訓練初日から3ヶ月が過ぎ、日の出とともに暖かな日差しが窓から差し込み、義勇兵たちを眠りから起こす。
日差しとともに小鳥の鈴の音のような鳴き声が、優しく義勇兵たちの耳元に届く。
空は晴れ渡り雲1つない。
朝の風が青々しい草の匂いを運び込み義勇兵たちを包む。
今日、サトルたち義勇兵は自分たちが契約した塒(ねぐら)へと引っ越さねばならない。
とはいえ、訓練のために寮舎にいたほとんどの義勇兵は、あまり物を持っていない。せいぜい衣服類が一張羅で4着、そして訓練最終日に支給された装備だけだ。
義勇兵のうち、半数ほどは市街地の宿屋に塒(ねぐら)を定めた。
この街の宿屋は義勇兵が客になることで、経営のほとんどを成り立たせている。
義勇兵たちにとっても食事が出てきて、洗濯や掃除なども宿屋任せでよいので、それらに当てる時間を魔獣や亜人種の狩りに使えるというメリットがある。
訓練期間は料理の材料は用意されていた。
しかし自分たちで料理をするとなると材料の調達からなにから、全て自分たち自身でやらねばならない。義勇兵にとって料理や洗濯は大きな負担の1つだ。
格安の宿屋であれば1人1日銅貨30枚と少しで質素だが食事まで2食ついてくるのだ。稼げるのならば宿屋を塒(ねぐら)にしたほうが効率がよい。
一方でもう半数は、市街地中心から離れた郊外に塒(ねぐら)を契約した。ほとんどは掘っ立て小屋と表現すればピッタリのボロ屋だ。
最初に鍋や包丁などいくらかの出費は必要だが、1ヶ月で6人が暮らして銀貨数枚程度という家賃は魅力的だろう。自分たちで獲物を狩れば、食費も抑えられる。
サトルたちの班はこちらを選択した。契約をするときに、塒(ねぐら)になる掘っ立て小屋も見に行った。
1階建ての木製で、6畳ほどの土間に炊事場とテーブルなどがあり、奥にはすだれで仕切られただけの寝室がある。幸いベッドなどの大きな家具はあるのだが、やはり生活していこうと思うといろいろと必要になりそうだ。
受付小屋でサトルたちに良くしてくれたアルベルト・タイレという役人によれば、前に義勇兵が使っていた小屋だそうだ。その義勇兵がどうなったのか? にタイレは言及しなかったが。
「ここなら近くに小川もある。水の便などを考えれば、お勧めだと思うがね? まあ、やや狭いが拡張したければ、自分たちでやってみたらいい。
土地だけは余っておるからな」
とタイレはサトルたちに勧めたのだ。
支給された銀貨は貯めておこうと誓ったサトルたちは、この日はじめて朝から市街地に赴いた。
塒(ねぐら)の契約はすでに受付小屋で済ませている。
生活に必要なたらい、包丁、まな板、鍋、食器などを市街地に買いに出向く。班員全員のテンションはかなり高い。
「おはようございます、荷物はまとめられましたか?」
ユウイチロウが全員に声を掛ける。ヒナタ、ダイチ、ミナトが次々に喋りだす。
「おはざーす! むっちゃ楽しみなんすけど! 市街地!」
「おはよう。僕も楽しみだな、市街地」
「市街地! 市街地!」
サトルももちろん楽しみだ。なにせこの世界に来てからはじめての市街地だ。
ツバサだけは特にテンションも変わらず「おおっ、おは、おはよう」とどもりながらも表情はすましている。残念なことに、きれいな眼に目やにを付けたままだが。
サトルはツバサのテンションが低い原因に思い当たる。
(そういえばツバサ……料理にも興味ないし、人も苦手そうだものね。生活感がないというか、なんというか……)
ユウイチロウを先頭に見張りの兵士たちに「お世話になりました」とひと声かけ、サトルたちの班――銀の誓約は市街地へ向かうために内壁の城門へと歩き出す。
真っ青な空の下、草の匂いのむせ返る道を。
城門までは寮舎から15分ほどで到着した。間近で見た城壁は堅牢な石造りで、垂直に10メートル強ぐらいの高さだろうか? 所々に丸い櫓も見える。城壁手前には空堀が掘られ、城門へは跳ね橋が架けられている。
城門は重厚な木製で、その内部を見てみると鉄製の柵が天井から見える。
跳ね橋を渡り、見張りの兵士2名にサトルたちは、義勇兵の間ではドッグタグと呼ばれる身分証を見せて、ついに市街地へと入っていく。
