保守主義とエドマンド・バーク-日本の自称保守やネトウヨは保守なのか?

この記事は約7分で読めます。
スポンサーリンク
スポンサーリンク

 保守思想とはなにか? 過去にいくつかの記事で、解説してきました。

 保守主義の父と言われるエドマンド・バークを参照しつつ、日本の保守主義の問題点やねじれを解説します。

スポンサーリンク

エドマンド・バークに学ぶ、保守主義・保守思想とはなにか?

 保守主義とは「既存の制度や価値観、信条を覆すイデオロギーに対抗するイデオロギー」です。

 フランス革命は一般的に、民主主義の始まりと言われます。当時フランス革命を批判したのが、エドマンド・バークでした。
 フランス革命の本質は、頭でっかちな理性万能主義――デカルト的な合理主義――でした。

 従来のフランスの秩序、制度、価値観、などを根本的に、理性で覆す運動だったのです。

 エドマンド・バークの保守思想は、以下のように整理されてます。

  1. 人間の知力より、歴史で堆積したもののほうが大切→伝統や歴史の重視→不可知論
  2. なぜ理性ですべてが見通せないか? 世界は動的であり、不確実性に満ちているから→社会有機体論
  3. よって改革は漸進的――少しずつ――でなければならない

ネトウヨや日本の保守は、本当の保守主義なの?

 日本で保守を名乗る人の半分以上は、エドマンド・バークのフランス革命の省察を、読んでいないのでは? と感じます。
 ネトウヨはほぼ100%、読んでいないと思われます。

 安倍政権で2014年、2018年に入管法の規制緩和が行われ、日本で移民が拡大しました。これは急進的な改革です。
 しかし日本で保守を名乗る有識者、政治家、ネトウヨで、反対の声を上げたのはわずかでした。

 日本では保守が、思想ではなくアイコンとしてしか存在しない。そう痛感させられる事態でした。

 移民拡大、規制緩和、民営化などは基本的に新自由主義です。新自由主義とは根底に、機械論(理性万能論の1つ)があります。
 通常は新自由主義を進めつつ、保守を名乗るのは矛盾です。

 日本では保守主義というと、復古主義を指すことも多いようです。
 戦前への回帰、徴兵制の復活などの論調は、復古主義とも解釈可能です。

 しかし復古主義もまた、過去への「急進的な改革」ではないでしょうか。

アメリカの共和党が、小さな政府で保守主義の理由

 新自由主義と保守主義は相容れないと、上述しました。
 「アメリカは小さな政府の共和党が、保守じゃないか」と反論があるでしょう。

 アメリカの国の成り立ちは、イギリスをはじめヨーロッパからの移民です。新天地を目指し入植した人々は、18世紀に共和制国家を設立します。
 アメリカは最初から、スローガンが「自由と民主主義」でした。

 アメリカは歴史や伝統のない、合理主義国家だったのです。したがってアメリカの保守主義と新自由主義は、相性が良いのです。

 世界的に保守と新自由主義が結びついたのは、パクス・アメリカーナ(アメリカによる平和)での、グローバリズムの影響でしょう。
 サッチャーやレーガンに話が遡りますので、本稿ではここまでにします。

保守主義や保守思想に問題点はないのか?

  1. 隷従への道を著したハイエクは、保守主義を「一般原則などがない、場当たり的な思想」と批判した
  2. 日本の場合、どこからが「守るべき伝統か?」という区切りが難しい
  3. 福田恆存――日本における保守思想家――は、保守は態度だとした。そして前向きに倒れれば良いとしたが、すでに新自由主義によって倒れた。
    戦後保守は言語化や体系化、ある種の理論化をおろそかにしてきた。

 3つほど、問題点が浮かび上がります。

保守主義の問題1 ハイエクの批判

 政治的な主義、つまりイデオロギーとは通常、理想を掲げます。リベラルは近代人権思想と自由を、新自由主義は経済競争的自由を、共産主義は労働者による統治のユートピアを。

 しかし保守主義とは、理想を掲げません。なぜなら「そこそこ上手く行っている現在を大事にしつつ、問題点を漸進的に解決していく」という思想だからです。

 仮に封建社会であれば封建社会、民主主義であれば民主主義。それぞれによって保守主義者の、政治主張は変わります。
 よって保守主義に一般原則がないとした、ハイエクの批判はある意味正しいのです。

保守主義の問題2 日本では、どこからが「保守するべき伝統」か?

