社会人生活の中でふと「社会人生活がつまらないな……」「あれ? 海外は何であんなに楽しそうなの?」「日本ってつまらない!」と感じて、あなたはこの記事にたどり着いたのかもしれませんね。
日本がつまらないと感じる理由を、わかりやすく徹底的に解説します。
理由がわかれば、対処の仕方もあるかもしれません。日本がつまらないと感じた人向けの、対処法についても考えます。
最初に結論だけ書きます。日本がつまらないと感じる理由は「目的設定が苦手ゆえに同調圧力が発生し、同じじゃないものを不安感から排除、異端視する。よって自己実現を邪魔している」です。
日本は本当につまらないのか?をデータから検証する
日本がつまらないと感じた、あなたの感覚は本当に正しいのか? から検証します。3つのデータで、日本がつまらないと感じたあなたの感覚は正しいです。
日本人は自己肯定感が低い
日本の若者は特に、自己肯定感が低いです。内閣府の調査によれば、アメリカやイギリス、韓国と比べて日本の若者の自己肯定感は、なんと3分の2から半分ほどです。
内閣府のデータで特徴的なのが、以下の3つのポイントです。
- 日本人は社会参加や、社会現象を変化させられるかもといった、当事者意識に乏しい
- 将来への希望が他国に比べて抱きにくい
- 社会規範を守ろうとする意識は、他国と同程度かそれ以上
自分自身を肯定できないのに、楽しいわけはないですよね。自己肯定感の低さは、日本がつまらないことを明示しています。
日本人の幸福度は低い
他国と比較して、日本人の幸福度は低いというデータもあります。
幸福度ランキングによれば日本は、153カ国中62位でした。世界第3位の経済大国が、幸福度で中盤の順位なのは、明らかにアンバランスです。
やはり日本はつまらない、だから幸福度も低いということです。
日本の自殺率は国別比較13位とトップクラス
日本人の自殺率が高いのは、わりと有名なデータですね。
上記では日本以外の自殺率の高い国についても、理由を解説しています。日本の自殺の原因は、完璧主義と過度な同調圧力にあるのでは? と結論づけています。
電車が数分遅れただけで、アナウンスをする国は珍しいのだそうです。完璧主義というより、潔癖主義かもしれません。
日本社会がつまらない、苦しいと感じる理由
日本社会はつまらないことを、自己肯定感や幸福度の低さ、自殺率の高さで検証してきました。いよいよ本題の、日本がつまらない理由です。
目的設定が苦手で、存在論的不安に脅かされる日本人
いきなり「存在論的不安」といわれても困りますよね。
存在論的不安とは「自分の存在はあるのに、目的が設定されていないことで生じる不安」です。つまり「どうしたらいいのか、わからないことへの不安」です。「なんか理由はわからんけど、不安やで! むっちゃイライラするわ! ないし、めっちゃ悲しいわ……鬱や死のう……」という状態になります。
存在論的不安は、生きるための目標や目的を設定することで解消されます。例えば宗教は、存在論的不安を解消します。なぜなら宗教を通して、どのような人間像を実現するべきか? という目的が設定されているからです。
同じでないと不安になるので同調圧力が増大
自分で設定した目的がなければ、存在論的不安が大きくなります。不安は、周りと同じことをすれば解消されます。赤信号、みんなで渡れば怖くないの精神です。
異分子は同調によって生じた安心を脅かし、不安を増大する要素です。よって異分子は排除、ないし無視されます。
つまり同調圧力です。
同調圧力は日本人から、目的設定能力をさらに奪います。つまり存在論的不安を増大させます。
- 存在論的不安が大きいから、同調して不安を解消
- 目的設定をしている異分子は、不安を増大させる要素なので排除
- 同調圧力は目的設定の必要性をなくす。よって存在論的不安がさらに増大する
- 1~3が無限にループし続ける
上記のようなループが繰り返されます。
マズローの自己実現欲求が満たされない日本社会
生きる目的や生きがいを設定できず、同調圧力が強い日本社会では、自己実現欲求が満たされません。欲求が満たされないので、幸福度も下がります。
自己実現とは?
