本稿では表現者クライテリオンで、たびたび記事を書いておられる柴山桂太さんを取り上げます。
表現者クライテリオンの9月号「MMTと日本」の、柴山桂太さんの稿が「むちゃくちゃ、秀逸」だからです。
シンポジウムで、柴山桂太さんに会ったことがあります。二次会……じゃなくて、懇親会でです。
すごく親しみやすい方で、でも知的な素晴らしい方でした。
誤解を恐れずにいえば「すごい普通のオーラ」の人です。……すいません、横に座らせて頂いてから「……あれ? うぉっ! 柴山先生や! マジかっ!」と気が付きました(汗)
しかしその洞察と、知性は素晴らしいものがあります。今日は「親しみやすくも、鋭い知性の柴山桂太先生」の表現者クライテリオンの稿を、ご紹介しつつ解説します。
国家が貨幣を作るという、表現者クライテリオン9月号の稿
表現者クライテリオンの9月号は、現代貨幣理論(MMT)と第二次世界大戦を扱っています。現代貨幣理論(MMT)の稿は、全て読了しました。
その中で、もっとも秀逸だと感じた稿が柴山桂太さんの「国家が貨幣を作る」です。
議論の流れを見ていきましょう。
- 貨幣は大昔から「現代貨幣」だった
- 政府の支出能力に上限はない
- 租税は支出の原資ではない
- 「健全な財政」ではなく「健全な経済」
- 問い直される「租税国家」
1.から4.は現代貨幣理論(MMT)の紹介をされています。この稿の真に秀逸なのは、5.です。
MMTには無数の批判が寄せられているが、日本では、ほとんどが「インフレを抑制できないのではないか」という点に終止している。これは旧ケインズ主義の時代から言われ続けてきた批判である。MMTにはに依拠しようがしまいが、過度な財政支出はインフレをもたらす可能性があり、民主主義政府はその抑制に失敗する可能性がある。ただそれだけのことだ。
そんなことより真に考えるべきなのは、MMTを受け入れると、人々にとっての納税の意味が根底から変わってしまうということではないだろうか。公務員を批判する人はよく「税金で食べさせてもらっているくせに」と口にする。だが、MMTに従うなら、公務員の給料は税金と関係がない。これまで見てきたように、公務員への支払いも政府の「キーストローク」によって行われているからだ。なのでこれからの批判者は、「政府のキーストロークで食べさせてもらってるくせに」と言わなければならない!
もちろん冗談だが――(後略)
ね? 論点が秀逸でしょ?
政府支出が租税に関係ないとすると……ストーリーがなくなる
現代貨幣理論(MMT)では「租税は、通貨を通貨たらしめるためにある」と説きます。よく見る表現では「税が通貨を駆動する」です。
簡単に説明しておきますと、税金は「政府支出の原資」とはみなされません。なぜなら、スペンディングファースト(政府支出が先)だからです。
確定申告は2月から3月です。2018年度の確定申告は、2019年度の2-3月期に行われます。では、2018年は「予算が確定していないし、収められていないからその分は支出できない」となりましたか?
じつは政府支出は、税収に関係なく行われています。
詳しくは現代貨幣理論(MMT)-スペンディングファースト(政府支出が先)や、現代貨幣理論(MMT)の租税貨幣論とは?驚くほどわかりやすく解説をご覧ください。
とすれば……柴山桂太さんの仰るように「しかし、政府支出の原資が税金でないとなれば、『では、一体何のために税金を払うのだ?』という根本的な問いに改めて向き合う必要が生じる」のです。
現代貨幣理論(MMT)では、「税収から、政府が支出する」という一般的なストーリーが通用しないのです。
現代貨幣理論(MMT)の物語的弱点を詳らかにした柴山桂太
私はMMTerですし、現代貨幣理論(MMT)を支持してます。
しかし柴山桂太さんの記事は、現代貨幣理論(MMT)の「物語的な弱点」を詳らかにしました。
「国民が、納税をする『わかりやすい物語』」が、現代貨幣理論(MMT)にはないのです。固定観念といっても良いでしょう。
長いですが、引用しましょう。
ところがMMTは、政府支出と納税が実はつながっていないという事実をふたたび明るみに出してしまった。
(中略)
だが、納税者は「インフレ抑制」や「不平等の是正」といった抽象的な理由のためにすすんで税金を払うのだろうか。
(中略)
