ネットが我々の生活になじんで、もう十数年がたとうとしています。総務省|平成29年版 情報通信白書|インターネットの普及状況によれば、平成29年のネット普及率は83.5%だそうです。
ネット上ではしばしば、マスメディアの嘘が指摘されますが、ネット上のデマや嘘のほうがはるかに多い、というのは事実でしょう。
特に政治や思想の分野では、この傾向が顕著なように思われます。
なぜネット上では、デマや嘘が多いのか? その要因について、分析してみたいと思います。
ネトウヨとパヨク、陰謀論者という言葉の定義
本稿ではまず、特定の偏った政治主張を持つ層を定義しておきたいと思います。よくネット上で使われる、ネトウヨとパヨク、陰謀論者という言葉です。
本稿ではどちらも「強い独自の政治主張を持ちながら、(現実の)一般的に説得力に欠ける」という特徴を持った層を、ネトウヨとパヨク、陰謀論者と意味づけし、以降はネトウヨと表現します。
※ネトウヨという言葉のほうが、一般的に浸透しているように思われるため。
ネット上では極論の持ち主の、書き込み回数が多い
大規模調査でわかった、ネットに「極論」ばかり出回る本当の理由(山口 真一) | 現代ビジネス | 講談社(3/6)では、ネットで書き込み回数が多いのは、極論の持ち主だと報じられております。
上記の記事では、憲法改正に関する世論調査とあわせ、ネット上に書き込んだ回数も調査したようです。
不思議なことに「非常に賛成・絶対に反対」はあわせて14%ほどにもかかわらず、書き込み回数では約50%になったようです。
「ネットで真実」な人ほど、自分の”発見”した正義を信じ込み、啓蒙(という名の押し付け)を試みる良い事例でしょう。
目立てばOKという、ネットならではの風潮と承認欲求
TwitterやSNSでの炎上を見ますと、「目立ちたかったので、悪ふざけをした」というものが見かけられます。
これは、承認欲求の表れでしょう。
多くの人にいいね! してほしい。絶賛のコメントをもらいたい。面白いといってほしい。
参照:承認欲求が強くなる原因は? どうやって充たせばいい? 精神科医に聞いてきた|新R25 – 20代ビジネスパーソンのバイブル
ネット上で極論に走るのも、このような構造があるからに他ならないでしょう。
極論や強い言葉遣い、上から目線で「自分は人とは違うんだ!」「すごいんだ!」という満足感を得たい、というわけです。
とりわけこのネット上の構造は、嘘やデマを生み出すもとになります。なぜなら、承認欲求を優先させるならば、「嘘でもデマでもいい! 目立てばOK」に行きつくのです。
ではなぜ、これほどまでに承認欲求が強くなるのか? 現実で孤独だからではないでしょうか?
グローバリズムは共同体や社会を破壊し、原子論的個人を生み出します。原子論的個人とは、孤独な個人でもあります。
ポストトゥルースとグローバリズムの関係が語られるように、ネット上でのデマや嘘の根源は、承認欲求の背景に存在する、孤独が原因なのかもしれません。
極論は人を対話不可能へと導いていく
ネトウヨはもともと、対話不可能な人だったのか? それとも、ネットで極論を振りかざすようになって、現実での政治などの話題での対話ができなくなったのか? どちらなのかは結論付けられません。
『ネトウヨとパヨク』という記事がありました。物江潤さんの著作、「ネトウヨとパヨク (新潮新書)」の感想を書いている記事です。
「強い政治的な主張をもつ、対話のできない人」は、現実社会でしばしば孤独であり、そのために必ずしも活発な活動ができませんでした。しかし、ネット上に活動の場を移せば、この孤独は解消されます。説得力に乏しい主張(断言)という欠陥に続き、孤独に陥ってしまうという難点も、ネットによって解決できてしまったわけです。
物江潤さんは「現実社会で孤独だから、ネットで孤独の解消をしている」と考えておられるようです。
私は逆のパターンもあり得ると思います。
最初が孤独というスタート点は同じですが、もともと強い政治主張を持っていなかった、というケースです。
この場合、承認欲求を満たすために主義主張が先鋭化していき、最終的に対話不可能な人になるというパターンもあるのでは? と。
どちらにしても、スタート点が「孤独」という点が重要です。
先鋭化、極論化した主義主張は、都合のよい情報のみ集めるようになる
基本的に人間は、自分の間違いを認めることがいやです。特に、政治主張などではその傾向は、一層顕著になります。
しかも極論は、極論がゆえに「ほかの主張とあわせ、アウフヘーベン(止揚)する」という余地がほとんどありません。
したがって自説に都合の悪い情報は無視し、都合の良い情報や箇所のみ切り貼りする、という作業に追われることになります。
端的にいえば、結論は決まっていて、その結論に向けて情報を切り貼りするのです。
当然ながら、情報の切り貼りはデマや嘘が混ざります。こうしてネット上では、デマや嘘が頻繁に繰り返される現象が、起こるのです。
認知不協和が発生し続ける、ということになります。
ネット上のデマや嘘になれると、現実でも気にならなくなる?
