「それ、あなたの感想ですよね」は2ちゃんねる好きにとって、ちょっと懐かしいフレーズですよね。言ったのはそう、2ちゃんねるの創設者であるひろゆき氏です。
議論厨は当時「それ、あなたの感想ですよね」と、こぞって使用していた記憶があります。ちょっとした流行語でした。
この何気ないフレーズは、よくよく考えてみると示唆に富んでいます。哲学的な側面から、議論していきたいと思います。この議論、私の感想ですけどね。
「それ、あなたの感想ですよね」の元ネタはひろゆき
「それ、あなたの感想ですよね」は、2015年6月に放送された「ビートたけしのTVタックル」でひろゆき氏が発言しました。
議題はネットの実名化でした。「それ、あなたの感想ですよね」は古谷経衡氏の発言へのツッコミです。
古谷経衡:僕はあの、「昔からバカな奴がいて、それが今可視化してきただけだ」っていうのは、僕間違いだと思いますよ。それは明らかに、インターネットの生放送とか動画によってユーザーを巻き込む形で、どんどんどんどん、その投稿者とかまあ生主とかいう人が快感を得ているので、僕はどんどんどんどん増えていってると思います。だから一定程度昔からいると思いますけど
ひろゆき:それ「明らか」じゃなくてあなたの感想ですよね?
「あなたの感想ですよね」と哲学
「あなたの感想ですよね」発言は議論のやり方で、ちょっとした反響を呼びました。例えば以下の記事が、興味深い議論をしています。
概要は「ひろゆき氏の発言は相対主義」に対して、「ひろゆきの発言は相対主義ではない」との反論です。
「それ、あなたの感想ですよね」を、哲学的側面から参照していきましょう。
「あなたの感想ですよね」は相対主義か?
「あなたの感想ですよね」は、相対主義かそうでないのか? を考えるなら、相対主義への理解が欠かせません。
相対主義とは
相対主義を乱暴に言うと、客観的事実など存在しない! という主義です。表現を変えると、どの観点からも真である命題などない、観点によっては偽になるはず、という考え方が相対主義です。
「いかなる命題も、絶対的に正しいということなどない」が相対主義。
背が高い人がなぜ高いと認識されるかは、背の低い人がいるからです。日本人にとって背が高いと認識されても、オランダ人にとっては平均的な身長かもしれません。宇宙人からしたら、背が低いかもしれない(笑)
背が高いのは何cmからか? という命題に真は存在しない、人によって変わるとするのが相対主義です。
「あなたの感想ですよね」のツッコミは普通
ではひろゆき氏の「あなたの感想ですよね」は、相対主義でしょうか? 明確に否です。
「あなたの感想ですよね」が相対主義であるためには、古谷経衡氏の主張が客観的データや事実、もしくは自明に基づいている必要があります。
なぜならそういった「どの観点からも真だと思えるもの」に対して、「いえ、この観点からは真じゃないですよね」と提出するのが相対主義だからです。
古谷経衡氏の主張はデータや事実に基づいておらず、経験から来る主観と言えます。ひろゆき氏はそれを指摘しただけです。
なおひろゆき氏の議論方法は、事実と主観を切り分ける傾向にあります。「どの観点からもほぼ真であること」が事実です。
とすると事実を事実のまま扱うひろゆき氏は、むしろ相対主義と相性が悪いと言えるでしょう。
「あなたの感想ですよね」と弁証法
ひろゆき氏と古谷経衡氏の議論は、弁証法的だったのでしょうか?
弁証法は「レベルの高い議論に使用される」と言われます。つまり弁証法的だったかどうか検証すれば、議論のレベルが高いのかどうかが、わかるはずです。
弁証法とは
弁証法は前提条件として、命題には矛盾が含まれていると考えます。美しい花も、ときが過ぎれば枯れてしまいます。「花は美しい」という命題の肯定がテーゼ、「枯れてしまう」という否定ないし矛盾がアンチテーゼです。
テーゼとアンチテーゼを統合して考えることで、ジンテーゼに至るというのが弁証法です。ジンテーゼに至ることを、アウフヘーベンと言います。
より高次の命題に辿り着くプロセスが議論である、と考えるのが弁証法です。
古谷経衡とひろゆきの議論を弁証法的に見てみると……
ひろゆき氏と古谷経衡氏の議論のテーゼとアンチテーゼは何でしょうか? そもそも論ですが、テーゼとアンチテーゼはあったのでしょうか?
