先日、デービッド・アトキンソンがmonopsonyについてインタビューを受けていました。
記事が非常に興味深かったので、monopsonyについて調べました。わかりやすく整理できたので解説します。
monopsonyとは?
monopsonyの発音は「モノプソニー」です。日本語では「買い手独占」と訳される経済学用語です。他にも需要独占、購買者独占などの翻訳の仕方があります。
需要独占との翻訳は、後述する解説がわかりやすくなると思います。monopsonyを考えやすい方で、イメージしてくださいね。
monopsonyとmonopoly
monopolyは「モノポリー」と発音します。日本語では「売り手独占」と訳され、よく使用される経済用語です。
monopsonyとmonopolyは互いに反意語です。
monopoly、つまり売り手独占は、弊害が広く知られています。その証拠に、多くの国で独占禁止法が定められています。
供給が一社だけになると市場競争が起きず、価格がつり上げられ、消費者利益を損ねるのがmonopoly・売り手独占の弊害です。
monopoly・売り手独占に比べて、monopsony・買い手独占は弊害がわかりづらく、かつ弊害が起きるケースが少数とされてきました。よって今まで、monopsonyという概念は広く流通していませんでした。
しかし近年、労働者と労働市場の分析として海外で使われはじめています。筆者の調べたところ、日本でmonopsonyに言及している記事は、現時点では本稿を入れて4つほどでした。
monopsonyの歴史
monopsonyという概念の歴史は案外古く、1933年まで遡ります。Joan Robinson(ジョーン・ロビンソン)が著したThe Economics of Inperfect Competition(不完全競争の経済学)で、初めて提唱されました。
非常に簡潔に言えば、独占力の力学がmonopsonyという概念になりました。
monopoly・売り手独占だろうがmonopsony・買い手独占だろうが、ミクロでも独占するとそこに力関係が発生し、完全競争は成立しなくなります。
monopsonyは労働市場を説明するのによく使われる
主流派経済学では、市場は完全競争として捉えられます。労働市場もひとつの市場ですから、当然ながら完全競争を前提に分析されます。
しかしmonopsony・買い手独占の力学が働いているとすると、完全競争は成立しません。完全競争では、間違った分析になるのです。
間違った分析は間違った判断を呼び、間違った政策を実行させます。
よって「完全競争かそうでないか?」は、非常に重要な命題です。
完全競争とは
完全競争を定義する要素はいくつもありますが、非現実的な要素のみ取り上げます。
まず完全競争の労働市場では、労使は市場の完全な情報を共有しているとされます。簡単に言えば「自分の市場価値がいくらか」「ここと同じ条件で、さらに高値で雇ってくれるところがあるかどうか」などです。
つまり必然的に、労使間の情報格差は存在しないことになります。
次に完全競争の労働市場では、コストゼロで転職が可能と仮定されます。失業者は失業した瞬間に、次の職に就けていなければなりません。
転職コストがゼロなので、今より給料が良い企業があれば即座に転職ができるはず、とされます。
「労使間で情報格差が存在しない」「労働市場の完全情報を得られる」「転職コストがゼロ」が意味するところは「労使間は対等である」との結論です。
よって低賃金は、労働者のスキルが低いからだと分析されます。だからこそ規制緩和などで市場競争を強化して「もっと鍛えろ!」という政策がとられます。
monopsonyでは?
しかしmonopsonyでは、労使間は対等ではないと結論されます。従って労働者の賃金が低いのは、労働者のスキルより企業が買い叩いていることが原因とします。
まず完全競争の、転職コストがゼロとの仮定は現実的ではありません。また労働市場の完全情報など、誰も知り得ません。
そして労働者の多くは、専属で企業に雇用されます。つまり「Aという労働者の供給(労働力)を、ひとつの企業がmonopsony・買い手独占している」と解釈できます。
非常に優れた能力を持つ、一部の労働者は転職も容易でしょう。けれども多くの労働者は、企業との力関係において不利に置かれます。
monopsony・買い手独占によって力関係が発生し、労働者の労働力が買い叩かれます。
「待遇が不満なら他の企業に転職したらいいじゃないか! 自己責任だ!」との反論があるでしょう。まさしくその反論を、企業は労働者に吐くのです。
monopsonyと最低賃金
市場でmonopsony・買い手独占が発生しているとすれば、最低賃金を上げると「雇用が増加する」ことになります。完全競争とは、全く別の結論ですよね。
monopsonyの観測には、労働供給弾性値の理解も必要です。順を追って説明します。
労働供給弾性値とは
monopsony・買い手独占を深く理解するために、重要であろう統計値が労働供給弾性値です。労働供給弾性値は「賃金を1%上げる(下げる)と、労働供給力が何%増える(減る)か?」を表す値です。
給料を10%下げたときに、労働者の10%が辞めたら労働供給弾性値は1です。労働者の20%が辞めたら2。逆に労働者が5%しか辞めなかったら0.5です。
労働供給弾性値がゼロに近いほど、monopsonyが発生していると言えます。なぜなら労働供給弾性値がゼロの状態とは、給料を10%下げても誰も辞めない状態だからです。
買い叩かれても辞められない=他に行くところがない=労使間にmonopsonyによる力学が発生しているというわけです。
ちなみにサービス業は労働供給弾性値が低く、製造業は高い傾向にあります。先進国の所得がなかなか上がらないのは、産業構造の変化によるサービス業の増加と、それに伴うmonopsony・買い手独占の発生が原因です。
最低賃金を上げると雇用が増える理由
monopsony・買い手独占が発生している状態とは、労働者の賃金が買い叩かれている状態です。とすると最低賃金を引き上げると、労働者は解雇されてしまうのでしょうか?
一般的には最低賃金を引き上げると、経済学の言う需給曲線によって雇用が減るとされます。しかし現実では最低賃金を引き上げると、雇用が増えます。このことは、先進国の統計上で証明されています。
- 時給1000円で労働者100人、労働者1人が稼ぎ出す価値は1500円→monopsonyが発生している
- 好景気で時給1000円では募集が来ないが……1100円にすると最初からいた労働者100人も1100円にしなければならない。よって企業は時給を据え置く
- ここで最低賃金が1100円になると、強制的に最初からいた労働者100人も1100円になる
- 企業の粗利が500円/人から400円/人になる。このマイナス分を補填するためには、労働者を増やすしかない
- よって最低賃金が上がると、企業はマイナスを補填しようと雇用を増やす
労働市場が完全競争ではなくmonopsonyが発生しているなら、結論は真逆になります。つまり「最低賃金を上げたら雇用が減る」のではなく、「最低賃金を上げたら雇用が増える」のです。
ただしmonopsony・買い手独占の発生を超えた最低賃金の引き上げは、失敗する可能性が高い。韓国の急撃なさい低賃金引き上げがその例です。monopsony・買い手独占が少ない業種を基準に、最低賃金引き上げ額を検討するべきでしょう。
monopsonyの大きさを測るためにも、労働供給弾性値が必要になるというわけ。
まとめ
monopsony・買い手独占という概念をデービッド・アトキンソンの記事で読み、とても興味深いと思いました。
実際に労働市場で起こっているであろう力関係を、言語がするものだったからです。
言語化された概念は、人に新たな思考の方向性や幅を与えます。
今回はmonopsonyでした。知識を得る、概念を得るということは、人生において非常に重要です。
monopsonyについて、興味のある方は英語の記事などを当たってみると良いでしょう。
追記
monopsonyについてさらに調べていると、経済学101にmonopsonyの翻訳記事がありました。
非常にわかりやすい記事――しかもたったの3分で読める!――ですから、興味のある人はぜひご一読くださいね。