反グローバリズムという言葉は、ある程度は認知されるようになってきました。特に左派やリベラル陣営では、新たな基軸として見なされます。
しかし反グローバリズムとは? と検索したとき、反グローバリズムの理論や主張を整理したページが見当たりません。あるのかもしれませんが、上位に表示はされていません。
そこで「誰でもわかりやすく、簡潔に反グローバリズムの理論や主張、思想がまとまった記事が必要だろう」と、今回の記事を執筆しました。
反グローバリズムという思想の全体像を、大まかに知ることができるよう解説します。
グローバリズムとは
反グローバリズムは、グローバリズムに反対する思想です。したがってグローバリズムとはなにか? を知れば、反グローバリズムは自ずと理解できます。
グローバリズムの細かい理論や、推し進める主流派経済学――新古典派経済学や新自由主義経済学ともいう――の理論は脇に置きましょう。
グローバリズムとは日本語で、地球主義や世界主義と訳せます。
ヒト・モノ・カネが国境を越えて移動し、国境は希薄化する動きがグローバル化です。まさに地球主義といえるでしょう。
「地球規模、世界規模で『同一ルールの市場を整備すること』がグローバリズム」
上記のようにもいえます。国ごとの習慣や常識、文化の違いは無視して、世界共通の市場を設定し、その中で競争原理を働かせようというのがグローバリズムです。
グローバリズムの弊害
格差が拡大し続ける
グローバリズムと市場競争原理の元では、格差は拡大し続けます。トマ・ピケティが証明したr(資本収益率)>g(経済成長率)の公式を引用するまでもなく、格差拡大の理由は説明できます。
”自由な”市場競争では、資本が大きいものが基本的に勝ちます。つまり大資本が勝ち続け、寡占が進みます。また自由競争の元では、企業と一個人も同じ土俵で競争します。
そして資本の大きな和賀がほぼ価値、少ない側は負け続けます。
したがって勝ち組の所得は増加し続け、負け組の所得は停滞ないし減少すらします。実際にアメリカは30年間で、ボトム9割の所得が1%ほどしか増加しませんでした。
またアメリカ全体の所得の50%は、上位10%に占められています。残りを90%の人々が、分け合っているのです。
経済成長率の低下
格差が拡大し続けると、経済成長が低下することはOECDも認めるところです。格差は経済成長に、マイナスに働きます。
理由は消費性向です。年収1億円の金持ちは、1億円を使い切るでしょうか? 1000万円ほどしか使わないかもしれません。これだと消費性向は0.1となります。
逆に年収200万円の低所得層は、生活費のために稼いだお金を使い切るでしょう。消費性向は限りなく1に近くなります。
経済全体で考えた場合、貯蓄は死に金です。貯蓄される金額だけ、需要が減少します。したがって「金持ちが所得全体の5割を占め、なおかつ消費しない」という状態では、経済成長率が低下してしまいます。
危機の連鎖
グローバリズムは危機を連鎖させます。ヒト・モノ・カネが国境を自由に移動した結果、本稿執筆時点ではコロナウイルスによるパニックが起きています。多くの国が、外出禁止令などを出しました。
コロナウイルスはわかりやすい例ですが、金融でも同じことが起きます。アメリカのサブプライムローンは、世界中に波及して世界同時不況を引き起こしました。
国境を隔てない共通ルールの世界市場という仕組みは、当然ながら危機を封じ込めることができません。なぜならすでにそこには、壁がないのですから。
世界経済の政治的トリレンマと民主主義
だに・ロドリックが提唱した「世界経済の政治的トリレンマ」という概念があります。トリレンマとは、ジレンマの3つ版です。
ジレンマは2つのうち1つしか選べず、どちらを選んでも不利益を被ることです。トリレンマは3つのうち2つしか選べないことを指します。
- グローバル化
- 国家主権
- 民主政治
上記3つは、同時に2つまでしか成立しません。日本で例えれば、グローバル化を進めると国家主権か民主主義のどちらかを、諦めなければならないのです。
逆説的に、国家主権と民主主義を選択するのなら、反グローバリズムを推し進めるほかありません。
レントシーキングと政治
世界経済の政治的トリレンマにも関わる話ですが、グローバリズムが進むと政治のビジネス化が進みます。
- 政治家は選挙で勝つために資金がたくさん必要
- グローバリズムで登場した大資本が、都合のよい政治家を応援する
- 応援してもらった政治家は、大資本に都合のよいルールを作る。つまりレントシーキング
- 政治家は政治家を辞めた際には、大資本に天下りする
