三橋貴明さんの記事で、MMT(現代貨幣理論)が取り上げられました
2019年3月14日、現代金融理論(MMT)にて三橋貴明さんが、はじめてMMT(現代貨幣理論)を取り上げました。
先日はロイターでも焦点:財政拡大理論「MMT」、理想の地は日本かのように取り上げられており、三橋貴明さんブログのコメントでは立憲民主党もTwitterでMMTを取り上げた、との情報もあります。
※真偽は確認してません。
早くから進撃の庶民では、中野剛志さんの「富国と強兵」で取り上げられた現代貨幣理論を、望月夜さんが丁寧に解説し、様々な議論を生んできました。現在ではsorata31さんがMMT(現代貨幣理論)を取り上げられておりまして、その中でも最高の記事と評するに値するものが以下です。
特にsorata31さんの記事は、「これを読んでおかないと」と言えるほどに、一読に値する記事だと私は断言します。
sorata31さん、翻訳本当にお疲れ様でした。
今日はMMT(現代貨幣理論)そのものに言及するのではなく、なぜ積極財政派がMMTを取り上げるのか? について考察してみたいと思います。
積極財政派がMMT(現代貨幣理論)を取り上げるのはなぜか?
MMT(現代貨幣理論)は「貨幣=負債」と定義する理論です。構成としては租税貨幣論や、信用創造、信用ヒエラルキーなどが存在します。
今日はMMTの解説はしません。解説がご覧になりたい方は以下の記事からどうぞ。
積極財政派の唱えるところは、「国債は負債だけども、インフレ制約以外で拘束のない負債だから、いくらでも――過剰なインフレ以外では――発行できる」ので「現在はデフレだから、国債を発行して積極財政だ」というものです。
しかし上記の理屈、微妙に1つだけ抜け落ちているものがあります。国債を発行しても、国債は一般的な商取引では使用できないものである、という点。
細かいことを言うのでしたら「政府小切手が発行されて……」ですが、国債発行は同時に、政府が民間と商取引するために貨幣創造(信用創造)が必要です。
では「円という法定流通貨幣(通貨)」とは何か? どのような性質なの? という問題にも行き着くのですが、貨幣を積極財政派と同じような理論で組み立てたのがMMT(現代貨幣理論)というわけです。
親和性がないはずがありません。
国債という負債はインフレ制約のみで、いくらでも発行できる。この理屈が通貨にも通用するとしたのがMMT(現代貨幣理論)だったのです。
ちなみに上記の理屈から、機能的財政論を唱えたアバ・ラーナーはMMT(現代貨幣理論)の元祖という主張もあります。私もアバ・ラーナーが元祖だと言われても、異論はありません。
参照:安倍政権は「社会主義2.0」のパイオニア – アゴラ
負債はお金の母という名コメント
現代金融理論(MMT) | 三橋貴明オフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへ blog」にて「借金はお金のお母さん」という名コメント(上記記事※2)がありました。
私、思わず感心しまして「それ、使わしていただいて良いでしょうか?」と尋ねましたらOKとのことでしたので、使っちゃいます。
多少変えて「負債は貨幣(お金)の母」として。
必要は発明の母ですが、負債は貨幣の母なのです。
このコメント、非常に示唆に富んでいます。
資本主義とはそもそも、負債を増やして経済成長する経済形態と定義できます。
※それに見合った生産力が必要とされる。生産力が見合わないと、過剰なインフレになる。
そして、世界の先進国はおおよそ1900年から現在まで負債を、3000倍以上に増やして豊かになってきたのです。アメリカや日本も同様です。
3000倍に増えた! 財政破綻だー! と心配する財政破綻論者、緊縮財政論者はいますか? 皆無でしょう。そんな事を言ったら、資本主義そのものの否定ですから。
つまり上述コメント、「借金はお金のお母さん」は資本主義そのものを示唆した、非常に秀逸なコメントというわけです。
需要があると見通せる→じゃあ生産して商売しよう→資金が必要だ、借りよう→信用創造で貨幣が生まれる、のです。じつは需要から貨幣は創造されるのですね。
政府の需要創出も同様です。民間の防災減災需要があるぞ→民間に仕事を発注しよう→資金が必要だ、借りよう→信用創造で貨幣が生まれる。ほら、一緒でしょ。
一方で貨幣循環論――銀行が貸出をするために、他の銀行などから資金を引っ張ってくるだとか、一定量の通貨で経済は回っているとする論――は実態にそぐいません。
それは資本主義が負債を拡大しながら、成長してきたことの否定――つまり現実の否認――であり、むしろ解釈としては脱成長主義とすら言えます。
マクロでみると借金はお金のお母さん、なのです。
資本主義とは常に、負債を拡大し続けながら”しか”経済成長しない、という”事実”をしっかりと認識してほしいと思います。
ど素人レベルの人間の、印象論レベルの話ではあるのですが・・、負債は債務なんですよね・・?
負債とかかれた箇所を、債務と読み替えて読むと、なんとなく内容がわかりやすいような気がしました。
(やっぱり、負債だと負の文字が付くので、私のような理解が浅い人間だと、どうしてもマイナスイメージがついてしまって、それに理解が引っ張られてしまうような印象です(ヤンさんとか、かなり理解されてる方だと、なんの違和感もないのだと思いますが))
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三橋さんの記事や、sorata31さんの記事を読んで思ったのですが・・・、
現時点でこのようなことを考えるのは、夢物語のようなものかとは思いますが・・・、
もし、世界各国で、積極財政的な政策が取り入れられたら・・、世界はどうなりますかね・・・?
第三次産業革命(第四次産業革命)が起こりますかね・・?
積極財政が成功すれば、自国通貨建ての国債を発行している国は、本当にさまざまな成長産業並びに研究分野に多額の投資をするでしょう。その上で、さらには、国内の整備開発発展にも・・。(それこそ日本みたいなデフレの国は、なんだってできる気がします)
そうなれば、ここ30年余り停滞していたと言ってもいい世界の科学分野関係に爆発的な進歩を生みだしますかね・・?
