緊急事態宣言が発令されて、3週間が過ぎました。皆様、いかがお過ごしでしょうか。スーパー銭湯や漫画喫茶が休業しており、筆者は人生の楽しみの半分を失っております。
緊急事態宣言で、多くの業界や企業に休業要請が出されています。「休め!」という割に、休みの補償をしないのが日本。なぜこのような無責任なことになっているのか? 緊急事態宣言の性質から解説し、なぜ日本の補償が手厚くないのか? について解説します。
結論は簡単で「日本政府は責任を取りたくない」です。
コロナ禍の性質と緊急事態宣言の効力
まず緊急事態宣言の効力は、どのようなものでしょうか。
- コロナ禍はウイルスによる感染拡大。感染力が高いので感染拡大防止は非常に困難
- 緊急事態宣言は「完全にコロナを押さえ込む」ではなく「拡大を少しでも遅らせる」ことしか――一部例外を除いて――できない
- 日本の対策が後手後手なので、これで押さえ込めたら奇跡
コロナウイルス感染拡大防止は非常に難しい
コロナウイルスは完全に、感染拡大防止をすることは難しいです。世界中で現在のところ、完全にコロナウイルスを押さえ込んだのは台湾だけです。
台湾は新型コロナ最初期の段階で、徹底した水際作戦、マスクの計画的増産とアプリの活用、入国者の隔離措置を実施しました。結果、わずか393人の感染者を出しただけで完全に押さえ込みました。
日本? コロナの最初期に安倍総理が、中国に向けて「いらっしゃいませ、歓迎します」とスピーチをしていました。
コロナ禍は緊急事態宣言で「先延ばし」しかできない
台湾以外で、コロナウイルス対策の優等生といわれるのは韓国、ドイツです。しかし韓国もドイツも、感染拡大を防げたわけではありません。
韓国、ドイツ以下の対策しかできていない日本の緊急事態宣言は、感染拡大を遅らせる効果しかないのは自明です。
緊急事態宣言できっちりやったら、コロナ禍を押さえ込める! というのは、あまりに楽観的です。
1ヶ月前のイギリスは、現在の日本と同じ状況でした。しかし現在、感染爆発を起こして56倍の死者数にまで発展しています。
緊急事態宣言の性質と、政府と地方自治体の関係
日本の緊急事態宣言とはどのようなもので、どのような性質があるのでしょうか。なぜ緊急事態宣言を発令したにもかかわらず、補償がこれほど薄いのでしょうか。
コロナ禍の緊急事態宣言と責任の所在
日本の緊急事態宣言は、諸外国のような強制力を持ちません。あくまで要請と指示という、任意に基づくものです。
諸外国のような強制であれば、補償とセットということは明快です。すなわち行動制限を強制する主体が明確であり、責任の所在が明確だからです。
しかし日本の場合、あくまで政府は「要請と指示」を出すだけです。従うかどうかは「任意」なのです。強制ではないので、責任の所在も曖昧です。よって「緊急事態宣言と補償はセットではない」とも解釈しうる性質を持ちます。
緊急事態宣言の性質について、もう少し具体的に参照しましょう。
発令は政府が行うが、具体的な措置は地方自治体
緊急事態宣言の発令は政府が行いますが、具体的な措置や実施は地方自治体に権限があります。政府は方針を示すだけ、ということになっています。
東京以外の体力のない地方自治体
具体的な補償なども、地方自治体がまずは担当します。しかし休業補償ができる豊かな自治体は、東京だけです。
東京以外の体力のない地方自治体では、有効な補償などできません。
行き過ぎた地方分権の弊害
「中央の権限を地方に!」と、日本では2000年代初頭から過激に地方分権が推し進められました。その結果、今回の緊急事態宣言では以下のようなことが起きています。
- 地方自治体の予算によって、講じられる対策が異なる
- 政府が休業補償をせず、地方に丸投げ
コロナ禍を国難と呼ぶのなら、対応も国家が一丸となって当たるべきでしょう。しかし行き過ぎた地方分権で、一丸となれないという実態があります。
なぜなら地方自治体が措置できなくて政府に陳情し、ようやく政府が動くということになるからです。
非常事態にボトムアップの組織は弱い、というのは常識です。
世界の補償と日本の補償を比較してみよう
上記のニュースでは、世界のコロナ対策と日本を比較しています。
- 社会保障が充実している国は、社会保障を拡張する形でコロナ対策を実施
- アメリカは直接給付しているが、これは社会保障が充実していなかったから
- ほとんどの国が失業などに対して、手厚く支援している
一方で日本はどうかというと、非正規雇用の失業に対して何かしらの対策はありますか? 自営業者はどうでしょう? 諸外国では自営業者やフリーランスなどに対しても、失業保険を適用するというよう対策が講じられています。
上述した記事の結論は「日本の生活支援はすごく手薄、かつ遅くてお話にならない」でした。
