最近、非正規雇用や生活保護などの格差問題・貧困問題を追いかけています。その中でひときわ異彩を放つ単語が「貧困ビジネス」です。
イメージでは貧困ビジネス=悪だと感じる人も多いでしょう。貧困ビジネスのあくどさを追求する報道や記事もあります。それらを否定はしません。
しかし、貧困ビジネスが蔓延するのは政府の責任が非常に大きいのも忘れてはいけません。
貧困ビジネスの構造を解説します。誰がどう悪いのか? どうしたらいいのか? 一緒に考えましょう。
貧困ビジネスの定義
貧困ビジネスという単語は湯浅誠が提唱しました。定義は「貧困層をターゲットにしていて、かつ貧困からの脱却に資することなく、貧困を固定化するビジネス」です。
- 貧困層をターゲットにしている
- 貧困脱却に役に立たない
- むしろ貧困を固定化する
貧困ビジネスの具体例は「ネットカフェ」「住み込み派遣社員や請負社員」「ゼロゼロ物件」「無料低額宿泊所」「消費者金融やヤミ金」などです。
よく取り上げられるのが無料低額宿泊所やネットカフェです。
貧困ビジネスの概念は「ビジネスモデルそれ自体に問題があること」を示すために提唱されました。ビジネスモデルが違法行為の場合の他に、貧困層に非人間的なあり方を強いる場合も問題とされます。
貧困を取り扱う企業として、社会的企業があります。社会的企業とは社会問題に取り組む企業のことです。貧困ビジネスと社会的企業の差異は「貧困の脱却に役立つかどうか」です。
貧困を固定化するのが貧困ビジネス、貧困の脱却に役立つのが社会的企業です。
貧困ビジネスの例
貧困ビジネスの例では「派遣・業務請負」「無料低額宿泊所」「ネットカフェ」などが特に話題に上ります。
請負社員は派遣社員やパート、正社員などより手取りや賃金が低くなることが多く、貧困化の温床になると指摘されています。また、日雇い派遣なども社会保障が全く考慮されない雇用形態であり、貧困化して仕方なく利用することが多いため貧困ビジネスだとされています。
湯浅誠によると貧困ビジネスは、住居と絡むことが多いのだそうです。無料低額宿泊所やネットカフェ、寮付きの派遣社員なども貧困ビジネスになりがちです。
住居を人質に取ることで、強制力や支配力を強く働かせることができます。
悪質な無料低額宿泊所では生活保護費から月に1~2万円を渡され、それ以外は住居費や食費だとして徴収されるケースも見られます。
ネットカフェでは長期滞在をコースとして諸々の費用が7万円に上ることも。
生活困窮者には選択肢が少ないです。貧困ビジネスとは「貧困層をターゲットにして貧困脱却の役に立たず、さらに、生活困窮者が利用せざるを得ないケースも多い」と考えらます。
貧困ビジネスの利用は自己責任?
貧困ビジネスは強制ではありません。貧困ビジネス側からの反論は2種類あります。「イヤだったら利用しなければいい」「イヤだったら利用をやめればいい」です。
強制して利用させてもいないし、頼んで利用してもらっているわけでもない。貧困ビジネス側の反論はこの1点に集約されます。
では、貧困ビジネスを利用する生活困窮者の自己責任なのでしょうか? 生活困窮者にはとにかく選択肢がありません。行政から紹介されれば無料低額宿泊所に行かざるを得ませんし、余裕がないので日雇い派遣をせざるを得ません。
月払いの仕事の給与を待つ時間すらないのです。
こういったところにつけ込むのが貧困ビジネスの特徴です。
貧困ビジネスの利用を自己責任と突き放すことは、貧困そのものを自己責任と突き放すのと変わりがありません。
貧困ビジネスと社会的企業の見分けは難しい
一方、貧困ビジネスと社会的企業の法的な区別は難しいと湯浅誠は言います。会社の現場にさえ行けばすぐに見分けられるそうです。社会的企業の場合、働いている人たちの表情が生き生きしているのだそうです。
けれども、法的に社会的企業と貧困ビジネスを区別するのは困難です。なぜなら、やっていることはそんなに2つとも変わらないからです。
実体的には貧困ビジネスだったとしても、体裁上は社会的企業として振る舞うことも可能です。そこに法的な境界線を引くことは非常に難しいのです。
日雇い派遣を例に取ればわかりやすいでしょう。「その日暮らしで困窮している人を派遣してピンハネしている」のか、「困窮している人に仕事を与えている」のかは区別は困難です。
貧困ビジネスは必要悪か絶対悪か
必要悪とは「基本マイナスだけど、なかったらもっとマイナスになる悪」です。貧困ビジネスが一切なかったとしたら、よりマイナスになることは想像に難くないでしょう。
貧困ビジネスを必要悪と言いたいわけではありません。
貧困ビジネス以上に責任を負うべき対象があると言いたいのです。
湯浅誠によれば「貧困ビジネスは、規制緩和を進める政府と明確な共犯関係にある」のだそうです。労働者派遣法の改正なども規制緩和の1つです。
政府が規制緩和した分だけ、貧困ビジネスが蔓延ります。
貧困ビジネスと政府の関係を構造化するとこうです。
政府は1990年代から規制緩和・構造改革を推し進めました。自由競争を推進したために勝ち組・負け組ができました。この問題が表面化し始めたのは2000年代半ばからです。
自由競争とは「儲ければ勝ち組」という思想です。推し進められた自由競争の中では「生活困窮者をターゲットにしてビジネスをすること」も儲けられるという1点において正当化されます。
くわえて、消極財政も事態をさらに悪化させました。社会保障費の削減やデフレの深刻化などで国民の貧困化が進んだからです。
なるほど、湯浅誠の言うとおり共犯関係です。
上記の構図が正しいのなら主導したのは政府です。規制緩和・構造改革や自由競争の推進と消極財政や社会保障の削減などが貧困ビジネスの遠因です。
とすれば、貧困ビジネスとは政策の結果出てきた現象に過ぎません。根本の政策を変えない限り貧困ビジネスは存在し続けます。
貧困ビジネスとは必要悪ではなく、政府によってもたらされた「必然悪」でした。
まとめ
貧困ビジネスの定義は湯浅誠が提唱しました。生活困窮者を搾取対象としている仕組みに警鐘を鳴らすためです。
貧困ビジネスの裾野はどんどん広がってきています。格差の拡大や貧困化と同様の速度で進行しています。多くの生活困窮者が貧困ビジネスの餌食となって苦しんでいます。
一方、貧困ビジネスそれ自体を批判すれば貧困ビジネスはなくなるのか? 構造上、どうもそうではなさそうです。湯浅誠が指摘するとおり、政府と貧困ビジネスは共犯関係にあるからです。
政府の政策を転換しない限り、貧困ビジネスも消えることはないでしょう。