自己実現とはマズローによれば、欠乏欲求の上部構造になる成長欲求です。
簡単に説明しましょう。
衣食住が足りて、生理的欲求や安全欲求が満たされます。家族や友人などの人間関係が満たされ、信頼や敬意を得ることで社会的欲求や承認欲求が満たされます。
ここまでが欠乏欲求と呼ばれる下部構造です。
欠乏欲求の上部に、成長欲求である自己実現欲求があります。つまり「どのようにして生きるか?」です。
自分を自分で管理できるという幸福と自己実現
自己実現とは換言すれば、自分の活動や目的を自分で決められる自由です。他人に管理されるのではなく、自分で自分を管理できる――つまり自由である――ことが自己実現です。
自己実現欲求が満たされることで、人は幸福を感じます。
同調圧力と自己実現
自己実現を目指すと、周りと異なる可能性が高いでしょう。したがって同調圧力の強い日本社会で、自己実現は往々にして排除、異端視されます。
もっと簡単にいいます。
「みんながAだといってるのに、Bに行くのはやめろよ! 不安になっちゃうだろ! 俺だって、本当はBに行きたいのに我慢してるんだから! おまえも我慢しろよ!」
「みんな我慢してるんだから!」という理由は、バカバカしい上に本末転倒です。
日本社会がつまらない、苦しいと感じる理由のまとめ
- 人間は存在論的不安を抱えているが、日本人は特に目的設定が苦手なので存在論的不安が大きくなる
- よって周りと同じになって、不安を解消しようとして存在論的不安はさらに大きくなる。同調圧力の無限ループ
- 同調圧力によって自己実現が排除、異端視される
内閣府の調査で「日本の若者の規範意識は他国と同等かそれ以上」という結果がありました。これも存在論的不安の増大と、同調圧力の結果と解釈することも可能でしょう。
また同調圧力はしばしば、先鋭化します。ほんの少しの違いも許さない! というわけ。これが日本の完璧主義、潔癖な部分になっているのかもしれません。
- 遅刻はだめなことだ。なぜなら他の人に迷惑がかかるから
- 遅刻をしないためには、交通機関も遅刻しないことが必要。数分遅れる? とんでもない!
- 数分遅れただけで、駅構内ではお詫びが飛び交う状態に
日本がつまらないと感じたらどうすればいい?
- 自分自身の自己実現を目指し、同調圧力は無視するか逃げる
- つまらなくないコミュニティに参加する
- 自分で管理する小さなプロジェクトを始める
- 哲学書などを読んで、人生について見つめ直す
- 人生を楽しむことを目的にする
筆者は同調圧力を、基本的には無視しています。16年近くゲイ産業で自営業をしてましたので、不感症になったという表現が正確かもしれません。
そんな筆者のおすすめが、上述した5つの対処法です。特に3.の「自分で管理する小さなプロジェクトを始める」をおすすめします。
ブログでもYouTubeでも、小説の執筆でもかまいません。趣味でもOKです。
好きなことをダラダラするのも非常に捨てがたいですが、目的を設定してみてはいかがでしょう。
「アニメのレビューで300PVとる!」とかでもOKです。自分で目的を設定する練習の成果は、人生の多くの場面で有効です。
あなたにも私にも、死は平等に必ず訪れます。だからこそ楽しく生きないと損でしょう。つまらない日本でも、楽しく生きることは可能だと思います。
つまらないがなくなる、本当でしょうか。Amazonによれば、以下のように紹介されています。
学校で教えてくれなかった「つまらない」解消術!「つまらない」発生メカニズムから対処法まで、気鋭の行動心理コンサルタントが、わかりやすく解説。
Amazonの紹介
Amazonでつまらないと検索して引っかかりました。全く期待してなかったのですが、内容は面白かったです。
作者は意図していない事かもしれませんが、インターネットによる弊害といいますか、常時ネット接続するメリットに関しては様々な書籍で述べられていると思うのですが、この本って常時ネット接続している事によるデメリットを細かく解説してくれている気がします。
インターネットにより無限に近い知識が手に入るようになりましたが、そのメリットを語る書籍はあっても、デメリットを語る書籍は少ないと思います。オススメです。
口コミ
同調圧力といえば、アベノマスクの風刺イラストを描いた浦沢氏を、「普通の日本人」界隈が攻撃していたのを見て、2つの意味で、うんざりしました。
1:社会風刺といえば、社会の異常を世間に知らせるという、作家の社会的役割のはずなのに、それを「パヨク」「反日」「反権力気取り」などと弾圧するとは。今は戦時中か?
2:そもそも、アベノマスク騒動の元の安倍総理のコロナ対策そのものがおかしいのに、批判が許されないとは、今は戦時中か?
健全な権力批判への弾圧行為がのさばるのは日本人の生存の危機だと思います。
かつて旧日本軍の牟田口が、部下の兵隊を大勢無駄に飢え死にさせたのと同じことが今の日本に起こらないとも限らない。
上がおろかな暴走をしたときに、ブレーキをかける人の足を引っ張ってはならない。
あと、自分もネットで創作活動している身としては、いちいち思想警察に検閲される環境は、不快でしかたがないです。
この状況で最終話まで反権力貫いた、鬼太郎スタッフは尊敬する。
>健全な権力批判への弾圧行為がのさばるのは日本人の生存の危機だと思います。
おっしゃるとおりで。日本の同調圧力は、結構きついものがありますよね。
トナカイさんのおっしゃらんとするところに共感するところがあります。安倍って結局「今の日本」の象徴でしたよね。でも、最近になって急に手の平返したみたいにぼろくそに。それも含めて日本です。20年前、なんて住みにくく、なんてひねて傲慢な民族なんだろう、と、いとひねて傲慢な私が思いましたが、その点についてだけは、結局その通りになってしまった悲しさです。あの頃、まっすぐで謙虚だった中国にボロカスに圧倒される。斜陽する者とはこうなのでしょうね。豊かさもなけりゃ、面白さもない。本当は「日本」なるものがまた一度ぶっ壊れればいいのでしょうが、そうでないなら、「日本」なんてのはお構いなしに突っ切らねばならないのでしょう。こんなしょうもない鎧は内側から破りましょう。