佐藤建志氏が翻訳した「新訳フランス革命の省察」を再読しました。再読したついでに自分なりのポイントを要約し、読者の皆さんと共有できればと思います。
フランス革命の省察は保守思想の父と呼ばれるエドマンド・バークが、フランス革命を批判した手紙をまとめて出版したものです。
フランス革命の省察をわかりやすく翻訳し、また余計だと思われる部分を省いたものが「新訳フランス革命の省察」です。
目次は以下のようになっています。
- プロローグ『フランス革命の省察』から学ぶもの
- 第一章 フランス 革命と名誉革命の違い
- 第二章 過去を全否定してはいけない
- 第三章 人間はどこまで平等か
- 第四章 革命派の暴挙を批判する
- 第五章 教会は大事にすべきだ
- 第六章 フランスに革命は不要だった
- 第七章 貴族と聖職者を擁護する
- 第八章 改革はゆっくりやるほうが良い
- 第九章 メチャクチャな新体制
- 第十章 社会秩序が根底から崩れる
- 第十一章 武力支配と財政破綻
- 終章 フランス革命が残した教訓
フランス革命の省察の全体像
原著である「フランス革命の省察」は革命の初期段階、国王ルイ16世がギロチンにかけられる2年前、革命が終結する9年前の1790年に出版されました。
内容に事実誤認の部分があるものの、フランス革命がどのような顛末を迎えるのかを正確に見通していたと評価されています。
フランス革命の混乱を見たエドマンド・バークは以下のように書きます。
これを収拾する方法は一つ。兵士の尊敬を勝ちうる人望と、指揮官としての立派な手腕を併せ持つ将軍が出現し、軍の主導権を掌握することだ。そうなれば軍は、当の将軍に対する個人的な忠誠心でまとまる。現状を踏まえるなら、軍の反乱を抑え込む手は他にない。ただしこの場合、軍を掌握した人物こそが、フランスの真の支配者となる。王の上に立ち(だからどうしたと言われそうだが)、議会の上にも立ち、共和国善太に君臨するのである。
第十一章 武力支配と財政破綻より
驚くべきことにバークは、ナポレオンの出現を予言していました。バーグが没したのは1797年ですからナポレオンの出現どころか、革命の終結すら見ていないにもかかわらず!
このような慧眼は、急進主義の根本的な欠陥をバークが見抜いていたためです。
バークはイギリスの名誉革命とフランス革命を対比させ、フランス革命に潜むあらゆる「不真面目さ」を見抜き、手紙で批判しました。それが「フランス革命の省察」です。
急進主義=革命や抜本的改革の危うさ
物事をこれまでとは正反対にするというのも、安直さにかけては、すべてをぶち壊すのといい勝負である。前例のないことを試すのは、じつは気楽なのだ。うまくいっているかどうかを計る基準がないのだから、問題点を指摘されたところで『これはこういうものなんだ』と開き直ればすむではないか。熱い思いだの、眉唾ものの希望だのを並べ立てて、『とにかく一度やらせてみよう』という雰囲気さえつくることができたら、あとは事実上、誰にも邪魔されることなく、やりたい放題やれることになる
第十章 社会秩序が根底から崩れるより
祖国が白紙状態にあるかのごとく見なし、何でも好きに書き込んで良いなどと構えるのは、想像を絶する傲慢のきわみだ。
第七章 貴族と聖職者を擁護する
バークはこう言って急進主義を批判します。
どうしてこうも安直に、物事を破壊したり変更しようとしたりできるのか? バークは「破壊にうつつを抜かしているのは、困難に直面できないせいで現実逃避をしているのだ」と喝破します。
じっくりと腰を据えて事態の改善を図るのではなく、理想主義的な目標を掲げて猪突していく様子はバークにとって無謀に見えたことでしょう。
日本でも例には枚挙にいとまがありません。例えば小泉郵政改革や大阪都構想、国家戦略特別区域、入管法改正、水道事業民営化etc……。
急進主義や日本に蔓延る改革主義、抜本的改革などの危うさをバークは見抜いていたのです。
バーグが伝統を重視する理由
文明社会は慣習を踏まえて成り立つとすれば、慣習こそがもっとも基本的な法となる。立法、司法、行政のあらゆる権力はここから生まれる。いかなる権力も、慣習を離れては存在しえない。また社会的慣習にしたがって生きている者が、当の慣習のもとでは想定されてもいない権利や、慣習自体を乱すような権利を主張することもできない。
(中略)
だとすれば、長年にわたって機能してきた社会システムを廃止するとか、うまくいく保証のない新しいシステムを導入・構築するとかいう場合は、「石橋を叩いて渡らない」を信条としなければならない。
