明治維新から保守源流を探る-明治維新とはなんだったのか?を明かさずに保守は語れぬ

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日本の近代化の幕開けは明治維新?

 本日は日本における保守思想の源流について探っていきたいと思います。保守思想とはご存知の通りイギリスの産業革命でイギリス社会が工業化し、グローバル植民地主義化していった中において生まれます。つまり近代化とともに生まれたのが保守思想であると言えます。これは必然でして、シュンペーターは資本主義を絶え間ない変革の運動と喝破しました。絶え間ない変革にさらされるからこそ、保守思想はその変革から文化、伝統、慣習などを守ろうとして生まれたのです。

 つまり保守思想とは近代化とともに生まれた、と定義づけて良いと思います。

 では日本において近代化が進んだのはいつの頃からか?きっとそこには保守思想の源流もあるのではないか?と思い、それを日本史というストーリーの中から探り当てるのが本稿の目的です。なお、余談になりますがいくつかの一般的に流布している、間違った明治維新のイメージを指摘しておきたいと思います。

 まず明治維新はよく開国派VS尊王攘夷派という対比がされますが、これは大きく間違っています。開国と尊王攘夷は対義語ではありません。本当は開国派VS鎖国派、非戦論者VS主戦論者の4つの軸がございました。尊王はその当時は当たり前でありましたし、攘夷(外敵を討ち滅ぼす)については今すぐ派、開国して力をつけたあと派、鎖国して引きこもりたい派の3種類に分けられると思います。

 あまり長々と余談を申し上げてもしょうがないので端的に申しますと、明治政府は開国をして力をつけてから、攘夷する派でした。日露戦争などは不利を承知で開戦し、そしてからくもと言えど勝利したのですから、まさに「尊王攘夷」と表現可能な戦争でありました。

 またもう一点だけ言及しておきますと、明治維新は当時は単にご一新と言われておりまして、明治維新と呼称するようになったのは、薩摩、長州の正当化のためという説もあったりします。また江戸幕府はペリーが来る1年前から情報を掴んでおり、当時としては最高峰の情報を得ていたようです。様々な物語で書かれるほど、無能ではなかったわけです。その証拠に明治維新の成果として開国というイメージがありますが、開国をしたのは江戸幕府ですし、また鉄道の敷設などの近代化の計画もあったようです。

日本の近代化の二大合言葉とスローガン

 当時の世界情勢は植民地グローバリズム、庶民地帝国主義と表現して良いものでして、日本も当初は不平等条約を開国を迫られた幕府が結ばされました。まるで現在進んでいる日米FTA(日米TAG)のようであります。明治の時代の人たちはどのようなスローガンと合言葉で、どのような日本を目指したのでしょうか?

 あまりにも有名ですが「富国強兵」「臥薪嘗胆」を合言葉に、日本の近代化、国力の増大に心を砕き、邁進したのです。そのためには様々な政策がなされていきます。地租改正で税制の近代化をはかったり、江戸時代では藩札、金銀銭貨などを改め国定貨幣である円に統一したり、また地方分権であった幕藩体制を改め、廃藩置県を進めて中央集権に取り組むなどです。

 ちなみに当時の明治政府の体制はかなり脆弱性があったために、国定貨幣に対する信用は大きくなく、したがって現代貨幣理論で現在日本で論じられるところの、内債による財政出動などはかなり難しい状況でした。また外国から輸入しなければならないものも多く(例えば軍艦など)、外債がどうしても必要な状況でもありました。

 日本の近代化の幕開けとはイギリス的な「儲けたい資本主義」ではなく、自国を不平等な条約や外国の圧力から守るために行われたと解釈可能なのではないでしょうか?だからこそ「富国強兵」「臥薪嘗胆」というスローガンが合言葉となったのです。ここに私は日本の保守思想の源流が見える気が致します。当時の日本は「大国におもねり、身を委ねる」などということは致しませんでした。

戦後保守と明治の保守源流を比べる

 戦後レジームという言葉があります。これは1945年の敗戦後のレジーム(体制)を指す言葉であり、端的にいえば戦後の世界秩序こそが戦後レジームなのです。日本で言えば敗戦国という地位が戦後の世界秩序の中で与えられた地位でありました。日本の迷走は戦前や戦中ではなく、もしかしたら敗戦後に始まっているのかもしれません。

