現代貨幣理論が日本でも取り上げられたが……
MMT(モダンマネタリーセオリー、現代貨幣理論)が各種新聞やマスコミに取り上げられているのですが、なぜかどの新聞も「現代金融論」とMMT(モダンマネタリーセオリー)を訳しています。
米国債市場は「MMT」静観 財政赤字膨張も利回り低水準続く (1/2ページ) – SankeiBiz(サンケイビズ)
(リンク切れ)財政赤字認める金融論 「MMT」米で論争 政界巻き込み過熱 : 経済 : 読売新聞オンライン
パウエル議長が一蹴した金融理論、ウォール街は「辛抱強く」試す姿勢 – Bloomberg
財政拡大理論「MMT」、理想の地は日本か | ロイター発 World&Business | ダイヤモンド・オンライン
上記は一例ですが、なぜでしょう? MMT(Modern Monetary Theory)をグーグル翻訳にかけてみますと「現代貨幣理論」と出ます。
また例えばマネタリーベース(Monetary base)は「日銀が供給する通貨量」であり「金融量」では意味が通りません。
monetaryの意味・使い方・読み方 | Weblio英和辞書にを見ましたらこうです。
1. 貨幣の,通貨の.
2. 金銭(上)の; 金融の,財政(上)の.
確かに「金融の」という意味も含まれているようですが、日本では金融というとおおよそ狭義の金融を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか? wikiによりますとこうです。
事業として金融を行っている組織などの活動については狭義の金融とされるが、一般的に「金融」と言えば、この狭義の金融を指すことが多い。
業として金融を行っている、いわゆる金融業には、銀行・証券会社・保険会社・投資銀行・リース会社・信販会社・貸金業者などがあり
金融 – Wikipedia 赤線部分筆者編集
――いまさらですが日本のマスコミはバカなのでしょうか? ちなみに「金融論」では、以下のようなものを論じるようです。(上述wikiより参照)
- 現金と現金以外の資産についての研究 ※負債ではない(筆者加筆)
- 経営及び資産の有効活用
- 事業計画についての有利性の判定
- 余資運用の科学的分析
- 金融派生商品、為替の市場分析
- 小口の企業債権や個人のカーリース債権やマイホームローン債権のファンディング
何をどう解釈したってMMT(Modern Monetary Theory)は「現代”貨幣”論」でしょうに。言葉の定義を大切にしないマスコミや新聞は、自らの価値を自らで貶めているのです。
「現代金融論」と報じる意図はなんだろう?
なぜあえて「おかしな訳」でマスコミは報じるのか? について考えてみたいと思います。
- 「金融(狭義の意味)」を印象づけて、印象を落とそうとしている
- バカなので内容を理解しないで報じている
- 最初に報じられたのが「現代金融論」と訳されたので、思考停止で追随している
- 商品貨幣論の反対が現代貨幣理論と理解してない
4つほど考えられるわけですが……いずれにしても「調べが足りない思考停止」としか解釈ができません。1.だとしたら悪意すら感じます。
英語から日本語への伝言ゲームなわけですが、たった1回の伝言で間違えるのはもはや笑えるレベルです。
近代資本主義と金属主義と表券主義の歴史
ここでは詳細は論じませんが、金属主義=商品貨幣論の根底=新古典派経済学の貨幣観=物々交換経済学です。
表券主義=現代貨幣理論の根底=ポストケイジアン=近代資本主義経済学です。
注:ポストケイジアンはアバ・ラーナーの機能的財政論や、ハイマン・ミンスキーの金融不安定性仮説等々です。
近代資本主義はいつ生まれたのか? 18世紀の半ばと言われております。イギリスの産業革命がその起点になったとの認識が一般的で、この原因はイングランド銀行(中央銀行)があったこと、そして株式会社が設立できたことだと、私は解釈しております。
上記によって強力な信用創造が可能になった=大きな資金調達が可能になったことが、原因と解釈します。
そして18世紀終わり~19世紀初頭にかけて、イギリスでは地金論争が発生します。近代はじめての貨幣論争というわけです。
ここで出てきたのが金属主義と表券主義です。
余談ですがしばしば表券主義は「不換紙幣を使用しているから表券主義」という誤解をされますから、この誤解を解いておきたいと思います。
一言で言いますと、”主義”なのです。表券という言葉は「貨幣=マクロ的に単なる数字」と捉えることを意味します。つまり負債もマクロ的に単なる数字であり、したがって発展すると「国債や通貨(日銀負債)は単なる数字なので、気にしなくて良い」という、アバ・ラーナーの機能的財政論になるわけです。
金属主義はこの逆です。
閑話休題。
この地金論争をきっかけに、新古典派経済学の祖である古典派経済学は、貨幣論を封印しました。延々と金属主義の上に、新たな仮説を積み上げて経済学となったのです。
しかしいくら仮説の理論を積み上げても、現実に対応していない学問に意味はありません。
新古典派経済学が現実に対応できていない、という一例をご紹介します。
2003年にロバート・ルーカスというノーベル経済学賞を受賞し、アメリカの経済学会会長の人物は演説の中でこう宣言しました。「恐慌の発生を防ぐ上での主な障壁が解明された」と。
つまり新古典派経済学や世界もはや、恐慌を克服したとルーカスは勝利宣言を行ったわけです。
このわずか5年後、2008年にリーマン・ショックという恐慌が発生し、新古典派経済学の理論はフィクションであったと、皮肉にも現実的に証明されたのです。長期停滞という形で……。
なぜ新古典派経済学の大御所がリーマン・ショックを克服できなかったのか? 根本の貨幣論が商品貨幣論(金属主義)であり、ようするに物々交換を高度に論じたものに過ぎなかったからです。
新古典派経済学を皮肉るのに「原始人の使う経済学」とでも、表現しておきましょう。
アメリカでMMT(モダンマネタリーセオリー、現代貨幣理論)が取り上げられるのは、このような背景から必然だったのです。現実を解釈する経済学や経済論が求められたのです。
1970年代に”不当”に葬られたケインズ学派が、2010年代に復活を果たしたというのは非常に興味深い話です。
また200年以上前に議論された貨幣論の復活も、象徴的でしょう。
私は旧ブログからずっと、「現実に即した経済学を、経済学者は唱えるべきだ」と主張してきましたが、それが訪れようとしているのかも知れません。
※ただし、日本にはそもそも現代貨幣理論を知る経済学者が、少なすぎるのはかなり問題ですが(笑)