八紘一宇とグローバリズムの共通性を歴史・思想・事実から解説

 グローバリズムを語るときに、八紘一宇との違いや共通性が気になる人がいます。こういった人たちは「勘が鋭い」と思います。

 八紘一宇とグローバリズムを歴史や思想、事実で比較して共通性や違いを探ります。

 結論から言えば八紘一宇とは、グローバリズムの一種です。

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八紘一宇とは

 八紘一宇とは戦前および戦中の日本で使用されたスローガンの一つです。誰しも歴史の授業で聞いたことくらいはあるでしょう。

 ぼんやりと「五族協和と八紘一宇」と覚えている人も多いと思います。記憶を掘り起こしておさらいしておきましょう。

八紘一宇の起源と意味

 日本書紀に出てくる「八紘為宇」を引いて、宗教家である田中智学が造語したことが「八紘一宇」の起源です

 1903年に造語したとされており、ときはまだ明治。第一次世界大戦前のことでした。

 八紘一宇は「天下を一つの家のようにすること」という意味です。天下とは「天の下のすべて」ですから、全世界という意味です。

 八紘一宇は天皇総帝論として語られました。天皇総帝論とは要約すると「天皇が唯一の皇帝である」とする論です。

 つまり「天皇が天下(全世界)を治めること」こそ八紘一宇が意味していたことです。

八紘一宇が目指したもの

 八紘一宇が天皇総帝論であり、全世界を天皇が治める思想であるならば――必然的に世界を一つの共同体に統一することが目的となります。

 実際に日本は植民地化した国で皇民化教育などを行っており、八紘一宇の思想を実践していたと解釈可能です。

 八紘一宇の目指したものを身も蓋もなく言うならば、天皇の下に全世界を統一することでした。

グローバリズムとは

 八紘一宇とグローバリズムを比較するときに、両方の意味を把握してなければなりません。「今さらおさらいしなくても、グローバリズムくらいわかる」という人も、ちょっとおさらいにお付き合いください。

グローバリズムの意味

 グローバリズムとは日本語に翻訳すると「地球主義」です。現在はグローバリズム+新自由主義がポピュラーです。目的は、経済によって地球の市場を共通化すること。

 地球の市場の共通化とは国家独自の市場ルールの撤廃、国境の壁の希薄化、小さな政府の実現です。

 いわばアダム・スミスが唱えた「(神の)見えざる手」に経済を委ねて、世界市場を統一しようとする動きと言えます。

 経済とはどこまで行っても人の営みです。つまり人の営みを自由競争や市場原理、見えざる手に委ねる動きこそがグローバリズム+新自由主義。

 この「経済」という部分はもっぱら新自由主義が担います

 とすると新自由主義を切り離すなら、グローバリズムとは「地球規模で何かを統一すること」「何かしらの思想や活動によって、地球を一つの共同体とすること」と見なせます。

グローバリズムの思想的根源

 グローバリズム=地球主義の思想的根源は進歩主義になります。

 進歩主義とはより新しいもの、変革を求める思想です。「より良い」新しいものではなく、新しいものこそが「良い」と逆転するときもしばしば。

 進歩こそがより良い方向に導いてくれるはず、と考えるのが進歩主義です。

 人間の歴史は古くから国家、共同体が入り乱れていました。ここからの進歩とはすなわち、地球規模での共同体の統一です。

 進歩主義から見れば、EUはもっとも進歩した地域と見なされます。

 グローバリズムの根底にある思想は進歩主義だったのです。

八紘一宇とグローバリズムの共通性と違い

 八紘一宇とグローバリズムの共通性について、しっかりと言語化しておきたいと思います。

天下を一つに=世界を一つに

 八紘一宇とは天皇の下、天下を一つに統一して治めるという考えです。グローバリズムとは「何らか」の思想や活動で地球を統一することです。

 「何らか」は経済や武力、思想など何でも結構です。唯一皇帝でもグローバリズムと言えます。

 地球を一つに統一するという点において、八紘一宇とグローバリズムは共通しています。

家という共同体と地球主義

 一方で八紘一宇は「家」として共同体を強調しますが、グローバリズムでは地球全体を共同体として強調しません

 八紘一宇とグローバリズムに違いがあるとすれば、それは共同体を強調するかどうか、換言すれば共同体の濃淡ではないでしょうか。

植民地帝国主義とグローバリズムの歴史

 グローバリズムそのものは何も21世紀に始まったものではありません。イギリスの産業革命に端を発するグローバリズムもありました。

 古くはチンギスハーンがヨーロッパにまで侵攻したのも、グローバリズムと言えます。

 その中でもとりわけ、第一次世界大戦前後から第二次世界大戦のグローバリズムは興味深いです。

帝国主義というグローバリズム

 第二次世界大戦と言えばブロック経済になり戦争が勃発した、と考えている人も多いかもしれません。植民地帝国主義がその諸悪の根源である、との解釈です。

 しかしこの解釈は間違っています。

 まず、帝国とは「いくつかの国を支配する国家」です。支配の仕方が植民地なので「植民地帝国主義」と呼ばれます。

 帝国同士のぶつかり合いとはいわば「どちらが世界統一をするか」のぶつかり合いです。つまりグローバリズムを掲げた勢力同士の戦争が、第一次世界大戦と第二次世界大戦でした。