宇宙開発競争も含めて、人類の発展がいっきに進むかもしれません。
・・・しかして、自国通貨建ての国債を発行できない国は・・・?
それらの国と、それら以外の国では、さらなる経済的開きが生まれてしまうのでしょうか・・・?
まあ、積極財政的政策がもし世界各国で採用されはじめたら・・、それこそ、産業革命なみのインパクトを、人類に与えるかもしれませんね。
阿吽さんが現代貨幣理論でコメント(意見を入れて)するの、もしかしたらはじめてかも知れないですね。大変うれしく思います。
>負債は債務なんですよね・・?
個人レベルでは同一で語られますが、一応定義を。
負債:バランスシート上の数字
債務:法律上、返済しなくてはいけない義務のある”負債”
ちょっとだけ異なります。「債務」は法律上の返済義務のあるもの、「負債」は会計上のバランスシートの数字、という感じでしょうか。
「負」は負荷、負担といった意味にも使われるので、「資本主義の成長に、国家が負担するものが負債」と表現してみれば、いく分かイメージが異なりますでしょうか。多分(汗)
※過去に「政治戦略として通貨=負債はよろしくない」という主張なら、百歩譲るとしてます。……その場合、国債=負債も否定する論理が必要になってきますが。
>世界各国で、積極財政的な政策が取り入れられたら・・、世界はどうなりますかね・・・?
うーん……格差是正も含めて、ということで申し上げますと1945年~1970年以前の「一億総中流」になるかも知れませんね。
そしてその時代はおっしゃるように、科学進歩の激しい時代(宇宙進出も確か、この頃? だったような?)になるかも知れません。
そうなったら、私は生きているうちにドラえもん(実物)が見られるのかも……(笑)
> ・・・しかして、自国通貨建ての国債を発行できない国は・・・?
EUはもう知りません!(笑)
真面目に分析するのなら、EUは「豊かになる世界」に「おいていかれる」ということで、その共通通貨(の不便性)に言及され、瓦解するのではないでしょうか?
発展途上国は民族自決と同じ流れで、自国通貨の独立を掲げるのでは? だって、豊かになる道筋はあるのですから、多分自然かな? と。
私はドラえもんとガンダムをみるまで、死んでも死にきれません(笑)
『「負債」は会計上のバランスシートの数字、という感じでしょうか。』と、ありますが・・、負債とは、下記のように意味が2つあるものと見ても良いのでしょうか?
↓ ↓ ↓
デジタル大辞泉の解説
ふ‐さい【負債】
1 他から金銭や物品を借りて、返済の義務を負うこと。また、その借りたもの。借金。債務。「負債を抱える」
2 企業会計で、支払手形・買掛金・借入金のような法律上の債務と、期間損益計算上の費用配分の要請から計上される賞与引当金・退職給与引当金のような負債性引当金などを合計したもので、企業の総資本から自己資本を除いた部分。
(あっちでは深い議論をしてるのに、こっちはこれです・・。すみません(汗))
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>EUはもう知りません!(笑)
EUは、各国の経済状況を見て、欧州中央銀行がユーロ債うまいこと発行すれば、なんとかなりますかね・・?(なりませんかね・・?)
まあ、仮にできたとしても、そんなまどろっこしいことをしないで・・、自国通貨をあらたに使えばすんじゃう話ですが・・。
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>私はドラえもんとガンダムをみるまで、死んでも死にきれません(笑)
もしかして我々は、人類のあらたなステージへの革新を見ることになる稀有な世代になるのかもしれませんね。(財政出動を各国がうまくやれればの話しではありますが)
場合によっては、生きているうちに世界共通の暦が、西暦から宇宙世紀に切り替わるさまを見れるかもしれませんww
まあ、しかし、そうなると、SFではないですが、今度は宇宙で戦争する時代になるんですかねー。
>デジタル大辞泉の解説
個人、企業ではこの解説は間違ってません。返済義務は”法律上”課せられた義務ですので。”法律上”が最大の焦点です。
「通貨は法律上、返済義務があるか?」
そんな法律、ないですよね。
負債(数字)が債務(返済義務)になるのは、法律関係(統治)の問題だったりします。
借金(国債)は返さなくてはいけない、も実質的に国債は債務(返済義務)がないですから、間違っているわけです。家庭と国家の違いですね~。
>もしかして我々は、人類のあらたなステージへの革新を見ることになる稀有な世代になるのかもしれませんね。
そうなるといいのですが。ガンダム見たいですし。
「日本は財政出動をして、ガンダムを作るべき」
本気で書いてみましょうか……(笑)ガンダムファンは掴めると思うのですが(笑)
>負債(数字)が債務(返済義務)になるのは、法律関係(統治)の問題だったりします。
>借金(国債)は返さなくてはいけない、も実質的に国債は債務(返済義務)がないですから、間違っているわけです。家庭と国家の違いですね~。
と、なりますと・・、デジタル大辞泉の①、②の解説ですと解説不足という認識でよろしいのでしょうか?
つまりは、上に引用させて頂きましたヤンさんの解説を、本来でしたら、①、②に続いて、③として記載するのが、デジタル大辞泉では本来だけど、少なくとも、現在のデジタル大辞泉ではまだ、それがなされていない片手落ち状態・・、という認識でよろしいでしょうか?
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>本気で書いてみましょうか……(笑)ガンダムファンは掴めると思うのですが(笑)
世界初の二足歩行ロボット・アシモの開発も、アトムを作りたいという技術者の欲求ですし、意外といけるかも・・・?ww
>と、なりますと・・、デジタル大辞泉の①、②の解説ですと解説不足という認識でよろしいのでしょうか?