MMTがどんなに正しい理論であったとしても、貨幣をモノとみなす人間の固定観念は簡単には消えないし、再出と歳入を一致させるべきだという健全財政論もしぶとく残り続けるに違いない。
(中略)
結局、一番の問題は、人類はまだ「租税国家」論に代わる新たな物語――政府と我々を結びつける新たな物語を生み出せていない、ということにあるのだ。
この論点の提出は「秀逸」としか言いようがありません。
私はこの稿を見るために、表現者クライテリオン9月号を買ったのでは? とすら、思うほどです。
おまけ ブロガーと現代貨幣理論(MMT)
私は、コメント欄で議論する気は「ほとんど」ありません。コメントは読者さんの「見識と感想」ですし、私のコメント返しはほとんどは「なるほど……(ほぼ肯定)」です。
読者の見識は様々なものがあります。私と異なる意見も、当然あります。それはそれでOK。全然OK。
日本で横行する「議論」とは「相手への、自分の意見の押しつけ」がほとんどです。私、嫌いです(笑)
記事も読者の皆さんは「参考程度」にしてもらったら良いのです。
私も自分の記事を「絶対正しい!」とか思ってませんし(笑)
※正確さには、出来る限り努力はしています。
現代貨幣理論(MMT)の記事では、「押し付け」コメントがわきます。「ブログ主は正しいんだろ? だったら俺と議論しろ! どっちが正しいか、白黒つけようぜ!」てな訳。
上記のような「押し付けコメント」は、超迷惑です。
中には「じゃあ、返り討ちにしたらいいじゃん! 現代貨幣理論(MMT)は正しいんでしょ?」という意見もあるでしょう。
いやですよ。読者1万人以上を放って、たった1人と喧々諤々する? 勘弁してください。
現代貨幣理論(MMT)は、とかく議論が多いですが……。当ブログでも出来る限り、わかりやすく解説していきます。まずは、みなさんも「知ってみてほしい」です。
※純粋な質問でしたら、出来る限り答えるようにはしてますです。
>しかし、政府支出の原資が税金でないとなれば、『では、一体何のために税金を払うのだ?』という根本的な問いに改めて向き合う必要が生じる
>だが、納税者は「インフレ抑制」や「不平等の是正」といった抽象的な理由のためにすすんで税金を払うのだろうか。
確かに、いくらMMTが正しい理論だとしても、この「租税は政府支出の原資である」という、今まで自明の理として議論の俎上にも上がらなかったような事柄が覆されるような理論は、なかなかすんなりと人々(いわゆるインテリ層から一般庶民に至るまで)に受け入れられるものではない。さすがは柴山桂太先生、実に鋭いご指摘ですね。
そこでMMTが、万人が”腑に落ちるような”状態で受け入れるためには、租税国家論に代わる”わかりやすい物語”が必要だということですが、果たしてそれが何なのか?あるいはどのようにしてその物語を作っていくのか?皆目わかりません。まあ、今後の課題であるといえばそれまでですが、何かその糸口となるようなものはあるのでしょうか?
柴山先生の論点は、超すごいです。読んで、頭を殴られた気がしました。
糸口が見つかっていたら、多分ですが柴山先生が提案してます(笑) 私には、見つかりません。「皆目わからない」という状態です。
――どうしましょ。
お疲れ様です。お邪魔いたしますです。
> 結局、一番の問題は、人類はまだ「租税国家」論に代わる新たな物語――政府と我々を結びつける新たな物語を生み出せていない、ということにあるのだ。
道に迷ってるおいらにも響くです。MMTに限らず、いろんな人に響くと思うです。
こういった言葉との巡り合わせに感謝です。
ありがとーです。
どういたしまして~。
物語は、
「その国で生きたいなら」
ではないのですか?
ちょっとコメントの意味がわからないです。言語化をよろしくおねがいします。
3行ではわかりません。
MMTのブラックボックスは何なのか?と考えていた際に、確かに税金の価値観が問題になるなと感じました。柴山先生のご指摘のように、我々は税金を納めることによりインフラなりの社会基盤を作ってきたり、公務員を雇ってきていると刷り込まれてきたので、インフレ率抑制というわれてもピンとこないし、『政府はインフレ云うけど、俺の給料はデフレのママだから払わない』という個人的な意見や徴税への反感を招きやすい恐れもある。
結局のところ、税金で賄う部分と政府支出で賄う部分の、うまい落としどころの規律を緩やかに創っていくしかないのかと思う。