民主制と民主主義の厳密な違い
まず最初に民主制(度)ないし民主政体と民主主義は、厳密に言えば異なるということを解説差し上げ、そこから本論に入っていきたいと思います。
民主制とは純粋に政治形態のことを指します。主義は英語でイズムとなり、政治形態はクラシーと表現されます。民主主義は英語ではdemocracy(デモクラシー)を日本語訳したものですが、本来は民主制と訳されるべきでした。デモクラティズムではないのです。
システムとイデオロギーの違い、と表現すればわかりやすいでしょうか? 平和とは状態であり、平和主義となるとイデオロギーとなる違いに似ています。
現状、日本もアメリカも「民主制」ではありますが、民主主義が実現できているか? と問われると疑問です。
どのような政治形態でも存在する、支配層・非支配層
封建制度、絶対王政、共産制、民主制……どの政治形態でも、政治における支配層と非支配層は存在します。民主主義では「国民が主権を持っている」と解釈されますが、しかししばしば国民は民主制のもとで無力感を味わいます。
本当に民主制において国民は、主権者なのでしょうか? この問には「主権者ではあります」と答えるのが正解ですが、主権者でありながら主権を縮小され、非支配層でもあるというのが、現状で適切な解釈なのではないか? と私は考えています。
選挙での投票という行動は、政治家が厳密には代議士と呼ばれるように、自分たちの持っている主権を行使して投票し、代議士に権限を代替・集約させることと定義できます。一般的には代議士は国民の代表と表現されます。
間接民主制ではこの時点で、国民の主権の行使は一旦終わります。とすると監視する必要はあるものの、他者の手に権限を委ねた時点で非支配層になるのでは? と思います。もちろん、リコールなども可能なのでしょうが。
間接民主制のメリットと理念
民主制には間接民主制と直接民主制が存在します。間接民主制の理念は、「国民により選ばれた(おそらく国民より節度があり、知性がある”はず”)の代議士たちが、国会を通して政府と対峙する、ないし代表を決めて政府に送り込む」ことで、より良い政治を目指そうというものです。
ただし――国民に選ばれた代議士に、節度や道徳や知性が本当にあるかどうか? は保証されているわけではありませんが。しばしば人気取りだけが上手い政治家が、強い政治家となるのはそのためです。
それでもワンクッション置く事で、政治にいくつものフィルターを貼って、よりよいものにしようというのが間接民主制の理念とメリットとして説かれるところです。
昨今の”決められる政治”という弊害
間接民主制のメリットは、国民の意見を代議士、国会、与党、野党などのフィルターを通すことによって洗練させ、最終決定にまで行くことと申し上げました。
しかし1990年代頃から決められる政治、行政改革、政治改革などが進められた結果、中選挙区制から小選挙区制になり、代議士の目的は以下のように変化したように思えます。
小選挙区制ではトップのみが当選しますので、代議士になり政治をしようとすると、最大公約数にウケる主張をしなければなりません。とするともともとの政治理念を国民の前で演説するというより、似たり寄ったりの演説になることは避けがたいでしょう。
余談ですが、たまにTV番組や書籍などで「昔の政治家は個性があったが、今の政治家は小粒」というような事が言われます。さもありなん。選挙区制度変化は、政治家の小粒化をもたらしたのです。
政治家が小粒化するとどうなるか? つまり金太郎飴化するとフィルターとしての機能は弱くなります。端的にいえば強い首相が出てきたら、イエスマンばかりに堕するというわけです。これでは、間接民主制の理念もメリットも活かせないのは当然です。
国民から見ても、どの候補も同じようなことしかいいませんので「誰に入れても一緒」と感じる国民が増えても、不思議はありません。したがって昨今は、人気取りの上手いルックスの良い政治家は有利になり、彼らの比率が増えるのもうなずける話です。
国民は主権者だが主権が行使できず、非支配層でもあるという現状
昨今の状況を端的に申し上げると、国民にとっては候補者が小粒で主張も大して変わらない、と感じていてもおかしくない状況です。とすると、そもそも「この候補こそ国会へ!」という積極的理由の投票ではなく、「◯◯党だから」「他に良さそうな人がいないから」という、消極的理由での投票が増えているのではないか? と感じます。
実際に――1990年までの投票率はおおよそ70%で推移していましたが、1990年を境に投票率は60%を切って50%強というのも珍しくありません。特に1996年以降はだだ下がりです。民主党政権が誕生した2009年が唯一、1990年以降では70%近い投票率を叩き出したのです。これが何を意味するのか?
