民主主義にはさまざまな問題があります。
よく民主主義を万能だと勘違いしている主張に出会います。「○○から民主主義を取り戻せ!」という言説です。まるで取り戻したら悪政が善政に変わるがごとく吹聴されます。
悪政は民主主義ではないから。善政は民主主義のおかげ。
本当に?
民主主義は結果の正しさを保証しません。悪政も民主主義の結果にしか過ぎないことが多いのです。
民主主義に存在するさまざまな問題点を、簡単にわかりやすく解説します。
なお本来は民主主義ではなく「民主制」と言うべきですが、日本では民主主義と呼ばれるのでそのまま使用します。
民主主義の問題点の数々
民主主義に存在する数々の問題点を、簡単にまとめます。問題点を知ることで初めて、解決策を考えられます。
①民意が正しいとは限らない
民主主義では民意が政治に反映されます。しかし民意が必ずしも正しいとは限りません。
例えば民意が間違った例として、ドイツのナチス・ヒトラーが挙げられるでしょう。ヒトラーは民意によって選ばれ独裁者となりました。民意が独裁制を選び、民主制を放棄したのです。
上記ほど極端でなくとも、民意が間違っている例は現代にもあります。例えば民意が求める「決められる政治」は、民主主義の利点である巧遅を殺し拙速を強いています。
民主主義の利点とは「遅くて慎重すぎるほど慎重に物事を進めること」です。これが「決められる政治」によって台無しになりました。
他にも民主主義で重要な中間団体を「決められる政治」「改革」などで日本は壊してきました。中間団体とは労組や農協など、地域のコミュニティなどです。民意が民主主義を壊したのです。
民意が正しいとは限らない一例は、枚挙に暇がありません。
②民意は移ろいやすい
民意が移ろいやすいことは実感で理解できるでしょう。例えば重要な法案の可否より、スキャンダルにしばしば民意は興味を移します。
その結果がどうなろうが民意は責任を取りません。
大衆に責任を取らせることのできる主体などどこにも存在しないからです。故に大衆は無謬です。
例えば民主党政権は好例でしょう。「自民党にお灸を据える!」とリーマンショックの大変なときに壮大な実験をやって、失敗したら「民主党政権の悪夢!」と手のひらを返しました。
鳩山由紀夫総理が誕生したとき、7割以上の日本人が支持したのです。民意とはかくも移ろいやすいものなのです。
③熟議による合意は空間的・物理的に不可能
民主主義では「熟議による合意」こそ理想だとされます。しかし有権者1億人を抱える我が国が、熟議の上に合意することなどできるでしょうか? 空間的・物理的に不可能です。
「だからこそ議会があるのだ」と言われますが、議会でも熟議による合意はなかなか見られません
それに何より、熟議など捨てて多数を握ってしまえば簡単です。こうして多数決至上主義が蔓延ります。
議会や選挙は政治ではなく多数決ゲームに堕するのです。近年の日本で「少数の意見だけど国会に届けよう」なんて議員が一人でもいましたか?
多数の票、多数の支持を得るために多数に迎合する政治家ばかりです。
これでは熟議による合意など夢のまた夢でしょう。
④多数者による専政で少数派が抑圧される
過程に熟議があろうとなかろうと、民主主義では多数決が最終決定です。過程の熟議で少数派に配慮されることももちろんあります。
少数派への配慮が多数派のデメリットにならない限りにおいて、ですが。
多数派は少数派を尊重しません。多数派による専政こそ、民主主義で横行しがちな現象です。
多数派が正しいならまだ我慢もできます。
しかし先ほど上述したとおり、多数派が間違うこともしばしば起こります。
多数者の専政は民主主義の大きな問題点の一つです。
民主主義の問題点に解決策はあるか
民主主義の問題点を4つ挙げました。これらに対して解決策はあるのでしょうか? 解決策を探るには民主主義の前提条件を知らなければなりません。
問題点の根本は「賢明な市民」
民主主義が民意に依るのは、賢明な市民を前提条件としているからです。教育を受けて高い知的水準にある民衆は賢明であり、政治において悪い選択をしないはずだと考えらてきました。
しかし実際には賢明な市民など少数派です。というより歴史を見ても賢明なものは少数であり、多数となった例はありません。
だからこそ偉大な哲学者であるプラトンは哲人政治を唱えました。つまり賢明なるものによる政治です。
少なくとも「賢明なものへの尊敬」がないと、善良な民主主義は成り立ちません。では政治家は賢明であり、市民は政治家を尊敬しているでしょうか? 少なくとも日本ではしてませんよね。
古代ギリシャで生まれた民主主義はなぜ後世に継承されなかったか? 構造的な欠陥が明らかだったからです。
つまり「賢明な市民」や「賢明な政治家を尊敬する市民」という民主主義の努力目標は、未だに達成されていません。
民主主義の利点を殺す改革主義
民主主義の利点とは誤解を恐れずに言えば「物事が遅々として進まないこと」です。軍事では「拙速は巧遅に勝る」と言いますが、政治では「巧遅は拙速に勝る」ことが多い。
政治とは多くの利害関係が絡まり合い、配慮や便宜が必要とされる複雑な作業だからです。だからこそ漸進的かつ慎重に物事を進める必要があります。
これは「石橋を叩いても渡らない精神が必要」と言った、かの保守思想の父であるエドマンド・バークの考えとも一致します。
民主主義とは保守的であるべきなのです。
しかしここ数十年「決められない政治」は批判され、スピードこそが政治に求められました。これは民主主義の利点を殺す愚行です。
悲しいかな、民主主義には民意に逆らう仕組みがありません。民意が選べば独裁制も選んでしまうのが民主主義です。
こういった民主主義の根本的な問題点の解決策は? 市民が賢明であることです!