 石破茂議員は過去に国会の質疑で「戦争中ですら、国体というものが明確には定義されていなかった」と述べたことがありますが、日本の国体とはあまりに明らかで誰も議論しなかっただけではないか?と思えます。国体の護持とはすなわち、皇室と天皇の存続でありましょう。ドラマの話で恐縮なのですが、天皇の料理番というドラマで宇佐美さん(秋山篤蔵の師匠)が占領軍の将校に質問されます。

 「あなた方にとって天皇とはなんですか?」と。

 これに対して宇佐美さんが返した答えは大変に明確なもので、また私も料理をしますので大変に共感できる答えでした。「大変恐れ多いのですが・・・ミソと一緒です。生まれてからずっとそこにあるもの、それがないと非常に寂しくなるものです」と。現代人にとっても味噌汁は大変重要ですが、昔よりもだいぶ食べる頻度は落ちているんじゃないでしょうか。

 閑話休題。

 敗戦後の日本はとにかく戦争は悲惨だった、だから絶対平和主義だという国家にと変化しました。あの石原莞爾などは敗戦後の映像で「敵が来ても侵略されたら良い。日本は平和主義国家となったのだ」というようなこと(正確ではないですが)を発言しております。何というビフォーアフター(!!)

 つまり戦後保守にとっては臥薪嘗胆はともかく、富国強兵はタブーとなりました。戦後保守だけでなく右も左も真ん中も富国強兵をタブーとして、富国弱兵で経済大国!と追い抜け追い越せ!とやってきたわけです。しかしながら富国弱兵というのは端的に申し上げて、ソビエトというアメリカの強大な敵が倒れれば、次に狙い撃ちされるのは日本ということでした。当然でしょう?金持ちが国際政治というスラム街で、護衛もつけずに歩いているようなものです。かもがネギを背負っているわけですから。

 戦後保守は70年に及ぶ平和の中で、国際政治という舞台がいかに残酷で恐ろしいものか?を忘れてしまったように見受けられます。有り体に言えば危機感がゼロであると。国家に真の友はいないとはチャーチルの言葉だったかと思いますが、この事実を忘れて、さもアメリカと友達のように振る舞っておけば良いと思考停止してしまったのが、戦後保守なのではないか?と思う次第です。

 明治の時代に思いを馳せるとき、そこには生々しい人間のドラマが感じられるというのに、平成の御代に入ってからは、薄っぺらい下手くそな演劇でも見せられているような気がします。

 皆様はどのようにお感じでしょうか?

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阿吽

>明治維新とはなんだったのか?

今で言う政権交代・・・?
(天皇によって時の為政者が任命されるというスタイルは、鎌倉いらい現代まで変わっていない?・・・(極端な言い方をすれば、摂関政治以来変わってないといえるのか・・?))

近代的民族国家としての目覚め・・?
(近代的な日本国民としての目覚め・・?)

 保守ってのは・・、思想というよりかは、いきすぎたものへの反動というのがベースなのでしょうか・・?

急激すぎる変化を前に、一歩立ち止まる、もしくは自己を顧みる精神と言うか・・・・。

ですんで、結果として、日本とアメリカの保守も違ってくるんですかね・・・?

アメリカの保守は、その根底にインデペンデンスデイと言いますか、独立という一見革命的にも見える精神がありますし・・、イギリスなんかだと、それこそ、王室護持が、保守か・・・?

 >保守思想はその変革から文化、伝統、慣習などを守ろうとして生まれたのです。

となりますと・・、アメリカの保守は、メイフラワー号以来の開拓者精神・・、開拓者魂をイギリスから守ろうとした結果、アメリカの独立戦争という感じですかね・・・?

開拓者精神こそが、アメリカの保守か・・・・?

フランスの保守なら、それこそ、フランス革命か・・・?

日本からすれば・・、明治の急激な西洋近代化の反動からの、江戸以来の日本文化の見直しが、保守の源流ですか・・・・?

現在に話を戻せば・・、現代の急激なグローバリズムの中で、過去の精神を見直そうとするこの行動こそも、保守の精神か・・・・・。


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