最近半端なくキーボードを叩いてます。左手が腱鞘炎気味です。
本日は認知不協和がテーマ。政経論では特に、認知不協和が発生します。人間って逃げる生き物ですから。
簡潔にいえば「自分がバカだと認められない」のが人間です。周りから「バカだ」と評価されても「俺が正しくて、アイツラが間違っている。だからそう思うんだ!」と思い込むのです。
私はこれを「ネトウヨ病」と呼称します。
認知不協和はネトウヨだけでなく、政経論を書いている人たちがかかる病かと思います。
文章でわかる「自分の特別度」と「酩酊」
文章の基本は「主張(仮説)」「理由」「事実」です。「想定される反論」への「反論」があればなおベストです。
「主張と理由だけの文章」は、自己満足の産物です。
いわく「個性」。いわく「人それぞれ」。簡潔にいえば「自分は特別に知っている」と思わなければ、主張だけの文章は書けません。
事実として論文に主張だけを書くでしょうか? 著作に主張だけを書きますか? 論文も書籍も「人に伝えたい」から書くものです。
事実に裏打ちされない、提示できない文章は「自己満足」「オナニー」です。
ネトウヨ、安倍支持者。これもまた事実に裏打ちされないと見て良いでしょう。緊縮財政を主張する人たちもそうでしょう。
現実との齟齬を無視しつつ、主張だけを繰り返すのが戦後日本の姿です。
こう解釈すると、ネトウヨも「戦後レジームの産物」といえるかも知れません。
現実から目を背け、認知不協和に陥る理由
私は経世済民を掲げつつ、数年もして数万PV/月すらとれないブログを「経世済民を志している」とは認めません。
経世済民を志すなら、世論を動かすためにPVを取ることに必死になるはずです。自論を垂れ流すことではなく、です。
数万PV/月すら取れず、自論を垂れ流すブログは単なる自己満足、オナニーです。端的にいえば妄想と呼べるでしょう。
なにせ「自論を広める努力すらしない」のですから。
セックスとオナニーの異なる点は? 相手がいるか? いないか? です。つまり現実か、妄想かです。
※オナニーは否定しない。経世済民論としては否定する
主張だけの文章は認知不協和ないし妄想といえます。理由しか書かないのも、同様でしょう。なにせ、現実や事実を踏まえないのですから。
ネトウヨもそうですが、政経論者もよく陥ります。
なぜ現実や事実を書けないのか? 認識したいくないのか? 不快だからでしょう。「気持ちよくなりたいのに、なんでそんな不快な”現実”を見なきゃならないんだ!」てなもんです。
残念なことに、実際は不快なことこそが大体は現実です。
- 安倍政権は、戦後レジームの強化だった
- 対米従属は強化されている
- 現代貨幣理論(MMT)が多くの積極財政派の有識者に支持されている
etc……。
非常に都合の悪いことをいいましょう。私も含めて、ほとんどの人に世間の目なんて向いてません。注目なんてされてません。
ブログで自論を垂れ流しても、誰も見てません。ネトウヨもあなたも私も、特別ではありませんし、正しくもありません。
私の場合は「見てもらう努力、相手に受け入れてもらえる努力」はしてますが。
探しものはなんですか? 爽快になれましたか?
真面目に話します。少数派でも「やはり、この論理は正しい」と確信するには、理論が必要です。相手への理論の理解も必要です。
反グローバリズムが正しい、と私が確信したのは「グローバリズムが間違っている」という、グローバリズムへの理解ゆえです。
決して「少数派だから正しい」なんて話ではありません。少数派の俺かっけーでもありません。私だって多数派になれたらよかったと、いつだって思ってますよ。
生まれつき少数派のゲイですから。
私がゲイということで書かせていただくと、だからこそ認められるためにも頑張らねばなりません。LGBTがどう思われるか? ではなく「認められにくいからこそ、頑張って相手を理解して、それに合わせて展開して、LGBT全体の印象を少しでもよくしたい」わけです。
仮に私が「LGBTを差別するのは悪!(主張だけ)」とだけしかいわなければ、認められたでしょうか? 私はそうは思いません。少なくとも、LGBTの先人たちはそうしてきましたし、私もそうありたいと思います。
政経論の少数派なんて、私にとっては「はい? それが?」です。少数派だから何? です。しかし「認められるよう、理論も論理も研鑽もしない人たち」は私は嫌いです。
主張だけを書いて、現実を解釈しないなんてバカのすることでしょう。
この稿も褒められたものではありません。しかし、それ以上に褒められたものではない記事を「垂れ流している」人は誰ですか? 主張と理由だけ書いて、事実を持ち出せない人たちは誰ですか?