MMTの解釈まで入れると、解説不足です。
ただ、MMT自体が最近出てきたものなので、しょうがないとも思います。
個人や企業では「負債=債務」でも問題ないですから。
逆にwikiでは債務このように書かれてます。
債務:特定の人に対して金銭を払ったり物を渡したりすべき法律上の義務。多く、借金を返すべき義務。 「―を負う」
負債=会計学上(義務、強制力の有無は関係ない)の概念、債務=法律学上(義務であり、強制力がある)の概念、という解釈でも良いかと~。
>世界初の二足歩行ロボット・アシモの開発も、アトムを作りたいという技術者の欲求ですし、意外といけるかも・・・?ww
うーむ……悩みます(笑)4月1日に……(笑)
>>と、なりますと・・、デジタル大辞泉の①、②の解説ですと解説不足という認識でよろしいのでしょうか?
>MMTの解釈まで入れると、解説不足です。
細かいようで大変恐縮ですが、今一度確認させて頂きたく存じますと・・、上記は、この界隈でMMTが話題になる前からでも、解説不足となるものだったものと、解釈させていただいても、よろしいですよね・・?
いえ、私がMMTを知らなければ、解説不足とは思ってなかったかもしれません。
国債=負債=国民の資産ですが、考えが及ばなかった、というところでしょうか。調べてもいませんでしたしorz
ただ、私はそうであったというわけですが、もともと解説不足であったとも思います。
了解しました。すみません。ありがとうございました。m(__)m
コメントさせていただきます。
触発されて負債やら税やらいろいろ考えているのですが、負債と債務を分ける考えを読ませてもらいました。
ただこの考えを敷衍させていくと危くなるような気がします。
貸し借りに借用証書がある場合がわかりやすいのですが、返済をするとはお金を返して証書を回収すると言い換えることができます。そして通貨は借用証書と表現していますよね。
となると「通貨は返済する必要のない負債」を言い換えると「政府は通貨を(税で)回収する必要がない」となります。
デフレの『今だけ』で考えたら一見正しいように思えますがもしインフレ、しかも高めのインフレの時はどうなるか。
それは「政府は税で需要を抑える必要がない」にならないでしょうか? 税の需給の調整の否定になりませんか。
インフレを抑えないとはバブルを招き、さらには現状寝言でしかないはずのハイパーインフレさえも容認すると思います。インフレの時は通貨は返す必要がある債務に変化するというのならわかるのですが。
ひるがえって税の需給調整を否定するとはデフレの時にもいえるかと。
国家や政府が半永久的な存在だとしたら経済成長を伴って税で通貨を回収し続けるとは税収を増やし続ける事(誤解を招きやすい表現ですが…)となります。
もし政府当局者の立場で「通貨は返済する必要のない負債」と考えると、
デフレ時に増税→税収減→問題なし→なぜなら政府は通貨を回収する必要がないから→さらに増税へ
というループに。
負債は法律に記載がないから返す必要がないのではなくて、記載がなくても返す義務を負うという考えが税の需給の調整機能の裏付けになるのではないでしょうか。
先の例えを使いかつ税収を増やすという前提を置くと、
デフレ時に増税→税収減→デフレの時の増税は間違っているのでは?
インフレ時に減税→税収減→インフレ時の減税は間違っているのでは?
という解釈になると思います。
コメントありがとうございます。
>となると「通貨は返済する必要のない負債」を言い換えると「政府は通貨を(税で)回収する必要がない」となります。
コメントの本旨は上記になるかと思います。
これはしばしばなされる質問で、「無税国家も可能じゃないか」に通じると思います。しかし……この「必要が(の)ない」という言葉の定義に注意が必要です。
必要:必ず要ること、が定義。
必要が(の)ない:Weblio辞書で「必ずしも、そうしなくてはならないということはない、という意味の表現」とあります。
あくまで「通貨=負債=返済義務はない」が”本質”ですが、「返済しては”いけない”、駄目だ」と論じているわけではないのです。
「通貨は返済する必要のない負債」
「通貨は返済するのが不可な負債」
ね? 全然異なりますでしょ。……まあ、誤解を与えたのなら、以下のような表現に変えるのが良いかも知れません。
「通貨は返済する必要が必ずしもない負債」(ただ、この表現は頭痛が痛いに通じてまして、あまり使いたくないのです(笑))
※よって機能的財政論的に、インフレ時に税をあげるなども可能。税率の軽重は状況次第。
>「政府は通貨を(税で)回収する必要がない」
上記は、現代貨幣理論では別の観点から「政府の徴税(軽重は状況次第)は不可欠」と説明されます。租税貨幣論というやつです。
すごい簡単に言いますと「通貨(法定流通貨幣)を通貨足らしめているのは、政府権力による徴税能力」という話です。
たとえ話で恐縮ですが、治安が良いのは「警察という実働権力を政府が持っているから」という話に似ています。
政府権力(通貨の場合は徴税能力)の行使が、通貨を通貨たらしめているというわけです。
※警察がなくなれば治安が悪くなるように、徴税権力の行使がなければ通貨はその地位を、いち貨幣にまで落とすことでしょう。
P.S
租税貨幣論の詳細は興味がありましたら、以下をご参照ください。
「租税貨幣論」概論 | ナショナリズム・ルネサンス
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12439405717.html
MMT集中講義①Tax-driven monetary view(租税貨幣論)と決済ヒエラルキー | 批判的頭脳
https://ameblo.jp/nakedcds/entry-12235237419.html
上記の望月夜さん、sorata31さんなどの解説はかなり参考になるかと思います。
当ブログでは「かなり噛み砕いた表現」を心がけているため、学術記事がお好きなら上記リンクから、概念をざっと理解されたいなら当ブログで「現代貨幣理論」と検索してみてください。
当ブログで一番、ウケが良いのが以下の記事です。
現代貨幣理論(MMT)批判に、再反論するQ&A-議論形式で理解を深める – 高橋聡オフィシャルブログBacchus(バッカス)-反グローバリズム&LIFE