ひろゆき:昔からバカはいて、それがネットで可視化されただけ
古谷経衡:ネットというインフラでバカが加速している
上記が両者の主張を端的にしたものです。可視化されただけなのか、加速しているのか? が最大の論点です。
構造論としてネットは、情報インフラであり情報量と速度を加速させました。したがってバカも加速するのは、ほとんど自明です。
加えて極論を言う人ほど、コメントが多いとの研究もあります。
じつは古谷経衡氏の主張は、言い方を変えれば「感想ではなく事実に近いもの」として訴えられたはずです。
ひろゆき氏の「あなたの感想ですよね」は、ある意味で逃げと言えなくもありません。
なお弁証法的にはそもそも、「可視化された」「加速した」は反発しません。テーゼとアンチテーゼですらないので、弁証法的議論ではなかったと解釈できます。
弁証法的だから議論のレベルが高いのか? という懐疑はあるものの、是だとすると「ひろゆき氏と古谷経衡氏の議論のレベルは高くなかった」と言えます。
「あなたの感想ですよね」が議論で強い理由
議論で「それ、あなたの感想ですよね」は、かなり強力です。なぜならしっかりと議論をできる人は、かなり少ないからです。
議論をするときにデータや事実に基づく人は、それほど多くありません。有り体に言えばデータや事実は、調べる労力が高いからです。
加えて事実が自分にとって都合が悪いと、主観で事実を否定しようとするのが人間です。訓練を受けていない人間は、主観と事実の境目が曖昧です。
いわゆる認知バイアスは、誰しも持っているものです。
さまざまなバイアスを、我々人間は持っています。したがって相当慣れている、訓練を受けているなどでないと、議論は主観を頼りにしがちです。
よって「それ、あなたの感想ですよね」は、議論で非常に強力なのです。ただし使いすぎると、嫌われます(笑) 用法、用量を守ってお使いください。
なんだろう、まとめるのやめてもらっていいですか
日本人の議論は「私も我々であり、相手も我々である。結論は全会一致が望ましく、よって我々は我々の中で違いを認めない」という空気があるように思えます。
簡単に言えば「自分と相手が異なることが許せない」のです。欧米での議論は「自分と相手が異なるのは当たり前」が前提条件。
参照 日本の会議はなぜ”独り言大会”になるのか 欧米人の「議論」とは全然違うワケ | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
日本人の議論は「自分と相手が異なるのが許せない」が先に来ているので、事実より主観を優先する傾向が強いのでしょう。
ひろゆき氏のような「空気を読まない欧米型思考」からすると「それ、あなたの感想ですよね」というツッコミで騒がれるのを、不思議に思っているかもしれませんね。
ひろゆき氏の最近の書籍です。ちょっと興味があり、買ってみようかなと。口コミも含めて紹介します。
とても感銘を受けました。自分の中で、これは絶対にやらなくちゃいけないという縛りみたいな考え方がありましたが、もっと気楽に考えればいいんだと思えるようになりました。
ひろゆき氏の著書は個人的にけっこう好んで読んできました。軽やかな文体はこれまでの著書に通じるところがありますが、ひろゆき氏の「肉声」がはっきり色濃く伝わってきたのはこの著書が初めてです。
不真面目で真面目なひろゆき氏の考え方に共感する人、ひろゆき氏の頭の中を覗いてみたい人、ひろゆき氏を全く知らない人、すべての人にとって示唆に富む著書になっていると思います。オススメです!
印欧系の言語は責任の所在が明確です。即ち、主観は主観だと表明し、推測や可能性を明示し、条件を定め、客観事実は客観事実として扱わねばなりません。
仮に誰かの主張ないし、推測に対して、「それあなたの感想ですよね?」なんて言えば、ただの馬鹿です。文中で既にそう明示されているからです。
逆に客観事実に対して、「それあなたの感想ですよね?」と述べた場合は即座にそれが客観事実ではないとする立論を述べる責任が発生します。それを怠れば、即座に無責任な人物とラベリングされ、相手にされなくなります。
では、日本語ではひろゆきのような態度は可能なのか?と言えば、知的階層には全く通じません。概ね英語圏と同じ反応をされます。
1940年代に日本は学習日本語を作り、広めました。これは日本語を英文法のように解析し、使用することを前提にしています。これは現在でもエリート校などで教えられており、当然ながら、知的エリートは概ねこの形式を使って日本語の文章を構成します。尚、国文学の分野では学習日本語を日本語ではないとして、否定的な立場の人が多いです。
とは言ったものの、所詮日本語ですから、いくら知的エリートでも完璧な学習日本語を使っている人はいないでしょう。しかし責任の所在が明確でなかったりしても、文脈上から判断したり、相対的な理解によって読解するようにエリートでなくとも訓練されます。即ち、大学受験の現代文は基本的に文脈上からの類推的読解と相対的な理解を聞いているので、たとえミステイクがらある文章でもある程度の類推が行えるようにトレーニングされているのです。特にエリートならば尚更でしょう。