2割近い有権者が「どうせ投票したって、変わらない」と感じていることの証左ではないでしょうか? 特に1996年の投票率の低下は、顕著です。小選挙区制で選挙が実施された年です。
つまり、代わり映えのしない小粒な候補者。主張はその時々の政治イシューで議論はイエスかノーか。国民が経済政策を求めているのに対して、小選挙区制度ではそれを主張する大粒の候補者もあまりいない。
したがって「本当に自分たちが求める政策を主張する、代議士」を選ぶことができない状況に近い、と現在の状況は表現可能かも知れません。とすると、自分の主権を託すべき代議士が見つからないのだから、国民主権とは名ばかりになり、非支配層という面が強調されるのではないでしょうか?
民主制と日本の政治的現状のまとめ
- 間接民主制と小選挙区制の組み合わせが、政治家の小粒化を招いた
- 政治家の小粒化で主張は大差なくなり、政治に対する諦観が漂うようになった
- 小選挙区制は死票も多くなるので、これは国民主権の制限と言える
- 政治家の小粒化は、強い首相へのイエスマンの量産になり、国会は政府と対峙できない
- 全体的な力量は落ちているが、相対的に政府は強くなり「決められる政治」が可能に!
結論としては現状を転換しようと思えば、中選挙区制の復活こそが必要だと考えます。しかし――現在の政治家はすべて「小選挙区制で当選したものばかり」なので、わざわざ自分たちに不利になるかも知れない選挙区制度への転換は、絶望的に難しいとなります。
小選挙区制度は新自由主義的政治制度だった
最後に小選挙区制度の導入で言われていたことをまとめたいと思います。
- 小選挙区制にすれば、お金がかからずクリーンな政治になる
- 小選挙区制は民意を反映しやすい(はずだ)
- 小選挙区制で2大政党制に移行できる(はずだ)
- 候補者が選挙区で切磋琢磨する(はずだ)
「お金がかからず」「株式のように効率的に民意を反映し」「2大政党制という効率的な体制に移行する(はずで)」「選挙区内での競争も期待できる」。
競争、効率化――つまりこれ、非常に新自由主義的な考え方に基づいた、選挙区制度だったりするんじゃないでしょうか? その結果が「国民の政治と投票への諦観」であり「経済界、民間議員などの発言力の増加」であるのならば――政治的格差社会とでも表現するべき状態なのです!
いまや国民主権が縮小され、国民は純粋な非支配層に近づいた、と見るべきでしょう。
そういえば最近・・、元民主党のとあるかたが、自民党に入党したいとかなんとかで話題に少しなっていましたが・・、
まあ、そのかたの野党時代の発言(安倍政権批判とかの)なんかを考えますと、えっ、自民党・・?・・っとも、なりますでしょうね・・・。
これも、今回の記事なんかを読みますと・・、ひいては小選挙区制度の、弊害・・?・・・なんでしょうかね・・・(^^;)
小選挙区制の弊害という要素は、大きいように思います。勝てるところに入らないと、政治自体ができない――という話かと~。
世界を見渡せば、選挙制度というのは色々なバリエーションがあるわけですが、私も以前に「理想の選挙制度」を研究したことがありまして、下記の漫画ページでも少し反映させていたりはします。
https://ameblo.jp/shingekinosyomin/image-12240268303-13851311626.html
「死票を減らす」という、理想の選挙制度実現のために確実に加点となるポイントがあるわけですから、唯一のデメリットである「時間とお金がかかる」を許容し、投票率が上がるような選挙制度を実現させなければいけません。現在の小選挙区における「単記非移譲式」から「単記移譲式」への変更は必須だと考えています。
複数を選んで優先順位をつけることを単記移譲式というのですね。そういった選挙制度の概念は存じてたのですが、単語ははじめて知りました。
うーん、勉強になります。
単記非移譲式はあまりに死票が多く、投票しに行っても「けっ! どうせ落ちるんやろーなぁ……」とあきらめ半分で、投票しなければなりませんものね。特に、人気のない候補や新人、野党の場合。
単記移譲式なら、小選挙区制のままでもある程度死票を減らせそうな気がします。
「幸福実現党の候補に入れたいけど、当選するわけないから民主党のにするか……」みたいな妥協も防げます。たとえば第二候補まで記入できる制度だとして、順当に幸福の候補が当選から外れれば、投票者の「民意」は最初から民主の候補に入れたことになって拾われる、みたいなスライドが可能となります。
・自民候補 9万票
・民主候補 8万表
・幸福候補 4万表(その内の3万表が第二候補として民主候補を選択)
