現代貨幣理論(MMT)の概要-現代貨幣理論と貨幣負債論の示すところ

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現代貨幣理論の概略

 MMT批判、現代貨幣理論批判ではしばしば、現代貨幣理論の中身をあまり知らずに批判することが多いようです。少々それはいかがなものか?と思い、現代貨幣理論というものの概要を記しておきたいと思います。

 まず現代貨幣理論という”名前”の論が出てきたのはごく最近であり、これは主流派経済学の主要理論であるワルラスの法則、リカードの比較優位論、セイの法則などがすべて、商品貨幣論に根ざしており、上記理論が現実世界において通用していないということから、経済学の基礎の基礎である貨幣論の見直しが行われている、ということだと私は承知しております。

 しかし歴史上、貨幣論が論争されるのはじつはこれで2度目になります。200年前にすでに貨幣論は表券主義と商品貨幣論で論争されており、イギリスにおいて表券主義が正解であったというのは、歴史が物語っております。(地金論争を参照ください)ちなみに表券主義と現代貨幣理論はほぼ同一のものと言えます。

現代貨幣理論のエッセンスとはなにか?

 現代貨幣理論のエッセンスの1つは「貸し借りという信用創造」です。もう何度も書いておりますけども、現代貨幣理論では社会は「貸し借り(信用)によって経済が回っている」と解釈します。その貸し借りを数字化したのが法定流通貨幣(いわゆる通貨)という”数字”なのです。

※ちなみに貨幣と通貨というのは、意味が異なります。貨幣は法定でなくても貨幣。通貨は法定であり納税に使われるような貨幣です。

 何度も書くようで恐縮ですが、春キャベツとサンマの例えで貸し借りを書きます。春キャベツ農家はサンマが欲しくなったので漁師に「来年、春キャベツを5つあげるので、サンマを10匹ほしい」と言いました。漁師は快諾して「しかし証文は書いてほしい」と春キャベツ農家に証文(借用書)を書かせました。これが「貨幣」です。こうして春キャベツ農家の「信用」によって「貨幣が創造された」ので「信用創造」「貨幣創造」と表現するわけです。

 ここで問題なのは「春キャベツ農家に返済能力があるかどうか?」であり、「誰かから借用書を預かっているから、それをもとに借用書を発行できる」ということではない、という事実です。つまり又貸し論とは「お金がないと、お金を貸せない」と言っているに等しく、現代貨幣理論では「借り手の返済能力(生産や信用)さえあれば、無限に貸せる」という点が異なります。

 下記の図が現代貨幣理論として非常にわかりやすいでしょう。

信用ヒエラルキー

 現代貨幣理論では信用ヒエラルキーという概念があります。つまりどの経済主体が、信用の順位が高いか低いか?というだけの「当たり前の」話なのですが、当然ながら国家が一番ヒエラルキーが高く、よって国家が法定している通貨のヒエラルキーも当然高くなります。

 一応日本を想定して現代貨幣理論を述べているのですが、中には「EUは違うじゃないか!」とかなんとか反論があると思いますので、述べておきます。EUは法定通貨ですが「国定通貨」ではありませんので、様々な問題が生じるわけです。さらに言えば、発展途上国などの不安定な政府の国家では、法定通貨の信用にも疑問が生じて、しばしば外国貨幣(ほとんどの場合はドル)が流通することがあります。政府の信用がない、安定性がない結果として、自国の通貨にも不安が生じるわけです。

租税貨幣論

 政府の信用とはどのように成り立つのか?端的にいえば安定的な権力と武力によって成り立ちます。軍事なき国家は、国家としては成立し得ないのはなぜか?権力を支える武力がゼロだからです。もちろんそれ以外、つまり生産力や経済も必要でしょうが、国家が国家として成立するためには軍事、政治という武力、権力が100%必要です。警察力も1つの武力の行使といえます。

 このような背景で国家は徴税能力を有するのです。徴税とは国民に納税の義務を”強制”することだといえます。そしてこの納税には法定通貨しか使用できない。(厳密には国家は物納を強制する権力、武力もあります。)よって法定通貨が「強制的に使用させられる状態」が、国家内部に存在するわけです。これを租税貨幣論といいます。

 この論に対する反論は「円を使い続けているのだから、別に法定でなくなっても使い続けるのでは?」という話以外にはありえませんが、残念ながら円を使いだしてまだたかだか150年程度という歴史を思い出せば、再反論には事足りることでしょう。

現代貨幣理論が機能的財政論に完全にリンクしている理由

 今更そもそも論なのですが、現代貨幣理論(MMT)はアバ・ラーナーの機能的財政論を完全に踏襲しています。というより、ケインズ経済学そのものが現代貨幣理論的貨幣観をベースにした経済学と言えます。・・・そもそも経済学の思想潮流はミルトン・フリードマンの新自由主義経済学(新古典派経済学)とケインズ経済学の2つしか存在してません。(マル経除く)この大きな土台を無視しての議論はあまり感心できません。なにせこれ以外の思想潮流を生み出すということは、かのケインズやソクラテスなどと同じ「天才」に類するということです。私は自分自身をそこまで自惚れさせることは不可能です。