 近代国家日本の幕開けは、明治維新からでした。明治維新とは幕藩体制を廃した、中央集権国家日本の誕生でもあります。
 しかし……江戸時代を考えるならば、明治維新とは急進的な改革に他なりません。

 あるいは日本の戦後保守は、戦前を重視する人が多いようです。
 とすれば明治政府から掲げられた「富国強兵」は、守るべき伝統のはずです。したがって戦後日本や、急進的な平和主義を押し付けたアメリカへ反発するはずです。

 もしくは戦後から70年以上が経ちます。
 現在の対米従属のことなかれ日本は、保守するべきものなのでしょうか?

 どのスパン、どの区切りから見るのか? 考えるのか? それによって主張も、180度変わってきます。……この場合は、120度ずつでしょうか(笑)

保守主義の問題3 言語化、体系化をおろそかにしてきた

 保守主義を理論化する。これほどの矛盾もありません。理論とは理性の塊です。したがって理性万能主義を疑う保守主義は、理論化できるはずがない。
 だからこそ日本の保守思想の大家である福田恆存は、保守は態度だと言ったのです。

 しかしそうも言ってられない、と中野剛志さんは書きます。
 新自由主義が蔓延し、イデオロギーに対抗するイデオロギーである保守主義が、力なく倒れています。
 せめて言語化、体系化するべきだと言います。

 戦後の保守思想家たちが、言語化、体系化をおろそかにしてきたツケなのでしょうか。

保守のアイコン化が進む、ネトウヨと自称保守

 保守主義は国家を重要視します。歴史の中で培われた枠組みだからです。これが変じて保守主義=愛国者という図式が、日本に定着したようです。
 ネトウヨなどが保守を名乗るのも、このためです。

 保守と言われる安倍政権は、新自由主義でもあります。
 日本は明治維新から、中央集権国家になり大きな政府を目指してきました。小さな政府は、1990年代からです。

 なぜねじれているのか? 対米従属が大きな要因です。上述したとおりアメリカは、伝統的に合理主義国家です。アメリカの保守主義とは、合理主義です。
 これを受け入れていることが、日本の保守のねじれです。
 本来の日本の保守主義なら、アメリカと相性が悪いはずだからです。

 日本において保守とは「愛国者アピールのアイコン」に、成り果てたのではないでしょうか?

 よろしければ上記の記事もどうぞ。

31
コメントを残す

6Comment threads
25Thread replies
0Followers
 
Most reacted comment
Hottest comment thread
7Comment authors
  Subscribe  
新しい順 古い順 最も評価の多い
更新通知を受け取る »
阿吽

保守は、態度ですか・・。

今なら、その言葉の意味も少しはわかろうものか・・・?

たしかに、文字にするのは陳腐ですが、そうでもしないと広まらないのも事実、かといって、文字にするとそれでわかったつもりになるエセ保守もまた、大量発生するのでしょうかね。

なかなかに、むつかしいところですね。

なんせ保守とは態度ですから。

本を読んで知識は身についても、態度はなかなかもって、身につかないように・・・。

しかして、もちろん、ヤンさんのなさろうとしていることが無駄だなどと言うつもりは、私は毛頭ありません。

ヤンさんがなさろうとしていることこそ、態度なのです。

態度ではあれですかね・・、生きざま、ですかね。

ヤンさんがなさろうとする生きざまそのものが、保守(態度)なのです。

矛盾してるようで、まったく矛盾していないのです。

(ややこしいことを言っているようですが・・(^^;))

