思想とはなんでしょう? 一般的なイメージでは「小難しいもの」ではないでしょうか? しかし思想は「難しくない」のです。
もちろん、専門的に研究するなら難しい。しかしエッセンスを学ぶだけなら、難しくありません。
思想を学べば、様々な場面で応用が効きます。
本稿では「思想とはなにか?」「思想には、こんな効用がある」「思想の学び方」の3つを、解説していきます。
思想とは? 思想を学ぶ意味とはなにか?
Wikipediaでは、以下のように解説されます。
単なる直観とは区別され、感じた事(テーマ)を基に思索し、直観で得たものを反省的に洗練して言語・言葉としてまとめること。また、まとめたもの。
参照:思想 – Wikipedia
これではピンときませんよね。
私なりにわかりやすく言えば「思想とは、物事を解釈するための枠組み」です。
そして「歴史に学ぶ」とは「思想を学ぶ」ことでもあります。
わかりやすい例を挙げましょう。
イギリスは産業革命のとき、単純労働者をたくさん生み出しました。しかも労働者を保護する法律が、ありませんでした。
低賃金・長時間労働が蔓延したのです。
このときに出てきたのが、社会主義や共産主義の思想です。「労働者の保護」という観点から、生まれたのです。
保守思想は、フランス革命とともに生まれました。保守思想の祖と言われるエドマンド・バークは、「フランス革命の省察」で保守思想を築き上げました。
歴史と思想は、深く関わり合っているのです。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とはビスマルクの言葉です。直訳は「愚者は自分の経験に学ぶと言う、私はむしろ他人の経験(歴史や思想も含む)に学ぶのを好む」です。
思想を学ぶとは「偉人の解釈の仕方を学ぶ」ことでもあるのです。
思想の2大潮流を知っておこう
人間の思考形態、解釈の枠組みは2つに別れます。つまり思想も、2つの潮流があります。
- 合理主義の思想
- プラグマティズム(実践主義)の思想
便宜上1.を「合理思想」、2.を「実践思想」と呼びます。
哲学者プラトンの「完全な三角形」
プラトンは、偉大な哲学者です。彼はイデア論を唱えました。
要点はこうです。
完全な三角形は現実に存在しない。紙に書けば”線の太さ分、不完全になる”。板で作れば”厚さ分が不完全になる”。
概念として存在するが、現実には存在し得ないものがある。
きっと「完全な三角形」は神々の国、イデアにのみ存在するのだ。
もう少し噛み砕きましょう。「理論としては存在するが、現実には当てはまらないモノがある」というわけ。
「完璧な制度設計」という言葉や概念、理想は存在します。しかし現実には「完璧な制度設計は、完全な三角形と同じく存在しない」のと一緒です。
合理思想は「完全な三角形」を追い求めます。
実践思想は「現実をどう解釈し、どのように良くしていくか?」を追い求めます。
ちなみに「完全な三角形」が、現実を良くするものである保証はありません。
合理思想と実践思想の実例
- 新自由主義や新古典派経済学
- 共産主義
- 唯物論や機械論
- ケインズ経済学や現代貨幣理論(MMT)
- 保守主義、ナショナル・リベラリズム
- 不可知論や社会有機体論、実践主義(プラグマティズム)
合理主義の「合理」と、実践主義(プラグマティズム)の実践とは
合理主義の「理」とは「宇宙のどこかにある真理」を指します。理性でこの真理に、たどり着けるとする主義です。
この「真理」が人間社会にとって「良いか悪いか」は、関係がありません。
実践主義の実践とは、経験や結果から得られた知見を指します。この「経験」とは、歴史も含みます。
2つの違いを、料理のマナーで解説してみましょう。
合理主義者の場合
「食事とは栄養とカロリーの摂取である(これが”理”)。したがってマナーなど必要ない」
実践主義者の場合
「マナーがなっていないと、白い目を向けられる(経験と結果)。したがってマナーは必要だ」
経済理論にも思想がある
主流派経済学は、社会科学の女王を気取ります。彼らは自然科学であるかのように、振る舞います。
それは主流派経済学や新自由主義が、合理主義だからです。もう少し詳しく言えば、新古典派経済学の根底には機械論があるのです。
