「あの戦争は何だったのか 日米開戦と東条英機 」動画を端的にご紹介
上記の動画は約11年前に放送されたもののようです。戦後60年企画として放送されたようで、3時間半もある動画です。が、なかなかに興味深かったので昨日の空き時間に見ておりました。上記の動画ではいくつかの人物にスポットライトを当てていきます。
近衛文麿、東条英機、石井秋穂大佐、徳富蘇峰等々。一部はドキュメンタリーとして、二部はドラマとして描かれております。近衛文麿、東条英機両総理についてはご存知かと思いますが、石井秋穂大佐は開戦直前まで開戦回避に動いていた人物として描かれ、徳富蘇峰は当時の大論壇で影響力のある文筆家として名前を残した人物だそうです。徳富蘇峰はメディアとともに国民を開戦に煽った人物として描かれます。
第二部のドラマ自体は結論が曖昧で、当時の国民が開戦を望んだのか?それともメディアが煽ったから国民がそうなったのか?政府が判断を間違えたのかが、はっきりとは結論付けられていません。実際に歴史家の間でも、日米開戦の日本側の決断したものは誰か?については意見が分かれるようです。というより・・・闇の中と言ったほうが良いのかもしれません。
戦前の政府と軍の体制
戦前の政府と軍の体制ですが、どうもシビリアン・コントロールが効かない体制となっていたのは、間違いがないようです。シビリアン・コントロールとは文民統制と訳されまして、要するに政治家に、軍隊はコントロールされるべきという近代政治の原則の1つです。戦前は日本帝国軍の統帥権は形式上は天皇にありました。しかし一方で、昭和天皇はお心を表明されることはあっても、決定された事柄については決済をするだけの存在でもありました。ここが非常にややこしいのです。
つまり政府や総理大臣が軍に直接命令することは、統帥権干犯としてはねのけられたりしたわけです。日中戦争の泥沼化や戦線拡大などは明らかに、軍部の暴走と言われております。
現在の政府との違いは三権の他に、統帥権というもう1つの天皇大権が存在したことでしょう。しかし昭和天皇は明治天皇を倣い、君臨すれども統治せずとしていたようです。
大日本帝国陸軍と海軍の軋轢
しばしば帝国陸軍と帝国海軍は仲が悪かった、それがあの日米開戦に突き進んだ1つの要因であるというような論がありますが、じつはどこの国でも当時は陸軍と海軍は多かれ少なかれ軋轢がありました。これは特段、日本だけの問題ではなかったのだと思います。
日本の場合、陸軍は日米開戦に積極的であったようでして、海軍はどちらかと言うと慎重派であったと語られます。特に山本五十六などは日米開戦に対しての見通しは、非常に悲観的かつ現実的なものであったと記されております。
太平洋戦争開戦前の日本の雰囲気
動画の中では太平洋戦争開戦前の日本国民の雰囲気についても、触れられております。メディア、論壇は開戦を煽り、そして日本国民もまた日米開戦を望む雰囲気があったようです。海戦せずば、英米の植民地となり四等国家に成り果てる、というような論調が主流だったのではないでしょうか?日米開戦を取り上げて朝日新聞を批判する向きもあるようですが、当時は新聞、ラジオ、国民全体が日米開戦やむなしとの論調であったようです。
中でも影響力を持っていたのが徳富蘇峰だったと言われます。が、これもまた徳富蘇峰個人の問題として片付けるのはあまりに矮小な視点であろうとも思います。
日米開戦は明治維新からの経路依存性であったのか
そもそも論ですが、日米開戦前夜だけを分析して大東亜戦争(太平洋戦争)の理由がわかるわけがない、というのが私の見解です。確かに日本とアメリカの国力差は当時、10倍差と認識する政府内の人間もいたようですし、開戦回避が不可能であったとは言いません。「昭和十六年夏の敗戦」という著作にもあるように、当時の首相官邸裏に当代のエリートたちが集められ分析した結果は、アメリカの核使用以外は殆ど当たっていたのだそうです。合理性のみで判断するのであれば、開戦=敗戦を色濃く意味するわけですから、開戦回避が適当であったのでしょう。
しかし戦争前夜のみを見て、「開戦回避が適当であった」と結論付けるのはやや早いと思います。日本が明治維新から歩み始めた近代国家化への道は、すなわち経路依存性となっていたはずです。では明治維新がどういうもので、明治という時代がどうであったのか?