通行人ですが

新自由主義は保守主義ではない!の一点ばりで盛んに安倍政権を糾弾する中野剛志先生?あたりが始めた論法はいろいろと無理があるんじゃないでしょうか?
まあ、私も書籍やネットに上がっている色々な保守主義の解説記事を読んできましたけど、次のが今のところ一番と思っています。ご参考まで

https://w.atwiki.jp/kbt16s/

通行人ですが

ん?投稿がでてこないな
コメント検閲サイトだったんですか笑

通行人ですが

>アーレントによれば「全体主義は、いかなるイデオロギー(自由主義であれ)とも合わさる」のだそうです。
>例えば「新自由主義・全体主義」もありうると解釈してます。

ここはちょっと突っ込んでやろうかな?と思っていたんですが、最新記事(全体主義とハンナ・アーレント云々)の方で修正してきましたね。
まあ、liberalismという言葉には新旧2つの意味があって、日本語に訳すとそれぞれ「自由主義」と「リベラリズム(※訳せてませんが笑)」となる、というのは政治思想を考察する上でのイロハだと思うのですが、ブログ主さんは取り敢えず大丈夫として、ここの読者の方々は大丈夫でしょうか?

ちょっと気になりました笑。

通行人ですが

その「社会自由主義」とかいう社会主義と自由主義という本来相反する概念をごった混ぜにしたような言葉には明らかに形容矛盾を感じますね。
例えていうならば、清純派AV女優みたいな笑。
中島岳志先生あたりが盛んに使っている「リベラル保守主義」とかいう言葉も同様ですが、この手のちゃんぽん語(キマイラ語)を使用する方々の意図を推測すると、社会主義とかリベラルだとかいう今ではすっかりマイナスのイメージが染みついてしまった言葉を、何とかして自由主義とか保守主義とかいう近年は好ましいイメージで使用される言葉に摺り寄せてイメージ改善を図ろうと涙ぐましい努力をされている感じがします。
でも、そもそも矛盾した概念を無理やり抱き合わせているだけなので、言っていることが支離滅裂というか論旨不鮮明というか、結局この人たちは何が言いたいの???という感想にしかならないのがイタイところです。
そして、本人たちもそれが分かっているのか、やたらと有名学者や偉人の名前を引っ張り出しては、肝心の論理的説明をきっちり通すことは放棄して、権威参照によって読者を煙に巻こうとしている点が残念な気がします。
まあ、個人ブログのレベルでも、そういう例は多いと思いますが笑。

通行人ですが

いや、そうではなくてね、「社会自由主義」だとか「リベラル保守主義」だとかいうチャンポン語(キマイラ語)を使いたがる方々が欧米にも日本にも多い、というか、欧米がそもそも思想論議の本場なので、多いのが当然なんおですが。
まあ、数としては圧倒的に多いです(彼らも必死ですし)。
でも、それと彼らの議論の論理的整合性がとれているかどうかは別問題。
例えばの話、私は昔、ジョン・ロールズの『正義論』という本を「これが現代リベラリズムの聖典だ・名著中の名誉だ」と推奨されて、高い本代を払って入手し懸命に読破しようとしたことがあるのですが、翻訳の拙劣さもあって、内容がどうにもこうにも頭の中に入ってこない笑。
あとから考えたら、これって、ロールズの展開しようとしている論理に無理・矛盾・飛躍が多過ぎて、私の頭がソレについていけなかっただけだったのですが、リベラルの学者の間では、「ジョン・ロールズの『正義論』は現代リベラリズムの聖典」ということになっていて、「それを理解できないのは、お前が悪い」と予め決めつけられてしまうので、
従順な学生は「先生がそういうなら、それが正しいのだろう」とわだかまりを抱きつつもそう思い込むしかなかったのが実情でした。
しかし、その後にいろいろと視界が開けてきて、ちゃんとした論理展開をしている著作などにいくつも出会ったあとだと、「やっぱりそれってオカシイ」ということを自分の意見としてしっかり持てるようになってくるのです。
まあ、私のコメントには少々毒があったことは認めます。
ただ、貴殿の展開しているテーマの論理的整合性にはもう少し頑張って気を使ってほしい、と多少に期待を込めて思いました。