では知的エリートのサークル内で、「それあなたの感想ですよね?」と言えばどうなるか?と言えば、英語圏と大差ない評価されます。「あーこいつバカね」と。
じゃ、エリートじゃなければひろゆきの態度はありか?と言えば、知的エリートのように論理的な反応ではなく、本能による反応で、やはり排除されるでしょう。「気取ったクソやろう」てね、まともに話を聞く態度じゃないんだから、出てけ、ということです。
ひろゆきがこのような発言を平気で行えるのは、常識の感覚が麻痺しているというのが考えられます。匿名ネットでしか許されないような発言をそれ以外でしちゃってんですから。
または故意にこのような発言を行なっている可能性もあります。古谷氏のこれまでの主張を総合的に評価すれば、古谷氏は匿名ネットに対し懐疑的または否定的で、それについての自身の経験と理屈があり、しかもそれを声高に言うおそらく初めての人で、発信力もある人です。ひろゆきは日本で匿名ネットを初めて始めた人です。古谷氏のネット民に対する見解は概ね妥当であって、ネット民以外には共通の認識です。ひろゆき自身も似た主張を行なっており、自身が始めたことが今目の前で失敗していることを受け止めている状態と言えます。古谷氏が目の前で、自身の失敗を主張し、しかも自身もそれを理解していて、だが反論したい場合、反論の手段はありません。しかし「お前がむかつくんだ」という本音は言えません。公然の場ですから。だから嫌がらせしかできず、「あなたの感想ですよね?」という極めて非常識かつ幼稚な発言に至ったという可能性です。
うーん、私は古谷経衡さん、ひろゆきさん、どっちにも悪い印象もないので……。
古谷経衡さんの瑕疵は、推測を「明らかに」と事実のように申し述べたこと。んでひろゆきさんはそれに突っ込んだと。
それだけの話だと思うんですけど。
匿名ネットのイカれた言説と現実にイカれた言説を行う人が増えている事象というのは、ほとんどの人にとって連関性がある事象として捉えられていると思いますよ。
「それ、あなたの感想ですよね」が、いかれた言説とは思えないんですが。
「それ、あなたの感想ですよね」」を換言すると「”明らかに”と断言してますが、根拠はありませんよね?」です。
これ、いかれてます?
いかれてますよ。社会人としてあるまじき非違行為でしょう。
根拠はないとする以上、そうではないとする根拠を示さなければ、単に相手の信用を毀損しようとしているだけということになります。
例えば私ならそんなこと言われたら、公衆の面前だろうがなんだろうが「ああ、それがあなたの感想なんですね」と冷笑します。
自身がさも客観的な意見を持つかのような印象で、他者の主張を否定し、しかし自らは根拠を述べるという責任を果たさず、そもそもその主観的な表現自体がそっくりそのまま返されてしまうくらい論理が壊れている発言だということです。つまり悪質かつ無責任かつ馬鹿です。
逆に私が「あなたの感想ですよね?」という表現を用いた場合、即座に自身の主張、他者の意見が間違いであるということを補完する根拠ないし論理を説明する必要があります。そうしなければ、その場にいる知的階層は「あなたの感想ですよね?」と主張した私に対し、悪質かつ無責任かつ馬鹿であって、論評する価値もなく、相手にする必要がない人というラベリングをするからです。
たとえそれができたとしても、お行儀があまりよろしくない好ましからざる人物という評価は拭えないでしょうが。
>根拠はないとする以上、そうではないとする根拠を示さなければ、
上記を簡潔にすると「根拠がないとする根拠(証拠)を示せ」となり、悪魔の証明ですよね。
悪魔の証明を求める方が、おかしくないですか?
ひろゆきさんに論理性の問題は、ほとんどないと思いますよ。単なるツッコミですし。
多分、川口さんが気に入らないのは言い方、ないしひろゆきさんじゃないですかね? 論理性とか立証がどうとかじゃなく。
?例えば、違う説をあげるとか、古谷氏の説が間違えているデータを示すとかすればいいだけですから、悪魔の証明とか全く関係ありませんよ。
①言い方の問題
言いっぱなしが許されるのは匿名サイトだけです。公共の場での発言には責任が伴います。議論と言わず、意見を交わしたり、なにかしらの提案を行う場合、言いっぱなしの発言や礼儀を欠く発言を行う者がいれば、仕事になりません。
いきなり「あなたの感想ですよね?」という信用を毀損しかねない発言を行えば、発言者に対して、好ましからざる人物であるという評価が与えられてしまうのは当然のことです。
失礼ですが、高橋さんは日頃からそのような言いっぱなしの発言や信用を毀損しかねない発言を公表の場で公然と用いているのですか?