結果としてPVも取れない。経世済民にも資さない。それは当たり前でしょ。オナニーなんて、誰も見たくない。あなたが特別美女や美男でない限り。
※私もどこにでもある、アホな顔です(笑)
※本日の稿は構成も推敲もしてません。お恥ずかしい……最近、忙しいのです。これは記事ではなく、日記ですね(汗)
「主張(仮説)」は、受け手がある程度わかっていること・知っていることを前提に行われます。理由は単純で、その前提となっている「事実」を毎回一々書いていられないから。その「事実」を、知らない人にわからせるほどに書こうと思えば大変な文章量になります。「事実」を提示するだけでも大変だし、提示すればわかるというものでもないので、それぞれに解説しての説明を付けないとなりません。そんなことをしていると、肝心の主張が埋もれてしまって相手に伝わらなくなります。読んでももらえないでしょう。だから、相手がわかっているであろうことは省略します。
問題は受け手がどの程度わかっているか、発信者にわからないこと。わからないまま発言しなければならないこと。その為に同じ文章であっても、そんなことまで書かなくていいと思う冗長な文章になったり、足りないと思う省略し過ぎの文章になったりします。どう感じるかは受け手次第です。知っているかいないか、わかっているかいないかで変わります。
基本的に、人が何かを思う時には何かしらの理由があります。必ずあります。それが適切か不適切かは別問題ですが、とにかく絶対に理由があります。根拠となる「事実」も間違いなくあります。それを当人が正しく認識出来ているかどうかはともかく、当人が根拠としている、当人が言うところの「事実」は必ずあります。
書いてないなら単純に省略してるのです。これぐらいわかっているだろうと、省略してるのです。同じ考えを持つ人に訴える時は、一々書かなくてもわかるだろうってことで丸々省略します。わからない人にはわからないでしょうけど、無いわけではありません。
このエントリーを読んだ、あなたのこき下ろしに該当する相手は「事実はある。こいつはあるのに見てない。わかってないのはこいつだ」と思うでしょう。そして、こいつの言うこと聞いてても仕方ないと逃げていくでしょう。ねえ、高橋さんは理解者を増やしたいのでしょ。こういう攻撃的なエントリーって高橋さんの目的に合致してますか?
いえ、このエントリーは目的に合致しないと自分でも思います。申し訳ない。
ご推察の通り、私の見知っている相手の記事への反論というか……感情的な部分が多分に含まれた記事です。
この記事に関してはsadatajpさんのおっしゃる通り……としか(汗)まったくもって愚かしい記事です。
>ネトウヨ、安倍支持者。これもまた事実に裏打ちされないと見て良いでしょう。緊縮財政を主張する人たちもそうでしょう。
現実との齟齬を無視しつつ、主張だけを繰り返すのが戦後日本の姿です。
こうした現象は、いわゆるネトウヨ(安倍礼賛・左派批判・嫌中嫌韓の3点セット)や緊縮財政論者、リフレ論者に限らず、戦後一貫して自虐史観・非武装中立路線・国連信仰などに凝り固まってきた”お花畑サヨク”(ただマルクス・レーニン主義礼賛の左翼過激派は絶滅したが)、これまた戦後一貫して日米安保体制堅持を主張し続けた対米従属根性丸出しの”アメポチウヨク”にも当然言えることです。まさしく戦後日本の言論・思潮の本質的な問題点だと言えます。
佐藤健志さんの「平和主義は貧困の道」ですね。
じつは左派も右派も、わりと認知不協和では? と最近思っています。左派のほうがまだまし、とは思うのですが(笑)
戦後日本には、靄がかかっているような気がしてます。
私が思うに、間違っている人の問題は「事実に裏打ちされない」ではなく、「事実を見落としている」だと思います。
ある事実に注視するあまり、別の事実を見落とし、結果間違った認識を持ってしまうということだと思います。見落としがないかどうか、これを私は重視してます。
私は少し異なる見方をしてます。ブロガーに対してですが。
「事実を見たくない場合がある」です。
ブロガーって多かれ少なかれ、傲慢です。だから主張できるんですが……
その主張が間違っていたときに、修正できないのは「提示されても、スルーする」からでは? と思ってます。
認知不協和と言うやつです。
まあそうでしょうね。
それも含めて、考慮していない抜け落ちがあるので間違えるのだと思います。
大変申し上げにくいんですが、ホモは精神異常者です。
その発言は、あなたに鏡となってかえっていくよ・・。理解できないかもしれないけどね・・。
上記の人は、即刻、スパム行きにすべきですね・・。
その私みたいな「精神異常者」にあえてコメントするあなたも、精神異常者ですか?
>この稿も褒められたものではありません。しかし、それ以上に褒められたものではない記事を「垂れ流している」人は誰ですか? 主張と理由だけ書いて、事実を持ち出せない人たちは誰ですか?
こういう場で書くのが妥当なのかどうなのか・・、少し微妙なのですけど・・・、
上記には、幾分か、不完全性定理・的なものを感じます。(やっぱり解釈がちょっと間違っているかもしれませんが・・)
垂れ流されてるくだらない記事が気になるのは、ヤンさんが不安(もしくは疲れているから)だからかと思います。
そうでなければ、くだらない記事はそもそもくだらないので、気にならないかと思います。
くだらないものが気になるということは・・、それは私は思うに・・、心に不安(もしくは疲れ)を持っているときかと思います。
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ですんで、ヤンさんは、もうちょい、気楽になられてもいいんじゃないかとは思います。
三橋さんみたいに職業で経世済民の流布をしているわけではないのです。
ですのでどうしてもやれることには絶対に限界がでます。
職業で政経論を書かれたり講演されたりしている三橋さんとは違うのです。
職業政経論者ではないヤンさんがやれることには、必ずや、限界というものがあるのではないかと思います。
だって・・、三橋さんは24時間政経論に自分の時間を費やせますが・・、本業を持っているヤンさんには、絶対にそんなことはできないからです。
ですので・・、あるていどは限界を認めるのも必要になってくるのではないかと思います。
それでもって、ヤンさんは一人の人間ができるかなり限界に近い部分まで頑張られていると思います。
それでもって、私は、進撃の庶民をネクストステージに引っ張り上げたヤンさんの功績は、すでに偉大なものだと思っています。
現状、ヤンさんはかなりとんでもない功績を残されているのではないでしょうか。
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ヤンさんは本職を持ちながらの者なら、その人がやれるかなり限界まで頑張られていると思います。
ですので・・、私なんぞが言えるようなことではないですが・・、ヤンさんはもう少し、開き直られてもいいのではないかと思います。
それに、バズル時と言うのはバズルものです。
あせらずにタイミングを待ち気楽にされるのが、一番なのではないかと、思います。