プロフェッサーカオス

フランス革命も日本の共産主義学生運動もそうだがシールズも多分そうだが

「悪貨は良貨を駆逐する」という現象が整備をする事が出来ない領域ではよく起こる

フランス革命にも
日本の共産主義学生運動にも
シールズにも
必ず、まともなやつがいたはずだが、まともな穏健派がいたはずだが、ちゃんと理解した上で、害悪性を出さないように注意を払っていたやつらもがいたはずなのだが

「数は力成り」ってことで、広く受け入れ、ムーブメントが起こり、そうなると愚衆大衆が多く参加してくる事によって「怒る事」「暴れること」そのものが目的になるなどして
もしくは「ファッション左翼右翼」になるなどして、理性では抑えきれない「集」となって、おかしなことになる事がある
結果、歴史には、フランス革命のおかしなところ、日本の共産主義学生運動のおかしなところ
シールズのおかしなところのみ残り、歴史として振り返った時、これらの現象全体が否定されていく、という法則、グレシャムの法則の人間版、思想版ってところか

1人の理知的な理性ある人間が自らの欲望を律する事は可能かもしれん
しかし集団になればなるほど、理性で抑えつける事が困難になっていく
しかし質より数が重要になる事も多々あり、ジレンマに陥る

今、これが右側で起きている、今はまだ流行っている時期だからいいが、そのうち、保守が駆逐されかねない
駆逐されていなくても、駆逐されているように見えてしまう。(目立たないから
一方、ネトウヨの言動はあまりにも愚かしく、悪目立ちだが、よく目立つ
一方保守の言動は、地味がゆえに目立たず「保守にはもうネトウヨしかいない」という印象になっていいく
まさに「対立する敵よりも厄介な内部にいる敵」という状態になっている

Muse

当ブログでは以前にも似たような趣旨の論考はありましたが、「保守主義(コンサーヴァティズム)とナショナリズム」の関係について論じた記事は見当たりませんでした。両者は「似て非なる概念」ですが、同時に非常に混同しやすい概念だと思います。これについてはどのようにお考えでしょうか?

Wikiによると、ナショナリズム(英: nationalism)とは、「国家という統一、独立した共同体を一般的には自己の所属する民族のもと形成する政治思想や運動を指す用語」とされています。さらに、混同しやすい概念としてパトリオティズム(愛国主義)もあります。

保守思想もナショナリズムも、それぞれの民族が長い歴史・伝統の下で形成してきた各共同体やそれを包摂した統一体としての国民国家(ネイション・ステート)を尊重するという点においては、両者はほぼ完全にオーバーラップしているといえます。しかし、一口に近代国民国家といっても、主にヨーロッパ諸国(英独仏など)のように中世以来の千年以上の歴史を継承してきた国家もあれば、米国や豪州といった移民国家では高々二百数十年程度の歴史しかない国家もあります。

あるいは、旧ソ連や現中共のように共産独裁革命によって人工的に作られた国家もあり、そうした国家においても当然、ナショナリズムは存在しますが、それではこのような、いわば「急ごしらえの人口国家」の体制や制度であっても保守思想が尊重すべき「歴史・伝統・慣習」と合致するのか?結構、疑問符がつくような感じがします。ただ、国家体制以前の民族的レベル(すなわち、この例ではロシア民族やシナ民族)における悠久の歴史・文化を尊重するということであれば、保守思想の理念とも合致するわけですが。

>保守主義の問題2 日本では、どこからが「保守するべき伝統」か?