尚、言い方の問題と高橋さんはしましたが、正しくは不適切な発言です。不適切な発言としたのは、もう一歩踏み込めば不法行為になり得るからです。
②論理性の問題
これは不適切発言とは別の問題です。論理性があろうがなかろうが、正当でない公共の場での発言は不適切であり、ひろゆきの発言は不適切であります。
それに加えて論理的には馬鹿だ、ということです。ちゃんとした論拠を示さなければ、「あなたの感想ですよね?」というのが感想になっちゃうんですから。信用を毀損する目的だとしたら、あまりにマヌケですね。
③私の個人的な感想
古谷氏の立論をすげー意訳すれば、匿名ネットばっかりやってると馬鹿になる、ということです。それは古谷氏が独自論を言っているとは言えません。匿名ネットばっかりやっていると馬鹿になるというのは一般的な見解でしょう。古谷氏の主張なんてまともに読んだことがないので、詳細は知りませんが。
ひろゆきの立論をすげー意訳すれば、匿名ネットやってる奴の大概は元々イカれた奴だ、ということです。一般論と言えるかわかりませんが、私はこの意見にも賛同できます。ひろゆきの意見なんて聞いたことはありませんがね。
Aまず、前者と後者は相反していません。むしろ相互に補強することさえあります。馬鹿が余計馬鹿になったということも十分にありますから。
B古谷氏の立論は一般論でもあり、ひろゆきはそれを否定したいとします。しかし高橋さんはそれに理由はいらない、としています。
つまり例えるならこういうことです。
中世ヨーロッパで、太陽が地球を回っているとする信じられています。Fという人がそれを主張しました。Hは「それはあなたの感想ですよね?」とだけ言いました。さてどうなるでしょう?誰もHのことは相手にしないでしょうね。説得力がないからです。宗教裁判にもならないでしょう。
実際には、ガリレオはコペルニクスの立論を使って、Fのような人たちに反論したわけです。
ひろゆきや高橋さんが「匿名ネットやってると馬鹿になる」という一般論を否定したいなら、茶々入れて言いっぱなしみたいな子供みたいなことをせずに、堂々と立論して反論すればいいんです。ガキみたいな真似しても建設的な何かなんて生まれるわけもありません。
私からすると、こんなことは大人なら礼儀、常識、自明の理です。ですから、むしろひろゆき自身が古谷氏の立論を証拠になっているように思いますね。
匿名ネットばっかりやってるから、ガキみたいな発言をやってるんだ、とね。
ああ、やっぱり論理性の問題ではないんですね。
論理的に言えば、古谷経衡さん側に立証責任が生じますものね。一般論としては。
なら最初から「言い方の問題、表現の問題、態度が気に食わない」と提示していただけたらよかったと思います。
「言い方や表現が気に食わない」は主観の話ですから、議論の論点になりませんよね。
川口さんは気に食わない、私は別に気にならない。それだけのお話ということで。
あと、気になった点が。
>匿名ネットばっかりやっていると馬鹿になるというのは一般的な見解でしょう。
……いやいや。
日本人の9割は匿名→匿名でネットをするとバカになる→日本人の9割はバカ?
そんな話は古谷経衡さんもひろゆきさんも、してませんよ?
古谷経衡さん「匿名はバカをつけあがらせ、増幅するのは明らか!」
ひろゆきさん「バカは昔から一定数。ネットで可視化されただけ」
こういう議論だと、記事にも書いてます。
ご高説と長文は大変結構ですけど、事実関係だけでも把握してもらえませんかね?
余談ですが前に、ネットでの議論なんて99%無駄と書きました。理由は「事実関係の把握や、前知識がどの程度かという共有すらできない」からです。
やっぱりこの説は正しかったんだな……と、落ち込んでいます。
事実関係を把握した上でのコメントなら応答しますが、それ以外なら面倒ですしスルーさせていただきますね。
高橋さんのコメントは強弁ですね。コメント先の文章を読まない、或いは読めず、自己都合的な解釈を爆発させています。
「匿名はバカを増幅」→匿名やってるとバカになる。
「バカは一定数。匿名で可視化」→匿名やってる奴の大概はバカ
同じ話です。
また、日本人の9割が匿名サイトを利用しているというデータはありません。500万人程度という見積もりはありますがね。
ご自身の能力や信用を毀損なさるような発言は控えた方がいいと思いますよ。何にムキになって感情的になってしまったのかは私には分かりませんが。
とはいえ、このままでは高橋さんが自傷気味に自らの信用を傷つけ、私を含む他者に対して不法行為を行う可能性が高いので、私は高橋さんの身を案じて、一歩引くとしましょう。
>また、日本人の9割が匿名サイトを利用しているというデータはありません。500万人程度という見積もりはありますがね。
……もしかして2ちゃんねる(現5ちゃんねる)=匿名のネットとか思ってます?
本名つかってコメントしない場所は、全部「匿名」という定義に当てはまるんですが……。
ブログのコメント欄も当然、匿名ですよ。
えっとなんでしょう、これボケじゃないですよね。