八紘一宇と当時の日本

 当時の日本も八紘一宇ないしグローバリズムに則り、覇権をかけて参戦しました。
 実際に太平洋に一大勢力圏を築いたことは、まさにグローバリズム的だったと言えます。

 当時の日本がやむにやまれずだったのか、それとも自ら選択したのかについては議論を避けましょう。しかし、八紘一宇の起源が1903年だったことも検討の必要があるでしょう

八紘一宇とはグローバリズムの一種

 結論です。八紘一宇はグローバリズムの一種でした。共同体としての捉え方の濃淡はあれど、方向性としてまごうことなきグローバリズムです。

 第二次世界大戦などのグローバリズムは武力を伴いました。現在のグローバリズムは経済が中心で、武力を伴っていない平和的なものでしょうか? 一皮剥けば現在のグローバリズムも、昔のグローバリズムとそう変わりません。

アメリカも属国を持つ帝国

 アメリカは世界中に軍隊を駐留させています。その中には同盟国ではなく、属国と解釈できる国家もいくつか存在します。例えば日本はその一つでしょう。

 属国とは宗主国に支配されている国家を指します。とすると、アメリカはいくつもの国を支配している帝国と考えられます。

 現在も形を変えて帝国主義は存続している、と考えるのは途方もない解釈でしょうか?

 アメリカ帝国に対して、台頭してきた中華帝国が挑もうとしている。これが現在の世界の構図です。

 こう考えれば昔のグローバリズムも今のグローバリズムも、構造は変わりないと言えます。

まとめ

  1. 八紘一宇とは天皇総帝論。つまり天皇の下に天下(全世界)統一すること
  2. グローバリズムとは、何らかの思想や活動で地球を統一すること
  3. 八紘一宇とグローバリズムの共通性は明らか
  4. 八紘一宇とグローバリズムの違いは共同体の濃淡
  5. 戦前もグローバリズムだった

 八紘一宇とはグローバリズムの一形態、一種だったと結論しました。現在のグローバリズムは「グローバリズム+新自由主義+凋落しつつあるアメリカ帝国」ですからやや形が違うのは当然です。

 こう考えると戦前も戦後も、日本はグローバリズムに傾倒しています。日本の転換点をローカリズム・グローバリズムで見ると、明治維新あたりなのかもしれませんね。

 グローバリズムについてより知見を深めたいなら、以下の書籍がおすすめです。

 フランスの知性「エマニュエル・トッド」。日本最高峰の知性の一人である「中野剛志」。そして韓国の知性「ハジュン・チャン」の対談は非常に面白いですよ。

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2 Comments
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Muse
1 月 前

>八紘一宇の目指したものを身も蓋もなく言うならば、天皇の下に全世界を統一することでした。
>グローバリズムとは「地球規模で何かを統一すること」「何かしらの思想や活動によって、地球を一つの共同体とすること」と見なせます。
>地球を一つに統一するという点において、八紘一宇とグローバリズムは共通しています。

仰る通りだと言えます。

そして、この八紘一宇の理念・思想を具体化させたものが、昭和に入ってからの「五族協和」そして「大東亜共栄圏」の構想ないしスローガンであり、もちろん、これらは大日本帝国を盟主とする地域共同体建設の理念であって、いわば地域グローバリズムの構想でした。ただこれは一見すると、(アジア・アフリカの諸地域を搾取対象としかみなさない)欧米列強による植民地帝国主義の亜種であるかのように見えますが、(少なくとも建前上は)諸民族の共存共栄のための共同体構想であるという点で全く性格は異なると思います(もちろん、戦後日本の言論界はこうした見方を全否定する)。

ちなみに現代国際社会を見ると、地域覇権主義(帝国主義)を振りかざす大国が中国とロシアであり、(中南米に対する地域覇権はもとより)第二次大戦後、NATO諸国や日本、韓国等に対して覇権を振りかざしてきた米国はグローバリズム大国の典型です。そしてEUも、事実上、グローバル資本が牛耳る地域グローバリズムの共同体であると言えます。