非常に端的に申し上げれば、明治維新は開国というイメージで語られますがここがおかしい。開国は外国から技術を取り入れる”手段”であって目的ではなかったのですから。明治維新そのものは幕藩体制の転換として廃藩置県をして、中央集権国家を作り上げるというものでした。つまり富国強兵、臥薪嘗胆こそが明治維新の本質であったのです。開国史観というものは非常に厄介で、歴史を読み間違いさせるものです。
日露戦争、日中戦争の戦費と税と配給制度
日露戦争は短期決戦がうまくいった稀有な例であり、日本の戦史に輝く戦争であったことは間違いありません。日露戦争を語れと言われると、もはや私は口が止まらなくなるのでちょっと気を落ち着けて・・・(笑)
日露戦争(1904)の戦費は膨大であり、また外債にも頼ったようです。この外債を消化したのが高橋是清その人だったりします。日露戦争の勝利は、経済面では高橋是清がいなければ成り立たなかったでしょう。しかし日露戦争の勝利は薄氷であり、日本がこの戦争で得られたのは満州鉄道のみでありました。
そして日中戦争(1937)へと突入するわけですが、外債がある以上、税も重いものにならざるを得ません。また日中戦争の負担も相当なものであり、1938年の国家総動員法をきっかけに日本でも配給制度が始まったのです。これにはABCD包囲網ももちろんながら関係があるでしょうが、ABCD包囲網が本格的に始まるのは、少なくとも日米通商航海条約が破棄された1939年からです。これが意味するところは、すでに日中戦争だけで日本の国力は相当に、少なくとも配給制度を実施せざるを得ないほどに困窮していたということです。
ルーズベルトの対日政策
ルーズベルトの対日政策は一言で申し上げると、非常に厳しいものでありました。満州事変、それ以前の満鉄の共同経営が日本の国内世論により蹴られたあたりから、アメリカの対日政策は変化していったと思われます。特にルーズベルトが大統領に就任した1933年以降の対日政策は、非常に厳しいものでした。
少なくともルーズベルトやその側近は、対日開戦を目指していたというのは証言、その他の歴史資料からほとんど明らかであった、と言えるでしょう。
臥薪嘗胆が利かなくなった状況
経路依存性としては「富国強兵」「臥薪嘗胆」が明治維新からのものであると解説差し上げましtたが、上述したように日本は相当に追い込まれた状況でありました。そして明治維新以来の経路依存性としてはもう1つ、「尊王攘夷(天皇を尊び、夷狄(外人)を討つ)」があります。日露戦争などはまさに、そのような戦争であったでしょう。
つまり厳しい状況でこの富国強兵、臥薪嘗胆、尊王攘夷のうち2つが、当時の日本ではやむなく選択されたと見るべきかもしれません。もはや臥薪嘗胆が利かなくなった、というのが当時の日本の状況だったのではないでしょうか?
グローバリズムと1929年の大恐慌
日米開戦は日本、アメリカの意図や状況を軍事的、政治的にのみ捉えられがちですが、当時の世界状況にも目を向けないと説明が付きません。というのも1929年に起きた大恐慌、金融危機はまさに2008年のリーマン・ショック級であったといって差し支えないでしょう。それ以上だったかもしれません。
なぜそのような金融危機が起きたのか?当時の世界は帝国主義として語られますが、一方で非常にグローバリズムな世界でもあったからこそ、大恐慌が起きたのです。グローバリズムはヒト・モノ・カネが国境を超えて自由に移動するという世界です。つまりハイマン・ミンスキーの言うところの金融不安定性仮説が加速し、そのうちにバブルが崩壊するというのが、グローバリズムの1つの特徴なのです。
一般的にはイメージとして戦前のブロック化経済ばかりが語られますけれども、ブロック化経済に舵を切らざるを得なかったのは1929年の大恐慌ゆえであり、その大恐慌の原因がグローバリズムであったというわけです。ブロック化経済を避けたいのならば、グローバリズムを避けねばならないのです。
当時のドイツは失業率が非常に高く、その中でヒトラーが出てきてアウトバーン建設によって失業率を下げました。これは今で言う財政出動です。またアメリカもルーズベルトがニューディール政策という財政出動をしておりました。こういったグローバリズムが引き起こした世界的な大恐慌と失業率の悪化、という状況は見逃すべきではないでしょう。
ちなみに・・・グローバリズムが進んで金融危機が起こると、国際関係には遠心力が働きます。グローバリズムで格差が生まれ、金融危機によって失業率が跳ね上がり、国家はその時には近隣窮乏化政策をしてでも、国民を保護しなければならないからです。現在の米中貿易戦争などもその良い例でしょう。それが当時は日米にも働いたというわけです。
日本は権益を求めて日中戦争をし、アメリカもまた中国での権益で譲れなかった。したがって日米開戦、大東亜戦争(太平洋戦争)に発展していくわけです。
戦前と戦後をつなぐ1本の糸と戦後レジーム
最初は動画を解説差し上げましたが、私見としては明治維新からの経路依存性、そしてグローバリズムと大恐慌という世界情勢から日米開戦は避け難かったと分析します。理由は上述してきたとおりです。
戦後レジームという言葉が言われて久しいですが、これはいわば「戦前の日本と、戦後の日本をつなぐ糸がない、断絶した」という認識で使っているものと思います。戦後レジームの脱却を目指すいわゆる保守派の多くは戦前への憧憬を捨てきれず、戦前への回帰を目指すのは「戦前と戦後が断絶しているから」という認識がなければ説明が付きません。
しかし1本だけ、戦前と戦後をつなぐ糸、つまり史観が存在します。我々は現在、臥薪嘗胆しているだけであり、将来に日本は対米自立をして独立国家として振る舞うのだという史観です。つまり対米開戦、そして敗戦、降伏をしたものの、まだアメリカとの戦いは続いているという史観です。これままさに日本が近代国家化の道を歩んだ明治政府の史観と「同様」ではないでしょうか?
