本稿は主流派経済学、新古典派経済学といわれるものの、誤謬について解説したいと思います。
昨今、反緊縮・積極財政運動が左右両陣営から立ち上がり、財政出動をせよ! との声も前に比べ、大きくなってきています。
しかし依然として財政均衡主義、財政健全化・全体主義、新自由主義が我が国にはびこっているのも、また事実です。
この強固な緊縮財政主義のイデオロギーの根底には、主流派経済学、新古典派経済学の理論があります。
我々庶民が反緊縮・積極財政運動を展開するに当たり、強固な緊縮財政主義への論理的反論は避けられません。
そのために、主流派・新古典派経済学の理論の誤謬を知識として持ち、活用できるように解説したいと思います。
※少々ややこしい議論になりますので、結論だけを見たい方は最後のまとめを見てください。
ワルラスの一般均衡と現実の齟齬
現在でも経済モデルのほとんどは、この一般均衡理論を根底に設計されます。主流派・新古典派経済学の根底理論としても有名です。
概要としては、完全競争市場で徹底した競争を行うと、ある均衡点に社会は至るとする理論であり、”数学的”には証明がされています。
しかし現実は動的であり、複雑系でもあります。
現実を見ないとしても、一般均衡理論にはさらに議論の先があり、均衡点が1つ(唯一性)なのか? 均衡点から外れたら戻る(安定性)のか? というものです。
これらはゾンネンシャインなどの研究で、否定的な結論になっているようです。
※つまり均衡点は複数かもしれないし、均衡点を外れたからといって、そこに揺り戻すとも考えられない。(※1)
多くの主流派・新古典派経済学の理論に当てはまりますが、経済学の理論にはたいてい、前提条件が存在します。新古典派経済学3条件とでも呼称します。
- 完全競争市場であること
- 人々が商品の完全な情報を持っていること
- 人々が経済合理性にそって行動すること
上記は有名なリカードの比較優位論やセーの法則、ヘクシャー=オリーン・モデルでも、前提条件として組み入れられています。
また一般均衡理論を前提条件として、比較優位、セーの法則は形作られているので、逆説的に一般均衡理論の誤謬を指摘すれば、主流派・新古典派経済学への反論は完成します。
新古典派経済学3条件の非現実性
1.の「完全競争市場であること」から解説してみます。完全競争市場の定義は、市場原理主義と表現して差し支えないでしょう。
完全競争市場は、市場メカニズムが働く市場です。 完全競争市場では、(1)市場に多数の参加者(生産者や消費者)がいること、(2)財(商品)の質が同じであること、(3)財に関する情報(価格や特性など)を参加者がもっていること、(4)市場への新規参入や撤退が自由であること、という4つの条件を満たすと仮定しています。
https://www.findai.com/yogow/w00083.html
政府支出は基本的に、市場メカニズムとは異なったメカニズム、政治のメカニズムによってなされます。
だから主流派・新古典派経済学では、「完全競争市場に近づけるために、小さな政府であるべきだ」という「であるべき論」を唱えます。
「○○であるべき」という論は、一種のイデオロギーであり、現実への分析ではありません。
セーの法則やリカードの比較優位論もこの前提条件を所持しており、現実との齟齬が発生するのは必然だったのです。
緊縮財政とは、主流派・新古典派経済学のイデオロギーの産物だったのです。新自由主義と呼ばれる所以です。
- 完全競争市場であること
- 人々が商品の完全な情報を持っていること
- 人々が経済合理性にそって行動すること
2.や3.に至ってはもはや「フィクション」と呼ぶしかないものでしょう。人間は商品の完全な情報も持ち合わせていなければ、経済合理性のある行動ばかりを取るわけでもありません。
歴史的事実と一般均衡理論のズレ
歴史的事実として、1970年代に世界はグローバル化に向かいはじめ、2000年代初頭から2008年までは、グローバリズムの黄金期ともいわれます。
しかし韓国の経済学者、ハジュン・チャンの統計(※3)によれば、1960年~1980年と、1980年~2010年では、後者の世界の経済成長率は半減ないし激減しています。
グローバル化が進むごとに、経済成長率は低迷していったのです。
なんのことはありません。グローバル化=小さな政府化=政府支出拡大率の減少です。政府支出の拡大幅が減少しているのですから、必然的に経済成長率の低下も起きたというだけです。
上記の事実からまず、一般均衡は存在したとしても、完全競争市場に近くなれば、人々を貧困化させると指摘できます。
2008年にリーマン・ショックが発生しました。一般均衡によれば、均衡点に「戻っていくはず」でしたが、その後の世界経済は長期停滞と呼ばれます。
主流派・新古典派経済学や新自由主義の資本主義への誤解
一般均衡理論は、商品市場だけでしたらある程度、通用します。
主流派・新古典派経済学は「お金も商品」という、商品貨幣論、外生的貨幣供給論の立場に立っています。
昨今、報道されている現代貨幣理論(MMT モダンマネタリーセオリー、報道では現代金融論といわれる)は、内生的貨幣供給論の立場です。
ここでは、貨幣論の詳細は論じません。
ハイマン・ミンスキーは金融不安定性仮説を主張しましたが、彼の捉えた資本主義の姿とはこうです。(※2 うろ覚えです)
資本主義とは実物市場と金融市場の2つで成り立つ。
実物市場(商品市場)は激しく変動しないが、金融市場は容易に変動し、高騰し、下落する不安定なものである。
それは、貨幣と商品が「別物」だからにほかならない。
資本主義とは安定した商品市場、不安定な金融市場という2つの足場を持つ、極めて不安定な経済形態である。
※だから別メカニズムの、政治による安定化が必要
主流派・新古典派経済学は「貨幣も商品である」から、金融市場も商品市場も「一緒のもの」と捉えるがゆえに、現実の経済や動きを読めなかったというわけです。
ミンスキーが捉えたように、実物市場と金融市場の性質は異なり、異なる性質の足場にたつのが資本主義だとしたら、2008年のリーマン・ショックや、その後の長期停滞の説明は可能です。
主流派・新古典派経済学の間違いのまとめ
少々、平易ではない議論になってしまいましたので、平易にまとめたいと思います。
- 主流派・新古典派経済学の理論の前提条件は、非現実的だ
- ゆえに、主流派・新古典派経済学は現実の分析に向かない
- 主流派・新古典派経済学の理論は、基本的に物々交換でしか通用しない
- したがって金融市場も、貨幣経済も論じられない
- なぜ非現実的な主流派・新古典派経済学が主流になったのか? 小さな政府というイデオロギーがウケただけに過ぎなくて、理論的正しさで広まったわけではないのではないか?