上記だと、当選するのは自民候補ではなく、民主候補となるわけです。幸福候補を第一候補に選んだ民意は死票とならずに拾われます。同一政党から2人の候補を出すことも許されるでしょう。
唯一の問題点は「コストがかかる」ですが、こんなものをケチっていてはいけないですよね。
・自民候補 9万票
・民主候補① 8万表
・民主候補② 7万表(その内の6万表が第二候補として民主候補①を選択)
上記も「単記非移譲式」であれば当選するのは自民候補ですが、「単記移譲式」なら当選するのは民主候補①となります。大量の死票が救済されました。どちらが民意を反映しているか、言うまでもありません。
重要な問題の割りに解決方法も簡単と思っているのですが、あまり注目されない分野のようで寂しく感じています(笑)。
選挙制度は民主制において、一番の根幹で最重要な制度だと思うのですよね。「死票が少なく、民意が反映され、なおかつ間接民主制」ってすごく洗練されていると思うのですよ。
おっしゃる通り、単記移譲式に変えるのはそこまで難しくなさそうですし……。少なくとも小選挙区制→中選挙区制よりは簡単ですよね。
良いネタをいただきました。月曜日の寄稿で書いてみたいと思います。――調べるのがまた、大変そうですが(笑)
私もその昔、ネット上を巡回して色々な用語や世界の事例を勉強した記憶があります。専門の書籍などあれば、需要は高いのではと思っていますが、我々の界隈でもあまり話題にならないため、ヤンさんの筆力で盛り上げていただけることを期待しています(笑)。
進撃にエントリーが上がれば、私も何かコメントさせていただこうと思います(急用がなければ)。
拙いながら書きました~。盛り上がるかどうか? は未知数……というより、私の文章力では難しいような? です(汗)
いえ、図も作成したりしまして(使える図がなかったのです、ネットで(笑))、やってみました。
タイトルをお知らせしておきますですよ~。お勉強させていただきましたしですし。
死票の少ない選挙制度とは?様々な選挙制度と、民主主義としての根幹の意味【ヤンの字雷】
一応私、「ヤン・ウェンリー命」を名乗ってますから、民主制についても語らねば。ということで、今後は話題をディープにしていこうかな? と思ってます。(今回の寄稿は、触りにしたいなと)
MMTでは概念は理解しているものの、望月さん、ポル万さん、sorata31さんには、かないそうにないですし、民主制、民主主義を専門にしてみようか? などとも企んでおります(笑)
>民主制についても語らねば
「くたばれカイザー(皇帝)!」でしたっけね。
まあ、よくある小選挙区制か大選挙区制かの議論の前に、いずれにしたって「移譲式か非移譲式か?」「単記制か連記制か?」の議論が必要だろうと思っています。右派系の雑誌とか見ていても、その辺りの議論がズッポリ抜け落ちています。「小選挙区制になって以降、政治家が小粒になってしまった……」とか言う人は多いですが、上記に挙げた論点や選択肢を紹介できている論客や政治家は、私の知る限りおりません。
>図も作成したりしまして(使える図がなかったのです、ネットで(笑))
昔の記憶で曖昧ですが、「理想の選挙制度」について、それぞれの方式の長所と短所を紹介、◎○△×などで採点しているサイトがあり、当時の私には勉強になりました。
>MMTでは概念は理解しているものの、望月さん、ポル万さん、
>sorata31さんには、かないそうにないですし、
MMTに関しては、私も概念でしか他人に説明できるほどの知識がありません。望月さんやsorata31さんは別格だと思っています。
「くたばれ! カイザーラインハルト!」だったかと~。アッテンボローの作った掛け声でしたか(笑)
>上記に挙げた論点や選択肢を紹介できている論客や政治家は、私の知る限りおりません。
私もそこら辺の選択肢、ポル万さんとのやり取りではじめて意識しました。確かに誰も大体的に論じてないので、私が専門家になれるチャンスかも……です(笑)
ちと私の方でも、選挙制度についていろいろ調べてみます。
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ヤンさんの「拙いながら書きました~」から始まる書き込みにレスすると、なぜか2回とも投稿後数分に削除されてしまいました。何か思い当たることとか、或いは私の書き込みの形跡(残滓)など、ワードプレスの管理画面上から確認できますでしょうか?
今気が付きました。なぜか自動でスパム判定が入っていたようです……。
多分まだ、阿吽さん、ポル万さん以外のコメントが少ないので、スパムの自動学習機能が正確に働いていないのかも知れません。申し訳ないです。
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