経世済民には自主独立も必要 安全保障と富国強兵、経世済民の関係性


 経世済民がなされるためには、何が必要なのか? と考えると、いくつかの項目が浮かび上がります。

 例えばデフレ脱却や積極財政もそうでしょう。もう少し根源的に、国家というものを見てみれば、仮にデフレ脱却がかない、積極財政で経済成長したとしても、弱兵路線では諸外国の良いカモにされるだけ、ということになりかねません。

 とすると安全保障や自主独立といったことも必要になってきます。
 この関係性を本稿では解説したいと思います。

経世済民とは経済の語源だが、経済そのものではない?

 経世済民とは「世お治め民を救う」という意味だそうです。

經世濟(けいせいさいみん、経世済民)は、中国の古典に登場する語で、文字通りには、「世を經(おさ)め、を濟(すく)う」の意。「 経国済民」(けいこくさいみん)もほぼ同義である。

経世済民 – Wikipedia

 経世済民とは、一般的にいわれる経済の意味ではなく、どちらかといえば大目的や精神性、道徳観といった意味合いが強いように思えます。

 昔から名君が治めた国は、豊かであることはもちろんのこと、治水やインフラ事業に優れ、軍隊も強いというのが常道です。
 経世済民には経済だけでなく、インフラ整備や安全保障などの意味も入っているのでしょう。

富国弱兵な国家があったら、諸外国はカモにする

 外交とは軍事が根底にあります。クラウゼヴィッツのいう通り「軍事なき外交は、音符なき五線譜」です。
 アメリカの言い分はたいてい理不尽ですが、なぜこれが通るのか? アメリカが世界一の軍事大国だからです。

 では仮に、とても豊かなのに軍隊が少ない国家があればどうなるでしょう? 諸外国は外交で、どうにかその国家に不利な条約を、結ばせようとしてきます。
 もしかしたらアメリカがイラクを攻撃したように、軍事衝突まで起こることだってあり得ます。

 国際政治の現実は、基本的には弱肉強食です。

 あの貧国の北朝鮮が、核を持っただけでアメリカと首脳会談ができたのです。
 民主主義、自由、平和、人権。これらは大義名分にこそなりますが、逆にいえば「大義名分にしかならない」のです。

高度成長期の日本はどうだったのか?

 東西冷戦のさなか、日本は弱兵のままなんと! 富国を達成してしまいました。これは奇跡のような時代といえます。

 東西冷戦でアメリカは、中国の国民党軍も旗色が悪く、朝鮮戦争では苦戦。当時の東アジア情勢からみるに、日本を共産主義の防波堤にするしかありませんでした。
 端的にいって、アメリカには選択肢が日本しかなかったのです。

 構造的には「アメリカという強兵を借りて」、日本は弱兵のまま富国を達成したといえます。
 ソ連崩壊後、からわずか6、7年で日本がデフレ化した原因の1つに、アメリカの対日政策の変更もあるでしょう。

 当時の日本人の努力を否定するわけではありませんが、大きな視点で見れば、日本の経済成長は「与えられた偶然と幸運の産物」だったのです。
 したがって1990年代後半に、デフレ化したのはある意味で、必然といえるかもしれません。

強兵なしに富国が達成できない”当たり前の時代”

 現在の日本の周りは、中々シビアな状況です。中国の台頭、北朝鮮が核を持ち、韓国、台湾は将来的に中国経済圏に飲み込まれるでしょう。

 冗談抜きに日本は、アメリカの属国でありながら、中国の属国という状態になりかねません。これでは、いくら経済成長だ! 積極財政だ! としてみても、両国に搾り取られる可能性が高い。

 アメリカの凋落は目覚ましく、2050年代に米中のGDPは、中国が追い抜くなんて試算すらあるほどです。
 トゥキディデスの罠が発生する可能性もありますが、何もなければアメリカの覇権は縮小します。
参照:トゥキディデスの罠 – Wikipedia
解説:覇権国家が、台頭し挑戦してくる国家に対して、追い抜かれないうちに戦争を仕掛けようとする心理、状態。

日本が富国強兵になるには、どうしたらいいのか?

 技術論的には9条の改正、財政法四条の改正、反緊縮・積極財政等々。いくらでも論点はあろうかと思います。

 精神論的にはナショナリズム(共同体主義)ですとか、伝統と歴史から常識を学ですとかあるでしょう。

 我が大阪の話ですが、今年の地方統一選、ダブル選で大阪維新は勝利しました。より過激な改革主義が、大阪では支持されたのです。
 この結果は如実に、大阪から活力が失われている、という現状を示唆します。なぜか?

 改革主義とは「現状に辛抱できない、子供の遊び」だからです。手っ取り早く解決した気になりたいから、改革が推し進められるのです。
 失われた20年を思い出してください。執拗な改革につぐ改革で、何か1つでも解決されたでしょうか? されていません。

 改革(ごっこ)とは、活力が失われているからこそ、出てくるのです。ある種の現実否認、現実逃避ともいえます。

 日本の経世済民の問題は、戦後に端を発し、驚くほどに根の深い問題といえます。一筋縄でいくはずがありません。
 まずは日本の現状が「相当にひどい」という現実を、受け止めることから始めねばなりません。

 現実否認、現実逃避からは正しい判断など、生まれようがないのですから。

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