反グローバリズム視点で憲法改正・皇室・歴史観や民主主義を議論

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 私はグローバリズムの弊害の大きな現代を、上下対立の時代と捉えます。左右対立は優先順位として低くなったと感じます。
 しかし反グローバリズムの思想を突き詰めていくと、根底には保守思想が「こんにちは」するように思えます。

 最近は自民党より、左派系の政党のみなさんが保守的に見えます。これも反グローバリズム(というか反緊縮)を掲げるところの、必然なのかも知れません。
 反グローバリズムの思想を、憲法改正・皇室・歴史認識を通じて議論してみます。

反グローバリズム・経世済民思想の守るべきもの

 反グローバリズムや経世済民思想には、2つの価値観が存在します。1つは共同体主義(ナショナリズム)に基づいたもの、2つ目は国民生活の豊かさを目指し、民主主義を大切にするものです。
 1)が従来の保守思想的とすれば、2)は左派の人権思想的といえるでしょう。

 便宜上、1)を「右派的反グローバリズム」、2)を「左派的反グローバリズム」と表記します。

ナショナリズムに基づいた右派的反グローバリズム思想の価値観

 ナショナリズムのネーションとは、共同体です。共同体の最大単位は国家となります。家庭や家族によってそれぞれルールが異なるように、国家によってもルールや慣習、文化が異なります。

 文化の積み重ねが伝統であり、これをクライテリオン(基準)とするのが右派的反グローバリズムです。
 グローバリズムは伝統や文化、共同体を破壊します。これはクライテリオンや道徳の破壊です。
 グローバリズムは人々の価値基準を破壊し、政治からクライテリオンを奪い無分別にしていくのです。

 政治が無分別になるとどうなるか? 政治とは国民一人ひとりが関わりますから、国民も無分別になるということです。
 この状態は、国民の大衆化(Mass Man:オルテガ)を招きます。簡潔にいえば、改革バカになるのです。

 なぜこうなるか? 人のアイディンティティの大きな部分に、環境が絡んでくるからです。アダム・アルターの心理実験、環境論決定論、割れ窓理論などからも実証されています。
 伝統や文化、共同体に裏打ちされた道徳観が、失われていくのです。価値基準はひたすら、カネだけになるでしょう。

 「だから何が悪いんだ? 価値基準がカネになっても、それは人の自由だろ!」という反論があるかも知れません。
 しかし失われた20年は、まさに政治からクライテリオンがなくなって始まったのです。
 9割以上の日本国民が、失われた20年で貧困化しました。大衆化して改革バカになった結果、自らの首を絞めたのです。

人権思想に基づいた左派的反グローバリズムの価値観

 左派的反グローバリズムは、国民の豊かさを重視します。なぜなら国民が豊かでなければ、民主主義が成り立たないからです。

 長時間労働、安い賃金、精一杯の生活では政治に関心が持てません。格差が固定化すれば、教育格差も広がるでしょう。
 このような状態で「市民一人ひとりが政治に関心を持とう!」なんて不可能です。

 事実として日本国民の貧困化は進み、趣味離れも加速しています。
参照:平成で進んだ「趣味離れ」昨今のフトコロ事情の厳しさが要因か – ライブドアニュース

 「いやいや、貧しい国でだって民主主義は成立してるじゃないか!」と思われるでしょうか?
 世界167カ国中、民主主義が成立しているのは76カ国に過ぎません。そのほとんどは、先進国です。発展途上国ほど、民主主義の割合が少ないのです。
参照:民主主義指数 – Wikipedia

右派的反グローバリズムと左派的反グローバリズムに優劣なし

 私は反グローバリズムであれば、右派的であれ左派的であれ歓迎します。実際には右派的と左派的を混ぜ合わせた反グローバリズム思想が、多いのではないでしょうか?

 右派的、左派的に優劣はないと承知した上で、皇室や憲法、歴史認識について論じたいと思います。

皇統は男系維持か?旧宮家復活か?女性宮家か?

