格差社会は問題だと論じられます。「問題があることは前提条件であり、絶対に問題がある」と固く信じることは、一種の思考停止ではないでしょうか。
一度、格差社会の何が問題なのか? もしかしたら問題ないケースもあるのではないか? と反対方向から考えてみることも必要です。
いくつかの視点から考えてみた結果「格差社会に問題ないとは言えない」と結論したので、その過程を解説します。
格差と貧困の違い
格差と貧困は同じものとしてしばしば語られます。しかしそれぞれ、性質や内容が異なります。例えば「貧困のない格差社会」だって論理的には存在します。
まず格差と貧困の違いについて確認しておきましょう。
中流層と富裕層の格差は問題か
格差で主に問題にされるのは貧困です。低所得で日々の生活に困ったり、子供が十分な教育を受けられなかったりすることが問題になります。
一方で中流層と富裕層の格差は存在しますが、問題にされることはあまりありません。とすると格差そのものではなく、貧困こそが問題だと考えることもできます。
格差社会が問題ではない?
もしも貧困のない格差社会が存在したら、格差社会は問題とされるでしょうか。
「そのような状況では格差社会は問題ではないし、問題視されない」と考えるなら、現在の格差社会問題は貧困が本質だと解釈できます。
格差社会と自己責任論
格差社会を問題視したときに必ず「自己責任だから問題ない、仕方ない」とする反論があります。この手の反論が非常に感情的であり、論理的ではありません。
なぜなら自己「責任」と責任に問うている時点でまず、問題や課題の発生を認めているからです。
責任を取るときは大抵、問題が起きたときです。責任を感じるのは放り出すと問題になるからです。放り出して問題にならないなら、責任を感じる必要もありません。
問題と責任はセットなのです。
したがって「格差社会でも這い上がれないのは自己責任。格差社会自体に問題はない」という論陣は、問題はあるが問題はないと言い張っているようなもの。
そんな無理な理屈よりもフランクファートの議論を参照するべきでしょう。
ハリー・フランクファート「不平等論」
ハリー・フランクファートの不平等論は、日本で2016年に翻訳されリリースされました。フランクファーとはアメリカの哲学者で、プリンストン大学の名誉教授です。
原著は2015年に発売されたとのこと。
格差に関連する内容を抜き出して簡単に紹介します。
経済的平等は道徳的には重要ではない
フランクファートは「経済的平等は道徳的に重要ではない」とします。先ほどまで議論してきたとおり、格差社会の中に内包されている貧困こそが問題であり、格差社会そのものが問題とは考えません。
格差とは換言すれば不平等です。不平等とはそれ自体、悪なのでしょうか? 格差とは主に経済的不平等を指しますが、十分に生活していけるだけのお金があれば不平等でも良いのではないか? とフランクファートは問いかけます。
貧困はどの程度救済すれば「十分」か
フランクファートの言う十分な生活費とは、どの程度の金額でしょうか。例えば日本国憲法では「健康で文化的な最低限度の生活」を国民は過ごす権利があるとされます。
その権利を保障する政策として生活保護があり、申請すれば月々12万円前後が給付されます。
では12万円前後が「十分な生活費」でしょうか。12万円では家庭も持てませんし、子供を塾に通わせることもできません。
救済するべき貧困とはどの程度か? どこに線引きがあるのか? という議論がフランクファートには欠けているように思えます。
格差社会に問題ないとは言えない問題
フランクファートの議論はなるほど、と思わされる部分もあります。しかしあくまで彼は道徳的に論じているだけであり、他の視点からは格差社会に問題がないとは言えません。
民主主義は国民の連帯が前提
民主主義社会は国民の連帯意識が前提条件として必要です。国民意識やナショナリズムと表現しても良いでしょう。
国民自身が当事者である必要があり、加えて少数を尊重する意識は連帯意識からしか生まれません。
では過度の格差が開いた社会で連帯意識は育つでしょうか。もし貧困がない格差社会だったとしても、見ている景色が違いすぎて連帯意識は育たないでしょう。
民主主義を貴重なものだと考えるなら、過度な格差は大問題です。
教育の平等は保障されるべきかどうか
教育の問題はどうでしょうか。子供に産まれる家庭は選べませんから、道徳的にはどんな子供にも平等に教育機会を与えるべきです。
しかし格差が広がれば教育の質にも格差が付きます。塾に通える子供と通えない子供が出てくるように、勉強内容そのものに不平等が生じます。
高額医療と命の格差
たとえ貧困層のいない格差社会が存在したとしても、人の命に格差があるのは問題視されるでしょう。
金持ちは高額で高度な医療を受けることができ、それ以外の人たちは一般的な医療しか受けられないなら問題です。誰だって死にたくはありません。
同じ病気の金持ちが医療を受けるのを横目で見ながら、自分の死を待つだけ。そんな状況で「格差社会に問題ない」と言える人はいないでしょう。
まとめ
- 格差と貧困のどちらをより問題視するのか
- 格差社会に問題ない、自己責任だ! という議論は成り立たない
- ハリー・フランクファートの議論は一聴の価値があるかも
- それでもやはり格差社会は問題ないとは言えない
世間の議論では「格差社会=問題」が前提条件です。しかし前提条件を一度、疑ってかかることも公正な態度と言えます。
格差社会は問題ないと言えるのか? 筆者は問い直した結果「問題ないとは言えない」と考えます。皆様はどのように考えますか? 考えることそのものが大切ですよ。