しかし現在のところ、保守派や右派といわれる人たちの大多数が掲げるのは親米、対米追従であり、日本がアメリカの属国であることを許容するものです。日米同盟(厳密には軍事同盟ではありません)の深化!などと片腹痛いことこの上ありません。挙句の果てに入管法規制緩和を2度もスルーして声を上げないなど、愛国者とも保守とも定義できないのが現状の保守派です。
※ちなみにアメリカの政治学者の一部はストレートに日本を「属国」「保護領」と表現するのだそうです。主権国家だと思っているのは日本だけ、というわけ。
最初のタイトルの問に戻りましょう。「あの戦争は何だったのか?」ですが国際情勢、国内情勢などを考えても致し方ない選択であり、そして”あの戦争”はまだ続いていると答えます。自立、独立するその日まで”あの戦争”は、日本人の中で心意気として、もしくは戦前と前後をつなぐ糸として、史観として続けなければならないのです。
戦前の日本と今の中国はよく似ている。
戦前の日本富国強兵で急速な近代化を図り、日清・日露の戦役後は米英と肩を並べるようになった。
今の中国も同じだ。
日本も中国もその近代化の鍵は西洋の技術の導入にある、その一方で自分たちの過去の歴史に背を向けている。
戦前の日本で江戸時代を評価している日本人は日本人ではなくて世捨て人だ。
今の中国で清朝を評価している中国人も同様だ。
西洋が世界に君臨してきた理由はその技術力を背景にした軍事力である。
彼らは今も世界を席巻している。
日本が如何に戦艦大和・武蔵そして日本の空母機動部隊を誇ろうとも所詮西洋の技術のコピーでしかない。
これが如何に今の中国の空母部隊とよく似ていることか。
私はロシアが違う道を取ろうとしているように見える。
彼らは以前のように大型空母には関心がない。
専守防衛に徹しているように見える。
ロシアは戦前の日本・戦後の中国のように急速な経済成長をしているわけではないが
日常生活にさほど不自由していない。
何より注目しているのは多くの民族が共存している。
これはプーチン政権によってさらに進んでいるようだ。
不思議なことに共産党も依然としてある一定の支持基盤を持っている。
これを支えているのがロシア正教を始めとする信仰の自由をロシアが保護している。
オウム真理教も一時ロシアで信者を増やしたそうだ。
今の中国はそうではない。
法輪功に対する政治弾圧がその証拠だ。
戦前の日本はどうだろうか。
これを踏みにじったのは果たして旧日本軍だろうか?
戦前の戦争拡大は中国大陸から始まった。
朝鮮半島の領有、満州国の成立。
関東軍は五族協和・王道楽土を主張した。
プーチンのロシアも同様だ。
関東軍は今の中国より一歩も二歩も前に進んでいる。
もしかするとアメリカより前かもしれない。
不思議なことに満州国内部では五族協和ではなかった。
日本人が突出した立場にあった、一般の日本人の行動は今も良く分らない。
逆にいえば多くの日本人は満州で孤立していた、あるいは孤立していると感じたのだろう。
そうでなければ旧日本軍の軍事行動は説明できない。
あれだけの装備を誇りながら中国大陸の奥深くまで軍事侵攻する理由は何だろうか?
