井上章一さんの著作、大阪的が大人気
何気なく発売当初に「大阪文化と大阪を勉強しよう」と思って、「大阪的 「おもろいおばはん」は、こうしてつくられた (幻冬舎新書)井上章一」を買ったのですが、なにやら大人気な著作になっているようです。私もびっくり。
大阪は「風評被害を受けている」井上章一さん著「大阪的」が話題に(1/3ページ) – 産経ニュースによると話題になっているのだそうです。確かにこの本、私の大阪観にも確かな物を与えてくれる名著と言えました。
本日は「大阪的 「おもろいおばはん」は、こうしてつくられた (幻冬舎新書)」を、せっかく話題になっているそうなので、レビューしてみようと思った次第です。
いくつかの面白い稿を紹介しながら進めましょう。その前に目次の紹介。
- まえがき
- 第一章 大阪人はおもしろい?
- 第二章 阪神ファンが増えた訳
- 第三章 エロい街だとはやされて
- 第四章 美しい人は阪急神戸線の沿線に
- 第五章 音楽の都
- 第六章 「食いだおれ」と言われても
- 第七章 アメリカの影
- 第八章 歴史の中の大阪像
- 第九章 大阪と大阪弁の物語
- あとがき
P24 太鼓持ちちゃうぞ、俺は
これは第一章 大阪人はおもしろい? の稿ですが、他県、他地方に行くと関西人の筆者は、ビジネスライクな話をしている時でも、周りから笑われることがあるのだそうです。引用しましょう。
東京の仲間は、大阪から出張できた自分を、漫才師のようにあつかいたがる。飲み会などで顔をあわすたびに、おもしろいことを言えとねだるものさえ、いなくはない。
(中略)
幸か不幸か、自分には社交性がある。彼らの求めに応じて、にぎやかしの役目を、しばしばしてきた。でも、思うんですよ。なんで、お前らのために、こんなことせなあかんのや。俺はお前らにやとわれた太鼓持ちちゃうぞ、って。
大阪人あるあるですね。
私も、20代の頃に愛知県によく行ってましたが、「おもしろいこと言って!」と言われることがありました。そのくせ、あいつらオチまで待たれへんねん。
だいたい、大阪人が全ておもろいと思ってるのが気に食わないんです。大阪人でも私みたいな、おとなしいのもおるんですよ。
大阪人=おもしろいの図式は、どうやら1980年代に始まった「まいどワイド30分」というテレビからのようです。。
いわゆる素人へのインタビューで、面白いコメントをつかう番組だったそうです。
確かに、例えば大阪の代表的なお笑いコンビ「ダウンタウン」も、有名になったのは1980年代でした。
この流れで大阪人=おもしろい、となったようです。太鼓持ちちゃうぞ、俺は。
P65 関東の男が大阪弁をつかう時
この稿も非常に興味深いことが書かれています。第三章 エロい街だとはやされて、からです。少々長いですが、引用しましょう。
いや、それどころではない。関東そだちなのに、ときおり大阪風の表現を、わざと自分の会話にはさみこむ人もいる。大阪人らしい振る舞いでたわむれている東京者を、彼の地で見かけることもある。
大阪的な価値観が、首都圏でもうけいれられているからだとは、しかし思えない。関東の人たちが口にする疑似大阪弁を聞いていると、むしろ逆の印象をいだかされる。彼らは、大阪をみくびっている。少なくともうやまってはいない、と。
たとえば、金銭がらみのせちがらい話をする時に、大阪風をよそおう関東者がいる。
「みみっちいはなしになってしまうんやけど……」と言いつつ、節税の話を切り出す。買い物などで値切るさいには、「すまへんけど」と腰を低くする。大阪弁もどきのそういう利用法に、私は関東で何度かでくわした。
この章では「大阪=エロい街」となった経緯を説明しています。これもまた、メディアに取り上げられて、そう印象付けられたということが大きいようです。
そもそも、大阪の風俗を利用しに来るのは他県が多いのだそうで、大いに関東者も利用したと書かれています。
印象付けられて、しかもそれに大阪人がノッた、否定しなかったというところが「大阪=エロい街」となった原因なのでしょう。
おもろければ、それでええ! の精神は、大阪人をして大阪を貶める結果になったのでした。
