若者の○○離れは本当か?
最近は報道を見ておりますと時々、若者の○○離れなる言葉が報じられます。車、恋愛、結婚、飲み会、テレビからメディアなどによると若者が離れているのだそうです。しかしまず、劇的に1990年代以降から社会環境が変化してきたという土台を論じずに「若者の○○離れ」とさも若者が昔の人達と異なる性質を持っていると論じることは、あまりにいい加減ではないでしょうか?
私がさっと思いつくだけでも年功序列、終身雇用制度が崩れて若者の経済的立場というのは非常に不安定になっておりますし、私なんかはよくわかりませんけれどもセクハラやパワハラといったものがかなりデリケートに取り上げられる時代です。(パワハラはアカンと思いますけども)
企業も昔は社内結婚などを推奨していたのだそうですが、現代ではそんな企業は「コンプライアンスが!」だとかいわれるんじゃないでしょうか?私、セクハラについてはあまり詳しくないのでWikiを覗いてみました。要点だけ引用したいと思います。
職場におけるセクハラにおいては、男女雇用機会均等法に違反するため企業は解決のための措置を取らなければならない。 (中略、以下その例とされるもので「えっ?マジで?」と思ったもの)
・トイレや休憩室、従業員の前などにおける本人及び他人を含めた容姿や恋人関係などに関する噂話。
・ 上司から部下への誘い
セクシャルハラスメント (Wiki)
上司が部下を食事に誘ったらセクハラなんでしょうか・・・私にはなかなか理解ができません(汗)また例えば男性が女性に「髪切ったの?似合ってるね」というと、セクハラになることもあるんでしょうか?わかりませんが、すごく厳しいような気がします。日本でセクハラの概念が広まり始めたのはWikiによると1986年が発端だそうで、1990年代に日本に浸透していったとのことだそうです。今ではうかうか、同僚をデートに誘ったらセクハラ!となりかねませんね、これでは。
またお見合いがなくなったりしたのも非常に大きな変化だと思います。(修正)「草食化」は関係ない…若者の未婚・晩婚が増えるワケ(ヤフーニュース)でもお見合い、セクハラ、終身雇用制度などを挙げて「社会の変化が未婚、晩婚の大きな理由である」と論じておられます。
ついでに言えば上記の記事の筆者、なにか処方箋を示せるのか?と最後まで読んでみましたら以下のような締めになっておりました。
最後に荒川さんはこう話す。「だからといって、社会が悪いとか自分が悪いとか考えると、かえって負のスパイラルに陥ります。社会や自分を変えようとするのではなく、大事なのは適応力。今、目の前にある仕事や趣味に没頭したり、人とつながり、自分の中の新しい自分を生み出していくこと。そうすれば自然と自分を認められるようになるし、自己肯定できるようにもなる。誰かを好きになるためには、まず自分を好きになりましょう。それが結果として、恋愛や結婚というプロセスにつながっていくと思います」
(修正)「草食化」は関係ない…若者の未婚・晩婚が増えるワケ(ヤフーニュース)
記事の本旨は「いつの時代も恋愛強者は3割程度、昔はお見合い制度などがあって助かっていたけど、今ではそのような社会システムが働いていないのでしょうがない。」というものですが、この最後の締めは「どうしようもないから、どうしようもない」と言っているとしか解釈ができません。まあ・・・どうしようもないのでしょう。
社会システムの変化としては以下のようにまとめられると思います。
- 終身雇用制度の崩壊
- 年功序列の崩壊で所得が不確実性を増した
- お見合い制度がなくなった
- セクハラなどの社会問題化と浸透で、むしろ恋愛プロセスが難しくなった
- 加えてデフレすれすれの経済状況で、将来に対して希望が持てない
自由と平等の希求も過ぎれば毒になる
私自身はLGBT当事者でありゲイですので、自由というものは大切だと思っております。イスラム教の国家に生まれていれば、かなり窮屈な人生を送らざるを得ませんでしたでしょうし、もしかしたらゲイだとバレて死刑になったかもしれないっ!実際にWikiでは以下のように載っております。
イランでは同性愛は犯罪行為であり、被疑者が同性愛の事実を認めた場合は死刑を含む刑罰で罰せられる。実際に処刑者も数多く出ており、国際社会の厳しい非難を浴びている。
イランにおける同性愛者迫害(Wiki)
しかし明らかに日本社会におけるセクハラなどの要件は、ちょっと潔癖すぎないか?という面が無きにしもあらずではないか?と思います。また自由恋愛は素晴らしいものですけれども、実際に恋愛を謳歌できる割合というのは男女ともに今も昔も3割程度という現実もあります。ある種これは「恋愛市場の新自由主義化」とすら表現可能かもしれません。