 上述したように現代貨幣理論(MMT)は完全に機能的財政論とリンクしております。機能的財政論の概要は「不景気なら国債発行して、需要創出する。好景気ならその逆」です。現代貨幣理論は「貨幣論」なので生産や国民の労働について、あまり言及はしません。このことを論って「現代貨幣理論は労働や生産を軽視している」という反論も聞きますが、頭の中が「??」となるのは避けられません。・・・そりゃ貨幣論ですからねぇ・・・。

 地動説という「天体構造論」を解説しているときに、「海や木を解説してない!」とか反論されても「??えっ?」でしょ。和食を解説しているときに「パンはどうしたんだ!」と言っているようなものです。要するに現代貨幣理論は機能的財政論の補強的理論であり、貨幣観で言えば土台であるというわけです。

※貨幣観としては商品貨幣論と表券主義の2種類しか現在のところは存在しません。新古典派経済学が商品貨幣論に則っているので、機能的財政論という新古典派経済学と真っ向から対立する経済論が、どちら側か?は言うまでもないでしょう。

制度論的貨幣論としての現代貨幣理論

 現代貨幣理論は貨幣や通貨を制度論的、構造論的に捉える議論です。なぜならば制度こそが分業する国民を有機的に結びつける存在だからです。通貨も一種の制度なのです。

 そして制度は国民を有機的に結びつけて経済成長させる、1つの大きな要素です。制度なくして国家なしとすら言えます。つまり現代貨幣理論という現在の通貨や貨幣の構造を明らかにする議論とは、すなわち国家内部の結びつきがどのように発生しているか?を議論することにほかなりません。これはナショナリズムの議論でもあったのです。

 最後の授業という小説をご存知でしょうか?リンク先はWikiです。引用しましょう。

ある日、フランス領アルザス地方に住む学校嫌いのフランツ少年は、その日も村の小さな学校に遅刻する。彼はてっきり担任のアメル先生に叱られると思っていたが、意外なことに、先生は怒らず着席を穏やかに促した。気がつくと、今日は教室の後ろに元村長はじめ村の老人たちが正装して集まっている。教室の皆に向かい、先生は話しはじめる。

「私がここで、フランス語の授業をするのは、これが最後です。普仏戦争でフランスが負けたため、アルザスはプロイセン領になり、ドイツ語しか教えてはいけないことになりました。これが、私のフランス語の、最後の授業です」。これを聞いたフランツ少年は激しい衝撃を受け、今日はいっそ学校をさぼろうかと考えていた自分を深く恥じる。

先生は「フランス語は世界でいちばん美しく、一番明晰な言葉です。そして、ある民族が奴隸となっても、その国語を保っている限り、牢獄の鍵を握っているようなものなのです」と語り、生徒も大人たちも、最後の授業に耳を傾ける。やがて終業を告げる教会の鐘の音が鳴った。それを聞いた先生は蒼白になり、黒板に「フランス万歳!」と大きく書いて「最後の授業」を終えた。

 言語とは最も馴染みの深い「制度論的構造」をもったコミュニケーションという慣習と言えます。言語がそうであって、通貨はそうではない、などと誰が言えるでしょうか?通貨とは国家が定める「制度」であり、フリードリッヒ・リスト的に言えば、制度こそが国民を”結合”させるのです。そして結合からは発展が生まれます。

大雑把に書き終えた後に

 大雑把ですが本稿で「現代貨幣理論とはどういうものか?」が少しご理解いただけたのではないでしょうか?現代貨幣理論への反論、批判というのは様々ありますけれども、そもそも「現代貨幣理論を理解して批判してますか?」と疑問です。ワルラスの法則やセイの法則を批判するのに、それらを知らなければあかんでしょ?

 まずが概要を理解してから、批判なり賛同なりするのが良いと思われます。存外、「知らずに批判してみた」けど後から修正して賛同するというのは難しいものです。一度言ったことを引っ込める、変節漢は存外難しいのですよ(笑)(ちなみに私、正しいと思ったら即論調を変節させます(笑)こだわりとかプライドとか少ないので)

 「現代貨幣理論賛同派が引きこもっている」とか言っている人がいますけど、私は身体1つ。新サイト立ち上げ、当ブログ更新、進撃の庶民更新、次のやること、仕事、プライベートと大忙しでございます。ようやく、昨日立ち上げを終えて少々息をつきました。本音としては「そんなこと言うてる隙があるんやったら、自身のブログのアクセスアップとか記事を書く(ちゃんとした)とかやってくれへんか?」だったりします。進撃の庶民やみぬささん、私、うずらさん、zuruzuru4さん、ふるさとさん等々がブログランキングで頑張っているのですから、せめてご自身の主張をしっかりとブログにて掲載して、読者さんを集めるとかしてほしいなと。ま、かまっている暇もないのですが(笑)

