表現の不自由展が、大騒動になっていたようです。
問題になったのは、従軍慰安婦像と大浦信行さんの「遠近を抱えて PartII」という映画です。
報道では従軍慰安婦像が使用されていましたが、多くの抗議があったのは「遠近を抱えて PartII」でした。
問題とされたのは「天皇の写真が燃やされている」という部分です。
私は実際に、大浦信行さんの「遠近を抱えて PartII」を全編見ました。
表現の不自由展騒動を解説しつつ、表現の自由についても考えたいと思います。
表現の不自由展の最大論点、大浦信行「遠近を抱えて PartII」
「遠近を抱えて PartII」は、昭和天皇コラージュ事件が前提知識になっているようです。
- 1986年に開催された展覧会、富山県立近代美術館で大浦信行さんの作品が問題になった
- 作品と図録が、右翼関係者から非公開を求められた
- 1993年に富山県立近代美術館は、大浦信行さんの作品を売却。図録は焼却処分した
- これに対して訴訟を起こすも、最高裁で「管理運営上の問題」として棄却される
参照:「表現の不自由」騒動、20年前には裁判も…「昭和天皇コラージュ事件」を振り返る – 弁護士ドットコム
「遠近を抱えて PartII」を全編、見ました。
上記で35分45秒から、20分間です。
よく見ればわかりますが、燃やされているのは「大浦信行の作品」でもあります。
「遠近を抱えて PartII」はむしろ、自分の作品を燃やされた。つまり「表現が不自由だ」ということへの心象風景だったのではないか? ……という気もします。私、芸術には疎いのです。
率直に作品への感想を言えば「よくわからん……」が本音です。
なんとなくですが、佐藤健志さんの「平和主義は貧困への道」の、表紙的なメッセージ性があるような?
表現の自由とはなんだろうか?
表現の自由。なんとなく「知ってるつもり」の言葉の、代表格です。
表現の自由は、3つの条件でおおよそ成り立っています。
- 個人や結社の思想、主張、意見、批判、感情などを外部に発表する自由
- 権力は腐敗する。したがって権力への批判を保証するという意味合い
- 表現の自由は無制限ではなく、個人の名誉毀損やプライバシー侵害という人権、ないし公共の福祉によって制限される
1.は皆さんもご存知でしょうから、解説は省きます。
2.は民主主義にとって、非常に重要なことです。イギリスの歴史家、思想家であったジョン・アクトンは「権力は腐敗の傾向がある。絶対的権力は絶対的に腐敗する」との格言を残しました。
したがって権力への批判は、表現の自由で保証されなければなりません。
3.は表現の自由の、制限についてです。
まず個人に対する名誉毀損、プライバシーの侵害は制限されます。公人については、かなりの部分で許容されるようです。
また公共の福祉でも制限されますが、基本的には「法令化して制限する」のだそうです。
表現の不自由展騒動で、表現の自由を考えてみる
表現の不自由展で考えてみましょう。多くの右派、保守は大浦信行さんの映画を、不快に思ったことでしょう。
しかし表現の自由では「不快に思っただけで、制限はできない」となります。
別の論点もあります。
- 国民の象徴たる天皇の画像を燃やす映像は、公共の福祉に反するのではないか
- 象徴たる天皇の画像を燃やす映像は、日本人へのヘイトや差別ではないか
まず公共の福祉については、様々な学説があります。「他人の権利を侵害しないこと」「社会・経済的公益を増進すること」etc……。
「遠近を抱えて PartII」が「どのように他人の権利を侵害したか」ないし、「社会的・経済的公益を毀損したか」の証明はほぼ不可能です。
2.の論法が、もっとも有力です。
ただし映像が「大浦信行さんの作品(図録)を燃やしている」という注釈は必要でしょう。
この問題、探ってみると「非常に微妙な問題」です。
電凸という抗議行動は正しいか?