https://yan.so-t.biz/2019/03/04/%e7%8f%be%e4%bb%a3%e8%b2%a8%e5%b9%a3%e8%ab%96mmt%e6%89%b9%e5%88%a4%e3%81%ab%e3%80%81%e5%86%8d%e5%8f%8d%e8%ab%96%e3%81%99%e3%82%8bqa-%e8%ad%b0%e8%ab%96%e5%bd%a2%e5%bc%8f%e3%81%a7%e7%90%86%e8%a7%a3/
返事ありがとうございます。
>「返済しては”いけない”、駄目だ」と論じているわけではないのです。
と言いたいわけではなく逆です。
自分は負債は必ず返済を必要とすると考えています。いえしなければならないと言った方がよいでしょうか。
それが通貨と税と繋いでいるのだと。
逆に「通貨は返済する必要が必ずしもない負債」の考えは通貨と税の繋がりを否定するものだと思います。
繰り返しになりますが先の例をまとめてみます。
【通貨は返済する必要が必ずしもない負債】という考え
→通貨(≒借用証書)を回収する(≒税収を増やす)必要が必ずしもない
→デフレの時減税する必要が必ずしもない
→税率の軽重は状況次第で変える必要はない。
【通貨は負債でかつ返済する必要がある】という考え
→通貨(≒借用証書)を必ず回収する(≒税収を増やす)必要がある
→デフレの時減税しなければならない
→状況次第で税率を変え税収(=通貨の回収)を行わなければならない。
>通貨(法定流通貨幣)を通貨足らしめているのは、政府権力による徴税能力
とはその通りだと思います。そうなると次の疑問が出てきます。
なぜ徴税能力があると通貨は価値を持つのか?
もっとシンプルに言い換えると、なぜ通貨で物を買えるのか?という疑問です。
その肝になるのが通貨は負債で負債とは返済を必要するという考えです。そして実際返済をし続けていると考えてます。
その事を説明しようとすると長くなってしまうのですが…。
税とは単にお金を返す事「だけ」ではないと考え、負債と税と物づくりの関係見極めるのが大事かと。その視点がないと危うい考えになってしまう恐れが。
実際望月夜さんに以前こう尋ねました。
(自分):(税とは)経済を維持発展させるために人々に課された物作りの義務、ありていにいえば物作りのノルマという解釈はできないでしょうか?
(望月夜):ノルマというのは言い得て妙だと思います
「貯蓄」という言葉の意味、租税の機能(租税と通貨の関係)、国債の存在意義などに関する問答
https://ameblo.jp/shingekinosyomin/entry-12423576900.html#cbox
>自分は負債は必ず返済を必要とすると考えています。いえしなければならないと言った方がよいでしょうか。
>それが通貨と税と繋いでいるのだと。
柾木さん的に表現を変えますとこうでしょうか?
「徴税で通貨(政府の負債=国民の債権)を回収するという政府の(返済)義務がなければ、通貨が成り立たない」
うーん……論旨はなんとなく理解できました。でも上記、矛盾しているのはご理解いただけますでしょうか?
※私の柾木さんへの論の理解が異なるのでしたら、ご指摘ください。
政府の徴税(権力)=国民の納税(義務)で、
通貨は(統合)政府の負債=国民の債権ですよね。
とすると国民側でいうと「通貨という債権を持っているのに、納税という義務がある」になり、
(統合)政府側でいうと「通貨という負債を持っているのに、徴税という権力を行使している」となるのでは?
これではちぐはぐになってしまいませんか? どうでしょう?
徴税(権力)の行使は、負債の返済義務の有無とは「無関係に行われている」と、解釈したほうが良いのではないでしょうか→租税貨幣論。
おそらくですが「借用書」という言葉が、誤解を生んでいるのでは? と思います。
政府:通貨は「借用書」(負債)
民間:通貨は「貸付書」(債権)
※民間にとって通貨は債権としての借用書(貸付書)です。
※いくら通貨を銀行に持っていっても、通貨でしか交換してくれません。だから厳密には「通貨=統合政府の(特殊な)負債=民間の(特殊な)債権」なのです。
>負債と税と物づくりの関係見極めるのが大事かと
上記にはもちろん同意なのですが、おそらく上段のちぐはぐさは「信用創造」で説明できるのではないかな? と思います。これは「需要がまずある」という考え方にも繋がります。
信用創造の信用は、もちろん「国家は半永久的に継続する」です。
あと統合政府による信用創造(需要創出)は以下の意味でもあります。
政府による信用創造=政府支出=民間に何かを発注する=需要創出=財やサービスを民間が作る(ものづくり)
あまり難解に考えずに、以下のように一旦、整理してみてはどうでしょうか?
1.政府支出=信用創造で通貨創造=需要創出=政府が発注=民間が提供(仕事する)
2.インフレ=需要>供給=経済成長=民間の信用創造も活発→行き過ぎると過度のインフレ
3.デフレ=需要<供給=経済停滞=民間の信用創造が停滞→失われた20年 3.徴税権(税率の軽重は問わない)=通貨の駆動(通貨を通貨とするために必要)=インフレ、デフレ状況で税率の軽重は裁量 4.「誰かの負債=誰かの資産」「誰かの所得=誰かの消費」
論旨はある程度理解したのですが……ややちぐはぐ感があるような? と頭を捻っています。
お互いに通貨や負債、税への理解を深めるために、以下のような視点で個別に議論してみても良いかも知れません。
1.理論的観点(貨幣内生説、貨幣外生説やMMT等々)
2.歴史的観点(近代国家や歴史で、通貨や税はどう扱われたか? 近代国家はどのように成長してきたか? 等々)
3.インフレ、デフレという観点
4.言葉の定義や、経済の定義的観点
ざっと今、思いついたものだけですが(笑)
頭をひねらせてしまって申し訳ないです。
>政府の徴税(権力)=国民の納税(義務)で、
>通貨は(統合)政府の負債=国民の債権ですよね。
>とすると国民側でいうと「通貨という債権を持っているのに、納税という義務がある」になり、
>(統合)政府側でいうと「通貨という負債を持っているのに、徴税という権力を行使している」となるのでは?