緊縮財政派の中でも、主流派・新古典派経済学をかじった人たちがいます。
彼らは「リカードの比較優位にるとこうだ! だから自由貿易は正しいのだ!」「ヘクシャー=オリーン・モデルも知らないのか! 経済学の教科書を読め!」「一般均衡理論は正しい! なぜなら正しいからだ!」と主張します。
○○理論などを出された際は、是非とも彼らにこう質問してください。
「ふーん……ところで、その理論の前提条件は何? (主流派)経済学の理論には、仮定がつきものだよね?」
良い記事をありがとうございます。
前提条件の破綻した理論に沿って政府の経済政策が行われているわけですから悲惨です。
どういたしましてです。いつもお読みいただきありがとうございます。
先日、進撃の庶民に寄稿しました、薔薇さんとのコラボもよろしければどうぞ。
[地方統一選後半戦-薔薇マークキャンペーンと進撃の庶民コラボで反緊縮議員を推す | 進撃の庶民 ~反新自由主義・反グローバリズム](https://ameblo.jp/shingekinosyomin/entry-12453220793.html)
いくらなんでも間違いすぎている。
>1960年~1980年と、1980年~2010年では、後者の世界の経済成長率は半減ないし激減しています。
グローバル化が進むごとに、経済成長率は低迷していったのです。
時代が違えばあらゆる条件が異なるため、全く比較にならない。
経済成長は産業構造の変化に大きな影響を受けるため、時代によって成長率が違うのは当然。
グローバル化と成長率の相関を調べたければ、同時代の国で比較しないとダメ。
>グローバル化=小さな政府化=政府支出拡大率の減少です。
グローバル化と政府の大きさには全く関係がない。
グローバル化→国際的な分業の推進
小さな政府→政府の市場への介入を最小限にすること
小さな政府で反グローバリズムもあり得る。
小さな政府化=政府支出拡大率の減少、は間違い。
小さな政府化=政府支出の減少、なら正しい。
なぜ政府支出が減っていないのに小さな政府になるのか。
>政府支出の拡大幅が減少しているのですから、必然的に経済成長率の低下も起きた
経済成長とは生産性の向上。
政府が支出すれば生産性が向上するわけではない。
>グローバル化と成長率のを調べたければ、同時代の国で比較しないとダメ。
……グローバル化は「世界的な現象」ですから、同時代に比較可能な対象を見つける方が困難なのは常識でしょ?
また「世界規模の現象」である以上、「グローバル化してない時代と、進んだ時代の比較」は科学的にあり得ます。
ついでに「わずか最大50年で、相関が示せなくなる」という根拠も薄弱でしょう。
もし「1960年~1980年と、その後の30年で相関が示せない」とすると、ハジュン・チャンやピケティの統計も「意味がない」ことに。
※ちなみにこの1960年~の統計は、ハジュン・チャンによるものです。
>なぜ政府支出が減っていないのに小さな政府になるのか。
政府支出を「絶対額」で評価するとすれば、世界の国家はすべて大きな政府ですね。
なにせ1900年と比較して、アメリカの国債発行残高は3000倍なのですから!
筆者の国債発行残高や予算と、経済の関係性は現代貨幣理論の議論参照してください。
小さな政府の定義とは「必要量の国債発行をしなくて、デフレ気味になっている政府」です。予算の絶対額ではなく、適正規模の予算額に足りるかどうか? が判断基準です。
>政府が支出すれば生産性が向上するわけではない。
いえ、しますけど。
生産性向上=アウトプット/インプット です。
インプットは労働や資本の投入量が通常使用される指標です。アウトプットは付加価値がもっぱら用いられます。
付加価値とは端的には「粗利」です。要するに「高い値段で売れれば、生産性は向上した」といえます。
では価格を左右するものは何か?主流は経済学が言うように、需給でしょう?
よって需要が増えれば価格は受賞し、生産性は向上します。