ヘミングウェイと言えば老人と海。ヘミングウェイの代表作「老人と海」はピューリッツァー賞を受賞し、ノーベル文学賞の受賞に寄与しました。
大作家ヘミングウェイだからこそ、老人と海は難解に解釈されがちです。代表的な例は、老人がキリストのようだという解釈です。
しかし、ヘミングウェイ自身はシンボリズムに肯定的ではありませんでした。
老人と海は「魚は魚、老人は老人」として読んで大変面白い小説。深い海の上、小さな船で巨大カジキと格闘する勇敢な老人の物語です。
アーネスト・ヘミングウェイとは
アーネスト・ヘミングウェイは1899年生まれで、1961年に自殺してなくなっています。アメリカの代表的な小説家であり詩人です。
独特でシンプルな文体はヘミングウェイ独自のものです。日本語訳された老人と海でも、その独特な文体を味わうことができます。
ヘミングウェイは1954年にノーベル文学賞を受賞。アメリカ文学の古典として捉えられています。
1939年にキューバに移り住み、ピラール号と名付けられた船でカジキやマグロ釣りをしていました。老人と海も、このことから着想を得たと思われます。
その後、2度の航空事故に遭い奇跡的に生還します。しかし、事故前の頑健さは取り戻せず、後遺症による躁鬱に悩まされ、執筆も滞り、最後は散弾銃で自殺を遂げます。
基礎情報
老人と海の基礎情報について簡単に解説します。
今回、読了した老人と海は小川高義訳(2014年9月)です。他にも福田恆存訳(1953年)、野崎孝訳(1977年)が有名です。
文体が現代とマッチしているので、新しい訳本の方が読みやすいはずです。ページ数も多くなく、筆者は2時間ほどで読了しました。
老人と海は他にも訳本が出ており、訳本によって解釈が変わります。いくつか読んでみるのもおすすめです。
老人と海は1951年に執筆され、1952年に出版されました。世界的なベストセラーとなり、1953年にピューリッツァー賞を受賞しました。老人と海が寄与し、1954年にノーベル文学賞を受賞したとされています。
あらすじ
老人と海の登場人物は、老人のサンチャゴ、老人の教え子であるマノーリンの2人だけです。
最初に簡潔にまとめましょう。
「老人は不漁続きだったが、ある日、巨大カジキを引っかける。三日三晩の死闘の末に仕留め、船にくくりつけて帰ろうとするとサメに襲われる。カジキは食い尽くされて、老人は港に帰る」
これが非常に大まかなあらすじです。
以下、やや詳しく見ていきましょう。
老人は84日間も不漁に悩まされています。
そんな老人を世話してくれるのが教え子のマノーリンです。マノーリンは親に「他の船に乗れ」と言われ、老人の船には乗れません。
今日もマノーリンに見送られ、老人は海に出ます。
ある日、漁に出ると巨大なカジキが食いつきます。船ごと沖に引っ張られながら、老人とカジキは3日間に及ぶ死闘を繰り広げます。
引かれたロープで手を切ったり、途中で左手がつったり、さまざまなトラブル老人を襲います。そんなトラブルのたびに「あの子がいてくれたらなあ」と、老人はマノーリンを思い出します。
巨大カジキとの死闘中、老人はアフリカにいた頃のライオンの群れを夢に見ます。また、酒場で力自慢と演じた腕相撲勝負を思い出します。
老人はカジキにも話しかけます。「たいしたヤツだ」と尊敬の念すら持ちます。
そんなカジキとの死闘もようやく終わりを迎えます。
老人の船は小さいため、カジキを船の横に縛り付けます。カジキが大きすぎるからです。カジキを縛って港に帰る途中、老人の船は何度もサメに襲撃されます。
結末はわかりきっています。
それでも「だが、人間、負けるようにはできてねえ。ぶちのめされたって負けることはねえ」と、銛や棍棒で老人は応戦します。
戦うだけ戦ってみたものの、やはり結末は変わらず。巨大なカジキは頭部と骨だけを残して食べられてしまいます。
港に帰る頃、「負けてしまえば気楽なものだ。こんなに気楽だとは思わなかった。さて、何に負けたのか」と、老人はなぜかさっぱりしています。
老人はマストを担いで坂を上り、小屋に帰るとベッドに古新聞を敷いて寝ます。
小屋の老人の様子を見て、マノーリンは人目をはばからず泣きます。その頃、老人はアフリカの草原を駆ける、ライオンの群れの夢を見ていました。
感想
