初心者でもわかる外国人労働者・移民の問題点とグローバリズム

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今日もベーシックな移民というテーマで解説

 最近、私は「……自分の中で議論が進みすぎて、初心者、初級者を置き去りにしてないか?」という疑念がふつふつと出てます。時事ネタだけを追いかけるのもなんですし、基本的なことをテーマに、しばらくは解説を進めていきたいと思います。

 また基本的なテーマを解説することは、私にとってもプラスになると考えてます。理解しやすい論理構造の構築や文章、そして自分の復習の意味も込めて書いていきます。

移民の定義は一般的には1年の移住

 まずは移民の定義を見てみましょう。ついでに難民も見てみます。

「難民」と「移民」という言葉は一般的に、同義で用いられることが多くなっていますが、この2つには重大な違いがあります。

難民
難民とは、迫害のおそれ、紛争、暴力の蔓延など、公共の秩序を著しく混乱させることによって、国際的な保護の必要性を生じさせる状況を理由に、出身国を逃れた人々を指します。難民の定義は1951年難民条約や地域的難民協定、さらには国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)規程でも定められています。
―国連難民高等弁務官事務所
主な難民関連の定義についてはこちらをご参照ください(日本語英語)。
 
移民
国際移民の正式な法的定義はありませんが、多くの専門家は、移住の理由や法的地位に関係なく、定住国を変更した人々を国際移民とみなすことに同意しています。3カ月から12カ月間の移動を短期的または一時的移住、1年以上にわたる居住国の変更を長期的または恒久移住と呼んで区別するのが一般的です。
―国連経済社会局
主な移民関連の用語についてはこちらをご参照ください(英語)。

難民と移民の定義 | 国連広報センター
ふと文字筆者編集

 移民には正式な国際法による定義はありませんが、国連などでは「1年以上、他国に住んだ場合は移民」としております。なぜ国際法などでの定義がないか? どのように外国人を受け入れるか? ないし受け入れないか? は各国の判断だからでしょう。

 つまり、国際法で正式に定義するような要件ではないのだと思われます。

 余談ですが――安倍政権は1年以上の移住を外国人に可能にしながら、「あれは移民ではない! 外国人労働者だ!」と言い張っているのも、法的定義を根拠にしています。一般常識では移民だが、法的定義がないので移民ではない――これを屁理屈と普通はは言うと思います。

移民とグローバリズムの関係性

 グローバリズムの定義とはなんだったでしょうか? ヒト・モノ・カネが国境を超えて、自由に動き回る状態です。

 簡単におさらいしておきましょう。カネが、過剰に自由に動き回りすぎると金融危機が招来されます。ミンスキー・モーメント(金融不安定性仮説)によって、バブルが来て弾けるわけです。

 モノが自由に行き来する状態とは、完全な自由貿易の状態です。市場原理が働き、競争が激化することで、先進諸国ではデフレ圧力がかかります。つまり……やすい海外製品に、国内産業が負けるということでもあります。

 では移民はどうでしょう? ヒトの移動の自由――つまり移民――は対象国の生産能力を増加させます。すなわちこれも、デフレ圧力になるということです。デフレとは供給(生産)>需要(消費)の状態です。

 つまりグローバリズム的な政策、そして新自由主義的な政策とは端的に言って、デフレ圧力を発生させると言えます。移民政策もその1つであると言えます。

グローバリズムが破壊する文化、共同体、伝統

 グローバリズムは基本的に、国家や共同体の文化、伝統、慣習といった共同体の靭帯を破壊していきます。今回は移民についての解説ですので、移民に焦点を当てましょう。

 文化や慣習の異なる外国人が、その共同体内に入ってくるということは、当然ながら”入ることを許可したほう”が何らかの配慮を求められます。「移民に来ていただきたい」から規制をゆるくし、招致したわけですから当然です。

 ――そうでないのなら、そもそも規制を緩めなければよいのですから。

 ではなにに配慮するのか? 移民の文化や慣習に「自国民が寛容になりなさい」と配慮するわけです。これがドイツのメルケルが進めた多文化共生であり、そしてメルケル自身が失敗したと認めた政策です。

 ドイツでは大量の移民を受け入れて、何が起こったのか? ムスリムが多かったために、ドイツの学校給食では豚肉を”配慮”して出さなかったり、肉屋に豚肉が並ばなかったりしたそうです。

 余談ですが、ドイツの料理といえばソーセージ。ソーセージはなにから作られるのか? 豚肉です。上述したように、こうして配慮してドイツ文化がドイツの子供に伝わらず、継承されず、薄れていき、最後には破壊されてしまうわけです。