「うわぁ……すごいね」とダイチが思わず感嘆を漏らした。
ミナトも「そうですね~……」とうなずく。
ヒナタはテンションが上りすぎたのか、フラフラと大通り沿いの様々な店に向かって歩き、目を輝かせて、ひたすら「っすわー! これすげーっすわ! うわ~!」とボキャブラリーのなさを発揮している。
サトルとユウイチロウもお互いに感嘆して頷きあう。
ツバサは人の多さに、きれいな顔立ちから想像できないほどに苦虫を噛み潰した顔をして「う、うっ……鬱だ」とため息を深く吐く。
城門から伸びた大通りの両側に様々な店や露天が立ち並び、屋台なども見受けられる。
道は石などで舗装されていないため、人通りの多いこの道は少々埃っぽいとサトルは、土の匂いを感じながら思う。
目線を大通りの先に向けると遥か向こうには小高い丘があり、石造りの無骨な城がそびえ立つ。あれが座学のときに教えてもらったラルフ・ルーゲ辺境伯のランツ城なのだろう。
サトルたちははじめての市街地に感嘆を漏らしながらも、こうしてはいられないと包丁や鍋、食器などの生活必需品を売っている店に目星をつける。
サトルたちに支給された銀貨は、全班員あわせて60枚。最低限の生活必需品を揃えるだけで、銀貨10枚近くもかかったのはサトルたちにとっては痛手だった。
往々にしてあることだが、事前に買おうと計画していたものには欠落がある。調味料や今日、明日食べるための食材、ベッドに敷くための干し草、窯の火かき棒などを失念していた。
「はぁ……意外とお金がかかりましたね……」とサトルがユウイチロウに愚痴るように言うと、ユウイチロウやダイチも同じくため息を吐く。
ヒナタやミナト、ツバサは調理器具や生活器具には興味が無いのか、選びはじめて早々に「ちょっと武器屋とか行ってくるっすわ~!」とほとんど逃げ出したに近い勢いで、出て行った。
「まだ太陽も真上に来てませんし、一度塒(ねぐら)に戻りましょうか?」
「そうだね、お昼までには……狩りのための装備の点検や、生活器具の配置も終わらせておきたいものね」
「そうですね。ちょっとヒナタたちを引っ張ってきますよ」
そう言い残してサトルはヒナタたちのもとに向かう。何もかもがはじめてで、不安に胸が押しつぶされそうになるのを飲み込みながら。
「ヒナタ、ミナト、ツバサ。こんなとこにいたのか。もうそろそろ帰るってさ。ユウイチロウさんたちが待ってるよ?」
「え~っ……ちょい、もうちょいだけ見たいっすわ~!」
「そーですよ~! 訓練もないんだし、いいじゃないですか~!」
「ぶ、っぶ…武器屋はロマン!」
ヒナタ、ミナト、ツバサは買えもしない武器を目を輝かしながら見ていたようだ。
武器屋の恰幅の良い無精髭を生やした親父は、そのさまを苦笑いしながら見ていた。3ヶ月に一度、必ず見る光景である。
サトルは強引にヒナタとツバサの首根っこを押さえて引っ張り出すと、その後を「しょうがない……」と無言でミナトがついてくる。「まったく……本当にこの3人は……」とサトルはごちる。
塒(ねぐら)に帰ってきた銀の誓約は、市街地で買ってきた様々なものを整理し、配置し、と作業をしているといつの間にか、太陽はすでに真上近くに昇っていた。
「これで、だいたい終わったよね?」
「そうですね……けっこう大変でしたね」
ダイチにサトルが額の汗を拭きながら応じる。
「つ、つつ、疲れた~!」とツバサが出てもいない汗を拭いながら炊事場に入ってくると、一緒にいたユウイチロウから雷が落ちる。
「ツーバーサー! ほとんどなにもやってないでしょっ!」
「や、やっやったし! み、お水! 汲んできもん! 重かったし!」
ユウイチロウはツバサにだけは普段の敬語を使わない。
雷を落としながらも案外、2人がじゃれ合っているように見えるのはサトルの気のせいでもないだろう。
「いや~! こんなもんっすわ~! いい感じじゃないっすか? ベッドの柔らかさ」
「いい感じ! わりとふわっとできたよね~」