表現の不自由展騒動では、電凸やメールが6000件以上もあったそうです。「不自由展」再開初日、コールセンターに電話殺到。彼らは何を語ったのかによれば、再開した表現の不自由展は「アーティストに電話対応させる」という斬新な対応を取りました。
この対応、面白い。Jアートコールセンターと、いうのだそうです。
上記記事では、電凸したのは60~70歳のご高齢が大半とのこと。
さらに興味深いことに、ほぼ全員が「表現の不自由展を見ていない、来ていない」とのこと。ネットで情報を集めたのだろうとのこと。
あのさぁ……(呆れ顔)
常識的に考えてっ! 商品を買ってもない。使ってもない。そんな人がクレーム入れる? 利用してもないのにクレーム入れてきたら、零細自営業(私)はブチ切れる自信があります。
新潮45LGBT騒動だって、私は新潮45を買いましたよ。
せめて反対側の意見も、調べるべきでしょう。調べた上で、自分の対応を決めるべきです。
ゲイというマイノリティから見た風景
LGBTの中で、私はゲイです。GLBTじゃないのは、レディーファストでしょうか(笑)
はっきりと申し上げますが、私は「常識の一部は、確実に欠損している」のです。結婚は「可能性すらない」でしょう。子供は好きですが、結婚しない以上は持てません。
結婚という最終ゴールがないので、お付き合いも長続きしません。有り体に言えば、刹那的です。
幸せな家庭? 両親はいい人でした。しかし将来には、望めません。可能性すらない。
これで「常識を欠損してない」ほうが、おかしいでしょう。自覚はあります。
「オープンにしているのは少数派」ということで、ゲイ業界、日本。どっちでも私はマイノリティーなのでした(笑)
でも自分では、間違った主張はしていないつもりです。常識も欠損してますが、ある程度わきまえているつもりです。
当ブログを読んでくれる読者は、データや一次ソースに当たる気概を、見込んでくれているのではないでしょうか?
表現の不自由展の騒動は「データや事実と全く違うところ」で起きたように思えます。
自分なりに調べました。違う見解があるなら、大歓迎です。それこそ「表現の自由!」なのですから。
単純に、興味がありませんでした(汗) 調べてみて「あれ? ほぅ……こういうことになってたのかぁ」と書いてみました。
この手の問題はややこしい。そして、微妙。だからこそ、自分の見解も表明しておかなければならないのではないか? そんな気がしました。
大浦信行さんは、欠損した1人ではないか。そんな気もしてます。気がするだけです。
今回の問題については、以前からTwitter等でも相当炎上していることは分かっていましたが、どうもあまり深入りする気にはなりませんでした。
>多くの右派、保守は大浦信行さんの映画を、不快に思ったことでしょう。
まさしく理由はこれです。昭和天皇の御真影を燃やす映像とか、神風特攻隊で戦死した若いパイロットをマヌケな馬鹿と比喩した展示物だということで、(仰る通りネット情報だけですが)もうこれだけで、拒否反応全開です(笑)。
もちろん、個人的な価値観として、戦前・戦中の大日本帝国の対外膨張政策を全面肯定するつもりは全くありませんが、しかし、日本が一方的かつ全面的に悪かったとする東京裁判史観ないし連合国史観(いわゆる自虐史観)は客観的事実として間違っている。愛知トリエンナーレの展示物の作者だけでなく、主催者側の芸術監督である津田大介といった連中が、そうした歪んだ自虐史観に凝り固まった人物であることは明白です。なので、芸術作品と自称する自虐史観の産物、いわば汚物の集積場には内容的に関心を持てなかったという次第です。
>しかし表現の自由では「不快に思っただけで、制限はできない」となります。
そこが重要なところで、いかに多くの国民の感情を逆なでする内容であったとしても、やはり、現行憲法で保障された「表現の自由」は極力、保障されなければならない。ただ、もちろん、表現の自由(というかありとあらゆる自由)は無制限なものではなく、「公共の福祉」による制限を受ける。もっとも「公共の福祉」なる抽象的概念が、個別の事例でどのような具体的内容を持つことになるのか?という問題については、憲法学や憲法訴訟の判例を研究したこともないので、よくわかりませんが。
それから、ブログ記事には書かれていない論点として、このような(多くの?あるいは一部の?)国民感情を逆なでするような展示物の展示に当たって、文化庁からの7800万円もの公金支出が果たして妥当なものであるか?ということが挙げられます。これまた、「表現の自由」と「公共の福祉」とのバランスをどうとるべきか?といった憲法論議に付随する論点ですが、専門的な議論はともかく、やはり、「少なからぬ国民が不快感を抱く展示物の展示にあたって、自分たちが納めた税金が使われるのは、どう考えても理不尽だろう。もしやるなら(展示するなら)やりたいやつが全部自腹でやれ!」というのが個人的考えです。この件に関して世間一般の常識的感覚からみてどうなのか?ということも気になりますが。
