日本には根強く自己責任論が蔓延っています。
貧困や生活保護が自己責任論を盾に批判されます。「努力が足りないから貧困になるんだ」「生活保護になる前にやりようがあったはず」などと批判されることが一般的です。
しかし、自己責任論は間違っています。自己責任論こそが思考停止であり、貧困や生活保護は複雑な社会構造の問題です。
今回の記事では、自己責任論の思考停止の構造を明らかにします。
自己責任論とは
自己責任論とは「貧困や病気など、人生に起きる問題はすべてその人の責任だ」とする考え方です。たとえば、貧困に陥ったのはその人の努力不足だと自己責任論では結論されます。
病気になったのも適度な運動していなかった、食生活が悪かった、タバコを吸っていたなど何らかの理由で自己責任と片付けられます。
「自己責任だ」と片付けた後、建設的な解決策や議論は出ません。なぜなら、自己責任であり解決策はその人が出すべきで、自分たちには関係がないという態度を取るからです。
効率的に諸問題をパージできるので、思考停止した人は自己責任論が大好きです。
いつから言われ始めたの?
昭和の時代、自己責任とは大企業や金融機関に使用する言葉でした。個人に対して自己責任が言われ始めたのは2000年代に入ってからです。
2001年に総理となった小泉純一郎は、官から民へをスローガンにしました。官から民へは「政府は関与しない。何かあっても民間の自己責任」と受け取れます。
くわえて、2004年にイラクで3人の若者が人質になりました。このとき政府関係者が「この事態は自己責任だ」と発言し、一気に自己責任という言葉が浸透しました。
自己責任論がポピュラーになったのは2000年代初頭から前半です。
自己責任論の構造
自己責任論の構造は放置とパージです。
自己責任論者は縛られることを嫌います。無自覚に保護されながら、保護などないかのように振る舞います。
自己責任論者は基本的に勝ち組です。自分たちが勝ち組なのは、自分たちの努力のおかげだと自負しています。
したがって、勝ち組になれないのは努力不足だと切り捨てます。
自己責任論者によれば努力で勝ち組になれます。政府の規制や保護は、努力を邪魔したり努力の結果を歪めたりするものでしかありません。
自己責任論者は自由放任を望みます。
だから、自己責任論者と新自由主義の相性は抜群です。
しかし、実際の諸問題は努力不足だけで解決できるほど単純ではありません。自己責任論者は単純ではないことを知って放置しているか、複雑と気づけないほど思考停止しているかのどちらかです。
前者の場合、自分たちに関係ないので放置しています。つまり、非常に効率主義的です。後者の場合、どのような事態も努力と理性で解決できると信じ込んでいることになり、合理主義的です。
こうして、自己責任論者は諸問題を「努力不足、自己責任だ」として放置、ないしパージします。
自己責任論の実例は?
いくつか自己責任論が噴出した実例を挙げます。
生活保護への批判
2012年に芸能人の親族が生活保護を受けており、不正受給ではないかと疑われました。実際には正規の手続きで生活保護の支給が決定されており、何の問題もありませんでした。
当時、テレビやマスコミは大いに取り上げました。ひどい生活保護バッシングが起こりました。
その生活保護バッシングの1つとして「貧困は自己責任」という批判も展開されました。
「貧困は自己責任なのだから、生活保護を受けるなんてけしからん!」というわけです。
安田純平のシリア拘束
2004年に3人の若者がイラクで拘束されたとき、政府関係者が「自己責任だ」と発言しました。2015年に安田純平がシリアに拘束されたとき、多くの人が「自己責任だ」と批判しました。
安田純平は2015年にシリアに拘束され、2018年に解放されます。さまざまな報道が飛び交いましたが、SNSなどでは安田純平に対し「拘束されたのは自己責任」との声も多く聞かれました。
「拘束されたのが自己責任」だとすると、その結論はどうなるか?
「助かるかどうかも自己責任。政府は動く必要なし」という恐ろしい結論になります。
特にネトウヨや一部の保守界隈が自己責任論を声高に叫びました。
社会保障削減
2014年の安倍政権では社会保障削減を掲げました。骨太の方針と改訂成長戦略に社会保障削減を盛り込み医療、介護、生活保護などの削減を決定したのです。
これらの社会保障削減はある意味、官から民へと言えます。セーフティーネットや健康も自己責任というわけです。政府は公助を削り自助を拡大しました。
財政規律の立場からこの自己責任論に賛成するものと、リベラルや積極財政の立場から反対するものが真っ二つに分かれました。
貧困は自己責任論で片付くか
自己責任論のターゲットにもっともされやすいのが貧困です。自己責任論者の言い分は「貧困になる前にやりようがあったはず」「貧困になるのは努力不足」などです。
内閣府によれば日本の相対的貧困率は上昇し続けています。大きく上昇したのは1990年代後半からです。
現在、相対的貧困率は約16%で6人に1人、2000万人が貧困状態です。
日本人に努力不足の人が増えたのでしょうか? もちろん、そんなわけはありません。
新自由主義的な構造改革や規制緩和、官から民へなどで市場競争が激しくなり、非正規雇用の拡大などが起きた結果です。
ことは社会の構造問題であり、個人の努力不足などの範囲を大きく超えています。
国民の平均所得が大きく下がった結果、共働きと非正規雇用が増えました。労働市場は競争が激化し、限られた正社員の椅子の争奪戦となりました。
統計的なデータを見れば、貧困は個人の努力不足や自己責任論で片付けられる問題ではありません。
なぜ貧困層まで自己責任論を受け入れるのか?
自己責任論は日本に広く蔓延しています。勝ち組だけでなく低所得層、貧困層でも自己責任論が受け入れられている感があります。
なぜ貧困層まで自己責任論を受け入れるのでしょうか。
貧困層が自己責任論を受け入れる背景は、DVが日常化した家庭と同様の理由です。
貧しいという現実の中で、自分は十分に努力したと胸を張れる人はなかなかいません。「やっぱり努力が足りなかったのではないか」と思ってしまうことが普通です。
努力が足りなかったと思えば、貧しい現実も受け入れられます。
これは「自分が悪かったから暴力を振るわれる」と受け入れているDV家庭に似ています。貧困という暴力を「自分が悪かったんだ」と受け入れてしまうのです。
自己責任論は、理不尽で無慈悲な貧困という暴力を肯定しているのです。
自己責任論者は思考停止しているだけ
自己責任論は面倒がありません。何か問題が起きてもすべて「努力不足! 自己責任!」と片付けて思考からパージできます。
自己責任論者は問題を深く考えずにすみます。社会構造など、ややこしいことを考える必要もありません。
ひたすら小さな理の中で合理的・効率的に思考できるのが自己責任論者の特徴です。これはある種の思考停止です。
思考停止は楽です。多くの人は多かれ少なかれ思考停止しています。だからこそ、自己責任論は多くの人と相性が悪くありません。
自己責任論が批判されつつも蔓延る原因は、こういった部分にもあります。
自己責任論から抜け出るにはまず、思考を働かせることから始めましょう。
まとめ
自己責任論は社会問題をおよそ「努力不足! 自己責任!」と放置し、パージします。ある意味、精神論で諸問題を切り捨てることと一緒です。
自己責任論によれば、必勝の信念さえあれば貧困に陥らないのですから!
閑話休題。
自己責任論が広がった背景には、日本に蔓延る閉塞感も関係しているかもしれません。建設的な解決策が見いだせないとき、人は現実逃避します。
自己責任論とは現実逃避の一種でもあります。
現実を直視し、思考することから始めなければなりません。