そこは同じく疑問に思いました。通貨は資産なの?負債なの?と。
そのことに関して先にあげた望月夜さんとのコメントで次の様に書きました。
(引用開始)
それに関連して一つ質問が。別のエントリーで以下の様に書かれてますね。
『(「貨幣はいかなる意味で負債なのか」で論じたように、統合政府の発行する通貨は、徴税債権(国民側から見れば納税負債)を ”相殺” する意味において、政府負債に他ならず、この意味で通貨は、租税との直接的な関係を通じてその機能を持つからである。)』
(国債≒統合政府の定期預金or金融債というアナロジー / 累進課税の意義より)
これを簡単に示すと下の様に。
(政府側) 徴税債権/通貨(負債)
(国民側) 通貨(資産)/納税負債
この関係性において物を直接作っているのは納税負債の所です。税を納めるには所得を得ないといけないので。となると税(望月夜さんの言葉を使えば、事後的に行う金銭納税)とは通貨の負債性をその通貨を使う共同体の成員に配分していると解釈できないでしょうか?
言い換えると経済を維持発展させるために人々に課された物作りの義務、ありていにいえば物作りのノルマという解釈はできないでしょうか? 通貨と税に関して、国民側が直接物を作る。政府側はそれを間接的にサポートする。この解釈は望月夜さんからみてどうでしょうか?
(引用終わり)
これを素直に解釈したら「納税という義務があるから通貨という債権を持つことができる」となります。
これは矛盾しない、いえその通りだと考えてます。それを自分なりの言葉で書こうとしたら長い文章になってしまいました…。なるべく要約したいですが長文でもよろしいでしょうか?
ここでは別の論点を書きます。
>※いくら通貨を銀行に持っていっても、通貨でしか交換してくれません。だから厳密には「通貨=統合政府の(特殊な)負債=民間の(特殊な)債権」なのです。
これは時折見かける考えですね。でもこれって紙幣硬貨が破損したから交換して、というのと同じでは? 信用創造と関係ありますかね?
それに銀行はこの場合日銀と思いますがヤンさんも書いている様に日銀とは統合政府(日銀+政府)とほぼ同じですよね(統合政府が発行する通貨の話だから)。
となると日銀に通貨を持っていくとは政府に持っていくのと同じで、政府に通貨を持っていくとは(破損での交換を除き)納税ではないですか?
納税は信用創造と関係ありますよね。通貨の信用創造の終着点が納税(返済)ですから。
もしここで「通貨は返済する必要が必ずしもない(特殊な)負債」だとしたら「納税する必要がない」となりませんか?
国民が納税の為に通貨を持っていったら政府が必ずしも通貨を回収する必要がないから受け取りません、なんて。
これは通貨と税の繋がりの否定となり、通貨の信用創造は必ずしも必要がないとなってしまうかと。
そして通貨の信用創造が必要なければ財政出動も必要なくなる。いえできなくなる、でしょうか。
財政出動が不可能ならどうやって経済成長をするのか? もうそれは税制をいじってごまかすしか手はなくなる様に思います。
だから財政出動を下にみたり否定する考えに陥ったら、税制や税率を変更する事=制度をいじくるにいきつくのかもしれませんね。
中野さんの本(真説企業論だったでしょうか?)に会社の制度をやたらいじくり始めたら衰退の表れといった文があったような。
>以下のような視点で個別に議論してみても良いかも知れません。
面白そうですね。ただ興味はあるのですが不勉強というか物ぐさで歴史的観点なんて自分が述べられることはなさそうです。
文献などからきちんと調べている他の人の文章を読んでなるほどと感嘆してます、はい。
だから説得力は薄いですが自分の中でお金や負債や税について筋の通るように説明できないかなとあれこれ考えているだけですね。
>これを素直に解釈したら「納税という義務があるから通貨という債権を持つことができる」となります。
租税貨幣論では「納税という義務の解消に、国定貨幣が使用できるので、通貨となる」と説明されますね。
実際に、主権国家ですが不安定な政府というところでは、国内に米ドルが流通したりするそうですし。
ここでは関係の順序が大切かと思います。徴税(日本円で納めろ)を課しているのは政府であり、その義務(納税)を解消するために国家の成員は、便利だから通貨を使用する、というわけです。
それ以外で通貨を使用しなければならない、という「義務」はないわけですから。
※別に日本国内でも、ドルで売ってくれる店があれば、ドルを使用しても良いわけです。
※ただ、国家安定のためには経済成長や労働も当然必要になりますので論点は理解できます。ただ……広げ過ぎかな? と(笑)
徴税権力(納税義務)はあくまで「通貨を通貨として駆動するため」であり、通貨=負債の返済義務の有無は関係ないかと思うのですよね。(と考えるほうが、論理として汎用性が高いという意味でもですが)
仰っているものづくり(以下供給、労働と表記)は、例えば「国民全員が労働をやらなくなったら、超インフレ(通貨価値が下がる)になる」とかで、考えたほうが良いような。
イメージとしては
土台 通貨を通貨として流通させる徴税権
現象 需要と供給のバランスでインフレ、デフレ
対策 機能的財政論で積極財政や緊縮財政
でしょうか。
どうも土台と現象を一緒に論じておられるような印象を受けます。切り分けて考えてみてはいかがでしょう?
>>※いくら通貨を銀行に持っていっても、通貨でしか交換してくれません。だから厳密には「通貨=統合政府の(特殊な)負債=民間の(特殊な)債権」なのです。
>これは時折見かける考えですね。でもこれって紙幣硬貨が破損したから交換して、というのと同じでは? 信用創造と関係ありますかね?