私も深入りする気がありません(笑) この問題、超微妙なんですよね。本当に。Aという解釈も、Bという解釈も成り立ち得るのです。
深入りしない人、多いみたいです。
「表現の不自由展」というキーワードは、月間検索数1600くらいです。話題の割に、調べる人も少ないようです。「どう振る舞うか、決めかねる人」が多いのかも知れません。
論点で「税金」は、なるほどです。
仰る主張もよく理解できます。
視点だけ、変えてみたいと思います。
芸術って「(本質をフォーカスし)人の感情を揺さぶるもの」と、個人的には解釈してます。本当は詳しくないので、よくわからんが本音ですが(汗)
芸術や芸術論に詳しい人、カモン。
上記が合っているとすれば、大浦信行さんの作品は快、不快に関わらず、展示するだけの価値があったと証明してしまったのではないか? という視点です。
アンチテーゼとして提示してみました。
やっぱりこの問題、超微妙なんですよ。どっちの解釈も成り立ち得るんですね。
……でもだからこそ、見解を明らかにしておくべきなのかも知れません。
なぜ踏み込んでしまったのか。ちょっと後悔(笑) この問題、超めんどい(笑)
>芸術って「(本質をフォーカスし)人の感情を揺さぶるもの」と、個人的には解釈してます。本当は詳しくないので、よくわからんが本音ですが(汗)
芸術や芸術論に詳しい人、カモン。
いや、この見解は正しいと思います。個人的な趣味が音楽鑑賞なので、西洋芸術音楽(いわゆるクラシック音楽)を例にとります(無関心な人には?な内容かもしれない)
今日、いわゆるクラシック音楽として演奏会での演奏や、CD、あるいは音楽配信サービスで提供されている過去の音楽作品は、主に18世紀~20世紀初頭までに作曲されたものが大半を占めますが、実はそれらの膨大な作品の中でもごくごく一握りの作品です(多くの作品は音楽史の中に埋もれて遥か忘却の彼方に)。
それでは、どのような音楽作品が後世に残るかというと、作曲当時にすぐに人気が出るようなありきりたりの作品ではなく(もちろん例外もあるが)、同時代にはすぐに受け入れられないようなエキセントリック(風変り)な作品がかなり多い(もちろん、これまた例外もあるが)。
例えば、19世紀ロマン派の音楽で言うと、シューベルトの歌曲、ピアノ曲、室内楽やシューマンのピアノ曲、歌曲などは同時代人には中々理解しがたいエキセントリックな音楽でしたが、後世高く評価され、今日に至るまでレパートリーとして完全に定着しています。それから、ワーグナーのオペラ(特に後期の楽劇)は、20世紀の無調音楽の先駆けとなるような最前衛的な音楽でしたが、現在でも数あるオペラ作品の中でもやはり定番の傑作揃い(但し、これらの作品は当時から受け入れられていた例外ともいえる)。それから、マーラーの一連の長大な交響曲も同時代にはほとんど無視され、ナチスからも(マーラーがユダヤ人であったために)一切の演奏が禁止されたが、1960年代から一気に再評価され、いまや定番のレパートリーとなりました。
したがって、音楽史の中でもごく一握りの天才達(ある意味、性格破綻した奇人変人の群れ?)が生み出した、これまた一部の作品が傑作として残った理由は、大雑把に言えば、仰る通り、「個人の感情を揺さぶる」からにほかなりません。例えば、名前ぐらいは誰でも知っていると思われる、シューベルトの交響曲8番(通称、「未完成」)がありますが、ヤンさんは聴かれたことがありますか?自分の場合は、数十年前、最初に聴いただけで、激しく心が揺さぶられました(笑)。
シューベルトは、聞いたことがないのです。んでググったら「1曲で54分!!?」と驚愕(笑)
(3) シューベルト作曲 交響曲第8番「ザ・グレート」全楽章 – YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=yjqKdaFJxdo
時間があるときに、がんばりますぉ……自信がないですが(笑)
さわりだけ聞くと「耳馴染みのあるような……」でした。おっしゃるとおり、定番になったのでしょうか。
すげーなぁ……。これが原初だと思うと、すげーです。
芸術は疎いのですが、ギターのクラシックは好きです。もともと、プロの先生に習ってました。ものになりませんでしたが(笑)
イエペスが、一番好きでした。