これは以前の記事で当方が提起した論点ですが、この問題もまた、保守主義とナショナリズムの関係から分析すると、なかなか一筋縄ではいかないといえます。言うまでもなく、明治維新は、それ以前の封建的な徳川幕藩体制を中央集権的な近代国民国家へと作り替えた急進的な改革であり、それによって出来上がったのは、(それ以前の日本民族の歴史・伝統・文化を継承しつつも)紛れもない”人口国家”です(丁度、同時期のドイツやイタリアのような後進資本主義国と酷似している)。それから、戦後、GHQの占領下で作られた、いわゆる戦後日本の体制(対米従属&戦後民主主義&平和主義)も、ある意味、人口国家的な側面があったといえます。

>どのスパン、どの区切りから見るのか? 考えるのか?

そこが一番問題ですね。それによって保守思想において保守すべき「歴史・伝統・慣習」の在り方も全く変わってくることになる。例えば、70年以上も続いた戦後日本の体制を保守すべきなのか?あるいは、それ以前の明治以来の近代国民国家の体制を可能なレベルにおいて復活させるべきなのか(例えば、少なくとも対米従属体制から脱した名実ともに自主独立した国家を実現させるべきかなど)?

それから、(あまり考えたくもない悪夢ですが)、今後、安倍政権や後継の自民党政権が、相変わらず、新自由主義・グローバリズム政策を驀進させた結果、日本がほぼ完全な他民族国家かつ階級体制国家となり、かつての単一民族かつ総中流社会とは似ても似つかぬ状態となり果て、それが数十年以上続いたとします。それでも、保守思想の観点からは、このどうしようもない国家体制を保守すべきだということになるのでしょうか?

ちなみに、ナショナリズムの観点から言えば、どのような国家体制(つまり、日本の場合、移民受け入れ後の多民族国家か、戦後70年以上続いた戦後体制の日本か、あるいは戦前の大日本帝国か)を尊重し実現させようとするのかによって、結論は変わってきます。そして、保守思想の観点からは許されないが、ナショナリズムの観点からは特に問題とされないのが、「手段を選ばず、たとえ急進的な暴力革命でも何でも引き起こし、国家全体が大混乱に陥ったとしても、あるべき国家体制を復元ないし実現する」という行動です。

ちなみに、個人的な価値観としては、保守思想も重要ですが、それ以上にナショナリズムを重視したいところ。

阿吽

>>どのスパン、どの区切りから見るのか? 考えるのか?

>ちなみに、ナショナリズムの観点から言えば、どのような国家体制(つまり、日本の場合、移民受け入れ後の多民族国家か、戦後70年以上続いた戦後体制の日本か、あるいは戦前の大日本帝国か)を尊重し実現させようとするのかによって、結論は変わってきます。

これについては、Museさんのコメントを見て、今、思いましたが・・・、

これは、どの区切りから考えるか、ということそのものが・・、もしかしましたらナンセンスなのかもしれませんね・・・。

私も今までどこを保守のロールモデルとして考えたものかなと、考えていましたが・・、今回、Museさんのコメントを見て思ったのが、我が国の2000年の歴史全てを見て考えればいいのではないかと考えるようになりました。

ある特定の時代を意識するのではなく、日本国2000年の歴史を鑑み、どうすれば良いかを考えることが、大事なのではないかと思います。

なぜなら、今更戦前にも、当然江戸時代にも戻れません。

いろいろ言われる戦後ですが、80年代には一億総中流を実現するという、ある意味では人類史の快挙のようなことまでなしとげました。

戦後の日本も全否定されるものではなく、かといって、戦前の日本も、江戸時代も、全肯定されるようなものではありません。

ならば・・、過去の2000年全てをかえりみ、その上で、これからの日本国を自分達でどうすれば良いかを考えることが、大事なのではないでしょうか。

どうすりゃ一番良いかを、頭を使って考えることが、大事なのではないかと思います。

どの時代をモデルにするかを考えるのではなく・・、今まで(過去2000年)のことを考慮して、これからをどうするかを考えることが大事なのではないかと思います。

もちろん、日本の2000年の歴史だけではなく、世界人類の5000年にわたる思想(経験)も、人類史の1つとして参考にしても良いと思います。

その上で、21世紀の日本を作っていくべきなのでしょう。

過去の日本人と、過去の地球人類に胸を張れるような。

思想が経験の積み重ねなら、それらを活かさなければ、日本人含めた世界の御先祖に申し訳なくなります。

,
ということを、Museさんのコメント見て、今回はじめてふと思いました。(私もそういう問題があるなあと、漠然と思っていた口なので)