自由とは言い換えれば「勝ち負けがはっきりとして、負けた人には救いがない」という状態とも言えます。
1990年代以降の経済的な環境変化
日本がグローバリズムに突き進み始めたのが1990年代という時代でありますけれども、グローバリズムもまた「自由市場で自由競争をして、それが経済全体に対して良いはずだ」というドグマのもとに進められた経済主義であります。
結果としてグローバリズム・新自由主義は年功序列、終身雇用を崩壊させて日本国民、特に若者の生活を不安定にするという役割を果たしました。また1998年から続くデフレも無視できない要因でしょう。雇用の不安定化のみならず、デフレという資本主義経済では招来してはならない異常事態を日本は20年以上に渡り続けたわけです。氷河期世代などという言葉もその過程で生まれまして、私も氷河期世代の1人でございます。
結局の所、1990年代や平成という時代はどんどんと日本が「グローバルスタンダード」なるものに変化していき、すなわちこれは「日本らしいシステムを捨て去る行動」でもありました。
日本らしいシステムを捨て去るということは、それまで築き上げてきた「安定」を捨て去ることと全く同義ですから、若い世代ほど不安定になり、不確実性が増し、行動に積極性やリスクを取ることができなくなるのはまったくもって「当たり前」だったのです。
若い人たちに送る言葉
長々と論じてまいりましたけれども、これからの日本はほとんどのケースに置いて凋落していくというふうに思っておいたほうが無難です。もはや20年後には「経済大国日本」はどこにも存在せず、中程度の国家としてアメリカ、中国に翻弄される未来は十二分にありえる可能性です。
ジャパン・アズ・ナンバーワンなどという言葉は、もはや風化して忘れ去られていることでしょう。
ちなみに私も社会人になったのが1996年ですが、その2年後にはデフレに陥り、20年以上に及ぶ社会人人生をデフレの中で苦しみながら過ごしております。
日本の経済はおそらく将来的に落ちぶれていくことでしょうけれども、それは同時に「他の日本人も生活レベルが落ちていく」ことと同義でして、少なくとも今のように「若者の○○離れ」などと揶揄されることもなくなるのではないでしょうか?
なかなかに難しい状況ですので、どうぞ若い人たちは「しっかりと自己防衛と自分の生活の防衛をする」ことに全力を尽くしていただきたいと思います。若い希望に燃える人たちに送るような言葉ではないかもしれませんけれども(汗)
P.S
冒頭の写真なんですけど、最近の大学生ってマジで忙しいらしいのですよ。しかも大学進学率が上がっておりますから、1987年の「ちょっとしたエリートの大学生」みたいな話にはならないんですね。
また昔って「大学は遊びに行くところ」的な風潮もありませんでしたっけ?現在の学生にそういう風潮というか余裕ってもはやないと思うのですよね。とするとデートにかまけている暇があれば就活だ!とか資格を取る!とかになってしまうんじゃないでしょうかね?
少なくとも私の周りにいる大学生は、ずいぶんと忙しそうです。
あけましておめでとうございます。m(__)m
今年も来年より素晴らしい年になりそうです!(←気が早いw(汗))
>日本でセクハラの概念が広まり始めたのはWikiによると1986年が発端だそうで、1990年代に日本に浸透していったとのことだそうです。今ではうかうか、同僚をデートに誘ったらセクハラ!となりかねませんね、これでは。
ただまあ・・、昔は度を超えて、セクハラがひどかったんだなあ・・・、と、最近思ったできごとがありました・・。
なんか、たまたま聞いたんだか、なんかの記事かなんかで見たのかは忘れましたが・・、昔は、地方局の女子アナが、新春の記念番組と銘打って、男性リポーターと混浴で、テレビに映っていたのです。(しかも、下半身はともかく上半身あらわで・・)
ほんとに驚きましたね・・・。昔の2時間サスペンスなんか、そういうお色気シーンがたまにあるのは知ってましたが・・、地方局とはいえ局アナが、そういうことをしていたのです。
そういう濡れ場も仕事の都合ならたまにやる、女性俳優さんとかではなく、テレビ局の女子アナなのです・・。
本当に驚きました。
その映像を見て・・、たまに年配のかたがセクハラかなんかで訴えられたりしているのを見ますと・・・、ほんの30年か40年前まで、テレビでさえそんなセクハラみたいなことを本当に悪気もなく普通にやっていたのを見て・・、そりゃあ、年配の人で、当時を知ってるようなかたがいたら・・、ちょっと部下の女性のお尻さわったぐらいで大騒ぎされるなんて意味がわからないというふうになるのも無理からぬことなんだろうなあ・・と、おもっちゃいましたね・・・(まあ、さわっちゃあまずいんですけど・・)。