線で区切っている通りで、信用創造とは無関係ですよ~。
>イメージとしては
>土台 通貨を通貨として流通させる徴税権
>現象 需要と供給のバランスでインフレ、デフレ
>対策 機能的財政論で積極財政や緊縮財政
>でしょうか。
その土台のさらに基礎をなすのが今回提示させていただいた疑問と思いコメントさせていただきました。
その根本が誤っていたら、現象も対策もことごとく間違ってくると危惧しています。
(指摘にあった様に租税と通貨が関係ないとなったら無税国家が可能になる等)
お忙しいでしょうが一度ひとつひとつ吟味し順序立てて考えられてはどうでしょうか?
中野さんの本や望月夜さんのエントリーを読み込んでもよいかもです(富国と強兵を一部パラパラと読み返してみました)。
さきほど引用しましたがヤンさんが矛盾と指摘した点がエントリー内に書かれてますよ。
自分も先ほど提示された4つの視点に分けるといった方向から多面的に考えてみようと思います。
ちと見落としがあるのでしょうか……。ウ~ン、とりあえず、富国と強兵を読み直してみます。
ちといろいろと富国と強兵、L・ランダル・レイやスティーブン・ヘイルの論文もあたってみたのですけど……。(当然、日本語訳されたものです(笑))
MMTでは
1.政府支出>税収(つまり赤字財政)が正常である
2.政府支出は税収に左右されず、支出できる
3.政府支出の制限は過度のインフレのみ
4.税が通貨を駆動する
くらいなもので、「なぜ無税国家にできないか」→「税が通貨を駆動しているから」がMMT的回答です。
んで
>これを素直に解釈したら「納税という義務があるから通貨という債権を持つことができる」となります。
上記は「税が通貨を駆動している」の言い換えかなと。表現を変えれば
「納税義務という負債が(国民に課せられる)あるから、通貨という債権を(国民は)維持できる」
でしょうか? 政府側から見れば
「徴税という権力(債権)があるから、通貨という負債と維持できる」
かと思います。
ただつながらなかったのが、
2.政府支出は税収に左右されず、支出できる
だからです。
つまり
A.政府の信用創造の支出裁量(政府負債=民間資産)=状況によって変わる
B.国民の納税義務(国民に課せられた負債=政府の権力と債権)=通貨の駆動
こう分解できます。
税収に左右されずに需要創出可能という点と、なれた表現ではなかったので、理解に時間がかかりましたorz
>自分は負債は必ず返済を必要とすると考えています。
ということですが、この「返済」は「返済ペースが間に合わなくてもなんでも、少しでも」という意味でしょうか? おそらく異なると思うのですが……解釈がわかりません。
ここから私の見解です。先程書きました以下を見てください
A.政府の信用創造の支出裁量(政府負債=民間資産)=状況によって変わる
B.国民の納税義務(国民に課せられた負債=政府の権力と債権)=通貨の駆動
Bは基本的に軽重に関わらず、限りなく無税国家に近くしても、「税が通貨を駆動する」のですから、無税国家そのものは無理です。通貨が通貨でなくなってしまいます。
税には2種類の働きがあることになります。
1.通貨を駆動するため
2.景気のスタビライザー(調整弁)機能
※2.はこの際、無視して論じます。ご存知でしょうから。
「税が通貨を駆動する」のは税率の軽重は関係ありません。1%でも良いわけです。
そして近代国家は経済成長と引き換えに、負債を増やし続けています。(1900年→現代で日本やアメリカも3000倍以上、インフレ率を抜いたデータで、確か1970年→現在で152倍だったような? うろ覚えですorz)
上述から、税は通貨を駆動するためだけのものであり、政府負債の額も通貨(=負債)も、関係ないと思うのですが。単なる「機能(通貨の駆動)」として私は見ております。
税(機能)は負債を返済するものではなく、したがって通貨、国債に債務性(返済義務)は存在しないと判断してます。
負債=返済義務の有無は問わず、会計学上の数字
と定義する理由です。……あくまでMMTに則ると、ですが(笑)
論文まで当たるとはさすがですね。
>上記は「税が通貨を駆動している」の言い換えかなと。表現を変えれば
>「納税義務という負債が(国民に課せられる)あるから、通貨という債権を(国民は)維持できる」
>でしょうか? 政府側から見れば
>「徴税という権力(債権)があるから、通貨という負債と維持できる」
>かと思います。
また別の言い方をすると税が通貨の価値を担保しているといえるかと。
税は通貨の最終需要という言い方もあるみたいですしね。
そうなるとさらに疑問が。なぜ税が通貨の価値を担保できるのか?
そしてお金で物を買えるのはなぜかへと。
>「税が通貨を駆動する」のは税率の軽重は関係ありません。
とは同感です。しかし税率ではなく税額ではどうでしょう?
数字はヤンさんが詳しいと思うのですが、税額を減らし続けて成長を達成した国はあるのでしょうか?
もしくは統計を取り始めた頃の税額より今の税額が下回っている国はあるのでしょうか?
別の言い方をしますと税額が減り続けている状況で通貨は駆動し続ける事が可能なのか?
1、2年間程度の短期間ならあるかもですが、それが10年、20年以上の長期間においてです。
税額が関係しているのなら税の返済義務にも関わってくると思います。
返済し続けるのは返済の義務がある事になりますから。
そもそもですがなぜ通貨は返済の義務が必ずしもない負債だとお考えになったのですか?
普通の感覚なら負債を負ったなら返済の義務があると考えます。
通貨を発行できる政府が通貨を返すとはどういう事なのか。
銀行に通貨をもっていっても返ってくるのは同じ通貨。
なら実際には返済していない。
となると通貨は負債であるが返済の必要のない特殊な負債となる。
その根拠は法律の有無で判断され負債性は会計上の数字でしかない。
といった流れでしょうか?
