この記事を読んでいるあなたはエリートでしょうか? それとも一般庶民でしょうか。筆者は一般庶民です。
日本は1990年代から失われた20年を過ごしました。なぜ20年間も、経済成長できなかったのか? 明らかに経済政策が、間違っていたからです。
政治や経済を主導するエリートたちは、なぜその間違いに気がつけなかったのか? どうしてエリートは間違い続けるのか? 明らかにしていきましょう。
エリートの定義とは
エリートとはラテン語で「神に選ばれた者」を指します。「公に尽くせる人」をエリートと呼ぶのが、語源としての使い方です。
エリートの定義は様々ですが、ハロルド・ラスウェルの定義では「ある勢力の主体として社会的尊敬・収入・安全を最大限獲得できる者」です。
ウィキペディアによればエリートとは「他者より高い経験と責任を発揮して国家の統治や一般大衆への指導を行うことが期待されている」人たちのことです。ある種の専門家、分業制の一端とも解釈できます。
簡単にいえば「知性や責任感、地位が高く、世の中を動かしていく立場の人達」がエリートといえるでしょう。
官僚、マスメディア、経団連などの財界人、政治家、評論家、学者などがエリートの定義に含まれます。
日本語ではエリートをなんという?
日本でエリートは「選良」といいます。意味は「選ばれた優れた人」であり、とくに代議士を指す言葉のようです。国会議員などもエリートということです。
ところで最近の国会議員は、選良とはいい難い言行の人たちもいます。もはや選良は死語かもしれません。
日本のエリートの知的劣化と失われた20年
一般的にエリートは、高学歴です。高い知性や知能、それに伴う判断力が期待されます。しかし日本では失われた20年が訪れました。20年間も経済政策を、間違え続けたのです。
どうして高い判断能力を持っているはずの、経済エリートたちは間違え続けたのでしょう? いくつかの理由が考えられます。
- 分業制が進みすぎて専門バカになった
- 高い知能は時として、美しい理論モデルを現実より優先する
- 賢いではなく、小賢しかったから
分業制が進みすぎて専門バカになった
分業制が進みすぎると、専門バカが量産されます。政治や経済全体を考えられないので、おのずと判断も専門分野にすがった誤ったものになります。
とくに経済学畑のエリートは、この傾向が強いようです。他分野の学問と関わろうとせず、経済学という閉鎖空間の中で「このモデルはクールだね!」などというのが、経済学会の常との批判もあります。
高い知能は時として、美しい理論モデルを現実より優先する
現実とは理論より、さらに複雑であることが常です。しかし高い知能を有するエリートは、時として現実より美しい理論や理想を優先します。
EUやドイツが掲げた多文化共生は、メルケルによれば失敗だったそうです。少し考えれば庶民でも、うまくいきっこないことが理解できます。しかしEUのエリートたちは、多文化共生がうまくいくと信じていました。
日本でも1990年代から、新自由主義が輸入されました。2000年代初頭には「グローバルスタンダード」という言葉が、よく聞かれたものです。
日本の経済エリートたちはグローバルスタンダードを持ち上げ、日本式経営をいとも簡単に捨て去ったのです。結果は失われた20年で、いわずとも明白でしょう。
賢いではなく、小賢しかったから
賢いという定義を「現状を把握して、最適な判断を下すこと」だとすると、小賢しいの定義は「自己の利益の最大化に長けている」です。
組織の属しているとき、自己利益の最大化とは組織の肯定です。会社に属していて、反発ばかりしていたら出世は望めません。しかしその組織の論理がつまずいたとき、小賢しい人たちは従来どおりの組織の論理に則りバカを繰り返します。
グローバルスタンダードは「アメリカへの従属」の論理です。戦後日本の小賢しいエリートたちには、肯定するべきものでした。結果? 言わずもがな。
2008年から顕になった、世界的なエリートの知的劣化
アメリカでは2008年のリーマンショックのあとから、オキュパイ・ウォールストリートが展開されました。EUでは多文化共生と移民に反発し、反知性主義というエリートや権威への懐疑が巻き起こりました。
庶民が立ち上がらざるを得ないほど、世界の経済政策は失敗していたのです。そしてその失敗を導いたのは、世界の経済エリートたちです。
エリートの知的劣化は、日本のみならず世界的な現象といえるでしょう。