 旧宮家か? 女性宮家か? という議論で、佐藤健志さんが独特の、そして鋭い所見を書いておられます。
女性(女系)天皇肯定論と旧宮家復活論が、じつは根底で通じ合っているという話。 | 佐藤健志 official site ”Dancing Writer”

 詳しくは記事をお読みください。佐藤健志さんは「側室制度の復活が、ありじゃね?」と書いておられて、私も「ありじゃね?」と思っています。
 要旨のみ、私の理解で解説します。

非皇族の男性の皇族入りは避けるべき

 歴史上の権力闘争とは、ほとんど男性がします。皇室ともなれば、権力闘争は苛烈を極めたでしょう。
 だからこそ、「一般男性の皇族入りはダメ」という伝統が生まれました。事実として、皇室典範もそうなっています。

 皇室の男系維持とは、一般男性を皇族にしないという一般男性排斥の伝統なのです。女性は、嫁ぐことで皇族になれます。

 現在の皇室、今上陛下は象徴であり、政治権力はないのでいいじゃないか! と思われますか?
 仮に「総理の息子が皇族の婿となり、皇族入りしたら?」というケースではどうでしょう? 私には危険な香りしかしません。
 安易な伝統の破壊は、ときに意図しない危険を生み出します。

皇室典範の改正を最小限に留めるべき理由

 旧宮家、女性宮家の復活にしても、女性天皇論にしても皇室典範の大きな改正が必要です。一方、側室制度の復活は最小限の改正ですむようです。

 保守思想に照らし合わせるならば、何かを変えるときは最小に、漸進的にするべきです。
 実際にフランス革命では、大幅な変革を合理性によって実行した結果が恐怖政治です。

憲法改正は目的によって改正箇所が変わる

 憲法改正議論が盛んです。しかし「何のために憲法改正するのか?」という議論は、あまり聞こえてきません。
 改憲派は「改正が目的化」しており、護憲派も「改正させないことが目的化」しているのではないでしょうか?

 正直に申し上げれば、改憲派のほうがより「ひどいこと」になっています。道州制や一院制、大統領制、財政規律条項など「アイディアが新しければOK」というバカバカしさです。
 私は一応改憲派ですが、おもわず護憲派に鞍替えしたくなるほどです(笑)バカバカしい改憲に比べれば、現状維持のほうがマシです。

対米従属をやめて独立した国家になるための憲法改正

 改憲の大目的は何でしょう? 私は大いに「日本の独立を目的とするべき!」と主張します。

 日本はストレートに申し上げて、アメリカの属国です。アメリカの政治学者の中には、そう表現する人もいるそうです。
 属国とは宗主国に朝貢する国家です。日本からすれば、国富の流出になります。

 実際に日米貿易協定交渉(TAGといわれる)では、TPP以上の譲歩を日本がさせられると予測されています。
 トランプも「8月にすげー発表があるぜ!」と、日米貿易協定交渉の後にツイートしたようです。アメリカにとってよいこと=日本にとって譲歩であることは、間違いありません。

 「独立なんかしたら、中国に攻められる! 日米安保を破棄するつもりか!」という、たわけた反論もあるでしょう。
 日米安保は厳密には、軍事同盟ではありません。属国保護条約です。

 日米安保を破棄したから、その後に日米軍事同盟を結んではいけない、という法はありません。必要なら、双務的な軍事同盟を結べばよいのです。
 日米安保の破棄は、在日米軍基地の撤去にも繋がります。

実際に自主独立するために、憲法改正する部分はどこ?

 憲法改正を最小限にするなら、9条2項の改正のみです。軍事同盟に必要なのは、集団的自衛権だからです。
 9条2項と憲法前文を改正せよ! との声は多いと思いますが、前文は「平和憲法という建前」と解釈すれば9条2項だけ改正となります。

 実際に憲法内に平和条項を掲げる国家は、8割以上だそうです。
参照:
【憲法9条】平和主義憲法を持つのは日本だけなの? – NAVER まとめ
他国の憲法/日本国憲法だけが平和を謳っているという欺瞞  【賢者の説得力】

 自主独立するのなら、全面的に憲法改正するべきでは? という疑問もあるでしょう。過激なものでは「現憲法を破棄し、帝国憲法に戻せば良い」などという議論もあります。

 保守の原則を思い出せば明白で、すでに70年続いている憲法を大幅に変更すれば、意図せぬ混乱は必至です。あくまで漸進的に、慎重に改正することが必要です。

 余談ですが個人的には、24条を改正してほしいと思います。「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」を「両者の合意のみに基いて」としてほしいなぁ……と。
 私、ゲイですから(笑)

 左派のみなさんはリベラルで、LGBTに親和的かと思います。じつはLGBT問題を解決しようとすると、改憲議論が必要になってくるのです。びっくりでしょ?