- 2~4を繰り返すことをアメリカでは、回転扉と揶揄する
文化の衝突
グローバリズムは国境を越えて、ヒト・モノ・カネが移動することです。EUでは移民が、大きな問題となりました。イスラム圏の移民と、EUの文化が違いすぎたからです。
「移民に配慮して」と、ドイツの給食から豚肉が消えたそうです。ソーセージなど、ドイツの食文化の根幹にある豚肉が消えたのです。
このことに反発するドイツ人も当然存在します。このようにグローバリズムは、文化の衝突を生み出し、国内の断絶を生じさせます。
反グローバリズムが生じた経緯
- 2000年から2008年はグローバリズムの黄金期
- 2008年のリーマンショックでニューノーマルな世界に
- 全く上昇しなかったアメリカ労働者の所得
- 景気の落ち込みによる移民問題の表面化
- ナショナリズムは玄関から帰ってくる
2000年代初頭から2008年は、グローバリズムの黄金期と呼ばれました。主流派経済学の大御所であるルーカスは、2003年に「経済学は金融危機を克服した」とすら表明したほどです。
笑えることに――全く笑えないが――その5年後に世界を大転換する金融危機、リーマンショックが起きました。
リーマンショックは多くの混乱をもたらしました。しかし本質は、リーマンショック後の世界の大転換にあります。世界経済は長期停滞と定義され、ニューノーマルな時代がやってきたとされます。
ニューノーマルとは? これまで普通でなかったこと、異常なことが普通になる時代というわけ。
移民問題、格差の拡大、低迷する経済成長率、大資本による政治への影響etc……。
グローバリズムがうまくいっているように見えた2008年までは表面化しなかった、あらゆる問題が2008年以降に表面化したのです。
エマニュエル・トッドはEUに関して、以下のように著しました
「窓から放り捨てたナショナリズムは、いつの間にか玄関から帰ってきていた」
人間が思うほど簡単に、国民意識は捨て去れないということです。国民意識はイコールで、グローバリズムに反します。反グローバリズムの大きなうねりが、EUから生じた瞬間が2008年だったといえます。
反グローバリズムの主張と思想とは
グローバリズムの思想をまずは理解しておこう
合理的経済人と市場原理
グローバリズムでは人間を、合理的経済人と定義します。合理的経済人とはなにか? 市場の全ての情報を知り、その情報から最も合理的な選択をし続けるスーパーヒューマンです。
この合理的経済人が、グローバリズムや新自由主義の理論的前提条件になっています。
グローバリズムが市場原理を重視し、最上とするのは合理的経済人という前提条件があるからです。
ちなみに合理的経済人などというスーパーヒューマンは、世界のどこにも存在していません。
現実ではなく数字で辻褄を合わせる
合理的経済人というスーパーヒューマンを想定する。これがグローバリズムや新自由主義、主流派経済学の本質です。
現実には存在しないが、概念上は存在するフィクションを理論化したものがグローバリズムの根底に流れる思想や考え方です。
プラトンが唱えたイデア論で「完璧な三角形は存在しない」という比喩があります。三角形を紙に書けば、線の太さ分だけ完璧ではない。紙を切り抜けば、紙の厚さ分だけ完璧ではない。
しかし完璧な三角形は、概念上は存在するのです。
主流派経済学やグローバリズム、新自由主義の思想はまさに「完璧な三角形」です。
経済学だが貨幣は語らない
グローバリズムを推し進める根拠は、主流派経済学、特に新自由主義や新古典派経済学と呼ばれる学派にありました。
しかし主流派経済学では、貨幣は議論されません。
「経済学なのに? 嘘でしょ?!」と驚かれるかもしれませんが、本当です。主流派経済学の教科書には、貨幣の関する議論は載っていない、ないし載っていてもほんのわずかばかりです。
貨幣とは経済に置けるペンであり、紙です。現実に三角形を書くなら必要不可欠です。しかし概念上の三角形を完成させるのに、ペンも紙も必要ありません。
したがって主流派経済学では、貨幣を議論しないのです。
反グローバリズムとは人間らしくありたいと求める思想
グローバリズムを知れば、反グローバリズムが理解できます。つらつらとグローバリズムについて書いてきたのは、反グローバリズムの説明ゆえです。
ほぼ理論的な説明は終えたので、反グローバリズムがどのような主張を主にしているかだけ見ていきましょう。
グローバルではなくインターナショナル
反グローバリズムは、グローバル化に反対します。よってヒト・モノ・カネが国境を自由に移動することにも、制限や規制を望みます。つまり国境を尊重し、互いの文化を尊重するとも換言できます。
