【二百三高地】名将・愚将どっち?乃木希典の再評価と司馬史観の過ち

 歴史は研究によって、定説と思われていたことが覆ります。聖徳太子の実在は疑われ、鎌倉幕府は1192年ではなく1185年に。

 加えて歴史に俗説がつきもので、しばしば信憑性が高くドラマのない説より、ドラマチックな俗説が一般的に流布します。
 乃木希典の評価も、俗説に翻弄されました。

 しかし近年、乃木希典の再評価が始まり名将だったとの説が有力です。どうして愚将との評価が定着してしまったのか? どのように名将だったのか? など解説します。

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乃木希典とは?

 乃木希典は長州出身の日本の軍人で、最終的な階級は陸軍大将です。昭和天皇の教育係を務めたことでも有名で、そのときのエピソードも多数残っています。

 わずか22歳で少佐に任じられるなど、軍人として俊英であり周りからも羨望と嫉妬があったことでしょう。

 主な戦果として語られるのは旅順攻囲戦です。奉天会戦にも第三軍を率いて参加しました。日露戦争の英雄と当時は評価されており、海外からの評価も高い人物でした。

 明治天皇が崩御されたとき、乃木希典および妻の静子は後を追って自刃しました。

従来の乃木希典の評価

 乃木希典の従来の評価は、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の影響が非常に大きいと言われています。いわゆる司馬史観が乃木希典の評価に及ぼした影響は、乃木希典を愚将と世間に信じ込ませたことです。

 一般的な人が乃木希典に持っている印象は「愚将」「戦術に暗い」「突撃ばかり」「下手な戦で多くの戦死者を出した」などでしょう。そして児玉源太郎が現れ、二百三高地を颯爽と攻略してしまうというストーリーです。

 司馬遼太郎は坂の上の雲を出版したときに、「フィクションを一切禁じて書いた」と断言しています。つまり坂の上の雲は司馬遼太郎に言わせれば、ノンフィクションでした。
 よって坂の上の雲は史実として受け取られ、乃木希典は歩兵をすりつぶした愚将とのイメージが広まりました。

近年の乃木希典の再評価

 近年、乃木希典を再評価する動きがあります。というのも司馬史観によって広まった乃木希典のイメージが、あまりに実像や事実とかけ離れていたからです。

 司馬遼太郎の坂の上の雲に対して、例えば日本の保守思想家である福田恆存は中央公論で、乃木希典を擁護する論陣を展開しました。また桑原嶽の「乃木希典と日露戦争の真実 司馬遼太郎の誤りを正す」も有名です。

 最近の研究によれば、乃木希典はたぐいまれなる合理性をもち、果断に戦局を判断できる優秀な将軍だったそうです。その一部として、司馬史観へ以下のように反論されています。

  1. ヴォーバンの要塞攻略理論を読んでいないと司馬遼太郎は批判しているが、ヴォーバンは時代遅れだった。乃木希典は欧州の主要な軍事論文を、ほとんど読んでいた。
  2. 塹壕を用いた要塞突破は第一次世界大戦中の戦術です。日露戦争で使用するのは難しい
    ※しかし乃木希典は正攻法として、驚くべきことに近い戦術を用いている!
  3. 司馬遼太郎は「最初から二百三高地を主目標にして……」と批判するが、そもそも海軍も最初は二百三高地を目標としていなかった

 詳細を述べれば多岐にわたります。詳細を知りたい人は旅順攻囲戦――乃木希典は愚将か―― – 乃木希典入門を参照してください。

乃木希典の特徴的なエピソード

 司馬史観をなぞれば乃木希典は、猪武者の直情型軍人というイメージでしょうか。しかし乃木希典の実像は、情に厚く人徳があったようです。

 それを示すエピソードが、日露戦争後に長野で行われた戦役講演でのこと。東郷平八郎らと参加しましたが登壇を進められても登壇せず、その場で「諸君、私は諸君の兄弟を多く殺した者であります」と落涙したと伝えられています。

 また廃兵院にも、多くの寄贈や寄付を行っていました。入院している兵たちは乃木希典を敬愛し、彼が自刃したときには大いに嘆き悲しんだそうです。

 そんな乃木希典が尊敬していたのが、楠木正成でした。尽忠報国の人物像を敬い、楠木正成の書物を集めては研究していたそうです。

 司馬遼太郎は愚将と評しましたが、乃木希典は当時の日本国内で大変な人気でした。もちろん、高い評価も得ていました。

 そして海外でも、乃木希典は名将と評価されています。乃木希典が採用した対要塞の正攻法は、第一次世界大戦で大いに取り入れられました。

 筆者は最近、二百三高地という映画を再視聴しました。それをきっかけに乃木希典の、いくつかの資料を再読しました。その印象として、乃木希典はやはり名将として評価されるべきだろうと判断しています。

どうして司馬遼太郎は乃木希典を愚将にしたかったのか?

 司馬遼太郎が乃木希典を愚将と評した理由について、いくつかの説があります。小説としては児玉源太郎が、颯爽と旅順を攻略してみせる方が盛り上がるからだとか、司馬遼太郎が戦術も何もしらない無知だったからだとか……。

 司馬遼太郎が参考にした資料には、司馬遼太郎が知っていて無視したであろう記述もありました。司馬遼太郎の動機はわかりませんが、彼の中で乃木希典は「愚将でなければならない何か」があったのです。

 それは小説のためか、それとも司馬遼太郎の無知から来るものか?

 筆者は司馬遼太郎の「戦後感覚」が原因ではないか? と思います。

 日本の戦後とは、戦前を否定することで成り立っている部分が大いにあります。
 尽忠報国を旨とし、明治天皇を追って殉死する乃木希典は、司馬遼太郎からすれば戦前そのものだったのではないか? そのような人物を肯定することは、司馬遼太郎にとっては戦前を肯定するも同じだったとすれば、筋が通るのではないかと思います。

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この記事を書いた人

「難しいこともわかりやすく」政治・経済コラムをメインに発信。2019年まで16年間自営業→SEO/ウェブ制作/ウェブライター/進撃の庶民管理人などで活動中。
日本で数少ない現代貨幣理論の論者(MMTer)。
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4 Comments
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3 月 前

「乃木希典は愚将ではなかった説」も浸透、定着してからだいぶ長いですよね。どういう陣形、どういう戦術で当時戦ったかなどを、現代の我々に「絵」で分からせるのが優れた映像作品だと思っています。その点でいうと、大河ドラマの戦争シーンなんて最悪ですよ。。。

>二百三高地

冒頭からナレーションで、欧米列強の脅威を解説していた素晴らしい映画でしたっけ? 日露戦争モノは何作も作られているため、どれがどのタイトルだったか、失念してしまいました。

Last edited 3 月 前 by ポルシェ万次郎
阿吽
3 月 前

乃木さんの作戦の再評価は、近年だいぶなされてきているようですね。

ギリギリの状況での、ギリギリの判断での苦渋の判断による作戦だった・・と言う感じで・・。

.
天皇のために殉死するなんて、そんな人物は馬鹿に決まってる・・みたいな感じも、司馬遼太郎の中の、乃木希典無能考察の中の1つとしてはあったんでしょうかね・・・。

ただ、明治帝が薨去されたことは切っ掛けにすぎず、それ以前から自害をのぞんでいたそうですが・・。(明治帝にそれを止められて果たせずで)

結局、明治帝の薨去というのは1つのきっかけにすぎず、乃木希典の本心的には、結果として死なせてしまった大勢の若い命に対して、その死なせてしまった命への贖罪の意識からの、自害だったのではないかとも思ってしまいますね・・。