(3) ナルシソ・イエペス/禁じられた遊び 第一部 – YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=u3cDLwFa_88
あとはアルハンブラの思い出、舟歌などでしょうか。プレリュード(誰だったか……)やアラビア風奇想曲も、発表会などで弾きました。懐かしい……(笑)
※若い時だったので、芸術なんて全く理解してませんでした(笑)
再度いいますが、芸術には疎いです(笑)
Museさんが造詣が深くて助かります。クラシックは古典ですよね。でも、揺さぶられる。古典ってすげーな! と思います。
それがその時代は、前衛音楽だったという事実は興味深いですね~。
>シューベルトは、聞いたことがないのです。んでググったら「1曲で54分!!?」と驚愕(笑)
(3) シューベルト作曲 交響曲第8番「ザ・グレート」全楽章 – YouTube
いや、違います。実はシューベルトの交響曲のナンバリングは実に複雑でして、こちらの「ザ・グレート」は以前は9番とナンバリングされていたが、今は8番とナンバリングされているようです。よって、例に挙げた通称、「未完成」も以前は8番とナンバリングされていましたが、今は7番とナンバリングされているようです。こっちです。
https://www.youtube.com/watch?v=0mnrHf7p0jM
それから、「ザ・グレート」のほうですが、「未完成」とは曲の趣が全く違います。前者も昔聴きましたが、さほど心を揺さぶられませんでした。特に第3楽章と第4楽章で繰り返し部分が多く、途中で飽きてやめてしまったほど。ちなみに、「未完成」のほうは、第2楽章までしかなく、演奏時間は30分程度。最初に感動したのはこっちの曲です。どうかお間違いなく。「ザ・グレート」を聴いても途中で飽き飽きしてしまうでしょう(笑)。
それから、アニメの「銀河英雄伝説」のBGMが色んなクラシック音楽の断片だということをちらっと聞いたことがありますが、本当ですか?このアニメは見たことがありませんが。
ありゃ、違ったのですか。よし、聞いてみます。
>それから、アニメの「銀河英雄伝説」のBGMが色んなクラシック音楽の断片だということをちらっと聞いたことがありますが、本当ですか?このアニメは見たことがありませんが。
本当ですよ~。古い方の銀英伝は、クラシックを凄く使ってました。
これは申し訳ない。
どちらかと言うと、私個人の不快感が中心のコメントでしたので・・。
自由は保障されるべきです。
しかして、その作品に良という判断を下すのも、低という評価を下すのも、それぞれの人のはずです。
名作古典小説でも、良という判断をくだすか、低という判断をくだすかは人それぞれです。
それは個人の感性がその作品においついているかとか、いないとかいう問題もあるかとは思いますが、それ以外にもさらに、趣味の相違というのもあるかとは思います。
(昔、とある超有名古典小説を読んだ時に、これは趣味にあわないやと思いました(笑))
(個人の感性の成熟問題とともに、趣味があうかどうかの問題もありますね、小説は(笑))
結果として私は、今回の作品に低と評価を下しました。
それは私の個人的なものです。
趣味があわないのですね
支持する人もいるのでしょうけど、私は低です。
個人的に不愉快な感じだからです(笑)
,
特攻隊の遺書の作品も、どうかなとは思います。
天皇のコラージュ作品も、最後には燃え残ったものを足で踏みつぶすそうです。
不愉快ですね(笑)
私の個人的感性ではそう思ってしまうのです。
しかして、天皇のコラージュも、昭和天皇ご自身ならば、おそらくそれも致し方なし、と思われるのではないでしょうか。
ただ、私の感性は、やはりクソだと言っているのです。
しょうがないね(笑)
,
ただ、公金使ってやるのはちょいとどうかとは思いますが。
国家が後援してるみたいで。
個人でやるぶんには、クソだとは思いますが、かってにやれば良いのではないでしょうか。
それに対する反対、というよりかは正確には妨害運動は、明確に表現の自由に違反するのかもしれませんが・・。
しかして、中止するのも、実行するのも、個人の裁量でしょうね。
(その実行の経緯に、妨害によって法の違反があれば、それは普通に裁判所か警察署に訴えれば良いのです)
ちなみに、なにか言われても、天皇家の人は、芸能人や、政治家とも違い、反論の自由はありませんが。
もし、何か悪いことをするようでしたら、批判されるのも是でしょうが、彼等は反論はできないという前提は、持っているべきではないかとは思います。
反論できない相手に、一方的に文句を言うという前提は、持っているべきかと思います。
それを知ったうえで、批判すべきであり、業の深さを認識しながら、批判をしなければなりません。