Muse

>これは、どの区切りから考えるか、ということそのものが・・、もしかしましたらナンセンスなのかもしれませんね・・・
>ある特定の時代を意識するのではなく、日本国2000年の歴史を鑑み、どうすれば良いかを考えることが、大事なのではないかと思います。

確かにその視点は重要だと思います。大和朝廷成立以前の小国分立時代、さらに弥生時代、縄文時代まで遡って考察することも可能です。何しろ、日本は島国であり、朝鮮や中国(シナ)のように異民族(例えば、匈奴や鮮卑、蒙古、女真等)による支配を経験したことがなく、単一民族として悠久の歴史を誇ってきたわけですので。

ただ、一口に有史以来の我が国の伝統・文化・慣習といっても、外来文化(平安期以前はシナ大陸、明治以降は欧州、特にドイツ、そして戦後は米国)を含めて、様々な分野にわたっており、それらのうち、「どれを保守あるいは復古させ、どれをその必要なしとみなすのか?」という難しい問題があります。

それは結局のところ、伝統・文化・慣習を受け継いだ各時代の日本人が良識に従って判断していくほかないですね。といっても、現代日本人に日本の良き伝統を受け継いでいくだけの良識があるのか、甚だ疑問です。ましてや、今後、移民が激増して多民族社会となったら本当に悲惨です。2000年以上続いた皇室も廃止され、共和制となるかもしれません。いや、今の状態を放置したらきっとそうなるでしょう。残念ながら。

阿吽

>それらのうち、「どれを保守あるいは復古させ、どれをその必要なしとみなすのか?」という難しい問題があります。
>それは結局のところ、伝統・文化・慣習を受け継いだ各時代の日本人が良識に従って判断していくほかないですね。

まあ、その問題の答えはもう、こちら界隈の我々なんぞは、知ってるんですけどね・・。

,
移民は国民の給料が下がるからダメ。人権問題的にも外国人の低賃金問題につながるのでダメ。ひいては天皇を抱く日本国の国体の破壊にも場合によってはつながりかねないので、基本的にはあんまりダメ。

国防は、自主独立しないとこれから世界戦国時代に生き残れないから富国強兵が必要。

そのための経済は国債発行。

一億総中流で国民を豊かに、幸福に、そして経済の地盤を強くするためにも適切な税制による所得のきちんとした再分配の、それの再設定、さらにはそのための法律の再設定が必要。

日本の文化の保持・発展は、日本人としてのアイデンティティーを維持し、民族としての連帯を守るためにも、日常生活をより良く生きるためにも、楽しく生きるためにも、必要。(時代によっての種々選択は、いくらかは必要かもしれませんが)

・・で、おそらくは、上記のような私が書いた日本のこれからすべきこと一覧などが、かなりおおざっぱな書き方ではありますけど・・、これからの日本が目指すべき道なのです。(詳しくは、ヤンさんやこちら界隈の人のブログを参照ということで(爆))

答えそのものは、そういうかんじなのではないかと思います。

それ(未来)を知るために必要だったのが、過去を知り、今を学ぶことだったのではないかと思います。

上記の過去の中には、日本の古典、文化、文明・・、さらには世界の記憶(思想)もすべて含みます。

そういったものを学んで、さらには今現在のことを多くの人(例えば三橋さんや、中野さんや、藤井さんや佐藤さんetcetc)から学んだからこそ、ヤンさんやこちら界隈の人も、良りよい未来を想像できるようになったのではないでしょうか。

ですので肝心なのは、過去を学び、今を知り、未来をつくることなのでしょうね。

,
しかしそれが、日本民族としてできなければ・・、Museさんのおっしゃられるとおり、日本の未来はお先真っ暗でしょうが・・・。

Muse

>「どうしようもない国家体制」→「凋落する」→「絶対凋落するのに、保守できない」
 こう考えればいかがでしょう?