やはり、行き過ぎた過剰配慮も窮屈なものですが・・、セクハラも普通にまずいなあ・・と、思いました・・。その女子アナさんだって、まさかテレビで乳さらすために入社したわけではないでしょうし・・(まあ左記の件は、かなり過去の話ではありますが・・)。行きすぎもまずいですが・・、個々人の人権も、普通に守られるべきだなあー・・・と、それを見て思いました。
>上司が部下を食事に誘ったらセクハラなんでしょうか・・・私にはなかなか理解ができません(汗)また例えば男性が女性に「髪切ったの?似合ってるね」というと、セクハラになることもあるんでしょうか?わかりませんが、すごく厳しいような気がします。
まあ、上記まで極端にいきすぎると、それはそれでもんのすごいですよね・・・・。
最近はテレビとか見ておりますと、周りの景色をぼかしフィルターを入れたりしてるんですね。きっとSNSで特定されたりということに配慮なんだと思うんですが・・・いろいろと窮屈な感じもします。
セクハラも駄目は駄目なんですけど・・・時代の変化というのは恐ろしい速さですね。
人権の尊重は最もなんですけど、潔癖になりすぎると窮屈になるのかな?と。
行き過ぎたセクハラ批判については、私も常々下記を主張しているところです。
≪本来法律で禁止されるべき内容≫
主に職場や学校における優越的地位の乱用(女性が上位者から性的搾取や強制を受けやすい傾向を防止)
≪大目にみてあげてほしい内容≫
おっさん達の猥談(下ネタ・エロトーク・口説き)
性的なものに限らず、あらゆる嫌がらせは度が過ぎているともちろん駄目ですが、「あのタレントを番組に出演させるというのなら、うちのタレントは出演させない」など、芸能界にありがちな「あのタレントは干された」みたいな話の方が、私に言わせれば「優越的地位の乱用」(不正義・社会におってマイナス)となるため、事務次官による「おっぱい触っていい?」発言より余ほど性質が悪いと思っています。「俺の酒が飲めないのか?」ほか、上位者による一気飲みの強要など、最悪だと死ぬこともありますから、セクハラより余ほど未然防止に努めなければいけません。
ところで「ゲイと家庭料理」といえば、モーニングに連載中の『きのう何食べた?』を思い出します。あれは性的描写から一切逃げている感じがして、シャレオツ過ぎてどうかと思いますが、ヤンさんのように料理をする人からすれば面白いかもしれません。
私もなんだかテレビや報道でセクハラなんちゃらが報道される時に「えっ?これはアカンの?」「あ、これは駄目なやつかも」といろいろ戸惑いながら見ております。
おっさんたちの猥談くらいは、本当大目に見てあげていいんじゃないかと(笑)
>『きのう何食べた?』
この漫画、まだ読んだことがありません。ちょっと機会があれば読んでみますよっと。
明けましておめでとうございます。
こちらでは初めてコメントします。
セクハラというと男→女の図式がデフォルトのような気もしますが、男による女性を値踏みする会話がセクハラなら、逆もセクハラなんですよね。女性の肌も露わな広告がセクハラなら、肌を露出するファッションもセクハラになるはずです。
潔癖とか健全というのはナチスが好んだ価値観でもありまして、それらはファナティックな全体主義と紙一重だと思うとります。総統閣下が相手にして貰えなかった19世紀末ロマン主義に抱いたコンプレックスに遠因が有るようにも感じますが。
『きのう何食べた?』は面白いですよ。作者のよしながふみ氏は所謂BLの出身で、他に『大奥』なんかも描いていて、こちらは映像化もされました。
同じ講談社系なら『瑠璃と料理の王様と』が好きです。登場人物が実に美味そうに食べるんですよ。作者のきくち正太氏が描く漫画は大体食事が美味しそうなので困ります。
本年がヤン様にとって良いものになりますように。
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
確かに逆もセクハラになるはずなんですが、Wikiでセクハラの件数をざっと見てみたところ男性→女性しか問題(件数も)が大きくなってないのはなんでなんでしょうね。
私みたいなゲイからすると「う?うーん?やはりノンケの感覚と自分が違うのか?」と悩ましいところです(笑)
※ちなみにもしセクハラという言葉が私にも当てはまるなら、多分飲み屋(女性ママなところ)でセクハラされてるような?気にしてませんけど(笑)
>『きのう何食べた?』
ポル万さん、くえんとさんが推されるのならすごく興味ががががが・・・。タイトル記憶完了です。読んでみます。
>瑠璃と料理の王様と
これも読んだことないです。料理系ならじつに読んでみたいところです。