本日からGWらしい(私には関係ない(笑))
さて、本日からGWだそうではないですか。私は今日も今日とて筋トレと仕事でありますけれどもね。そんなの関係ねー!(小島よしお風)です(笑)
ということで、長々と書いても皆さんは遊びに行ってしまいそうなので・・・本日は短めに楽しい話題をということにします。
皆さん、食べてますか?なに?美味しいものを食べに行く予定?羨ましい・・・。
生きることとはなにか?と問われると、私は「食べることだ」と即答します。食べることは生の本質であり、楽しみだと思うのですね。
つまり・・・いきなり本題に入りますが「食べ方」とは「生き方」と同義なのではないか?とすら思います。偏った意見だとは承知しています(笑)
しかし例えば民族性が違うのに、食文化が同一ということは考えられませんでしょう?国柄を表す1つの要素が食文化だとしたら、それを保守することは国柄を保守することと同じはずなんですね。
食文化は伝統であると同時に、漸進的な革新である
お寿司について江戸時代に、どのようなものだったのか?を知る人は多いと思います。今よりもシャリは大きめで、いわゆる屋台で出されるファーストフード的なものだったのだそうです。
江戸っ子は1貫や2貫つまんで、仕事に戻っていくというような感じであったといわれています。
しかし今や、和食の代名詞であり、高級な寿司店に行くと1人前諭吉さんが2~3枚飛んでいくことも珍しくない。やすいお店では1人前、お酒もついて2~3千円ほどでいけますけどね。
これをアメリカの話で例えてみると、ハンバーガーが200年後に高級料理になっている的な話ですよね。ビックリです。(ニューヨークでは高級ハンバーガーがあるそうですね)
和食の料理人にいわせると、料理は時代によって少しずつ変わっているのだそうです。伝統とはそれを守りながら、その上に新たな工夫をこらすことなのだそうで。
「和食という伝統の中に見出されるクライテリオン(基準)」がしっかりと存在する、と表現できそうです。言い方を変えれば「和食が和食であるための基準が、料理人や客に共有されている」と言えそうです。
うん、これって保守思想そのままなんじゃないでしょうかね?
寿司職人はカリフォルニアロールとか握らないでしょ?カリフォルニアロールは寿司で言えばフランス革命的なものであります。それに対して懐疑的な姿勢を貫くというのは、まさにエドマンド・バークの保守思想そのものじゃないですか。
食文化のクライテリオンは食べて共有される
じゃあこの伝統だとか和食であるためのクライテリオン(基準)は、どのように共有されたのか?というと、もちろんながら食べる、作るという経験によって共有されていくわけです。
つまり、和食を食べたこともない、慣れ親しんだこともない人に、和食の何たるかなんてわからないに決まっている、なんていう当たり前の話なんですね。
逆にいえば外国の珍奇なお寿司(日本人からはそう見える)は、そもそも考案した人が日本のお寿司に慣れ親しんだわけじゃないから、と言えるかもしれません。
もしくは自分たちの慣れ親しんだものに当てはめようとして、異なったものになっているという表現も可能でしょう。
つまり彼らなりのクライテリオンで、寿司を再解釈してみたのかもしれない。
何にしても、経験して慣れ親しみ、感覚として伝統の中に発見されるクライテリオンを身につけるのだとすると、経験なき頭でっかちは使えないという話になるでしょう。
会社とかでもやたらと口と理屈は達者だけれども、常識をわきまえない使えない人ってどこにでもいると思うのですよね。
社会科学でいうところの主流派経済学なんかはその最たる例で、彼らの理論を食文化論に還元してみると「栄養さえ取れればいいんだから、サプリを摂取しておけ!」という非常に乱暴なものなわけです。
日本食大好きな私としては、このような暴論を言う輩に、怒りのあまりに思わず拳を上げたくなるわけです(笑)
今日は食文化からも、実は保守思想やらクライテリオンやら伝統やらが発見できるぞっ、と書いてみました。
ぜひともGWには、なにか美味しい日本食でも食べてみたらいかがでしょうか?
もし大阪にこられる方がいらっしゃいましたら、下記のお店が和食で値段も比較的お安めでおすすめです。
梅田 璃泉 本店(サンルート梅田1F ランチ1280円~ 朝食バイキング1400円 日曜日定休)
特に朝食バイキングに私はお世話になっています(笑)筋トレし始めてから、異様にお腹がへる日がありまして・・・そんなときは朝食からここのバイキング!まあ、たま~にですけれどもね。
では皆さん、良いGWを!!
※私は仕事で休みなし・・・(T_T)