保守思想と和食と伝統-日本料理から保守思想を学ぼう

保守思想と和食の共通点

 保守思想とはなんでしょうか? そのことを解説差し上げるのに、和食というのは大変よい題材だと私は思います。なぜならば、伝統を重んじるという共通点があるからです。

 伝統とはなにか? 文化とはなにか? 逆説的に和食という文化から、保守思想を見るとわかりやすいのではないでしょうか。

和食とは江戸時代に花開いた

 和食が大きく花開いたのは江戸時代です。寿司、天ぷらなどの和食を代表する料理ができたのも、この時代です。

 京都菊乃井のご主人、村田吉弘さん(ホントは知らない日本料理の常識・非常識―マナー、器、サービス、経営、周辺文化のこと、etc.などが著作)は、和食を世界で珍しい出汁重視の料理と定義しています。

 この定義が正しいとすると、出汁を使い始めたのは縄文時代と一説にはいわれておりますから、和食の起源は縄文時代にまで遡れることになります。これは大仰すぎるとしても、現在の和食の原点は鎌倉時代の道元という典座(禅宗の料理僧)に見られます。

 中国やオランダなどの影響も受けていますが、自生的な伝統が和食の世界には垣間見られるのです。

伝統がなぜ大事なのか?

 伝統とはなんでしょうか? 昔から人々が受け継いできた文化であり、その文化はその時代時代の人々に長く愛されたからこそ、伝統として残っていくわけです。

 こうして自然に形成された伝統や文化を「自生的」と表現します。自然にその風土の人々に愛されたもの、ということです。

 伝統といいますととかく「昔ながらの作法を、全てなぞらなければならないもの」と誤解されがちですが、和食における伝統とは学び、超えていくものでもあります。伝統をより良いものにする”自由”が、和食や日本文化には存在するのです。

 一方で保守思想も伝統を大事にします。それは伝統が自生的であり、その風土や環境にあった慣習や文化を統合しているものだからです。この伝統を容易に、一時の理性で変えてしまってよいのだろうか? というのが、保守思想における理性への警戒感なのです。

 和食でいえば、10年かけてじっくり修行するところを、合理化だなんだと1年で料理人を育て上げようというのは、警戒されるでしょ? それと一緒なのですね。

理性と科学は、経験を上回るのか?

 先日面白い動画を見ました。dTVなのですが究極の料理対決~科学は経験を超えられるかという動画です。物理学者が、ミシュランの星を持っている一流料理人と料理対決をするという番組。

 当たり前なのですが、最後の1つ以外は一流料理人の完勝でした。最後のデザートだけは、ある意味で番組的に全敗はまずかろうということで、引き分けとなったようです。

 料理とは確かに科学的アプローチが可能なのですが、それ以上に経験が物を言う分野なのです。そして……政治もまた複雑であり、経験や常識が物を言う分野が多いのでしょう。常識とは、伝統からしか学びえない分野でもあるわけです。

 料理は人が食べ、政治は人を見るのですから共通点が多いのもうなずけます。

保守思想の大切なポイント

 伝統というものを和食と保守思想から見てきましたが、保守思想は決して――和食と同じように――科学を軽視しているわけではありません。冒頭でご紹介した京都菊乃井の村田吉弘さんも、昆布出汁は科学的に、どうしたら一番美味しくなるのか? など研究されておられます。

 政治にはジレンマやトリレンマが付き物です。どれか1つ、ないし2つを選ぶと、もう1つが選べないという、政治的選択肢が存在し決断が必要になります。そういった「合理的回答のないもの」に対して答えをだすために、伝統や文化、慣習などを重視するのが保守思想といえます。

 それはまるで、料理に絶対的・合理的な味の正解がないことと似ています。

 保守思想も合理的に正しい正解が判断できる場合、合理性を用います。ここを忘れると、単なる情動主義に陥ってしまうことに、注意が必要です。

革命は常に理性の暴走であった

 有名なのがフランス革命ですが、他にもロシア革命などがあります。おおよそ、私の知っている範囲で言えば、革命とは理性が最終的に暴走した状態、と表現できると思います。

 革命とは現在の社会や、自生的に根付いている慣習、文化、伝統を否定し、理性による新しいユートピアを築こうとする試みと言えます。しかし人間の理性には限界があり、人間や社会とは人間の理性で推し量れるほど、単純な生き物ではありません。

 人間は合理性だけで、行動しないのです。

 だからこそ、長い年月をかけて出来上がった自生的な、伝統や慣習、文化などを保守思想は重視するのです。

最後に経路依存性について

 伝統とは長い時間をかけて、自生的に出来上がった経路と言えます。その時間がながければ長いほど、経路依存性は強くなるはずです。つまり……経路依存性とは本来、保守思想において重視するべきものであり、毛嫌いするものではないのです。

 日本は現在、敗戦というショックもあり、1990年代からのグローバル化に毒され、格差社会や市場原理主義に突っ走っております。これも1つの経路依存性でしょう。しかし何をどう考えても、悪い結果にしかならない経路であれば、漸進的にでも転換していかなければならないでしょう。

 これは「保守思想ですら、経路依存性の転換を望むほど、現在の経路はヤバい」ということかと思います。1人1人の良質な声が、日本に必要なのです。

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