>日本は1990年代から失われた20年を過ごしました。なぜ20年間も、経済成長できなかったのか? 明らかに経済政策が、間違っていたからです。
ところが、日本の総合的な国力が20年以上にわたる衰退途上を続け、いまや後進国への没落が視野に入ってきていることが誰の目にも明らかな状況にもかかわらず、日本の政財官界のエリートやメディア、大多数の有識者たちは、その根本原因が歴代政権の経済政策の大失敗にあったことを頑として認めようとしません。
例えば、昨日のニュースで、
「ことしの出生数 90万人下回る見通し 少子化想定上回るペース」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191224/k10012226741000.html
とありましたが、多くのメディアはいまだに、「仕事と出産・育児の両立をより一層図る政策を進めるべき」だとか、「少子化で経済成長を遂げることが困難になる以上、人口減少を前提とした国の在り方を考えるべき」だとか、あるいは、「生産年齢人口の減少で日本社会の労働力不足が深刻化するから本格的な移民受け入れに舵をきるべき」だとか、全く的外れな見解しか示していない。
少子化による人口減少の根本原因は、「20年以上にわたる長期デフレによる実質賃金の低下と家計消費支出の低下、つまり国民の貧困化がもたらした非婚化&晩婚化にあること、つまり、歴代政権の的外れな経済政策の失敗にあった」ことを(ごく一部の識者以外)誰も認めようとしない。
そんな有様だから、少子化の進行による国家消滅という危機に対処すべき処方箋が、やはり政府の経済政策の抜本的転換(超緊縮財政から積極財政へ、野放図な規制撤廃・民営化から適切な規制強化・公営化へ、グローバリズム礼賛からナショナリズム重視へ)を図り、国民経済を再生・復活・成長させる以外にはないという見解など出てきようはずもないといえます。
まさしく思考停止と現実逃避に陥ったエリートどもが国を没落させてきた元凶であることをいい加減に国民は思い知るべきです。
>庶民が立ち上がらざるを得ないほど、世界の経済政策は失敗していたのです。そしてその失敗を導いたのは、世界の経済エリートたちです。
エリートの知的劣化は、日本のみならず世界的な現象といえるでしょう。
ところが、日本の一般庶民の大半は、「今日の惨状に至った根本原因が、歴代政権による100%的外れな経済財政政策(緊縮財政)と、グローバル・スタンダードの美名の下に行われた数多のネオリベ(規制緩和)&グローバル化政策(自由貿易やインバウンド礼賛政策)にあった」という歴然たる事実を直視できていません。あるいはなんとなく気づいていても、(エリートどもと同様に)思考停止と現実逃避に陥り、日本国家の主権者としての使命と自覚を忘れた結果、ありとあらゆる亡国政策を続ける現政権を惰性で支持し続けるほど精神的劣化が進んでしまったのか?
精神的劣化というより「なんとなくみんなが、そうだから」だと思うのですよね。
>EUのエリートたちは、多文化共生がうまくいくと信じていました。
EUの中だけの多文化共生だったら、ワンチャン成功していたかもしれませんね・・、多文化共生・・。
しかし、EUの理念を共有しないEU域外からの難民含めた人の受け入れは、少々夢が壮大すぎましたね・・。
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>エリートの知的劣化は、日本のみならず世界的な現象といえるでしょう。
エリートの国家感の喪失が、エリートの劣化を招いたのかもしれませんね・・。
国家に従事しているはずのエリートが、自己の利益の最大化ばかりはかっていたら・・、それは結果として、国家の利益にはつながらない可能性のあるものの方が多いですよね・・。
今回逮捕されたカジノ利権の自民党議員なんて、まさにそうです。(ただし、まだ容疑段階ではありますが)
自己の利益の最大化ではなく、国家国民の利益の最大化をイメージできなくなった段階で、エリートの劣化は始まっていたのかもしれません。
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>「公に尽くせる人」をエリートと呼ぶのが、語源としての使い方です。
公に尽くせなくなった段階で、彼等は本物のエリートではなくなったのかもしれませんね・・。
公でなく私にしか尽くせないのだったら・・、そりゃあ、視点もマクロではなくミクロになってしまいますね・・。
しかし本人たちは「公に尽くしている」と思い込んでるかもしれないという。