これは南方でも同様だった。
旧日本軍の行動は軍事力では説明できない不可思議な行動だった。
石油の話は後付けの理屈だ、満州で生産される膨大な生産物があれば多くの日本人は
食うに困らないどころか豊かな生活ができた。
>戦前の日本と今の中国は似ている
確かに、共通するものも感じます。……現在の中国のほうがよっぽど、戦略的に優れているとは感じますが(笑)
笑っている場合でもないのですが……。今の日本の惨状だと「笑うしかない」が本心でもあったりします。
経路依存症とは恐ろしいものです。
最近の韓国なんかは、完全に経路依存症にとらわれています。(韓国は日本にとってはグローバリズム先進国でもあると同時に、経路依存症先進国でもあります)
個人的に驚いたのは下記の記事です。
【韓国の反応】「ムンジェインの反日路線…朴槿恵の失敗を反面教師にしなければならない」韓国マスコミ
http://oboega-01.blog.jp/archives/1073740398.html
上記の記事は、韓国のメディアにしては、比較的、対日関係について客観的な記事を書いています。
私は正直韓国は、もう、完全に反日病に支配されていると思っていましたので・・、上記のレベルの理性的記事(それでも比較的ではありますが)を、メディアが書けたことに驚きました。
韓国メディアでも、書こうと思えば上記のような比較的冷静な記事が書けるのです。
つまりそのことは・・、韓国は、頭の奥の奥では今のままでの反日政策では、いずれ、韓国が中国や北朝鮮という独裁国家側についてしまいかねないという、常識的に考えれば、それはあまりあってはほしくはないだろうというその現実を、自分達でも実はいちおうは、かろうじてでもいちおうは理解している、ということです。
つまり、韓国人も、頭の片隅では理解しているのです。今のままの反日政策ではまずいと・・。
しかし、やめられない・・・。
彼等は反日を、おそらくほぼ絶対にやめられないのです。
これは韓国の憲法からも端を発する強烈な、経路だからです。
韓国は、自分達のおかれている経路のまずさを頭の片隅の片隅の方ではわかっていても、いまさらどうしようもできないほどに、反日の経路に国中が支配されているのです。
頭の片隅の片隅ではまずいかも?と思いながらも・・、韓国自身の経路によって、望む望まないに関係なく、中国側の国家に結果的に、自主的に、韓国はなろうとしているのです。
これは、経路というものの力の恐ろしさを、私達に教えてくれるものではないかと思います。(現在進行形で推移している事例として)(まあ、日本で言えば、ネット右翼の大半なんかも、経路に支配されているんだとは思いますが・・)(おそらくネット右翼は、頭の奥の奥では、今のやばさを認識しているのではないかと思います。)(・・だからこそ、安倍ちゃんの他に誰がいるんだよなんていう、言い訳がましい反論を彼等はするのではないかと思います)
経路依存”症”ではなく、経路依存”性”ですよ~。ここ、重要です。じつは佐藤健志さんがチャンネル桜で登壇して経路依存性の説明をしたのですが、水島社長はずっと経路依存”症”と、番組中に病のように言ってたんですね。
経路依存性自体は大変強力なものですが、保守思想が否定するべきものでもなかったりします。伝統や文化といったものも、経路依存性で成り立つのですから。
経路依存症の日本についてですが・・・、
戦前において、あれほど、経路依存症におちいってしまったのは・・、やはり、日露戦争でしょうか・・・?
日露戦争という戦争で得た、多大な犠牲という経路が・・、日本人を大陸にくぎ付けにしたんですかね・・・・・・。
諸々他の要因もあったのでしょうけど・・、多大な犠牲を払ったことによって得た執着が、日本の経路をより強固なものにしていったのかもしれません・・・。
そう考えますと、現在の経路は・・、大東亜戦争(太平洋戦争)をすることによって払った多大な犠牲の結果、それによって得ることのできた(?)平和を守ろう(?)という経路、でしょうか・・・?
これも、日米戦争によってはらった多大な犠牲(およそ300万人の死者と国土の灰燼化)の結果によって、強固となってしまった経路なのかもしれません。
今ここで、軍拡に乗り出せば、先の大戦での多大な犠牲を無駄にするのか!?・・という感じで・・。
自主的に経路を変更するには・・、まだまだ先の大戦の記憶がなまなましく残りすぎているのですかね・・・(まあ、だいぶ、それも減ってきているのかもしれませんが・・)
戦前の場合は、日露戦争から日米戦争のあいだの36年の期間だと・・、日露戦争の犠牲がはっきり生々しく、当時の人達の記憶に残りすぎていた結果もあって、よりいっそう経路も強固だったのかもしれませんね・・・・。
日露戦争での体験は非常に大きいと思います。はじめて白人に勝利したアジアの国家、日本にも力がある、等々のイメージを抱かせたのでしょうね。
しかし尊王攘夷自体は明治維新からの経路ですので、日露戦争のみで日本の経路が転換したとは思い難い、と私は感じております。
現在の経路はまさに平和主義、ですね……。敗戦から180度日本の経路は転換した、との解釈も可能ですし。
※上述の解釈を支持してしまうと、戦前と戦後の1本の糸が途切れてしまうので、私は積極的には支持できませんが(笑)