ヒナタとミナトは寝室のベッドにわらを敷いたり、枕にわらを詰めたりと寝室担当だ。土間の炊事場はダイチとサトルが担当し、ユウイチロウやツバサは薪を割ったり水を汲み置いたりと外を担当した。
それぞれ塒(ねぐら)に帰ってきてから装備の点検なども済んだ。
「さて、どうしましょうか? 皆さん。狩りに行きますか?」
全員が炊事場にあるテーブルに着席すると、ユウイチロウが静かに切り出した。
「そうだね、でもその前に……まだ僕たちなにも朝から食べてないし。ご飯にしよっか? 簡単にすぐ作れるものを用意するよ」
『賛成!』
ダイチの提案に全員が空腹を思い出したかのように、賛成する。
ダイチの料理は簡単にすぐ作れるものでも美味しい。
この日は市街地の市場で買った川魚、ムール貝によく似たカワヒバリガイ、じゃがいも、ベーコンを入れたアクアパッツァ風と黒パンだった。
川魚は鱗を剥がして串に刺し、軽く窯の強火で炙って焼き色を付ける。
大鍋にオリーブオイルとにんにく少々、カワヒバリガイ、ベーコンを入れて遠火で温めて貝が開くのを待ってひたひたに水を入れ、焼き色のついた川魚、窯のそばで焼いたじゃがいもを入れる。
沸騰したら塩、胡椒で味付けをして川魚のアクアパッツァ風が完成だ。
「やっぱりダイチさんの作る料理は美味しいですね」
「本当、この班になってよかったです」
ユウイチロウとサトルが1口食べて感想を述べると、ダイチは頭をかきながら照れ笑いを浮かべる。
「美味いっす! やっぱダイチさん最高っす! 短時間で凄いっすわー!」
「ダイチさんって、料理の天才ですよね~!」
「……モグモグモグモグ」
ヒナタ、ミナト、ツバサもアクアパッツァ風にご満悦のようだ。
じゃがいも、川魚の焼いた香ばしさとベーコンの滋味、にんにくの香り、カワヒバリガイの旨味が見事にマッチしているのだから、ご満悦にもなろうというものだ。
黒パンをスープに浸すと、味の相性に他班の義勇兵なら目を見張るだろう。
食べ終わる頃にユウイチロウが口を開く。
「さて、腹ごしらえも済みました。
前々から話し合っていた通り、外壁を出て東北に進んだところにあるという草原で狩りをしましょう。
教官たちの話ですとゴブリンたちも大体は、2~3匹で狩りに来ているとのことです。ゴブリンに遭遇しなくても、他の獲物が狩れるかもしれませんしね」
「一応……野営の装備も持っていかないとね。準備は出来てるよ」
ダイチがユウイチロウに応じると、サトル、ミナト、ヒナタ、ツバサたちも頷きあう。食事をしていた雰囲気は一変し、誰もが緊張感に満ちた顔つきだ。
訓練では教官2人の立ち会いのもと、銀の誓約――サトルたちの班も実戦訓練としてゴブリンやコボルトとも戦った。
2匹までなら確実に狩れ、3匹でも安全マージンを十分に確保して戦える。しかし1対1になるような状況は安全を考えるのなら絶対に避けなければならない、という程度が銀の誓約の現在の実力だ。
草原での野営も実戦訓練として経験している。
サトルはふと野営のことを思い出す。
(そういえばあのときゴブリンたちを狩ったはいいものの、野営する場所までの痕跡の消し方が甘くてゴブリン6匹に夜襲されたのは怖かった……。教官たちが瞬時にゴブリンを片付けてしまったのにも驚いたけど)
「皆さん、東北の草原でならきっと大丈夫です。ダイチさん、前衛職はダイチさんが柱です。
ヒナタ、サトル、中衛は任せました。
後衛の連携はミナトが鍵ですから、しっかりとツバサを引っ張ってあげてください。――ツバサは詠唱を噛まないように」
「まかせて、ユウイチロウさん。僕、盾役として頑張るから」
「ヒナタ、中衛がんばろうな! 攻撃は僕たちが鍵だからな! でも突っ走るなよ!」
「サトルさん、大丈夫っすわ~! 俺ガンガン活躍するっすよー! うっしゃ! 気合い入れるっす!」
「ツバサも魔術式詠唱、だいぶマシになったよね~。フォローは任せていいよ~」
「か、かっ噛まないしっ! 8割は……か、噛まないし!」
『8割かよっ!』
ヒナタとユウイチロウがツバサにツッコミを入れる。全員から笑みが溢れる。