緊急事態宣言と補償はセットが世界の常識
ここまでの話をまとめます。世界と日本の緊急事態宣言や、補償の構造が異なるのは以下のような理由です。
世界的な緊急事態宣言と補償の関係性
- 世界的にコロナ禍の緊急(非常)事態宣言は、政府の責任において発令される
- よって強制的に私権を制限する代わりに、手厚い生活支援などで国民を守る
日本の緊急事態宣言と補償の関係性
- 緊急事態宣言は要請・指示を行うためのものであり、地方自治体も企業も個人も任意で行動
- 強権的な措置も講じられないが、責任の所在も曖昧
- よって政府が責任を取って、国民生活を守り補償しなければならないとは「いえない」
まとめ
結論すれば日本は、緊急事態宣言における責任の所在があやふやです。表現を変えれば「誰が国民を守るか」を明言できない国家が日本です。
……明言できないようなものが、国家といえるのかどうか? は脇に置きましょう。
ちなみに先日記事にしました、パチンコ店への休業要請ですが「もっと強権的に従わせよう」という議論が出てきています。……その前にまず、休業補償や融資が先でしょうに。
「責任は取りたくないけど、権力は振るいたい」という、末期的な幼稚さにしか見えません。
これからの見通しがどうなるのか? コロナ禍がいつまで続くのか? 筆者には予測不可能です。しかしこのままでは多くの国民が、政府に対して不信感を抱くのではないでしょうか。
国民を守ろうとしない政府、不信感を抱く国民。果たして瓦解せずにすむのかどうか。
私も先日、下記の投稿を行いました。
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遠藤万次郎(ポルシェ万次郎)@アイドル新党なでしこ! 4月26日
最重要データは「人口当たりの死亡者数」だと思いますが、感染者数を毎日報道するのであれば、人口当たりや諸外国との比較、年代別や国籍別といった内訳まで出すべきです。あと、被害に地域差がありますが、これをそのまま、封じ込め策の成功や失敗に結びつけるのは誤り。台湾の水際作戦だけは成功例。
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完璧な封じ込めに成功したのが台湾だけである以上、日本の初動対応の遅れを大失敗とまで言っていいか微妙なところではあります(常に「自分だったらその決断を出来たか?」で考えたい。消費税増税決定ほどの過失を感じない)。次のステージへ移行したため、時計の針は戻せませんが、やはり延長ではなく自粛解除が妥当なところだろうと思っています。
>完璧な封じ込めに成功したのが台湾だけである以上、日本の初動対応の遅れを大失敗とまで言っていいか微妙なところではあります(常に「自分だったらその決断を出来たか?」で考えたい。
政府のやることに、基本的には忖度する必要はないと思います・・。
それに、『常に「自分だったらその決断を出来たか?」』なんてことを考えていたら、我々国民は政府になにも言えなくなります・・。
なぜなら我々国民1人1人は、政府の政策決定に基本的には加われないからです。
しかし、ノータッチだから黙って見てろでは、それは国民主権国家ではなくなります。
政府は国民の声を聞き、そこから総合して政府みずからが正しいと判断する政策を行うのです。
もちろん国民の声が常に正しいとは限りません。ですのであくまで参考にです。
しかして政府はそのみずから行う政策が成功するにしろ失敗するにしろ、その政策に対して責任を持たなければなりません。
それが『政府』という国家組織の役割だからです。
国民はみずからが選ぶ政府に対して監視したり助言したりする責任がありますし、政府はその国民に対して善導する責任があります。
我々国民が政府に忖度しだしたら、それはそれで国民の責任の放棄にあたるものではないでしょうか。
また、今回のコロナ騒ぎに関しては成功部分と失敗部分があります。
成功部分はクラスター対策に重点を置いたPCR検査です。(これのおかげか今までの所はギリギリのギリで、諸外国ほどは日本は医療崩壊はしていません。今の所ではありますが、いちおうこの点は評価できるところかと今現在は思います)
失敗部分は、中国の春節観光客をウエルカムしてしまったこと、さらには習近平国家主席の国賓来日に配慮して、中国との国境線の厳格化を諸外国に比しては遅れさせたこと。
さらにはオリンピック開催をギリギリまでこだわり、緊急事態宣言等の発令を遅れさせたこと・・。
これは明確な政府の失政です。
これらの政策を政府の高度な政治的判断の結果であったと擁護することは、できます。
しかして、だからと言ってそれら過失を放置しておけば、それは将来の対策のためになるのでしょうか?