そこまで認識して批判する人間はそうはいないとは思いますが。
おそらく、大浦信行氏もそうでしょう。
天皇批判というのは、基本的には、どこも、週刊誌等にのる、皇室ゴシップレベルが大半かと思います。
しかしまあ、それもまあ、いちおうは表現の自由なんじゃないでしょうか。
私個人の感性レベルの話では、クソだと思いますが(笑)
,
私も、なにかがあれば、場合によっては天皇批判をするかもしれません。
ただ、その場合でも業の深さは認識しています。
業が深くても、批判する時は批判します。
それが、批判しなければならないことならば・・。
難儀な性分です。
,
ここまで書いてきて今更ではあるのですが、どうにもうまく言いたいことを、言葉できちんとは表現しきれていないですね。
,
私の場合は、天皇に対して畏敬の念を持っているのです。
それは、現人神(人身御供)に対する気持ちです。
私は天皇を、現人神(人身御供)だと思っているからです。
だから私は、天皇に、畏敬の念をいだいているのです。
いえいえ、コメントで「うし! 調べてみよう!」となったので、謝罪は不要です。
今日の進撃の庶民への寄稿が、まさに業の深いものになりました。
もう、芸術怖い……。エグッてきますし。あいつら。
1.国民の象徴たる天皇の画像を燃やす映像は、公共の福祉に反するのではないか
2.象徴たる天皇の画像を燃やす映像は、日本人へのヘイトや差別ではないか
この場合の「日本人」は定義上、難しいものがある
というのも・・・
昭和天皇の若かりし頃の顔は知らんがwつか昭和天皇の顔出てこないわ・・・w
燃やされているのは昭和天皇だと思われる。
令和天皇でもなく平成天皇でもなく昭和天皇
ところで、カナダは北米の国だが、カナダの王は英国のエリザベス女王みたいだな
「日本は日本人のものだけではありません」
とか言って批判された総理がかつていたが・・・w
昭和天皇に限り全く同じことが言える
昭和天皇とはエリザベス女王がイギリスだけの女王ではないように、歴史上、日本だけの王ではないという性質を持つ
天皇は何処の国の王かと聞かれたら日本の王でしかないが
しかし
Q 昭和天皇は何処の国の王様か?
A 日・韓・北・台・他
昔の韓国、昔の北朝鮮、そして昔の台湾も天皇を王とする国だった。
昭和天皇を批判する際、日本嫌いの韓国では「元日本人視点文脈」の子孫ってのを使えるからそれを便利に使い分けができて利用している
昭和天皇とは、全世界を敵に回した枢軸国、大日本帝国、日本国、台湾、韓国、北朝鮮の王という特殊性を持った王
そして、韓国・北朝鮮も特殊で
昔の韓国人・北朝鮮人は、日本人として、命をかけて連合国と戦い、大日本の無茶な玉砕作戦で死んだ南北朝鮮人が多く住んでいた国と言う特殊性を持っている。
「命をかけて忠誠を尽くす」という狂った行為を現代っ子の俺らよりも、よっぽど、昔の南北朝鮮人のほうがやっていたという経緯がある。もちろん狂った忠誠心だがw狂った愛国心だがw
しかし一応日本に対する愛国心で玉砕でくたばったという設定がある。そしてその愛国心発生装置の一つが昭和天皇だった
昭和天皇とは狂った権力に利用されただけの時代の被害者ではあるが、まあ併合したデメリット、敗北したデメリットか。安いもんだな
つか、これは韓国人の作品なのかな?
あとこれは表現物?芸術作品には見えんがwなんでもかんでも芸術というのはやめて欲しいところだ
前衛芸術とかイミフだ
まあ表現の自由という意味では、表現物でも芸術作品でも同じ事か・・・
まあそもそもこの写真が昭和天皇ではなかったらこのコメント、何の意味もないがw
そういえば、そうですね。すっかり失念してました。
皇民化教育なんて―のもありましたものね。
この作品、日本人のものですね~。
正直、私も映像を全部見ましたけど……わかりませんでした(笑)
そうそう、上記のことは、ヤンなら必ず知っているはずだが、言われるまで思い出せないものがあるw
複雑な関係性
でも日本人が焼いてるのかwじゃあ上のコメントは的外れだw
慰安婦像が韓国人の作品だから、世界のものも展示されている、なら、これも韓国の作品か・・と思ったが
「ヘイト」「差別」という視点と書いてあったから韓国のものかとw
どうやらこの問題には俺のほうが興味がなかったらしいw
日本人が焼いているなら、自国批判、自国の歴史批判の類でヘイトや差別という文脈ではないな
日本人の中にも天皇になぜか異様に憎しみを感じる層がいると聞いたが(戦争経験者のじいちゃんの一部や、部落差別被害者のことだがw
ゴッホのひまわり、ピカソの絵、芸術はわからんものだらけだw
本当、芸術ってわかりません(笑)
特に絵画系は(笑)