 あと、ネット上での議論はぶっちゃけ苦手です(笑)特にコメ欄というのは苦手。ちゃんと文章を書いて、論文的にしてお互いにやり取りするのであれば、大変よいのですが。というわけで、MMT関連の議論には当面、ブログ上の記事でしか参加しないことにしました。私自身も、コメントしたとき、主張者の気分を害するコメントをしてしまったりしますし・・・(汗)

 ・・・そもそも新サイト(AGB速報)立ち上げで忙しかったのに「(現代貨幣理論賛成論者は)引きこもってる」なんて評価はないでしょ(笑)誰が言ったんだか(どうでも良いですが)

 有閑爺いさんやソウルメイトさん、進撃メンバーやその界隈のブロガーの皆様のご協力感謝致します。おかげさまで20近いブログが登録させていただける運びになりました。もう少し、私がフォローしているブロガーさんたちにもご登録をお願いする所存です。

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 一応、三橋貴明さんにもPVが上がってきた時点で、お誘い(掲載の)をしてみるつもりです。今の走りはじめの状態だと、単におんぶ抱っこになっちゃいますからね。しっかり対価(アクセス)を返せるようにしてから、お誘いするつもりです。あと佐藤健志さんも後々お誘いさせていただきたいなと。ちなみに・・・フェイスブックもRSSフィードがあるので、藤井聡さんもぜひぜひお誘いしたいなと。夢広がりまくりんぐ。

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7 Comments
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5 年 前

相変わらず、分かりやすい解説だったと思います。

「一般の庶民に、貨幣が負債であることを説いても理解を妨げるだけだ。我々の運動にとってMMTは回り道となる可能性があるから、機能的財政論に絞って発信しよう」とかの戦略論的な対立であれば、100歩譲って理解できる気もいたします。MMTのことを、エセ経済学やリフレ派と同じカテゴリに入れて批判されることが、私には一番意味が分からないです。。。

一応、拙著『アイドル新党なでしこ!』は、世界で初めて「機能的財政論」や「現代貨幣理論」というワードが掲載されている漫画となります(たぶん)。MMTのまとめ解説漫画とか、誰か最初にやれるチャンスはまだ残っていますかね^^

Reply to  高橋 聡
5 年 前

>なでしこ!でMMTを扱われるとは興味深いです

いえ、過去にワードと軽い説明を掲載しただけで、掘り下げて紹介して行く予定はありません。リフレ派を議論で打ち負かす回とかも、進撃の読者層は喜ぶかもしれませんが、一般的とは言えないのでそれもやりません。

『漫画 よく分かるMMT入門!』とか、望月さんが協力してくれて、商業出版社からの依頼があれば、なでしこやなでしこの本編とは分離した企画として挑戦してみたい気持ちはあります。英語に翻訳し、キンドルで世界市場に打って出るとかも……。

阿吽
5 年 前

>和食を解説しているときに「パンはどうしたんだ!」と言っているようなものです。

こういう感じでもありますでしょうか・・?

和食の解説で出汁について説明していたら・・、「出汁のもとになるカツオを釣っている漁師さんについての言及はどうした!」・・と言われるようなもの、でしょうか・・?

これが、上記のような感じなら・・、それこそ本当に、貨幣について論じているんだから、そりゃあ、話しの内容が、貨幣の話しにはなるよ・・、というふうな感じになるんでしょうかね。

>変節漢は存外難しいのですよ(笑)(ちなみに私、正しいと思ったら即論調を変節させます(笑)こだわりとかプライドとか少ないので)

自説の間違いを認めて素早く自分で修正をするのなら、それは全然良いのですが・・・、中には、ポジショントークで議論して、さっき言ったのは無しね、みたいな議論をする人もいますから、そういうのは、基本的には困るものとなりますね・・・。

だって、上記のような感じでちょくちょく自説をひっくり返されると・・、その人物の言説の信用度が地に落ちるのですから・・、その人物を信頼しての議論と言うものができなくなります・・。

(前にも書きましたが、少し前の三橋ブログのコメ欄でも、そのような感じで自説をひっくり返す人がいたのです・・。)(まあ、その人は、そのような感じでしたから、そりゃあ、コメ欄住人から総突っ込みを受けて、結局は最近、なんだかんだ見なくなりましたが・・)(その人物は、あきらかに、三橋氏の言説に対して批判を加えていたのに、応援してます、とか、その当時、なんだか諸々意味不明な言説になっちゃってましたからね・・)