※機械論:古典力学的な「こうすれば、こうなる」という法則や理を絶対視する思想。唯物論とほぼ同じもの。
マルクス経済学や共産主義は、唯物論が根底にあります。
じつは思想分類で、共産主義と新自由主義、マルクス経済学と新古典派経済学は「同じもの」です。
※設計主義という観点でも、同一と解釈できます。
逆にケインズ経済学や現代貨幣理論(MMT)は、実践主義です。
現代貨幣理論(MMT)が貨幣の歴史に目を向け、貨幣の定義を抽出したのは好例でしょう。
思想の学び方と手の広げ方
思想とは「解釈の枠組み」です。現代日本で起こっていることや事件、世界情勢などを考える際にも応用が効きます。
人類の思考形態のエッセンス(真髄)が、思想とも表現できます。
思想を学ぶ場合、最初は「興味のある分野」を学ぶのがとっつきやすいでしょう。
民主主義でも近代人権思想でも、立憲主義でも保守主義でも社会主義でも構いません。
もっと言えば、例えば料理分野のガストロノミー(ガストロノミー – Wikipedia)でも構いません。料理哲学でもOKです。
注意点は「実践主義的な思想のほうが、良いだろう」ということだけです。
もっとも――「知識を披露して、偉そうにしたいだけ」なら上記の限りではありません。
1つの思想のエッセンス(真髄)は、他分野でも応用が可能です。1つの思想を習熟すれば、他の思想のエッセンスもつかみやすくなります。
イタリア料理のペペロンチーノが作れたら、他のパスタへの応用が効くとの一緒です(笑)
こうして少しずつ「様々な、先人たちの解釈の枠組み」を学べば、より深く物事を洞察することも可能になると思います。
※私もその境地ではないので、断言はできないのですが(笑)
素直な直感の大切さと思想
読んだ話ですが、数学者は仮説に対して「これは正解がある」と直感するそうです。不思議ですよね。
まず最初に直感があり、そして言語化や理論化、数式化していくのだそうです。
この直感は、経験によって支えられているそうです。
高名な料理人が、次々と新しい料理を創作できるのも、経験に裏打ちされた直感なのかも知れません。
しかし料理なら「実際に直感を、料理という形にしてみる」という検証作業が必要です。数学者なら数式、社会科学なら言語化や理論化が必要になってきます。
この言語化などの作業は、批判的・反省的に行われるべきです。「間違っていないだろうか?」と検証していく必要があります。
素直な直感を大切にしつつ、懐疑も持たなければなりません。
楽しく思想を学び、そして深めていきましょう!
お邪魔いたしますです。
おいらはバリバリの理数系です。
思想とかに疎くて自分自身はどの辺なのかを考えながら読まさせていただいてるです。
「飛行機はなぜ飛んでいるのか解らない」ってのがあるです。ざっくりと言っちゃうと、実践主義的な部分が先行していて、実験すれば飛ぶってだけなんです。揚力を裏付けていく空気の振る舞いで解明されていない部分が結構あるのです。流体力学ってなりそうです。隕石が燃える理由が「摩擦」から「圧力」に変わってるですよね。
揚力ガーで現象は説明できても、理論で説明できたらおかしいとも言えます。おいらには衝撃的でしたです。
> この言語化などの作業は、批判的・反省的に行われるべきです。「間違っていないだろうか?」と検証していく必要があります。
素直な直感を大切にしつつ、懐疑も持たなければなりません。
これが響くです。自分自身の理解や、言語化で伝える為に、普遍的であるべきって思ったです。
科学あるあるですね。私も「麻酔は効果あるけど、なぜ効果があるかわかっていない」というのを、聞いたことがあります。
※聞きかじりなので、間違っているかも知れません(笑)
シュレディンガーの猫なんか、聞いた瞬間に「はい? いやいや、猫さん生きている方が」と混乱しました(笑)
思想というふうに書かれていますが・・、
人類の積み重ねてきた経験を学ぶ、という感じでもありますね。
おっしゃるとおりですね。
社会科学の分野って難しくて、「自分が到達できていないものは、理解ができない」という現象があったりします。
未だにソクラテスが研究されるのも、そのためなんですよね。
逆に(主流派)経済学のように、退化する学問もあったりします。