世界を共通の市場ルールで統一しようとするのがグローバリズムなら、各国の文化や習慣を尊重して多元的な市場ルールを許容するのがインターナショナリズムや反グローバリズムです。
生産性や効率性だけで人間を規定しないで
反グローバリズムでは、グローバリズムが前提条件として想定する合理的経済人を否定します。経済的合理性の追求は、全ての価値をお金に置きます。そこに人間性や人権、生存などの人間らしさはみじんもありません。人間は工場の機械のごとく、1つの部品として扱われます。
よって反グローバリズムは、経済的合理性のみを追求するグローバリズムに異を唱えます。
格差の縮小と公正な社会の実現
野放図の資本主義、自由な市場競争を放置すれば、格差は拡大し続けるばかりです。格差の拡大は経済成長を鈍らせ、資本主義そのものを最終的に瓦解させます。
反グローバリズムでは格差縮小と、公正な社会を求めます。規制やルールによって弱者保護をしつつ、適度な競争を望むのです。
修正資本主義という考え方が、最も近いでしょう。
国家主権を取り戻す
グローバリズムは基本的に、民主主義と相容れません。世界経済の政治的トリレンマで解説したように、グローバル化は国家主権か民主政治の、どちらかを犠牲にしなければ成り立たないのです。
ちなみに中国は、民主政治を放棄することでグローバル化と国家主権を選択しています。
日本の場合は、民主政治とグローバル化を選択し、国家主権を放棄しました。したがって「民主主義に則って何を決めようが、グローバル化に反するものは実現できない」のが現状です。
反グローバリズムとはこの流れに異を唱え、国家主権と民主主義を取り戻そうと考えます。
反グローバリズムとはなんなのか?
2000年代初頭、グローバリズムは避けられない流れとして語られました。
「グローバリズムは不可避」
「グローバリズムの流れに乗り遅れるな!」
大真面目に上記のような議論が、展開されていました。一方でこの頃から、グローバリズムに対して疑義を唱える人も、わずかながら存在しました。理論的に考えれば、グローバリズムの行き着く先はディストピアないし破滅的な未来である、と警鐘を鳴らしていたのです。
2008年以降、グローバリズムへの疑義は本当だったと証明されます。グローバリズムのデメリットや問題点が、表面化してクローズアップされたからです。
あまりにも大きなグローバリズムの問題点は、世界中で反グローバリズムの流れを作るに十分なインパクトでした。
イギリスはブレグジットを決定し、アメリカではトランプ大統領が誕生しました。次回のアメリカ大統領選では、社会主義者のサンダースも再度、立候補するようです。
反グローバリズムとはなにか? あまりに機械的なグローバリズムへの反発であり、人間でありたいというまっとうな望みが本質です。
今回のテーマとも関連性のある佐藤健志さんの興味深い論考があります(既にご存じだと思いますが)。
衝撃! MMTはグローバリズムを肯定する!
https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/11113
佐藤さんは、ランダル・レイの「MMT 現代貨幣理論入門」の第6章での議論をもとに、以下のように述べています。
「通貨主権を媒介に、政治主権と経済主権を連携させるのがMMTの骨子である。」
「ランダル・レイは、EU各国の政治主権に合わせて通貨主権を再設定するのではなく、ユーロのもとでも経済主権が行使できるよう、政治主権のほうを再設定しろと言っている。」
「ランダル・レイが主張しているのは、EUグローバリズムによるユーロ問題の解決だと評さねばならず、これをナショナリズムと呼ぶことはできない」
結論として、MMT論者は、多国籍企業が国境を越えて活動する「新自由主義型のグローバリズム」には反対するが、世界政府の樹立による世界共通通貨の実現=経済主権の行使を否定する理由はない。つまり、MMTはナショナリズム肯定の理論ともなるが、グローバリズム肯定の理論でもある。
どのように思われますか?
この論考、私も読みましたよ~。
感想は「さすがは佐藤建志さんやなぁ……確かに!」でした。
純粋理論としてのMMTは、グローバリズムを否定しないのですよね。世界政府であればむしろ、肯定すらあり得る。
しかし考えてみると結構、当たり前なのかもしれません。
包丁は道具です。料理を作るのに通常は使いますが、包丁で布を切ったらだめという決まりはありません。凶器としても使用できます。
MMTも一緒なんですよね。