熱烈な安倍支持者に多いのですが、公文書改ざんや機関統計の不正問題に無反応というものです。もしくは「それは役所が悪い、安倍政権は悪くない」といったたぐいの擁護論。
本来ならば、支持しているからこそ、上記のような問題に対しては、安倍政権に反省を求めるべきでしょう。
ネトウヨや安倍支持者のいわゆる保守を名乗っている層は、入管法規制緩和についても無関心でした。いやしくも保守と名乗っているのに、移民拡大をスルーするとは! と、私は当時、開いた口がふさがりませんでした。
保守系やネトウヨ系ブログを観察して得た結果です。
ネット上の嘘やデマは「孤独から発する、承認欲求」「極論と先鋭化」「行きつく先の認知不協和」によって、生み出され続ける構造があると論じました。
この状態になれてしまうと、どうも現実世界の嘘やデマにも鈍感になるようです。
デマや嘘、ポストトゥルースと戦うことがなぜ必要か?
嘘やデマとは、端的に定義すれば「間違った情報」です。間違った情報で、正しい判断が下せるわけがありません。
機関統計不正問題の根源は、まさに「間違った情報では、正しい判断が下せない」というところにあるのです。
また公文書の破棄なども、「情報が残っていなければ、そもそも判断できない」ではないですか。
※サーバーにいくらでも文章が残せる時代に、破棄、削除するとか「え? なんで?」でしょう。
我々日本人が、日本の歴史を知ることができるのは、様々な文書が残っていたからです。信長公記や万葉集、日本書紀等々。
特に公的文書の破棄、削除、改ざんとは「歴史に穴が開く」ということなのでは? と感じます。
また100年後の大阪人が、大阪都構想で大阪維新が使った資料を見たら「当時の大阪は、こんなでたらめなものを信じる民度だったのか……」と感想を漏らすことでしょう。
正しい判断は、正しい情報があってこそ可能になるのです。
※正しい情報があったからといって、必ずしも正しい判断が保証されるわけではありませんが。
最後に 嘘の種類
嘘の種類には、いくつかあるように思えます。
- 利己的な嘘、自分の利益のための嘘
- 結果的に嘘になってしまう場合
- 嘘と知らずに、嘘を書いてしまう場合
1.は最も罪が重い、と思います。この嘘のややこしいところは、本源的には「利己的な嘘」なのですが、本人自身がそれを自覚しない場合が多い、ということです。
ついた嘘を、事実だと自分で信じ込もうとすることが、多々あります。
2.はしょうがない部分もあります。例えば「こうなるだろう」と書いて、結果的に真逆になる場合。厳密には、予測なので「嘘ではない」場合もあります。
しかし一番多用される嘘でもあります。財政破綻論などは「あれは予測だ! 嘘ではない!」という強弁が通ります。
何回予測を外してるんだ? いい加減、予測に問題があるとなぜ理解できないの? と辟易とします(笑)
3.は「次回からは、きちんと調べましょう」で済ませるかもしれません。ただ、弁護士懲戒請求事件のように、大騒動になるケースもあります。
せめて書く前、行動する前に「ん? これ本当?」と調べる情報リテラシーが欲しいものです。
> この場合、承認欲求を満たすために主義主張が先鋭化していき、最終的に対話不可能な人になるというパターンもあるのでは? と。
ありますよね~、頭はいいんだろうけど、行動に一貫性がなく、今日味方になったと思ったら明日には敵、敵とみなすやゲスい内容の文章を臆面もなく書き散らかす。新たな敵が誕生するや、今まで敵と見做し、罵詈雑言を浴びせていた人に恥ずかしげもなく近づき、何事も無かったかのように親しげに会話する。
傍でみていると、ハッキリいって「怖い」。
コメントいただいて、「あ~あるある(笑)」と思い出しました(笑)
でもきっと、あれは本人の中では理屈がたってるんでしょうね。はたから見ていると「へっ? よりによってそこ行くの?」としか見えませんが。