太平洋戦争は自衛か?侵略か?の無意味な2択

 あの戦争は自衛のためにやむをえなかったのか? それとも侵略戦争だったのか? この2択に私は意味を感じません。

 第一次世界大戦後、不戦条約が締結されました。自衛戦争以外はダメだ! というものです。しかし第二次世界大戦は起きました。
 当のドイツすら、大義名分は「防衛戦争」だったのです。

 吉田茂の発言を見てみましょう。「およそ全ての戦争は防衛目的で始められており、防衛戦争などという概念自体が有害」だそうです。
参照:自衛戦争 – Wikipedia

 何が防衛で、何が侵略か? を定義するのは容易ではないのです。

自衛か?侵略か?より歴史を真正面から総括をしたほうが建設的

 我が国では第二次世界大戦、太平洋戦争を、いまだに真正面から総括できていません。なぜなら、第二次世界大戦が起こった理由すら、時代背景を含めて検証できていないのです。

 一般的には「ブロック経済になって、戦争になった」という認識です。この認識は「浅い」としかいえません。
 19世紀から世界はグローバル化していきました。帝国主義、植民地の時代です。その証拠に、1929年の金融危機はアメリカで発生し、グローバルに波及したではありませんか。

 世界的に失業率が増大し、国民の不満を和らげるために、近隣窮乏化政策やブロック経済が選択されたのです。
※ブロック経済は、ブロック内新自由主義ともいえます。
 これが第二次世界大戦の、経済的に大きな原因の1つです。グローバル化は戦争を誘発するのです。

 経済的結びつきがグローバル化で強くなれば、利害関係が深化して戦争は起きないはずだ! とは経済学者の使う反論です。
 では経済的利益があるからと、国家が領土を売り渡すでしょうか? 答えはNOです。
 安全保障は経済権益より優先される、別次元の話なのです。
 一方、国内の失業率の急激な増加は「国民生活という安全保障」の問題に直結するのです。

 第一次世界大戦前のドイツとイギリスは、経済の結びつきが強かったようです。しかし第一次世界大戦は起こったのです。

反グローバリズムを掲げる人々が心に留めておくべきこと-保守思想の漸進性

 反グローバリズム思想は、左派的にしろ右派的にしろ、私は正しいと考えます。しかし急激な変革には慎重になるべきでしょう。
 主張が正当だったとしても、正当性は客観的に評価されねばなりません。

 社会運動における客観的(客体)とはなにか? 現実です。すなわち現実の動きを確かめつつ、漸進的に転換を進める必要があるのです。

 「反グローバリズムは正しいのだから、さっさと転換すればよいのだ! まどろっこしい!」という意見もあるでしょう。
 しかし不完全性定理により、主体は正当性を証明できないのです。正当性の評価は、客体(現実)が与えるものなのです。

 反グローバリズムの思想は正しいと、私も信じています。正しいと信じるのならば、反グローバリズムの思想や主張が広まるように、客体に評価されるように「伝える努力」をしていかなければならないのです。

 「俺達は正しいんだから、わからない世間がバカなんだ!」という姿勢は、厳に慎まなければなりません。

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>前文は「平和憲法という建前」と解釈すれば9条2項だけ改正となります

前文の「平和を愛する諸国民」がどうにも気持ち悪いため、9条2項と一緒に葬り去って欲しいなぁ……(笑)。

>「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」を「両者の合意のみに基いて」として

私も昨日これを書いたのは、ヤンさんのように当事者としての切実な問題からではなく、「憲法改正を嫌がるサヨクへの嫌がらせ(踏み絵)」が「主」でした。なんかスミマセン。。。