第三章 人間はどこまで平等かより
保守思想の父と言われるバークは伝統を重視しました。
その理由は、文明社会の土台が慣習にこそあると考えたからです。
慣習の中には必ずしも合理的でないものも含まれます。
合理的でないと判断して新しく改善するにしても「石橋を叩いて渡らない」くらいの慎重さが必要だとバークは説きます。
伝統的な慣習は、それ自体が自然な英知だとバークは考えていたのでしょう。自然な英知と比較したときに、人間の理性的かつ合理的な判断というものはひどくいびつで、不自然なことがあります。
「不自然だ」と認識できるのも、伝統を重視する結果と言えます。
進歩主義の危うさと欠陥
固定観念であるにもかかわらず大事にするのではない、固定観念だからこそ大事にするのだ。そして固定観念の中でも、長らく存続してきたものや、多くの人々に浸透しているものは、わけても尊重されるべきだと考える。
第五章 教会は大事にすべきだより
進歩や改革とは固定概念を覆すことだと多くの人が信じています。固定概念は悪しきものであり、覆すことでイノベーションが起きると考えています。
しかしバークに言わせれば間違いです。
固定概念は大事にされるべきです。なぜなら自然発生して長らく存続し、多くの人々に浸透している「慣習」こそ固定概念の正体に他ならないからです。
固定概念や慣習は英知です。「人間が長らく積み重ねて全体最適化されている」と考えればわかりやすいでしょう。
全体最適化された固定概念や慣習を無視し、熟慮せず、ただ破壊する進歩主義や急進主義、改革主義の不真面目さが理解できる一節です。
民主主義とはどんなものか
完璧な民主主義こそ、もっとも恥知らずな政治形態なのだ。そして恥知らずということは、とんでもないことを平然としでかすことを意味する。
第五章 教会は大事にすべきだより
だからこそ「民意はつねに正しい」という発想を許容してはならないのである。
筆者は安倍政権を評するときによく「日本の民主主義は完璧に機能している」と言いました。そしてバークに言わせれば「完璧な民主主義こそ恥知らずな政治形態」です。
まさしく我が意を得たり。
閑話休題。
日本人には民主主義を絶対善だと信じる人が多いでしょう。多くの人が賛成したから正しいはずだ! と考えるのは単なる思考停止です。
なぜならヒトラーとて最初は民意で選ばれた独裁者です。ヒトラーが正しかったのかどうかを考えれば、民意が間違えることもあるのは明白。
よく安倍政権を批判して「民主主義を取り戻せ!」と主張する人を見ました。むしろあれは逆です。完璧な民主主義だから恥知らずな政治が蔓延った、と見るべきです。
政治家に必要な態度
物事をなるべく変えないまま、そのあり方を改善する。これができるかどうかこそ、政治家のよしあしをめぐる評価の基準と言えよう。現状をひたすら維持するのも、抜本的改革へと猪突猛進するのも、低俗な発想にすぎず、ロクな結果をもたらさないのである。
第七章 貴族と聖職者を擁護するより
エドマンド・バークは現状維持を最善としたわけではありません。漸進的な改善や改革こそが必要であり、そのやり方は「石橋を叩いて渡らない」信念が必要だと説きました。
「国体が修正されたことはあった。しかし『新たに付け加えられた箇所』だけが我々を幸福にしているのではなく、『変更の必要なし』とされた部分こそ重要」というようなことも言っています。
人間は往々にして変更箇所のみに着目し、変更されていない箇所を見過ごします。改革にばかり目が行き、残された箇所には目もくれないのです。
しかし熟慮が必要な政治家がそれでは困ります。
現在の日本にそのような政治家がいるのかどうか? 非常に疑問が残るところです。
まとめ
新訳フランス革命の省察は言い回しが現代風であり、これ以上ないくらい読みやすいです。読書慣れしている人なら3時間もあれば読めるでしょう。
エドマンド・バークは我々現代日本人に、とても大切なことを教訓として残しています。20年以上にも及ぶ改革主義の蔓延を戒め、現実から逃避せずに見つめ直すべきだと語りかけます。
読みやすい上に内容がずっしりしているのが「新訳フランス革命の省察」と言えましょう。保守思想や保守主義を語るのにバークを読んでいないなど、半可通以外の何者でもありません。
さまざまな気づきを与えてくれる「新訳フランス革命の省察」は、現在KindleUnlimitedで無料で読めます! ビックリです。
今のうちにぜひどうぞ。