これはならないんじゃないかと私は思います。
政治的権限のない国民だからこそ、正しいと思われることは正しいと、間違っていると思われることは間違っていると、きちんと声を上げねばならないのではないかと思うのです。(国民の意志が結果として失政につながる、つまりは間違っているとしても・・)
そのへんが、国民の政府に対する義務でもあり、責任でもあるかとも思うのです。
唯唯諾諾では政策決定のための意見の集約の量が減り、それはそれで結果として、政府は思考の硬直化を招きやすくなり、失敗(失政)を起こしやすくなるのではないかと思います。
もちろん、政府のやることになんでも反対すれば良いというわけではないですが・・。(もちろん、なんでも賛成すれば良いというわけではないですが・・)
>ポル万さん
>最重要データは「人口当たりの死亡者数」
肝心なデータは、あまり報道されないのですよね。
台湾の他にベトナムも、封じ込めに成功して数百人の感染者で終息したそうです。
>阿吽さん
>ポル万さん
>(常に「自分だったらその決断を出来たか?」で考えたい。消費税増税決定ほどの過失を感じない)
上記は「後出しじゃんけんじゃなく、リアルタイムに良いか悪いか自分が判断できたか」という話かなと。
日露戦争の歴史で「俺だったらこうしていた。もっと被害を少なく落とすことできた!乃木希典は無能だ!」という批判がズレてるのと一緒ですね~。
※近年、乃木希典将軍は見直されつつあるようです。
>失敗部分は、中国の春節観光客をウエルカムしてしまったこと
私は目立った失敗をここだけだと考えています。緊急事態宣言を解除したあとも、外国からのウィルス流入には気を配ってもらいたいです。
「自分だったらその決断を出来たか?」に関して補足すると、たとえば同じ消費税増税でも、私は橋本総理に関しては少し同情的な立場でいます。緊縮財政やデフレの弊害を当時理解していた政治家は少ないでしょうし、失敗について彼は反省の弁を述べてもいます。
その後も緊縮路線をとり続けた小泉総理、消費税を二度も増税した安倍総理については、直近の失敗に何も学んでいないという点で罪が重いと感じています。自分が彼らの立場であればどうであったか、いや、多くの国民がそうだと思うのですが、橋本総理のような過ちや今回のコロナの初動で失敗することはあっても、小泉や安倍のような失敗はあり得ない、わざとやっているのかと思ってしまうわけです。
>私は橋本総理に関しては少し同情的な立場でいます。緊縮財政やデフレの弊害を当時理解していた政治家は少ないでしょうし、失敗について彼は反省の弁を述べてもいます。
橋下総理に対する認識に関しては、理解もできます。(ただ、それでもやはり、失われた30年の起点として批判にさらされるというのは指導者と言う立場としては致し方ないとも思えます・・)
ただ、その理論ですと、小泉総理も擁護対象になるかとは思います・・。
なぜなら当時、緊縮は世論にとってジャスティスだったからです・・。
小泉総理の強権的政治姿勢に反対する人は国民の中にも多かったとは思いますが、彼のなす改革に反対する国民は少なかったと思います。
国会でも改革万歳で反対派は切られました・・。
それを考えるなら、小泉氏もわかってなかっただけやろ、ということになってしまうのではないかとも思います・・。
またその解釈を、拡大に拡大を重ねて解釈すれば、安倍総理も擁護ができます・・。
安倍ちゃんは財務省や、緊縮派と戦ってる、今、まだ日本がこの程度(?)のデフレですんでるのは安倍ちゃんが財務省と戦ってくれてるからだ・・・と、無理に無理を重ねれば、擁護できます・・。(まあもう安倍ちゃんに関してはどうしたってギルティかと思いますが・・)
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ただし・・、なんでもかんでも責任とれでは・・、最終的には2~3年前くらい前まで一部界隈で流行っていた、三橋貴明を支持しているということはアクロバティック安倍擁護だ!・・、まで最終的には発展しかねません・・。
(三橋は安倍総理の緊縮思考をわかった上で、反緊縮派みたいなノリで応援することを支持者に強制(?)してたろう。三橋貴明は支持者を誑かした責任を取れ!みたいだったような感じの論調です)
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責任責任ばかりでは行きつく果ては上記のような(若干誇大妄想が混じったような)感じにまで行きつくかとも思いますが、かといって、総理に関しては、きちんと正しい見方で責任も多少は考えなければなりません。なぜなら、日本国の最高責任者であるわけですから・・。
政治は結果(安倍総理談)とのたまわれたわけですし・・。
ここらへんの塩梅というのは、なかなか難しいとは思いますが・・。