ふぉぉぉぉ……論点が整理できてきて、柾木さんのおっしゃりたいことが理解できてきました。非常にためになる、身になる議論で、脳みそがやや爆発しそうです(笑)
※私の脳みその容量は、大きくないのです。
じっくり検討し直して、返信したいと思います。少々お待ちを(現在、脳みそ爆発中)
まず論点の合致点の整理を行ってみます。
1.徴税権力(債権)=納税義務(負債)が通貨を駆動している
2.政府負債は常に増加し続けている
3.税が通貨を駆動する、に税率の軽重は関係ない
4.政府支出は税収に縛られない
合致しない点は以下かと。
A.政府負債に比して、税も”税率”ではなく”税額”でみると増えている=ゆえに関係があるのではないか? それとも関係がないのか?
このAを議論するのに必要そうなポイント
A1.税はほとんど率でかけられており、絶対額は議論に馴染むかどうか?
A2.近代資本主義国家は基本、成長し続ける=インフレし続けるので、税の絶対額で議論できるのかどうか?
多分、上記2点がポイントになりそうです。
上記から、税の絶対額での比較はやや難しそうですが、仮説を立ててみます。
仮説
納税=(通貨という)負債の返済と仮定してみると、1つの解釈としては「税率=利息」という解釈も可能です。
これなら「税の絶対額」の比較ではなく、ロールオーバー(借り換え)的な解釈も可能かもしれません。
以上がひとまず、頭でまとめてみたことです。
>そもそもですがなぜ通貨は返済の義務が必ずしもない負債だとお考えになったのですか?
上記の質問ですが、箇条書きでお答えします。
1.近代資本主義に置いて、政府赤字は正常=政府支出>税収が正常
2.統合政府では自国通貨建てなら、国債は理論上は無限に発行できる(インフレ制約のみ)
3.政府支出増加は常に、信用創造の増加=通貨が創造される
上記、特に2.と3.が理論的にあっているのならば、通貨は負債ではあるが、返済は必ずしも要らないという論理建てです。
租税貨幣論(税が通貨を駆動する)は、通貨という特殊な負債を駆動させるための、力学的な起点が税と私は解釈してます。
税には「インフレ、デフレの調整」と「通貨の駆動(力学的)」という、2つの機能だけという解釈です。
参考にさせていただきたいのですが、「納税=通貨の返済」的な解釈を書いている、望月夜さんの記事ないし、富国と強兵のページを教えて頂けませんでしょうか?
ちょっと目を通しておきたいなと思いまして……。
※税=通貨の消滅(通貨の最終需要は税)、ならいくらでも見たことがあるのですが。
自分も通貨や税やお金について考えて何度も頭が沸騰してます(笑)
利息ですか。その発想はなかったです。
どうにも利息とか利率はイメージがつかみにくいんです。
これは今後の課題にさせて下さい。
税の絶対額の比較が学問的に耐えられるのかと言われたら自信はないのですが、自分なりにこう考えています。
発想を広げて100年後、今より税収をずっと増やすにはどうすればよいのか?
それを突き詰めていったら財政出動(通貨の発行)をいかに増やすかに行き着くかと。
なぜなら現時点での税収の絶対額は決まっているから。
それは現在存在している通貨の量以上はどうやっても増やせないから(現実に全ての通貨を回収するなんて事はまずありえませんが)。
なぜなら税は通貨を回収するのだから(物納とかもありますが簡略化の為省略)。
そして財出(通貨の発行)しやすい状況とは?
例えばインフレ率10%と1%だったら後者の方がし易いでしょう。
インフレ率が低いとは供給能力がより高いという事(現在は底を突き抜けてデフレですがね。行き過ぎはダメです。薬も過ぎたら毒となる)。
これは政府赤字は正常=政府支出>税収が正常、そして経済のそして通貨の根本は物作り(供給能力)という発想と合致します。
おっしゃる通り政府が赤字じゃないといずれ通貨はなくなっていき完全に干上がってしまいますからね。
だから政府は税額を増やす=常に税として通貨(政府の借用書)を回収し続ける義務を負っている=通貨は返済し続ける必要のある負債、につながるのではないかと。
>上記の質問ですが、箇条書きでお答えします。
>1.近代資本主義に置いて、政府赤字は正常=政府支出>税収が正常
>2.統合政府では自国通貨建てなら、国債は理論上は無限に発行できる(インフレ制約のみ)
>3.政府支出増加は常に、信用創造の増加=通貨が創造される
1は上述しました。2は(3も?)「負債は返済するもの」で筋が通ると考えているのですがそれには負債の返済、税の返済は何を意味するのかを書かないとですね。長くなるのはご容赦を。
なぜお金で物を買えるか?に無謀にも挑戦してみます。
お金自身(特に現代のお金)はさほど価値がないのに人々が苦労して作った物・商品を買う事ができるのはなぜか。
まずお金がなぜ価値を持つのかをシンプルに考えるとそのお金で買える物(商品)が存在しているからではないでしょうか。
買える物がなかったらお金は使えないですからね。
経済に大切なのはお金そのものではなく物(を作る力)といえます。
次に例としてお店(飲み屋等)のツケを挙げます。
ツケという硬貨でも紙幣でもないものでサービスを受けることができるのはなぜか?
それは店側がその客を信じたから。しかしいったい何を信じたのか?