Muse

>反グローバリズム思想は、左派的にしろ右派的にしろ、私は正しいと考えます。しかし急激な変革には慎重になるべきでしょう。

保守主義ないし保守思想は、周知のとおり、「人間理性は懐疑的なものであるがゆえに、歴史的な伝統・慣習・制度を尊重し、改革するにしても、急進的な改革ではなく漸進的な改革にとどまるべきだ」という思想です。確かに一般的な原則論からいうとその通りなのですが、具体的な事象の分析をめぐっては大いに議論の余地があるといえます。

どいういうことかというと、一口に「保守すべき歴史・伝統・慣習」といっても一体どの時代まで遡って考えるべきなのか?それから、「旧来の伝統・制度・慣習」が革命などの急進的な改革によって破壊され、その結果生まれた新たな社会制度や慣習が定着した場合、これを「新たな伝統・慣習・制度」として保守する必要があるのか?それとも、たとえ急進的な革命(いわば復古革命というべきか?)によってでも、旧来の伝統・制度・慣習を復活すべきなのか?ということです。

周知のとおり、戦前の大日本帝国憲法下での法制度・社会制度等は、戦後の日本国憲法体制下で大変革を遂げたわけであり、それから、70年以上経過して国民にすっかり定着したわけですが、この戦後体制ないし戦後レジームが今や(内容の是非に関わらず)「新たな伝統・制度・慣習」として保守すべき対象としてみなされてしまったのではないか?ということです。一例を挙げると、現行民法の核家族を中心とした家族制度は日本社会に完全に定着しており(それどころか、晩婚化・非婚化による少子化が深刻な問題になっている)、今更、戦前の旧民法下での家制度を復活させることなど到底不可能だと言えるでしょう。

それから、今や日本は、安倍政権や自民党、共産党も含めた野党、経済界がこぞって事実上の移民の受け入れを積極的に推進しており、このまま大多数の国民が目覚めなければ、さほど遠くない将来、日本国家は「完全な移民国家→多民族国家→日本人の少数民族化」へと変貌を遂げてしまうかもしれません。不幸にもそのような状態が数10年~100年も続いてしまった場合、多民族国家としての日本の「新たな歴史・伝統・慣習」を”保守”すべきだということになってしまうのでしょうか?保守主義の立場から見た場合。

阿吽

>佐藤健志さんは「側室制度の復活が、ありじゃね?」と書いておられ

私は佐藤さんを、21世紀日本の傑人の1人と認識していますが・・、上記に関しましては、さまざまな観点から難しいのではないかと私は考えます・・。

まず、皇室の歴史で側室制度の時代が長かったとありますが・・、皇室の歴史においても一夫一妻の歴史もそこそこ長いレベルで存在しています。どのくらい長いかと言いますとおおよそ一世紀以上です。 まず、大正天皇が一夫一妻を取り入れ、次に昭和天皇もこれにならいました。 この話しは全て戦前(大日本帝国憲法下)の話です。

これは側室制度とは少し離れますが・・、戦後は上皇陛下が皇太子時代に、生まれたばかりの長男(今上陛下)を里子に出すという皇室の伝統を改め、手元で育てる方針をも採用されました。

こうして皇室の結婚制度も、漸進的に変化していったのです。

今の皇室の一夫一妻とて、一朝一夕に成立した制度では、ないのです。

この漸進的な変化は、私達も認めなければならないと思います。

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次に、もし、皇室に側室制度を認めるのならば・・、一般国民にも、側室制度を認めなければならないでしょう。

なぜなら、日本国の象徴である天皇家が側室が認められるのならば、国民にも認められるべきという考えがおこってもなんら不思議ではないからです。

そして一般国民の一夫多妻(もしくは多夫一妻、もしくは多夫多妻)を認めるのは、発展途上国ならいざしらず、この21世紀の世界においては基本は認められることはほぼないでしょう。

皇室はどうしても国民の範を求められます。(ですので、日本社会は無意識に皇族ご一家の仲良し家族を期待するのではないでしょうか)