なんだかんだいってツバサの抜けたところや、ヒナタの底抜けの明るさはサトルたちの班――銀の誓約にとっては貴重なものだった。
銀の誓約は最後の装備確認をする。
ユウイチロウは木材、硬化所理した皮、表面を鉄で覆った大盾と、ところどころ急所が鉄で覆われた革鎧、そして木製の柄の戦鎚。大盾で攻撃を防ぎ、戦鎚で一撃を加えるというのがユウイチロウの戦闘スタイルだ。
戦鎚の先は槍のようになっているので突きも可能であり、一撃で敵を屠るというよりもじわじわと相手を削るのがユウイチロウの役割だ。
ダイチはユウイチロウと同じような防具に大型の戦斧。190センチ近い体格と鍛え上げられた肉体は、新米の義勇兵の中では最重量の装備を可能としている。
ユウイチロウの削った敵に対して、とどめを加えるのがダイチの役割になる。銀の誓約では最大火力がダイチと言ってよいだろう。
サトルは革鎧にダイチやユウイチロウより少々小ぶりの盾、長剣。
ユウイチロウ、ダイチのどちらかが倒れたり負傷したときに、盾役として前衛と代わるのがサトルに期待されている。
もっとも……倒れたのがダイチであればそれは危機的状況であり、サトルが前衛に出るときは撤退戦での殿(しんがり)となるだろう。
ヒナタは革鎧と短槍、短弓、多少は盾代わりにも使えるだろう左手の鉄製の小手が特徴的だ。
前衛が戦線を維持しているときに、短弓や短槍で相手にダメージを与えることが可能な装備だ。
また装備が軽めなのは軽歩兵としての機動力を削がず、前衛の重装戦士であるユウイチロウ、ダイチと中衛の軽装戦士サトル、軽歩兵ヒナタで敵を挟撃することも視野に入れているためだ。
ミナトは革鎧にサトルが持つのと同様の大盾、通常に比べてやや軽量な柄頭と長めの柄を持つ鉄製のメイスを装備する。
体格が小さく体力のないミナトなりに模索した結果、ある程度リーチがありツバサを防御でフォローできる防具と武器のバランスでこうなった。近接戦闘においてメイスはほとんど技術を要さないのも、ミナトにとってはありがたいだろう。
魔術兵が近接戦闘をしなければならない事態というのは、教官たちからは死を覚悟しろとすら言われている。ダイチ、ユウイチロウ、サトルが倒れた場合、ミナトは前衛に上がらざるを得ない役割になる。銀の誓約にとって最後の盾だ。
ツバサは革鎧と短槍、小型の弩だけというシンプルな装備だ。
体力のないツバサにはこれでも精一杯の装備であり、魔術兵がおおよそ装備する大盾すらきつかったようだ。普段はミナトの盾で防御しつつ、ツバサが前衛や中衛に防御支援、攻撃支援、回復などの魔術を使うことになる。
弩の発射速度は1分間に1~2発といったところだが、初級者でも扱いやすく遠距離攻撃を可能にするので教官がツバサに強制的に装備させた。
全員、ナイフはもちろん携帯している。
ダイチは包丁にも使えるようにと刃渡り30センチはある、短剣なのかナイフなのかナタなのか? 判断に困る肉厚なものだ。峰で叩いても十分な攻撃力がありそうだ。
ユウイチロウ、サトル、ミナト、ツバサは20センチ程度の普通のナイフだが、ヒナタは内側に曲がっている曲刀――ククリナイフのような――を愛用している。
「ナタにも使えて便利っすよ! 軽歩兵はこれでないと駄目っす!」とはヒナタの言だ。
そうでもないのだが、ヒナタなりのこだわりだとサトルは聞いた。
「水筒、塩、食料、鍋、油、カンテラ、ロープ、麻袋、マント、手ぬぐいなどの準備は大丈夫ですか? 背嚢(はいのう)に入れましたか?」
ユウイチロウが全員に確認する。全員が装備を整え背嚢を背負って重々しくコクリと頷く。
「では、銀の誓約はじめての狩りです。皆さん、決して無理はしないように。外壁東北の草原へ向かいましょう!」
『おうっ!!!』
塒(ねぐら)から銀の誓約が狩りに向かったのは、まだ太陽がほとんど真上にある時刻だ。
誰もが不安を抱え、きっとやれるはずだと己に言い聞かせる。生き残れるはずだ! と強く強く自身に言い聞かせる。
目指すは外壁東北の方向、義勇兵たちからゴブリン草原と揶揄を含めて呼ばれる草原だ。
異世界は召喚されし者に優しくないの続き