「日本人は生産性が低い」「生産性向上のためにこうしろ!」etc……。こんな記事をしょっちゅう見ますよね。筆者の目にも今朝、飛び込んできてイラッとしました。
建前ではみんな「生産性向上しなければ!」「もっともっと努力しなければ!」といいますが、本心ではどうでしょう? 本当は「生産性向上って何度も何度も、うざい! うるさい! くだらない!」と思ってませんか?
そう思える人は「正常」です。
どうして生産性向上(の押し付け)がうざくて、うるさくて、くだらないのか解説します。そして「本当の生産性向上では、個人が頑張らなくて良い」という、驚きの新常識も教えます。
日本全体で生産性向上しなければという強迫観念
生産性向上はもはやスローガン。一種の強迫観念じみたものになっています。
- 日本人の労働生産性は、先進国の中で低い
- したがって生産性を向上させなければならない
- なぜ生産性が向上しないのか? 日本の常識や民族性がおかしい! 合理的ではない!
おおよそ上記の箇条書きのような論理展開が、生産性向上の議論では主流です。こういう議論をしている人たちは「頭のいいバカ」です。
なぜ上記の議論が間違っているのか? は後述します。
生産性向上の押し付けがうざい!うるさい!くだらない!と思う人が正常
生産性向上の議論をしている、生産性なき人たちはわきに置きまして。生産性向上を押し付けられる現場は、たまったものではありません。
今まで100万円の商品を作っていたところを、150万円の商品を同じ時間で作れと言われるわけです。営業職なら売上を上げろです。
しかも働き方改革で残業はダメ。時間あたりの仕事量を増やしても、給料は増えず。時間内にこなせなくて、持ち帰り残業まで発生する始末です。
自分は一生懸命やっている。なのに仕事は終わらず、終われないことは「お前の生産性が低いから」と言われます。
「やってられるかボケ! うざい! うるさい! くだらない!」
こう思うのが普通です。
個人が生産性を向上させるとは、実際はどういうことか?
- 個人の受け取る所得を半額にすれば、生産性は2倍になる
- 所得をそのままに仕事量を同じ時間内で2倍にすれば、生産性は2倍になる
上記で「あれ? どっちにしても、1つの仕事に対しての対価が減ってね?」と思った人は鋭い人。生産性の向上とは、コストを安くすることにほかなりません。
個人が生産性を向上させるには
- 自分の給料を下げる(例:残業代なしで、持ち帰り残業)
- 時間あたりの仕事量を増やす(例:残業していた仕事を、時間内に押し込める)
上記2つしか、基本的に方法はありません。どちらも個人に無理を強いていますので、ストレスや疲労が溜まってさらに生産性は落ちることになります。
生産性向上の新常識!需要こそが生産性を高める
日本の生産性向上のための議論を、思い出してみましょう。
- 日本人の労働生産性は、先進国の中で低い
- したがって生産性を向上させなければならない
- なぜ生産性が向上しないのか? 日本の常識や民族性がおかしい! 合理的ではない!
上記の議論は戦中の「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ!」に通じます。
多くの日本人が素直に「俺たちの生産性が低いのが悪いのか……」と受け止めますが、本当は「そんなマネージメントしか出来ない、上層部が超無能」なだけです。
なぜなら、需要によって生産性が高まるという「事実」を理解していないからです。解説していきましょう。
生産性と金額、需要と供給
生産性は金額で表示されます。例えば工場で商品を3千個/日で作ったとします。1つ1000円の商品なら、300万円分の生産をしたことになります。
ではデフレで商品の値段が900円に下がったら? 270万円分の生産しかしたことになりません。同じ3千個/日を作っているにも関わらず!
デフレとは需要<供給という状態です。したがってデフレでは物価は下落します。
例えば「もしダイヤモンドが、超簡単に製造できる技術が確立したら」と考えてみてください。ダイヤモンドの値段は下がるでしょう? つまりこれが需要<供給という状態です。
需要が増加すれば値段が上がる=生産性が「勝手に」向上する
供給、生産する数より需要が増加すれば、値段は上がります。スキー場でカップラーメンの値段が高いことと同じです。
先程の工場の例で言えば、3千個を生産して300万円だった売上が、需要増加によって価格が上昇して330万円になれば「生産性が10%向上した」ということになります。
工場で働く人達は、今まで通りに3千個を生産しているだけにも関わらずです。
これが本当の生産性向上の方法です。需要増加こそが、生産性を高めるのです。
需要を増加させるためには、政府需要をまず増加させなければならない
政府需要とは言い換えれば、政府支出です。現在は消費税増税などで緊縮財政です。需要を増加させるためには、政府がもっと支出を増やすないし、減税をして政府歳入を減らす努力が必要です。
上述した「無能な上層部」とは、政府や国会議員のことです。緊縮財政で政府が需要を減らす=デフレ気味になる=民間もコストカットに走らざるを得ない=生産性は低下する。
こうして生産性が向上しづらい環境にしておいて、我々に「生産性向上! 日本の生産性は低い!」などと言うわけです。
「うざい! うるさい! くだらない!」と思って、当たり前でしょう?
生産性向上が進まないのを日本の常識や社会制度のせいにする「頭のいいバカ」たちへ
今朝、筆者の目に飛び込んできた記事は「日本人の生産性が低いのは、「日本人そのもの」が原因だった…!(中原 圭介) | マネー現代 | 講談社(1/5)」でした。
上記の記事ではまず「過剰なおもてなしが、生産性を低くしている」と述べています。「雑なサービスを消費者が受け入れられれば、生産性があがる」のだそうです。
それってどうやってやるの? って話。日本人の価値観が、生産性向上を妨げているって言われても……変えようがないでしょ? という話。
こんな「うざい! くだらない!」記事を見て「ああ、うるさい!」と思ってしまう人は多いんじゃないですか? 書いている本人は、訳知り顔でしょうが。
また記事中のIT投資が減っているというのも、単にデフレ&需要減で売上がやばい=コストカットで投資を減らすという流れの話に過ぎません。なぜなら投資全体が減少しているのですから。
なぜ「頭のいい人たち」は、「じゃあ需要を増加させよう」という話にならないのか。彼らの前提条件が「小さな政府で均衡財政主義」だからです。
もっと大きな声で「生産性向上ってうざい! うるさい! くだらない!」と言っちゃいましょう
政府支出も需要も増やさずに「生産性向上」を目指すのは、摂取カロリーを極限まで抑えながら丈夫な体を目指すことににています。
要求が無茶であれば、それに答えようとするだけムダでくだらないことです。なぜならストレスと疲労がたまり、なおかつ成果は出ない、もしくは微々たるものになるからです。
巷の生産性向上の議論は「うざい、うるさい、くだらない」議論なのでした。
「生産性向上しなければ!」「もっともっと努力しなければ!」といっている時点で本心はしたくないw
自主的なら、「生産性向上するぞ!」「もっともっと努力しよう!」ってなるわな。
「~しなければならない」… https://t.co/3zjiutrCDX