最近は左派、右派問わずに反緊縮や反グローバリズムを掲げる動きがあります。薔薇マークキャンペーンしかり、令和の政策ピボット | 平成政治からの決別を!しかり。
またブログでも、反グローバリズムを掲げるブログも見られます。
この反グローバリズムに最も早く、舵を切っていたうちの1つが、我らが進撃の庶民 – 反緊縮・反グローバリズム・反構造改革有志ブロガー寄稿サイトでもあります。
最近の現代貨幣理論の議論の混乱などを見ておりますと、グローバリズムや新自由主義(ネオリベラリズム)が何だったのか? が踏まえられていない節もあるような気がします。
Twitterなどもしかり。
今一度、原点に返って「グローバリズムのもとになる、新自由主義とは何か?」を解説しようと思います。
経済の語源は経世済民とオイコスとノモス
日本語での経済は、経世済民にあります。
經世濟民(けいせいさいみん、経世済民)は、中国の古典に登場する語で、文字通りには、「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」の意、と経世済民 – Wikipediaでは出てきます。
英語での経済、すなわちEconomy(エコノミー)の意味は、古代ギリシャ語にさかのぼります。
オイコス(家 oikos)のノモス(秩序、法則性、学問 nomos)がEconomy(エコノミー)の語源です。
「え? じゃあエコノミーって家計の意味なの?」と思われるかもしれませんが、ちょっと待ってください。
このオイコス(家)とは共同体も意味することかと思います。なぜなら日本も国”家”でしょう?
社会科学によれば”家”族とは、社会の共同体の最小単位だそうです。最大単位は国”家”なのです。
新自由主義の理論的特徴
新自由主義(ネオリベラリズム)は、新古典派経済学を理論的支柱にしています。以下のような特徴があります。
- 人間は合理的経済人(すべての情報を持ち、経済合理性のみで運動する)である
- セイの法則(供給すれば、需要される)というサプライサイド(供給側)経済学
- セイの法則→一般均衡理論により、理論内に貨幣が存在しない物々交換幻想:ダドリー・ディラードより
- 数式にこだわり、自然科学を装う社会科学
- 非現実的前提条件でしか、モデルを構築できない(自発的失業以外の失業は存在しない、輸送費がゼロ、失業しても瞬時にほかの職に就けるetc……)
端的に表現すれば机上の空論、現実を説明できない書生論、非現実的な妄想科学とすら言えるものです。
新自由主義やグローバリズムがもたらした世界の現状
新自由主義や新古典派経済学に基づいて、1980年代からグローバリズムが拡大しました。その結果、どのようなことが起こったのか?
- ハジュン・チャンの統計では、世界の経済成長の失速、半減、地域によっては激減
- トマ・ピケティの統計では、格差の拡大とトリクルダウン理論の否定
- 金融危機の頻発と深刻化、その後の長期停滞
- グローバル資本、金融資本などによる政治への、影響力拡大と民主主義の否定
- ヒト・モノ・カネのヒトの移動自由化による、移民の拡大と国民との衝突
どれも危機的なものばかりです。驚かれるでしょうが、グローバリズム以前と以後では、以前のほうが世界全体の経済成長率は高かったのです。
参照:グローバリズムが世界を滅ぼす(中野剛志さん、柴山圭太さん、エマニュエル・トッド、ハジュン・チャンなどの共著)
新自由主義やグローバリズムの本源的性質
新自由主義の特徴の1つが、市場原理主義ということです。「競争させれば、よくなる(はず)」という短絡的なものです。市場原理主義とは、表現を変えれば「弱肉強食」です。
ゆえに「国境の壁などという、政府の介入は、国際競争に不要」となり、小さな政府、市場に介入しない政府を新自由主義やグローバリズムは求めます。
この結果、新自由主義を受け入れた国家では何が起こるのか?
規制緩和と構造改革です。
規制とは法律やルールです。規制は基本的に強者を制限し、弱者を保護するという政治の理論で形作られています。
保護するべき対象の中には、文化、伝統といったものも含まれます。
単純にいっても、政府が小さくなる=弱くなるとは、国家という共同体が薄くなることに他なりません。
新自由主義やグローバリズムの本源的性質とは、共同体の破壊なのです。
依るべき政府が小さくなり、国民は原子論的個人へと還元される
格差が拡大し、政府は国民を保護しなくなり、市場原理主義の弱肉強食が横行するとどうなるか?
アダム・アルターの心理実験や、割れ窓理論によれば、人間のアイディンティティの大半は環境に左右されます。
参照:
人間は周囲の環境に合わせて自分の行動を決定している : 地政学を英国で学んだ
割れ窓理論 – Wikipedia
アダム・アルターによれば自分のいる場所が自分のアイデンティティーを決定するのです。環境論決定論とも似ています。
格差拡大、政府の保護の希薄化、弱肉強食という環境で、果たして人間は道徳観を保てるのか? 国民としての連帯感を保てるか? 答えはNOです。
多くの人が「今だけ、金だけ、自分だけ」©堤未果さんになります。
これは「お金以外での判断基準が失われる」ことを意味し、常識の喪失、金銭的基準以外のクライテリオン(基準)の蒸発を意味します。
常識はクライテリオンの喪失は、政治に対しての正常な判断能力を失わせます。
政治に対しての判断能力の喪失は、すなわち民主主義、民主政治の空洞化、形骸化といえます。
常識、判断能力を失い、思考停止した「サハラ砂漠の砂のようにサラサラと、風がこっちに吹けばこっちに流れる」という状態が、原子論的個人です。
「〇〇改革!」「大阪都構想!」といわれると、「よくわからないけど、必要だ!」と思う人は、すでに原子論的個人に堕している可能性が高い。
新自由主義やグローバリズムの”危険性”のまとめ
- 市場原理という弱肉強食社会
- 格差の拡大
- 世界経済の成長率の低下
- 共同体の常識やクライテリオン、文化、伝統などの喪失
- 常識などの喪失で、民主主義の空洞化が進む
理論的なことから、実際に世界の良識的な学者たちの調査や議論を引き、新自由主義やグローバリズムを解説差し上げました。
1つ重要なのですが、新自由主義とグローバリズムはすべてイコールではないということ。
例えばEUはヨーロッパという枠内で、新自由主義をしております。
グローバルとは地球という意味なので、EUは必ずしもグローバリズムとはいえません。しかし新自由主義なのです。
グローバリズムであれば、新自由主義である。しかし必ずしも、新自由主義を採用すると、グローバリズムになるわけではないのです。EUの例からも明らかです。
新自由主義は必要条件、グローバリズムは十分条件といえます。
本日解説した新自由主義やグローバリズムの議論は、基礎的なエッセンスばかりです。「反グローバリズム」を掲げるなら、ぜひとも押さえておきたいところです。
後日、機会があれば「政治的にはどうなるのか?」なども書きます。