日本語では言霊という言葉があるほど、言葉のパワーはすさまじいものです。だからこそ議論や思考では、言葉の定義をしっかりとしなければなりません。
緊縮財政の反対語を調べたところ、積極財政であるとの回答が多いようでした。政治概念的には間違っていません。しかし言葉的には、完全に間違っています。
緊縮の反対語は積極ですか? 違いますよね。
間違った言葉遣いをしているから、日本はいつまでも緊縮財政から逃れられないのかもしれません。積極財政派がその言葉にパワーを乗せられない理由は「間違った言葉遣いをしているから」です。
わかりやすく、一つ一つ解説していきますね。
言葉の定義を正確にすると……
言葉の定義は正確にするべき、という主張に異論がある人はいないでしょう。「定義は正確にするべき」はどう考えても正しいことですが、しばしば忘れられがちです。
日本人は言霊を信じるくせに、言葉の定義をあまりに疎かにしています。緊縮財政に関連する言葉と、その反対語を参照してみましょう。
緊縮の反対語は放漫
緊縮の反対語は放漫です。
参照 緊縮の反対語・対照語・対義語: 反対語大辞典
とすると緊縮財政の反対語は、厳密には放漫財政になるはずです。
節約の反対語は浪費であるように、緊縮財政という言葉そのものの反対語は放漫財政という、なんだか印象の悪い言葉になってしまいます。
なるほど、いくら「緊縮財政だ!」と批判の声を上げてものれんに腕押し、糠に釘なわけです。
積極の反対語は消極
一方で政治概念的に「緊縮財政の反対語は積極財政」と言われます。しかし積極の反対語は消極です。緊縮ではありません。
自分たちと積極財政派と称するなら、均衡財政主義者たちは消極財政派のはず。
均衡の反対語は不均衡
緊縮財政やプライマリーバランスは、均衡財政主義と呼ばれます。であれば積極財政は、不均衡財政主義になります。
しかし拡張と縮小の間に均衡があるのですから、積極財政派は拡張財政主義と称しても良いと思います。
言葉はそれ自体で善悪を表現することがある
言葉とは単語そのものに、善悪の印象やパワーが宿ることが多々あります。「節約」と聞くと良いことだと思えて、「浪費」と聞くと悪いことに感じるのも同様です。
日本語ではこのような言葉のパワーを、言霊と表現します。言霊とは言葉に内在する霊的な力を指し、昔から信じられてきました。
声に出した言葉が、現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良いことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。
言霊 – Wikipediaより
緊縮の反対語は放漫です。とすれば緊縮財政という言葉は、その反対側にある放漫財政を無意識下で示します。
したがって「緊縮財政はダメだ!」と「緊縮」を連呼するほど、人々はその反対語である放漫を拒否します。よって緊縮財政を受け入れてしまいます。
別の表現をすれば、緊縮という単語そのものが善と認識されます。放漫は悪です。緊縮財政を「緊縮だからダメなんだ!」と批判しても、批判勢力は善を批判する悪にしかなれません。
これ、むっちゃ困るやん。筆者も積極財政派やねんけど……。
一般的に緊縮財政の反対語は積極財政だが……
一般的な政治議論や概念において、緊縮財政の反対語は確かに積極財政です。このことそのものが、捻れていると言わざるを得ません。
積極財政派を掲げる人たちは、財政均衡主義の人たちを「消極財政! 積極性が足りない!」と批判してみてはいかがでしょうか。
みんな大好き積極性! 大義名分には積極性! 打って出るのだ積極性!
「消極財政派がちまちまとしとるから、日本は失われた20年とか言われとんねん! もっと積極的に行くべきやで!」
ほら、なんだか積極財政派の言葉が強くなっていませんか? 逆に緊縮財政派、もとい消極財政派はジメジメしたあかん奴ら! という印象になりました。
消極財政主義! ないし消極財政派! という言葉。
気に入ったらどんどん使ってみてください。
反緊縮という言葉
緊縮財政の反対語に、反緊縮(財政)があります。緊縮の反対語が放漫なので、正確性と言葉のイメージを両立させてやむを得ずこうなった、という印象を受けます。
なぜなら反○○という言葉は「反発しているだけ」との印象を与えかねないからです。特に日本では、TPPに反対したら「対案を出せ! 対案を!」と言われる国です(笑)
閑話休題。
前々から「なんで『緊縮財政 反対語』で検索する人が多いの?」と疑問でしたが、検索していた人たちは鋭い感性を持っています。
「緊縮の反対が積極って……なんか変じゃない?」と思ったから、検索していたのではないでしょうか。
そんな人たちに、一定の答えが本稿で出せたなら幸いです。