しかし、「そのどうしようもない国家体制」は必ずしも「凋落する」とは限りません。前回例に挙げた通り、将来、移民が激増して我が国が「多民族社会かつ階級社会」となってしまった場合を想定したとします。

一旦そうなったら、わざわざ積極的に保守するまでもなく、そのろくでもない社会(もちろん、これは単一民族かつ無階級社会を善とする立場からの主観的な価値観に基づく)のまま、固定されることになります。多民族かつ階級国家として。そして、この一旦多民族化した社会を単一民族社会へと復元することはもはや現実的に無理でしょう。もちろん、保守思想も完全に無力。

それから、「コンサーヴァティズムとナショナリズムの関係」については、いただいたコメントが簡潔すぎてよくわかりません。また、別の機会に記事で取り上げていただければ幸いです。

阿吽

この先、どうしようもない状況が続き、日本が多民族国家になった場合、でしょうか・・?

今のドイツのように・・・。

それは、日本という同じ名前が付いている、別の国ではないでしょうかね。

ちょうど今のエジプトと、古代エジプトぐらいには別の国かもしれません。

(今のエジプトと古代エジプトとでは、言語も、文字も、宗教も、別物となってしまっています)

宗教、文字にとどまらず、その言語も保守できなかった時点で、古代エジプトは完全なゲームオーバーでした。

そのエジプトと、今のエジプトとは、別の概念の国家でしょう。(住んでいる人種がごっそり入れ替わったとまでは言いませんが、国体の護持には失敗しているわけです)

今の日本も、今のドイツのように多民族国家になった場合は・・、ゲームオーバーかと思います。(ドイツも9割近く、終わっています。(日本は7割近くくらいでしょうか?))

その多民族国家になった場合、その新生NIHON国を、今の2000年続いた日本国の延長とはならないかと思います。

では、その新しいNIHON国では何を保守するのかと言いますと、その新しいNIHON国の、その新しく始まった歴史から、NIHON国の保守するものを探せばいいのではないかと思います。

今の2000年続いた日本国とは、ほぼ別物なので。

今の我々からすれば、今の日本の保守は死活問題ですが・・、新しいNIHON国では、我々が経験した2000年の歴史は、言うほど保守対象とはならないのではないかと思います。

極端なことを言えば、古代エジプトと現代エジプトのように、違う概念の国なので・・。

ただ、違う概念の国家になった場合でも、それまで我々が生き続けていられた場合は・・、悲しいかと思います。

もしくは、悲しみたくなければ、いっそ、日本人であることを忘れて、NIHON人として生きるか・・・。

私からすれば、どの道、最悪の未来ですが。

今のネット右翼とか、さらには俗にパヨクとか呼ばれるような連中などは、しれっとNIHON人になって楽しく生きてるのかもしれませんが・・・・・。

Muse

>それは、日本という同じ名前が付いている、別の国ではないでしょうかね。

確かに仰る通りですね。同じ日本国(もはやNIHON国というべきか?)であっても、以前の国とは全くの別物であり、国柄=国体ががらっと変わってしまうことになる。つまり、日本がもはや日本ではなくなる。

例に挙げたエジプトなど、それこそ数えきれないほど変わっている(古代エジプト→ヘレニズム国家→ローマの属領→イスラム帝国とその後継王朝→オスマン・トルコ領→英国の植民地→現在のエジプト)。異民族による支配を何度も受けた後に列強による半植民地状態になった挙句、共産化した中国もそうだし、建国以来、種々雑多な移民を受け入れた米国も、やはり国柄が大きく変質しています。

ところが、現代日本の風潮を見ると、「今の移民受け入れ政策が続けば、さほど遠くない将来、多民族社会となり、二度と再び元の日本が蘇ることはない」という危機感がまるでない。国家観の欠如というべきか?

