本稿は「21世紀の貨幣論」という、フェリックス・マーティンの著作のレビューです。
本書は大まかにいえば、結論、貨幣史、現代貨幣の問題点と解決策、結論という構成になっています。
大判で450ページ弱にも及び大著であり、フェリックス・マーティンの知性が惜しみなく注がれた著作です。
正直なところ、私がレビューを書けるのか? 満足の行く解説が出来るのか? は非常に疑問です。
「21世紀の貨幣論」を読んで受けた衝撃は、中野剛志さんの「富国と強兵」を読んだとき以来の衝撃でした。
まず目次をご紹介し、大まかに要約と解説、レビューをしていきましょう。
- 第1章 マネーとは何か
- 第2章 マネーの前夜
- 第3章 エーゲ文明の発明――経済的価値を標準化する
- 第4章 マネーの支配者は誰か?
- 第5章 マネー権力の誕生
- 第6章 「吸血イカ」の自然史――「銀行」の発明
- 第7章 マネーの大和解
- 第8章 ロック氏の経済的帰結――マネーの神格化
- 第9章 鏡の国のマネー
- 第10章 マネー懐疑派の戦略――スパルタ式とソビエト式
- 第11章 マネーの構造改革――ジョン・ローの天才とソロンの知恵
- 第12章 王子のいないハムレット――マネーを忘れた経済学
- 第13章 正統と異端の貨幣観
- 第14章 バッタを蜂に変える――クレジット市場の肥大化
- 第15章 大胆な安全策
- 第16章 マネーと正面から向き合う
第1章 ヤップ島と信用取引
第1章は序論でありながら、結論を大いに含みます。その1つは、ヤップ島独特の経済の発見でしょう。
19世紀、ヤップ島はドイツ帝国に併合されます。ここにウィリアム・ヘンリー・ファーネス3世という、アメリカ人が訪れます。
描写を避けていえば、土着の原住民社会というイメージで、ヤップ島を捉えればよいでしょう。
ヤップ島の貨幣システムは、非常に独特なものです。フェイという石貨があります。大きさは直径30cm~4mまで。
大きな取引のときにこの石貨――フェイを使用します。
使用するといっても、自分のところに運びもしなければ、フェイに自分が所有しているという傷をつけるわけでもありません。
所有権が認められただけで、このフェイは使用することが出来るのです。
銀行預金に似ている、と私は直感しました。預金通帳に仮に「数千万円」と数字があっても、実際にあなたは「数千万円分の現金」はどこにも所有していません。見たこともないかも知れません。(私は、見たことがありません)
でも「数千万円の資産がある」と「社会から承認されている」のです。
このファーネスの著作は1910年に発行されました。あの有名なジョン・メイナード・ケインズも、この著作を読み、重大な気づきをもたらされたと記されています。
また、このヤップ島の石貨がどのような使われ方をしていたのかを調べた人物にアメリカ人の探検家のウィリアム・ヘンリー ・ファーネス3世という人物がおり、その彼の研究結果(島民からの聞き込み調査が主な論拠)をまとめたレポートを読んだある人物に従来の経済学にはない重大な気付きをもたらした。 それが、第2次大戦後の世界経済の安定化に寄与したブレトンウッズ協定の策定の際にハリーホワイトと案を出し合ったジョン・メイナード・ケインズである。
ヤップ島 – Wikipedia
第2章~第8章 貨幣史とマネーが歪められるまで
2章から8章は、貨幣史と「間違った貨幣観=商品貨幣論」が出来るまでの、貨幣史と経済学史になります。
2章では古代メソポタミア文明ですでに、債務と債権の記録があったこと。
暗黒時代のギリシャには、貨幣が存在しなかったこと。その代わりに、譲渡と返礼という監修が存在したこと。
上記も興味深いのですが、もっと興味深いことが書かれています。貨幣とは「計測単位でありながら、その標準は『変化する』ということ」です。
1メートルという単位があります。なるほど、長さは測れます。1メートルの定規で、測れるでしょう。では1メートルという「単位」を見た人はいるでしょうか?
