2018年に杉田水脈議員は「LGBTには生産性がない」という発言で、大いに世間を賑わせました。筆者はゲイですから、当時の杉田水脈発言問題の一連の流れに、憤ったものです。
しかしいささか、当時は冷静さを失っていたようにも思えます。いま考えてみれば書いた本人、批判した人、擁護した人みんなが「生産性の意味がわかっていなかった」のでは? と思います。
2年たった今だからこそ、冷静に杉田水脈議員の「LGBTには生産性がない」という発言を、総括して解説できるのではないでしょうか。
杉田水脈の「LGBTには生産性がない」発言の経緯
- 2018年7月の新潮45で、杉田水脈議員が論文を寄稿する
- その論文中の「LGBTには生産性がない」という発言が問題視され炎上
- 翌々月(10月号)の新潮45では「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」と特集し、7本の論文が掲載された
- その中で小川榮太郎氏の論文が、またもや大炎上し問題視された
- 新潮45は休刊、事実上の廃刊に追い込まれた
およそは上記の箇条書きのような経緯です。
杉田水脈論文の要約と概要
問題視された杉田水脈論文ですが、端的に要約すると「税金による手厚いLGBT支援は必要ない。なぜならLGBTは子供を産まない=LGBTには生産性がないからだ」という趣旨です。
LGBT当事者として言わせてもらうと「そもそも『手厚いLGBT支援』なんぞない」です(笑)
小川榮太郎論文の要約と概要
小川榮太郎氏の論文の内容は「LGBTは単なる性的”嗜好”だから、いちいち人前でカミングアウトするな。パンツをはけ!」です。
テレビなどで性的嗜好をカミングアウトする云々という話を見る度に苦り切って呟く。『人間ならパンツは穿いておけよ』と」「満員電車に乗った時に女の匂いを嗅いだら手が自動的に動いてしまう、そういう痴漢症候群の男の困苦こそ極めて根深かろう。(一部省略)彼らの触る権利を社会は保障すべきではないのか。触られる女のショックを思えというのか。それならLGBT様が論壇の大通りを歩いている風景は私には死ぬほどショックだ、精神的苦痛の巨額の賠償金を払ってから口を利いてくれと言っておく
新潮4510月号より
杉田水脈の「LGBTには生産性がない」発言の批判と擁護
当時は喧々囂々に、批判と擁護が入り交じりました。
擁護発言の主な内容
- 表現の自由だ
- 勇気を持って発言している
- 言葉狩りだ
擁護発言の多くは「杉田水脈議員は、勇気を持って発言している」「生産性云々は言葉狩りだ」「表現の自由だろ」という内容でした。
批判発言の主な内容
批判発言の多くは「LGBTには生産性がない」という表現は差別発言だというものです。杉田水脈論文で10人が批判したとしたら、小川榮太郎論文では30人が声を上げました。
どちらかというと、小川榮太郎氏の発言の方が多く批判されていた印象です。
ほかにも「不妊の夫婦にも、生産性がないというのか?」という批判もありました。
そもそも生産性とは何か?
いまから振り返れば、そもそも論ですが「書いた人も、批判している人も、擁護している人も生産性がなんなのか理解してない」という状態だったことがわかります。
生産性とは「生産性=アウトプット/インプット」で表す指標です。インプットはたいていの場合、労働量やコストを表します。ではアウトプットは? 生産された付加価値=値段や価格(の粗利の部分)のことです。
簡単に言えば「いくら真面目に製品の品質を向上させても、売り上げにならなければ生産性向上ではない」し、「クソみたいな情報商材でも、売れれば生産性が高いことになる」のです。
詳しくは以下の記事にまとめています。
杉田水脈の「LGBTには生産性がない」という発言の本当のまずさ
杉田水脈議員の「LGBTには生産性がない(子供を産まない=生産性)」という発言を、分解してみましょう。
- 子供=生産性のアウトプット=付加価値
- 付加価値とは粗利のことであり、価格という指標内で使用される用語
- よって子供=付加価値の大きさは、子供がいくら稼ぐか? によって変化する
……あれ? これはLGBT差別などではなく、子供や結婚、人間そのものを「金銭的価値にくくったこと」が問題なのではないでしょうか。
もちろん「LGBTには生産性がない」とは、言い換えれば「LGBTは付加価値を生み出さない=金にならない」です。
なるほど、杉田水脈論文の主旨は「LGBTには生産性がない→だから税金は投入するべきではない(手厚い支援はいらない)」でした。
つまり杉田水脈論文は「金を稼がない人に、税金は使わない」が本来の趣旨だったのです。
これ、政治家が言ったらおしまいなやつ(笑)
杉田水脈議員の「LGBTには生産性がない」発言の本当のまずさは「政治家が人間を金でしか計らず、金を稼ぐところにしか税金を使う意味を見いだしていないこと」なのでした。
あとがき 杉田水脈議員のLGBTには生産性がない発言を振り返って
杉田水脈論文を読んだとき、最初に思ったのは「はい? 私はゲイですが支援を受けた覚えがありませんけど」でした。まあそれは脇に置いて……。
閑話休題。
生産性という言葉を完全に理解したいま、当時の杉田水脈論文は非常にまずいものだったと断定できます。イデオロギーで言えば新自由主義的で、機械的かつ冷徹な価値観です。
そのような発言を政治家が行い、許容する国民が一定数いる。これこそ「恐るべき現実」「非常にまずい事態」なのです。
>つまり杉田水脈論文は「金を稼がない人に、税金は使わない」が本来の趣旨だったのです。
>そのような発言を政治家が行い、許容する国民が一定数いる。これこそ「恐るべき現実」「非常にまずい事態」なのです。
この「金を稼がない→税金を使わない→自己責任で生きろ」という論理をさらに飛躍させると、「自己責任で生きられない→生きている価値なし→殺しちまえ」となる。それを実践したのが津久井やまゆり園で19人を惨殺した殺人鬼です。
表面的な行動パターンだけを見ると、杉田水脈や小川榮太郎と、殺人鬼=植松聖とは全く似ても似つきませんが、前者の発言を擁護する社会的風潮があの惨劇を生み出した背景にあるという気がします。
それは、全く気のせいでもないと思いますよ~。
極端な事件は、その時代の空気や雰囲気を代弁している場合もありますし。
お邪魔いたしますです。
> ……あれ? これはLGBT差別などではなく、子供や結婚、人間そのものを「金銭的価値にくくったこと」が問題なのではないでしょうか。
> もちろん「LGBTには生産性がない」とは、言い換えれば「LGBTは付加価値を生み出さない=金にならない」です。
妙に心に刺さった原因がはっきりしたです。
おいら的には感情と論は相容れないって考えてるです。
悪い点を探し切れてないとか見出すことが出来てないから、「悪いはず!」って感情での意見が増えるのかなと。意見と論が交差すると炎上するんだろうなとも考えてるです。
感情は感情でしかないです。論は感情で変わったりしない。混ぜるな危険。
毒親のせいで、しっちゃかめっちゃかになってる書類達。確定申告がめんどくさい。毒親に対する感情で苛つきますです。
苛ついたからと言っても税金は安くならないし、確定申告をしなければならないのは変わらないです。
「悪い(はず!)」という直感を、言語化しようとするとすごい労力が必要ですものね。
でも「感情は論にならないが、論は感情を加味するべき」かもしれません。
論理的に整合性のあるものも、状況や感情が受け入れないことには実行不可能だったりしますし。
論と感情の関係性って、考えれば考えるほど難しいんですよね(笑)
まあ、行きつけば姥捨て山の発想ですかね・・
ですね~。