その範となる皇族が側室を設けるのなら・・、一般にも、側室(一夫多妻)を認めなければならなくなるでしょう。

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次に・・、これは私の主観的なものではありますが・・、

>旧宮家、女性宮家の復活にしても、女性天皇論にしても皇室典範の大きな改正が必要です。一方、側室制度の復活は最小限の改正ですむようです。

上記箇所に、合理性を感じます。

くしくもそのあとの文章で・・、

>実際にフランス革命では、大幅な変革を合理性によって実行した結果が恐怖政治です。

と、フランス革命について合理性のものと評価されていますが・・、それと同じように・・、『旧宮家、女性宮家の復活にしても、女性天皇論にしても皇室典範の大きな改正が必要です。一方、側室制度の復活は最小限の改正ですむようです。』・・と、合理性を述べているようにも、私には感じられるのです。

たしかに、側室制度こそが、皇室典範の改正を最小で抑えられるもっとも保守的で漸進的な考えなのかもしれません。しかして先にも述べてきましたし、あとにもさらに述べますが・・、ことはそれだけの話には収まらないのです。最小限の改正にとどめられるとはいっても、ことはそのような保守的な最小限の変革という部分のみを意識した、それ(結果的には合理性)のみの話では、結果的には収まらなくなるのです。

つまりは、この場合、もっとも保守的で漸進的な考えが、皮肉にも結果的にもっとも合理的な考えとなってしまい・・、その結果、さまざまな問題を引き起こしかねないという危惧が生まれると思うのです。

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次に感じたのが・・、人権的な問題です。

まあ、そもそも論としまして・・、私は、女性天皇議論と言うものが、現代の男女同権みたいなものからも一部出てきた議論とも理解していますが・・、これ自体が非常にナンセンスなものだとも思っています。

まず、男女同権ということは、その発想の根底には基本的人権みたいなものがあると思います。

しかし、天皇には基本的人権がありません。

人権的観点から男女平等議論になり、女性天皇もしくは女系天皇を議論するというのならば・・、そもそも基本的人権の保護とはもっとも程遠い天皇に対してそれを唱えることになりますので・・、それではいっそのこと、天皇制の廃止を唱えた方がよっぽど皇族方の人権保護の観点からは、筋がとおる話しになってしまうのではないかと思うのです。

天皇という基本的人権の否定を前にして、男女同権(基本的人権)をとなえるなど、はなはだナンセンスです。

それならば、天皇制の廃止を唱えた方が、よっぽど皇族方の人権回復に資するのです。

ただし・・、皇族の減少による皇位継承問題の解消という観点のみにクローズアップした女性天皇議論なら・・、その議論はまだ、論をする価値があるのかもしれませんが・・。

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話しを側室制度の方に戻しますが・・、これに関しても人権というものが関わってくると理解しています。

それは、天皇に生む機械になれというのに等しいのではないかと私は考えるからです。

後継男子を生むために、側室まで設けて生むと言うのならば・・、それは、天皇を生む機械としようとする発想ではないでしょうか? 

江戸以前(正確には明治帝まで)は側室は認められていましたが、それは社会システムそのものが、前近代的なシステムのもとであったという前提がありますので、江戸期以前ならば、左記の指摘(生む機械)はさほど問題とは言えないものとなるのかもしれません。

話しを現代に戻しますが・・・・、今まで私はそもそも天皇を存在そのものが人権侵害だと申していました。

しかし、天皇というシステムは、この国を安定的に、バランスよく運営するのにおいて、重要なシステムです。ですのでできる限り廃止すべきではありません。

天皇制の、しかもできれば男子による継続は、できるかぎりにおいては今現在は継続すべきなのです。

しかしてそれは、皇族方に人非人としての人生を強要する外道の考え・・でもあります。

私達は、天皇家にそれほどの重荷を(ほぼ無意識であったとしても)背負わせているという自覚は、持たなければならないと思うのです。(天皇は人身御供ですからね・・、だからこそ、現人神になられるわけですが・・。)

その上で・・、現在の人権無視な状態にさらに加えて、天皇を生む機械とさえしかねない側室制度の復活と言う件に関しましては・・、私個人としては、しのびない気分になるのです・・。

さんざん皇族を人非人としてあつかっておきながら、何を今さら・・と思われるかもしれませんが・・、それでも、やはり、しのびないのです・・。これ以上の人権無視を、天皇家にかそうとは、思えないのです・・。

ですので・・、私は側室の復活と言うのに関しましては・・、あんまり乗り気にはならないのです・・。


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