独裁者が賢明であれば、独裁制だって善良な政治ができます。市民に賢明さを求める方が、独裁者に賢明さを求めるより難しそうですよね。
それでも民主主義がマシなポイント
民主主義は問題点と欠陥だらけの制度です。しかしそれでも、民主主義の方がマシと言えるポイントがあります。
①血を流さずに革命や政権交代が可能
民主主義の一番のマシな点は「血を流さずに革命や政権交代が可能なこと」です。政治に不満があっても反乱や一揆を企てる必要はありません。
代わりにダメな政治家たちのスキャンダルや欠点をあげつらい、マシな政治家を当選させるだけでいいのです。
不満を持つものが多数派になったとき、血を流さずに政権交代や革命が達成されます。これは民主主義の大きな美点でしょう。
②民意が間違えるかどうかは半々
民意は間違えることもありますが――そして目下、我が国の民意は間違え続けていますが――正しいことだってあるはずです。
丁半博打と一緒で半々くらいには、正しいこともあるかもしれません。
今まで見てきたとおり民意は間違えます。民主主義が正しく機能しても、それは結果の正しさを何ら保証しません。しかし結果がいつも間違えているとも言えません。
正しいことだって半々くらいであり得るでしょう。
③決めたことに自分たちで責任が取れる
民主主義は自分たちで決めたことを、自分たちで責任を取る制度です。民衆を断罪できる政治主体は存在しません。
しかし民衆が民意を示して間違えれば、その結果は民衆に返ってきます。新自由主義を支持し続ければ格差が開き、困窮する国民も出てくるでしょう。
緊縮財政を支持し続ければ経済成長せず、中国に大きく差を付けられて属国にされるかもしれません。
それらすべての結果は主権者たる国民の責任です。自分対で決めたことに、自分たちで責任が取れることもまた民主主義のポイントの一つでしょう。
まとめ
- 民主主義の問題点は「①民意は間違う」「②民意は移ろう」「③熟議による合意は不可能」「④多数者の専政」
- 問題点の根本には「賢明な市民」という無茶な前提条件がある
- 民主主義は本来、保守的に運用されるべき
- それでも民主主義がマシな点は「①革命にも血が流れない」「②民意が正しいこともある」「③自分たちで責任が取れる」
民主主義は存外、欠点や問題点の多い制度です。日本では「民主主義=絶対善」と考えられることも多いですが、全くそんなことはありません。
むしろ「完璧な民主主義ほど最悪なものはない」と言う人すらいます。民主主義を妄信せず、正しく認識してくださいね。
本記事では触れられていませんが、国民国家において民主制(政治制度なので本来はこう呼ぶべき)が健全に機能するためには、ナショナリズムが不可欠です。一口にナショナリズムといっても、国家主義、国民主義、民族主義など多義的ですが、ここでは国民主義、つまり国民同士の連帯意識や同朋意識、同じ国民としてのアイデンティティーを意味します。
逆に言えば、多民族や多宗教、多文化が混在する国家とか、極端な貧富の差や階級が存在するような国家の場合、上記のナショナリズムの醸成は極めて困難であり、激しい階級対立や社会の分断によって、民主制は機能不全状態となる。今の米国大統領選挙の大混乱はある意味、必然的結果であるといえます。
我が国の場合も、このまま緊縮財政・規制緩和・インバウンド政策が続く限り、貧農の格差の拡大、少子化による人口減少、外国人移民の増加によって社会の分断は深刻化し、ナショナリズムの消滅→民主制の崩壊に至るのは確実です。
激しい断絶の下で民主政治は機能しないのですよね。補足ありがとうございます。