ちなみに「大阪的 「おもろいおばはん」は、こうしてつくられた (幻冬舎新書)」では、小説家が昔の大阪に逗留したりした感想を取り上げてます。
それによりますと、昔の大阪人は「おもしろい」ではなく「はんなり」だったり、「快活」だったりしたそうです。
印象的なのは「大阪人はユーモアも解する」と書かれていたことで、これはつまり現在の大阪観とは全く異なり、「おもしろいことも、分かる」というだけだったことが、分かります。
第六章 「食いだおれ」と言われても
この稿が非常に興味深く、また恥ずかしながら私が知らなかったことです。ご存知の通り、私は自他ともに認める料理好きです。昔はイタリアンカフェレストランで働いていました。
現在はもっぱら、歳をとってきたので和食を自炊する日々です。いくつか写真を載せておきましょう。
現在では「大阪の食い倒れ」というと、「食べすぎて、倒れる」の意で使用されますが、これ全然違います。
昔は「美味しいものを食べすぎて、破産する(倒れる)」と使用された言葉なんだそうです。
大阪は1900年代半ばくらいまでは、京都の人が「あ、あの人大阪で修行してきはってんて。ほな安心やなぁ」という会話があるくらい、大阪は食の都だったのです。
だからこそ、「食いだおれ」と言われたのだそうです。
格言にも「京の持ち味、浪速の喰い味」とあるように、大阪の料理はまさに「天下の台所」だったのです。過去形で言わねばならないところが、非常に口惜しいですが。
参照:大阪料理会|大阪料理とは
「大阪的 「おもろいおばはん」は、こうしてつくられた (幻冬舎新書)」は、大阪が本来どういうところであったのか? を非常に愛を持って書かれた著書かと私は思います。
筆者の大阪への愛情が、ひしひしと感じられる文章なのです。
大阪の文化とは本来、どういうものであったのか? 大阪人はこの著書で再発見することでしょう。俺ら、「おもろい太鼓持ちちゃうぞ!」と。
結局、大阪は、どうして今のような街になってしまったんでしょうか?
やはり、80年代と言いますと、やはりどうしても新自由主義の蔓延が、その端緒ということになるのでしょうか・・?
新自由主義による東京一極集中からの大企業移転(もしくはそれが始まる)・・、それにあせった大阪在野の人々が、なんとか大阪を盛り上げようと「オバタリアン」的なものを持ち出す。
一時は、そういった「おもろい大阪」で大阪の観光イメージは回復したけど・・、それでもなんだかんだで結局は、その裏で、新自由主義的東京一極集中によって大阪は20年から30年をかけて沈没・・、残ったのは結局は、オバタリアン的大阪のイメージのみ・・・・的なかんじでしょうか・・・・・?
結局は、大阪の地盤沈下を最もはやく食い止める方法は・・、金沢と大阪の新幹線の合流ですかね。
おおよそ、書かれているイメージで合ってるんじゃないでしょうか? 私も、そのようなイメージで解釈しています。……口惜しいのですが。うん、口惜しいのです。
あと1本、2本新幹線が大阪につながれば、状況は変わるのだと思います。きっと。
凋落、沈没するときって、人の行動がおおよそ裏目に出るのですよね。大阪もそうですし、これからの日本もそうかも知れません。
案外、オバタリアン的大阪は”爽快な末路”なのかも知れないですね。
日米戦争開戦の一報を聞いた当時の日本人の記録なんかでも、結構・・「さっぱりした」とか「すっきりした」とか・・、そういう爽快系の言葉を残していたらしいです。
・・こんどの日本人はどんな感じになるのでしょうね・・・?
「国境、取っ払ってやったぜ!ああーーー、すっきりしたあ(爽快)」
こんな感じでしょうかね・・・。
どうなんでしょうね~。
むしろ現実(国境が取り払われる)を見ずに、なにか別の妄想でスッキリ爽快になってそうな気もします。
>参照:大阪料理会|大阪料理とは
相談役の上野修三氏は「浪花割烹 喜川」の先代ですね。多数のお弟子さんを輩出されています。上野氏がまだバリバリだった頃、会で料理を発表する番になると、ミシュランで星を取っているようなお弟子さんでも、「おやっさんの前だと、緊張して手が震えたww」と仰っていました。
おお、そうなのですね。相談役の人がそんな大物だったとは……。