1メートルはヤードで1.094です。もしくは3.3尺ほどでしょうか。ファゾムや光年、古いものではパッススという単位もあります。
メートル法とは、人為的に区切った「単位という抽象概念であり、標準概念」です。度量衡や枡の統一と同じなのです。
ところが貨幣は、その性質上「標準が変化する」のです。インフレやデフレです。
メートル法では、その面積に「どの面積の物質を、どれくらい並べられるか」は変化しません。
しかし貨幣は、「1万円で、何が買えるのか?」が変化します。
ジョン・ロックの過ちと古典派経済学のその後
ジョン・ロックは哲学者として有名です。彼は「貨幣の標準が変化する」ことに耐えられませんでした。自然科学的な、貨幣を求めたのです。
これが商品貨幣論の発端です。アダム・スミスも商品貨幣論を採用しました。
当時のイギリスは銀本位制でしたが、ロックは「貨幣価値(1ポンド)=銀の重量(グラムという自然法の概念)」として捉えたわけです。
そこから生まれたのが「市場原理主義」や「小さな政府」「セーの法則」「ワルラスの一般均衡」というわけ。
そして残念なことにロックの権威と、「自然科学によって、裏付けられたように見える概念(※1)」は人々に貨幣を「勘違い」させるのに十分な説得力を持ってしまったのです。
※1は例えば現代でいえば「ディープラーニングを使ったAIの発展で、将来は人間の仕事がなくなる」などのイメージです。AIに仕事を奪われる、仕事がなくなるという主張は短絡的な議論では、理論的に「その可能性は非常に低い」と解説してます。
第9章 イングランドへの援助問題という残酷な結末
第9章、「鏡の国のマネー」の中で、特筆するべき事例があります。ジョン・ロックによって歪められ、アダム・スミスによって神格化された貨幣は、どのような結末を迎えたのでしょう。
19世紀半ば、アイルランドはジャガイモが凶作でした。しかも2年連続で。
当然イギリスでは、アイルランドに食糧支援をするべきでは? との議論が起こります。これを封殺したのが、商品貨幣論から端を発したアダム・スミスの古典派経済学です。
当時のエコノミスト誌がのせた、社説のタイトルは「慈善こそが、イギリス人が犯す国民的過ちである」です。
なぜこのような主張が、まかり通ったのか? 1つは「食料を送ったら、アイルランド人は永遠に援助に依存する」というモラルハザードの原理。
2つ目は(古典派経済学にとって)もっと重要で「市場活動を政府や政治が、歪めてはならない」という原則のためです。
結果? アイルランドの当時の惨状は「壊滅状態」と評される、悲惨なものになりました。
第10章~第15章 貨幣の標準と貨幣の約束「自由と安定という矛盾したもの」
自然科学のメートル法と同じように、貨幣にもポンド、ドル、円といった単位があります。しかし(円に話を置きます)、1万円の価値はメートル法のように普遍ではありません。
インフレになれば価値を減じ、デフレでは価値を増じます。
これをフェリックス・マーティンは「貨幣の標準」と呼び、その標準を「誰が決めるべきか?」を論じます。
君主制においては、君主が決めるべきとした論も紹介されます。民主政国家においては、主権者である国民が決定するべきでしょう。
一方で「21世紀の貨幣論」では、貨幣が何を約束するか? についても論じています。フェリックス・マーティンによれば、貨幣は「自由と安定を約束した」とされます。
同時にこの2つは矛盾し、自由にさせすぎれば安定を失うともいいます。
現代でいえば、リーマン・ショックは「金融工学による、プライベートマネーの反乱」と表現可能でしょう。
民間による貨幣の過剰な増殖は、リーマン・ショックを起こしました。
ここでも2つの問題が出てきます。
- 貨幣によって安定が損なわれたこと(金融危機)
- リーマン・ショックの損失を、政府が埋め合わせなければならなくなったこと(モラルハザード)
10章~15章では「どのようにして、貨幣に『自由と安定』という約束を守らせるか?」に字数をさきます。
第16章 フェリックス・マーティンと友人が出した結論
第16章は、「21世紀の貨幣論」をまとめ、結論を導く章です。非常にわかりやすく書かれています。
結局の所、フェリックス・マーティンと友人が出した結論はなにか? 「我々1人ずつが、貨幣という『社会制度(社会技術)』の認識を、変えなければいけない」です。
フェリックス・マーティンによれば、マネーを管理しているのは「私達一人ひとり」だそうです。そのロジックはこうです。
国語辞典の出版社が、言葉を管理しているのか? 違います。出版社は「現代語として変化しながらも、使われている言葉を拾い上げているだけ」です。
言葉を管理しているのは? と問うならば、国民一人ひとりでしょう。
ジョン・ロックの貨幣観――物々交換から、貨幣が生まれたではなく、貨幣とはその紙幣を指すのでもなく――は捨て、貨幣とは「信用取引を介した社会全体のシステム」と認識しようというわけです。
そしてそれは、成立するはずです。ヤップ島の事例のように。
21世紀の貨幣論を読了した後の個人的感想
大著はとかく、読みすすめるのが大変です。「21世紀の貨幣論」も、その1つでしょう。読んでいる最中に「ん? 今は何を論じてるんだっけ……」となることもしばしば。
しかしこうしてレビューすることで、バラけていた「内容」がまとまることが多々あります。レビューとまではいかなくても、ノートなどにまとめてみると、非常に理解が進むと思います。
「21世紀の貨幣論」は、現代貨幣理論(MMT)をもし私が知らなければ……相当に苦労した大著だとおもいます。知っていても、苦労しますが(笑)
しかし、読む価値は十二分にあります。
貨幣という「身近にありながら、よく知らなかったもの」を、知的衝撃とともに理解できることでしょう。