それは後日きちんとお金を返してもらえるという事でしょう。
ではお金を返すためには何が必要か。
お金(金銭所得)を得ないといけません → 所得を得る為には物を売らないとならない → 物を売るには物を作らないといけない。
この様に突き詰めて考えると「経済の信用」とは相手が物を作るの(供給能力)を信じる事と言えないでしょうか。
一方客側では返済をするために物を作る義務を負う。逆に言えば物を作る義務を負うからこそツケは価値を持つ。
だからこそツケはお金として使えお店のサービスを買う事ができる。
そして供給能力を発揮してきちんと返済するから次の信用が生まれる。
だから改めて経済に大切なのはお金そのものではなく物(を作る力)といえるのではないかと。
もちろんこれは一例で全てのお金が負債だという根拠としては弱いです。
しかしお金についてさらに考えてみます。
飲み屋のツケはお金になりえると言ってもそれは通貨の様にどこでも使えるお金ではないですね。
それは物作りの義務を負ったのも信用したのも客と店の一対一の関係だから。
それを全員で負ったらどうなるか?
例えば一兆円分の通貨を発行し流通させたとします。
その一兆円分の物作りの義務をその通貨を使う人全員で『応分』に負ったら?
そしてその物作りをきちんと果たすとお互いに信用したら?
それはお互いにどこでも使える最も信用の置けるお金=通貨となりえるのではないでしょうか。
物作りの義務を全員で「応分」に負う、それが税と言えるのではないかと。
税を支払うには所得がないとできません → そのためには物を売らないといけない → 売るためには働いて物を作る必要がある…
という飲み屋のツケと同じ構図が見て取れます。
そして税としての物作りをきちんと果たした証として所得から通貨を返す、それが税収なのではないかと。
そこには単に相手を信じるという個人的な信用でなく、私的な利益を得るだけの物作りとは別の、
そして見ず知らずの他人も一員として経済的に信用するという関係(=お互いに物作りの義務を負いそれを果たそうとする)が見られないでしょうか。
そしてその範囲を示すのが家族や会社や国家といった共同体なのでしょう。
また税とは国民による物作りに裏付けられていると言えるかもしれません。
だから店のツケという個人の物作りや会社という一部の人々の物作りに裏付けられる社債等より
協力な物作りの力(税)に裏付けられている通貨がその共同体で最も強いお金になりえると考えられないでしょうか。
個人的に考えれば税を払う為に働いているわけではないと感じますが少し広い視点で見たら個人の思惑を超えて税には以上の様な働きがあるのかもしれません。
物作り(の義務)に裏付けされた信用。
これがお金の素になりそれを一言でいえば負債と言えるのではないでしょうか。
負債という物作りに裏付けされているからこそそれ自身にはさほど価値がないお金が様々な物を買える価値ある資産として振舞えるのではないかと。
以上です。この論にも不足不十分な点、危惧すべき所がありますが今はこの様に考えています。
>参考にさせていただきたいのですが、「納税=通貨の返済」的な解釈を書いている、望月夜さんの記事ないし、富国と強兵のページを教えて頂けませんでしょうか?
最初に矛盾があると言われた「通貨という債権を持っているのに~(略)」については先の望月夜さんのエントリーにあるのですが、納税と返済については直接書かれているのはないかも? 自分なりの解釈なので。
自分が考え付く程度の事は誰かが既に考えているでしょうから見つけたらお教えします。だから根拠薄弱なので(苦笑)なので自分の解釈が間違っている事だってあります。
ただヒントになったのを挙げるなら、富国と強兵第1章の「貨幣とはなにか」にあるロビンソーとフライデーの例え。
もう一つが西部邁さんの本「保守の真髄」第3章3節にある文です。抜粋すると、
『吉沢英成氏が「人々の共同主観が貨幣発生の基礎」という形で明らかにしたことなのだが、共同幻想としての貨幣と通底するものとしていわば「信頼貨幣説」が正鵠を射ていると考えざるをえない』
でしょうか。捉えどころの難しい内容で今も考えているのですが、貨幣の共同幻想とは具体的に何か?という自分の答えが上述の税による協同の物作りではないかと考えています。
>自分も通貨や税やお金について考えて何度も頭が沸騰してます(笑)
ですよね~(笑)結構複雑で理解しづらいというか、難しいと言うか(笑)
あ、MMTでL・ランダル・レイやモズラーなどのコラム、論文が掲載されている日本語サイトが、すごくおすすめです。(特にモズラーは平易で、理解しやすいです)
https://econ101.jp/
http://econdays.net/
いろいろなコラムがあるので、あいた時間の暇つぶしにもおすすめです。
>経済に大切なのはお金そのものではなく物(を作る力)といえます。
同意するのですが、ちょっと分解してみます。飲み屋のツケの例も含め。
まずは例によって、論点になりそうなポイントを箇条書きで。
1.需要と供給はどちらが先か?
2.通貨を支えるのは需要か、供給か
3.信用貨幣とは何か?
一応、1.はMMT的に論じると需要=政府支出=需要創出のほうが先だそうです。
借りたい人がいないと貸せないように、需要する人がいないと、供給しても意味がないというわけですね。
ところが2.になると、これはおっしゃる通り供給が重要になると思います。
需要>供給が過度になりすぎると、インフレ(通貨価値の低下)が発生するのは、そのためですしね。
3.は書いていただいたとおり、ツケも一種の信用貨幣ですね。信用貨幣の本質はツケのような貸し借りでして、社会全体で見た場合ですと以下のようになると思います。
A.財やサービスを生産する=社会に対する貸し=通貨という債権が得られる
B.財やサービスの消費=社会に対する借り=通貨という債権を消費する
表券主義的にはこのような貸し借りの数字化=トークンと考えるようです。
ちょっと話がそれるのですが、国家からの視点で見た場合に以下のような循環が存在しているように思えます。
1.政府は赤字を拡大しつつ、インフラ・社会福祉などの基盤、土台を整備する
2.上記の基盤の上で、民間は供給能力と需要能力を増やす(経済成長)
3.必然的に正常なインフレが継続し、過去の政府赤字は小さくなる
4.以下、環境学的循環(環境が良くなると、もっと良くしたくなる循環)で無限ループ
上記のような視点で眺めた時に、通貨や負債、税といったものを「いかに、成長に資するように機能的に理解するか」が重要なのかもしれません。