」ではなく「ハイパーインフレ」なのは「もうこれ、インフレを超越しとるやんけ! インフレじゃない何かやで!」というわけ

 年率26%のインフレ率は高くはあるものの、インフレというイメージの枠内です。超越はしていません。従ってケーガンの「月間50%、年率13000%のインフレ」が、ハイパーインフレの定義と考えてよいでしょう。

 とすれば戦後日本は「かなり高いインフレ率ではあったけれども、ハイパーインフレではなかった」と言えます。

【柴山桂太】ハイパーインフレの発生条件 | 表現者クライテリオン
先頃、IMFの高官が、今年のベネズエラの物価上昇率が100万%になるとの見通しを発表しました。これは、歴史に残るハイパーインフレです。 ハイパーインフレという言葉は日本でもよく見かけます。このまま政府の累積赤字が大きくなると、いずれ日本もハイパーインフレになるというような文脈で用いられるのですが、本当でしょうか。 ハイ...

 なお柴山桂太氏によれば、ハイパーインフレは以下の条件で起きます。

  1. 戦争などによって国内生産が完全停止し輸入も不可能になり、さらに対外債務問題や紙幣乱発が加わる
  2. 旧体制の崩壊と新体制への移行。つまり革命
  3. 何十年も続く2桁のインフレに、経済政策の失敗が加わる

 これは統計的に確認できる、56件のハイパーインフレを分析した結果です。上記3つのケース分析すると、ハイパーインフレの共通原因が理解できます。

 すなわち「政府など統治組織の信用が揺らぐことで、ハイパーインフレは起きる」ことが、3つのケースで共通しています。

 柴山桂太氏があげたケースの1.は、国内経済政策の大規模な失敗で「需要が満たせない」ことが原因です。2.は新しい政府はそもそも、すぐに信用されません。3.は何十年も政府が経済を失敗し続けてきたからです。

 なお自国通貨建て国債かつ民主制の国家で、ハイパーインフレが起こった例は存在しません。日本の「国債発行1000兆円! ハイパーインフレが~!」という言説が、いかに嘘くさいかが理解できますね。

まとめ

 戦後のインフレについて、経緯や構造、そして原因をわかりやすく解説できましたでしょうか。いままで戦後のインフレを、国債の乱発が原因と思っていた人には衝撃的だったかもしれません。

 しかしじっくりと事実をつなぎ合わせてみると、国債発行の乱発が原因だったとは言いがたいのです。それ以上に戦後復興の膨大な需要があり、敗戦で供給能力が毀損されていたという要因が大きいのは、どう見ても自明です。

 ドッジラインで、ピタリとインフレが収まったことからも「国債は関係なかったんや~」とわかります。

 なお途中で知見を拝借した柴山桂太氏のコラムは、表現者クライテリオンでも読めますよ。

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