阿吽

私個人の考えではありますが・・、アメリカは自由と平等が建国いらいの国是の国なので、これが無くならない限りは、『アメリカ』かもしれません。

(武装して自分の身は自分で守るという『自由』)

(社会に(建前上)階級はないという『平等』)

ただ、今の所、自由は大丈夫かもしれませんけど、平等の方は、アメリカはだいぶ怪しくなってきたのではないかと思います。

トランプが、今までの大統領とは違って、若干、プーチンのように皇帝然として振る舞い始めましたので・・(もちろん、まだプーチンレベルにはまったく及んでいませんが)

しかし、この先この流れが続き・・、50年後にはプーチンが如く皇帝然としたアメリカ合衆国大統領が生まれれば・・、アメリカの建国の精神は、失われるのかもしれません。

日本のような自然発生国家とは違い、人工国家のアメリカにとっては、その建国の国是が失われると言うことは、国体の変更に等しい行為なのではないかとも思いますので・・。

(自然発生国家の日本は、我が国独自の宗教(文化)が国体を形成する大きな部分かと思いますが、人工国家のアメリカは、その建国の国是そのものが失われた瞬間に、国体を変質させるのかもしれません)

先にはあげなかった自由の方も、場合によっては皇帝の暗殺回避の一環で、失われる可能性もあるかもしれません。(まあアメリカが、ロシアのような皇帝国家になるのなら、そもそも個人の自由など大幅に制限されるかもしれませんが)

そこには、建国以来のアメリカの保守すべき内容、つまりは自由と平等を失った、新しい地域覇権帝国が、北米に生まれているのかもしれません。(まあ、ぜんぜん予想の段階ですが、いっちゃん悪い方への・・)

まあしかし、共和政ローマが帝政になったぐらいですので、長い人類史からみれば、ないとも言い切れない話でしょうかね・・・?

(ビザンツ帝国とローマ帝国ぐらいには、合衆国アメリカと帝政アメリカは、もしかしましたら別物みたいにあつかわれるかもしれませんし)

,
>ところが、現代日本の風潮を見ると、「今の移民受け入れ政策が続けば、さほど遠くない将来、多民族社会となり、二度と再び元の日本が蘇ることはない」という危機感がまるでない。国家観の欠如というべきか?

日本民族の、魂の劣化でしょうかね・・・?

あんまりそうは考えたくはないですけど・・・。

今あたりがほんとに最後の、2000年続いた私達の日本国の、分水嶺なのかもしれませんね・・。

古代エジプトがごとく、遠からず滅びるか・・、もしくはウルトラミラクルの可能性で、飛翔ができるかの・・・。

春点

ある思想があったとして、それを発現するためのツールが保守と言う態度であると。そしてそれは日本と他国で同じとは限らないと。
なるほど。すっきりしますね。

しかし「保守」が態度であるとすると、それを言語化・体系化するには相当の困難が伴いそうですね。
例えばアメリカという国とどう向き合うかにしても、協力・敵対のどちらがより良く「保守すべきもの」を守れると考えるかなんて、人によって食い違って当然ですもの。
新自由主義への態度にしても然り。その選択が日本をより毀損しない道であると真に考えた結果であれば、 賛成・反対どちらの態度であっても、 保守を名乗って良いことになります。
とても纏まりそうにありませんね。

結局我々に出来そうなことと言えば、浅い考えや思い込みで闇雲に動く前に、現状を正確に捉える態度と、それを基に深く考える習慣を身に付けることくらいでしょうか。
行動の前に現状を正しく分析してより良い結論を出さねば。

名主

そもそも日本の保守主義というのは西洋人の観念に基づくものではなく、古くより受け継がれる、国学や神道を基軸とする伝統的思想が下地にあるわけで、それに対してイギリス人の思想が云々とかいう話は極めてアホらしい。

名主

いやあなたがさ西洋人ありきの論法を展開されるからね。あと国学はその一派が民俗学へと発展した側面もあるけど、基本的に大半は皇国思想を中心に国粋主義の勢力へと再結集したと言える。

タイトルとURLをコピーしました