 料理を例に出しましたが、この”配慮”はありとあらゆるところで行われました。結果、料理だけでなく、ドイツ国民の生活そのものが”変貌”してしまったとすら表現可能でしょう。

日本の移民受け入れの現状

 端的に記しておきます。日本では安倍政権下において、2度の移民受け入れ規制緩和――入管法の規制緩和――が行われました。1度めは2014年、2度めは2018年です。

 2014年からの入管法規制緩和でなにが起こったのか? 2018年までになんと! 60万人もの移民の増加が起こりました。割合にして200%ほどの増加です。2018年の入管法規制緩和で、さらなる増加が見込まれます。

 さらに申し上げますと、2018年の入管法規制緩和で、移民の単純労働への就業も認められました。また2018年の骨太の方針では、内閣の方向性として移民受け入れを決定したのです。

 これが何を意味するのか? 単純労働を外国移民と競わされ、日本国民の所得が圧迫されること可能性が非常に高いのです。特に、単純労働へ仕事を求める低所得層には、非常に厳しい競争が待っております。

 現在の日本は移民受け入れ数で、世界第4位となり移民大国と化したのです。

 また移民需要はどうやら、地方に多いようです。地方の過疎化と東京一極集中、緊縮財政、移民拡大というキーワードを並べたときに、地方の移民需要は政府の政策によってマッチポンプ的に”作られた状況”と言えます。

 つまりこうです。緊縮財政によって地方へ投資しない。したがって地方は過疎化せざるを得ない。過疎化すれば人口が減り、規模が小さくなり、産業が成り立たなくなる。そこで、人手不足を大義名分に移民への門戸を開く。

 限界まで”日本政府”によって追い詰められた地方は、その地方を愛するパトリオティズム――郷土愛――ゆえに、地方をなんとか回していくために移民を欲するわけです。

 書いていて、腹が立ってきました。ろくでもないマッチポンプでしょ?

移民政策の不可逆性

 上述したように、日本は移民拡大にかじを切りましたし、当面これは是正されることはないでしょう。

 移民拡大にかじを切ってしまった場合、「また入管法を戻せばいいじゃない」というような議論は成り立ちません。なぜならば、すでに国内にいる移民は強制排除など不可能だからです。

 さらに産業的な問題も存在します。今や地方の漁業、農業などは移民需要が大変に多く、そのうちに移民なしでは成り立たない産業となるかも知れません。とすると……日本の食料は外国人によって作られている、という食料安全保障の問題になってしまいます。

 つまり将来的に、入管法規制強化をすると地方の産業や食料安全保障が成り立たず、入管法規制強化をしないと移民がどんどん拡大して、さらに状況が悪化する……という悪夢のような状況が訪れる可能性が高いのです。

 簡単に言えば……地方と食料を切り捨てますか? それとも低所得層の日本国民を切り捨てますか? という問題に発展しかねないのです。

 このような問題に発展したとして、日本政府に移民拡大という現状維持以外の政策が期待できますでしょうか? 移民問題が不可逆であるとは、このような構造も持っているためです。

 最後に大変はっきりと申し上げますが、もはや日本の移民問題は”ほとんど解決不可能”な段階です。まだ生活実感として感じるレベルではありませんが、論理的には実感できた段階で完全に手遅れなのですよ。

 移民拡大、入管法規制緩和での安倍政権の罪は、日本の今後100年を思うと非常に重いと言わざるをえません。100年後に日本という”共同体”が、存在することを願ってやみません。

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阿吽

>最後に大変はっきりと申し上げますが、もはや日本の移民問題は”ほとんど解決不可能”な段階です。まだ生活実感として感じるレベルではありませんが、論理的には実感できた段階で完全に手遅れなのですよ。移民拡大、入管法規制緩和での安倍政権の罪は、日本の今後100年を思うと非常に重いと言わざるをえません。100年後に日本という”共同体”が、存在することを願ってやみません。

 ヤンさんの、一見すると冷酷とまで見られかねないほどの空想・妄想・希望的観測をはぶいた、現実的な、本当に身も蓋もないご指摘・・、個人的には好きですよ・・w

全ての物事は、冷徹なまでに現実を見据えた上で、対処しなければならないのではないかと思いますので・・。

そうしなければ、本当に、砂の粒ほどの希望さえも、残らないのではないかと思いますので・・。

希望のカケラは、冷徹なまでの現実に対する認識があってこそはじめて、存在しうるものなのではないかと、思いますので・・。

まあ、上記も、楽天的に考えたら・・、という話しではありますが・・。


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