深く広い海の上、小舟に乗って巨大カジキと死闘をする。たったこれだけのシチュエーションが読者の心をかき立てます。
どこまでも続く海、いきいきとした力強いカジキ。ヘミングウェイの大自然の描写は、その光景が目に浮かぶようです。
老人はときどきカジキや右手、カモメなど何にでも話しかけます。
孤独だから――というのが一般的な解釈ですが、その裏には自由もあるんじゃないでしょうか。
果てしない孤独と自由が海の上にはあります。ぽつんと小さな船でそこにいることを想像すると空恐ろしくなります。そんな場所で老人はカジキやサメと死闘を繰り広げます。
老人と海は、大自然と戦う、ある種の掟を持ったヒーローの物語です。掟や哲学に従うヒーローをコード(掟)ヒーローと呼ぶのだそうです。
老人が変な老人であることに、筆者は共感を覚えます。年々、年齢を重ねて変われなくなってきた自分と老人が重なります。
もっとも、老人のような勇敢さは持ち合わせていません。
だからこそ、老人に憧れ、共感するのかもしれません。
老人はサメに負け、カジキを食い尽くされてしまいます。また同じ状況になれば「いま一度、その証明をしようとしている。毎回が新しい回なのだ」と、きっと同じことをするでしょう。
港に帰った老人に悲壮感は見られません。どちらかと言えば、カジキと死闘を繰り広げていたときより明るい雰囲気すらあります。
「負けてしまえば気楽なものだ。こんなに気楽だとは思わなかった。さて、何に負けたのか」
負けて帰っても帰る港があり、マノーリンという生徒もいます。
負けてもすべてを失うわけではない。そんなことが伝わる気がします。
老人はベッドの古新聞を敷いて、ライオンの夢を見ます。「今度こそは」なのか「気が済んだ」のか――。それは老人にしかわかりません。
解説
大作家ヘミングウェイだからこそ、老人と海は難解に解釈されがちです。一説には老人はキリストなんだとか。
終盤のマストを担いで坂道を帰るシーンや、途中の「『えい』という声が出た。ただの音であって言葉に置き換えることはできない。たとえば両手に釘を打たれて磔にされる瞬間に、思わず発するかもしれない声だ」などの描写がその根拠です。
しかし、ヘミングウェイが美術史家バーナード・ベレソンに宛てた手紙で「老人は老人、子供は子供で魚は魚。サメもまたサメという以上でも以下でもありません。世に言うシンボリズムなどくだらないだけです」と書いています。
老人と海をシンボリックに解釈するより、ありのまま読むことをおすすめします。
江戸時代の朱子学は難解な学問でした。しかし、会沢正志斎や伊藤仁斎によれば孔子は実学的な教えをしています。朱子学を素直に読めば難解なことは書いていない、と言いました。
老人と海も同じではないでしょうか。
老人と海は「魚は魚」として読んでも、十分に面白く高揚させられる小説です。
なお、登場人物である老人のサンチャゴもマノーリンも年齢不詳です。老人は老人としか書かれていませんが、マノーリンに関しては10歳と22歳という説があるようです。
何でもマノーリンと老人の交わした、野球の話から特定しようとしているのだとか。
筆者はマノーリンを「10代前半くらい。12~13歳」と感じました。老人と海は映画も出ていますが、映画ではどのように設定されたのかがとても気になるところです。
今回読んだ老人と海の訳本は以下。2014年に出版され、とても読みやすい文体で訳されています。解説や訳者の後書きがあり、老人と海を全体的に俯瞰しやすくもあります。
KindleUnlimitedなら無料で読めますよ。
福田恆存が訳した老人と海は青空文庫で読めるのだとか。
以下は映画の老人と海。後日、視聴したいと思います。
まとめ
大作家ヘミングウェイと聞くと、難しい小説なのではないか? と身をすくめてしまします。けれども、まったくそんなことはありません。ヘミングウェイの小説は多くの人に愛され、読まれ続けてきた名作です。読みやすさや親しみやすさも名作の1つの条件です。
老人と海は表現が端的で、迂遠な説明が1つもありません。それだけにどのように解釈し、感じるかは読者次第です。「勇気ある老人」「負けない老人」と感じるのもその1つ。
筆者は「孤独を知る老人」と感じました。
老人と海は歴史に残る名著です。ぜひ、読んでみてくださいね。